31.
ベトナム・サリン報道は誤報 米CNNが謝罪 (98/07/04)以下は『毎日新聞』と『朝日新聞』掲載の記事。(禁 転載)
ベトナム・サリン報道は誤報
米CNNが謝罪 (『毎日新聞』 1998.7.3.)
【ニューヨーク2日中井良則】べトナム戦争中に米軍が神経ガスのサリンを使用したと報道した米CNNテレビは2日、報道を誤報と認め撤回し、視聴者と米軍人に謝罪する声明を発表した。CNNは、米軍人の証言をもとに1970年9月に米軍の特殊部隊がラオスでサリンを実戦使用し多数の死傷者が出たと伝え、雑誌タイムもCNNのリポーターが書いた記事を掲載した。米国防総省も再調査を約束したが、作戦に従事した退役軍人からサリン使用を否定する証言があいつぎ、CNNとタイムは再取材を行っていた。
CNN、誤報認め謝罪
「ベトナム戦でサリン使用」
担当者ら辞職・処分 (『朝日新聞』1998/07/03 夕刊)
【ワシントン2日=西村陽一】米CNNテレビは二日、ベトナム戦争中、米軍特殊部隊が神経ガスのサリンを使った、とする先月放映の調査報道は誤報だったと認めた。この報道を全面的に取り消すとともに、視聴者、報道内容を掲載した提携先の米誌タイムや当時の作戦に加わった米兵に陳謝する異例の声明を発表した。オウム真理教が地下鉄テロにも使ったサリンの爆弾が投下されていたという報道は、全米に大きな衝撃を呼んだが、第三者に委託した事実調査作業の結果、取材上の「深刻な過ち」を認めた。問題の番組は、湾岸戦争報道で名をはせた花形記者アーネット氏と、女性プロデューサーのオリバーさんを中心とする取材チームが、八カ月間、二百人以上にインタビューして制作し、先月七日に放映された。放映後、CNNの軍事問題顧問が抗議して辞職したほか、べトナム戦争の軍関係者が内容を批判、国防総省も「催涙ガスとサリンを取り違えている」などと指摘していた。CNNニュース・グループのジョンソン社長は、声明で「内部調査の結果、裏付けは取れなかった。サリンやその他の致死性の強いガスが使われたことを示す証拠は不十分だった。『追い風作戦』の目的が、脱走米兵の殺害にあったという内容も確認できなかった」と述べた。同社長は誤報の原因について「情報源の扱いに深刻な過ちがあった。CNNでは報道のチェックとバランスは、これまではうまく働いてきたが、今回は機能しなかった。過ちを繰り返さないため、内部チェックを強めたい」と語った。担当プロデューサーたちは解雇か辞職、アーネット氏は戒告処分となった。
「サリン投下」CNN誤報
反証切り捨てた記者ら
背景に報道界の産業化
(『朝日新聞』1998/07/04)
「ジャーナリズムの悪夢だ」。米CNNテレビのアナウンサーが言った。ベトナム戦争中に米軍が脱走米兵らに毒ガスのサリン攻撃をしていた、という報道を「裏付けを欠いていた」との理由で撤回したCNNは、二日、取材テープの記録や第三者の調査結果を公表した。そこには、「サリン投下」に確信を持った記者たちが、取材の過程で証言のあいまいな部分を切り捨てた経過が示されている。今回の「誤報」はテレビ界の巨人に大きな打撃を与え、ねつ造事件が相次ぐ米マスコミ界にも波紋を投げた。(ワシントン・西村陽一、ニューヨーク・山中季広)
公開された未放映の取材テープには、サリン使用を認めた、と報じられたムーラー元統合参謀本部議長とのこんなやりとりが収録されていた。「あなたはサリンが使われたことを知っているのですね」「使われたとは確認していない。それは君が言ったことだ」
隠れた「物証」
重要な情報源の米兵も、自分が殺した相手の話が「ロシア人」「米兵」と二転三転していた。CNNから内部調査を託されたエイブラムス弁護士は「この米兵は、十五年前にべトナム戦争の体験記を書いた時、サリンや脱走米兵の殺害に全く触れていなかった」と指摘した。サリン投下を否定した別の米兵の証言も「そう思いこまされていた」というニュアンスで引用された、と弁護士は言う。
隠れた「物証」があった。米軍高官がガス爆弾を落としたパイロットを称賛した手紙だ。だが、ファクスをコピーしたので不鮮明だった。CNNは「CBU15」(サリン)と読んだものの、公開しなかった。現物を見た人によると「CBU19」(催涙ガス)とも別の爆弾の「CBU25」とも読めるという。
番組のリポート役を務めたのは、ベトナム戦争や湾岸戦争の報道で数々の賞に輝いたピーター・アーネット記者だ。同記者は二日、「イラク危機を担当していたので、取材に合流した時はすでに話の方向はできていた。内部でもっと質間をぶつけるべきだった」とコメントした。
CNN側も、同記者が取材にあまり関与していなかった、と認めた。ワシントン・ポスト紙は「にもかかわらず、彼が戒告処分を受けたのは、記者は読んだ原稿に責任があるというメッセージだ」と指摘する。
過ちには対価
エイブラムス氏は「私は、サリン攻撃がなかったことを証明したのではない。記者たちは『これが真実だ』と思いこむあまり、反証を無視した。内部チェックが働かないまま、放映すべきでない内容を外に出したことが間違いなのだ」と述べたうえで、こう語った。「ものすごい量の取材をしても、過ちを犯せば、ジャーナリストは対価を払わなければならない」「メディア王国」と呼ばれる米国では、先月、有力な雑誌や新聞による不祥事が相次ぎ、報道の信頼性を間う議論が続いていた=表。いずれも伝統のあるメディアで、担当記者は三人とも辞職するか解雇された。
競争のひずみ
記者は記事のねつ造や不法な取材に走り、編集者は記事が真実かどうかの確認さえできない――。その背景に、米国の報道界がすっかり産業化してしまったことを挙げる専門家は少なくない。「読者や視聴者に喜ばれそうなニュースをいかに効率よく量産するかという競争のひずみが一度に表れた」という指摘だ。
「記事に望み通りの迫力持たせ、ヤマ場でぴしゃりと決めたいために、実在しない人物の言葉を引用してしまった」。ボストン・グローブ紙の花形コラムニストだったパトリシア・スミス記者(四二)は「おわぴの覚え書き」と題した最後のコラムで、動機を自ら明かしたうえ、「それはジャーナリズムの大罪。なんじ、ねつ造するなかれ。例外はなく、弁解の余地もない」と記した。
米メディア、六月の誤報
12日
天声人語
(『朝日新聞』 1998/07/04) 米CNNテレビが誤報を認め、謝罪した。米軍の特殊部隊がべトナム戦争中、サリンを使って自軍の脱走兵らを殺した、という報道である。私もこの欄でそれを紹介し、諭評した。しかし結果的に、前提とした事実が間違っていた。おわびする▼サリンあるいま何らかの致死性のガスが使用された証拠は不十分であり、作戦の標的が米人脱走兵だったこともあとづけられない。これがCNN社長の発表だ。CNNは社外の専門家に依頼し、詳細で膨大な調査報告書を公表した。記者が集めた証言を洗い直し、取材過程を全面的に検証している。番組でも繰り返し、この問題を取り上げた▼この「特ダネ」は、八ヵ月にわたって関係者二百人に取材したすえ生まれたという。なのになぜ誤報に至ったのか。調査を担当した専門家は、こう緒論づけている。〈意図的にニュースを偽造した証拠はなかった。記者たちは、自分たちが書いた中身を正しいと信じていた〉〈記者たちは、報道しようとすることと矛盾する情報を、過小評価したのだ〉▼重要な人物としてトーマス・ムーラー統合参謀本部議長が、「特ダネ」に登場した。たとえば彼は、取材の過程で記者にこう言っていた。「私は(サリンが)使われたということを確認しているわけじゃない。それは、君が私に言っていることだからね」。だが、記者はこの発言を無視した▼一方で、国防総省担当の別の記者は、ムーラー氏の話をつまみ食い的に使うのには反対だったという。作戦を指揮した大尉も登場する。彼は作戦は脱走兵とは何の関係もなかったと語ったが、放送では引用されなかった。投下したガスは催涙ガスだった、という衛生兵の話も省略されたそうだ▼矛盾することがらも含め、すべての材料を公平に偏見なく点検する。それが、記者が心がけねばならぬイロハのイなのだが。