305. 小林トミさんの遺稿『「声なき声」をきけ 反戦市民運動の原点』刊行(03/06/25掲載)
今年の初め72歳でなくなられた「声なき声の会」の創立者であり、主宰者であった画家の小林トミさんの遺稿、「声なき声の会」の活動記録が、小林さんと親しかった元朝日新聞編集委員、岩垂弘さんの手によって整理、編集され、刊行された。(同時代社刊 定価1,900円+税)
岩垂さんの解説によると、会の活動記録を自分の手でまとめて刊行したいと願っていた小林さんが書き溜めてきた原稿は400字1,240枚にも及んでいたという。1960年の安保闘争の中で、「声なき声の会」が誕生するいきさつから始まって、湾岸戦争反対にまでいたるこの記録を読むとき、まさにこの半世紀近くの運動の流れを、隣り合わせに並んで小林トミさんと話しながら歩みとおす思いにである。1965年、ベ平連運動が発足してからは、小林さんはそれとともに、しかし決してベ平連の中に吸収されるのではなく、あくまでも「声なき声の会」として、いやあるときは、その会の趨勢からもはなれて小林トミ自身として歩み続ける。
1967年8月の記述にはこうある。「八月になって、ベ平連の、ベトナムに医療品をつんでいく船が出発すると、ベ平連から連絡があった。国府田恭子さんが、アメリカの青年たちとヨットに乗っていくと聞き、勇気のあることだと思う。記者会見が行われ、マスコミの人たちが集まっていた。(中略)大きく報道されるようになると、だんだん派手になる。声なき声などという地味な運動にかかわっている人間にとって、やはり違和感がある。」
こうした小林さんの姿勢が、この会を今に持続させている力だったのだと実感させられる。
6月15日、例年のように、声なき声の会は池袋で集会を開き、そのあと、国会の南通用門あとを訪れ、60年安保闘争での警官隊との激突の中で命を失った学生、樺美智子さんに花束を捧げた。小林トミさんのお姉さんの画家、やすさん、京都から鶴見俊輔さん、そしてこの本を編んだ岩垂弘さん、そして柳下さんや細田伸昭さんら声仲居声の会のメンバー約30人ほどが参加をした。『声なき声のたより』も小林さん亡き後も発行を続け、この秋には第100号が発行される(現在編集中)。
この本の発行所、同時代社は 101-0065 東京都千代田区西神田2-7-6 電話:03-3261-3149 FAX:03-3261-3237