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『「ベ平連」資料をベトナムに なお生きる「殺すな」の精神』―朝日新聞(大阪本社版)が報道
(
02/02/07
掲載)
2月6日の『朝日新聞』(大阪本社版)が、ベトナムの戦争証跡博物館に日本の反戦市民運動の資料を送る運動について、カラー写真入りで大きく報道しました。以下にその記事を転載します。
(見出し)
「ベ平連」資料をベトナムに
元メンバーら
なお生きる「殺すな」の精神
運動の歴史、検証期へ
(記事)
「べ平達」の名で知られた「ベトナムに平和を! 市民連合」の反戦ビラなどの市民運動資料が、ベトナムのホーチミン市にある国立戦争証跡博物館に収蔵されることになり、元メンバーをはじめ約30人が2月下旬、ベトナムを訪れる。74年のべ平達解散以来、四半世紀余。アフガン空爆シーンがベトナム「北爆」の映像と重ね合わされるなか、元べ平連事務局長の吉川勇一さん(70)は「べ平連を知らない人が増えた。あの運動はなんだったのか、もう一度ふり返ってみたい」という。
(音谷健郎)
ベ平連は65年、作家小田実、開高健、哲学者鶴見俊輔の各氏らを中心に結成された無党派の反戦運動団体。70年前後、泥沼化するベトナム戦争に一人の人間として「ノー」の声を上げようとした運動は大きなうねりとなって広がった。
ベトナム戦争を告発した同証跡博物館には年間約35万人が訪れる。そのうち日本人は7、8万人を占めるという。同館がこのほど増改築されるのを期に、ベトナム反戦運動の資料提供が求められ、昨秋、吉川さんらによって「旧べ平連運動基金」が設立された。
同メンバーらが保管していたものを持ち寄り、米軍基地の兵士に脱走を促した反戦ビラ、ポスター、ステッカー、バッジなど反戦グッズのほか、集会やデモの写真パネルが集まった。べ平連集会の参加者ではないが、ベトナム戦争反対のゼッケンを着けて8年間通勤した市民からゼッケン提供の申し出もあった。
今回、特に力を入れているのは新しく製作したDVD。約40分のドキュメンタリー映像で運動をふり返る。その中で強調されているのは、米政府はベトナム戦争を「共産主義との戦い」というイデオロギー対立の枠内に押し込めようとしていたのに対し、べ平連など市民運動はとにかく「殺すな」を掲げたこと。また運動のルールは「自分のできることを、自分の意志でやり、自分で責任をとること」だけだったことだ。
政党や労働団体などの組織によらない、自発的な市民によるべ平連の運動スタイルはその後、国際援助や市民運動に携わる様々なNGO(非政府組織)に受け縦がれた。
89年に始まった市民運動「市民の意見30・関西」は、9・11事件の10日後、自爆テロの野蛮を指摘しっつ、しかし「平和は戦争によっては達成されない」と声明を出した。世話役の北川靖一郎さん(58)は「べ平連の自由意志による市民運動は、日本のタテ社会型の あり方をも変えようとした。タテ型社会のシステム自体が老朽化している今こそ、その精神が必要だ」と共感を示す。
一方、ベトナム戦争は75年に終結したが、湾岸戦争、ユーゴやアフリカ、中東の民族対立、そしてテロ報復戦争と、いまだ戦火はやまない。イデオロギー対立の時代が終わり、プッシユ米大統領は「テロ」対「反テロ」の新たな対決を振りかざして「戦争」に臨ん でいる。
空爆を繰り返す米国の力の政策に、「殺すな」を掲げて向き合ったべ平連や市民運動。運動がすでに歴史の一部となりつつある中、問題はなお継続している。
小田実さんは「あらゆる国で歴史を検証するところに来ている。べ平連は『戦争では何も解決しない』との姿勢で一貫していた。その自由主義を基本にした反戦運動がとらえ直されてきている」と話している。
(写真説明)
ベトナムの戦争証跡博物館に収められる「べ平連」の反戦ポスターやビラ、支援カンパ袋、ステッカー
(以上)