171. 井上清さん逝去(01/12/01掲載)

 歴史学者の井上清さんが11月26日に肺炎で逝去されました。87歳。井上さんは60年代後期の大学闘争を積極的に支援するとともに、後半期のベ平連運動にも強い共感と支持を寄せられました。ベ平連の発足当初は、一定の保留つき支持だったようです。以下に、ベ平連の発足4周年にあたって各方面の知識人に出したベ平連についてのアンケートに対する井上清さんのご意見です。井上さんの当時の立場、ベ平連観などがよくわかる回答です。 全文を転載し、井上さんのご冥福をお祈りいたします。
 井上さんの自宅は、京都市左京区若王子町12。夫人は初枝さん。

 
安心してつきあえるべ平連
       京都 井上 清

 べ平連の運動論という固定したものはないでしょうが、いままでのべ平連の名で行なわれたいくつかの大きな運動を見ていて、私には同調できない、物足りないてんもありますが、ただ、ベ平連には野心家がいない、これで、名をあげようとか、これでわが党の票をかくとくしようとかいう人がいないように思はれ、各人が各人のやり方で誠実に、せいいっぱい「ベトナムに平和をもたらす」――解放戦線の勝利と明記しないのが私の気にいらぬ所の一つですが、それはともかく――また日本の帝国主義に反対するためにたたかって(努力して?)おり、じぶんの方式を他人におしつけようとしない、――こういうてんでべ平連とは安心してつきあえます。このような方式の運動には当然限界があり、限界に来ているとさえも感じられるが、みんなの創意牲を発揮して、新しい運動形態をつくり出すことも、べ平連ならやれるだろうと期待しています。

 (『ベ平連ニュース』第44号 1969年5月1日号)

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