144. 『朝日』、ロウさん歓迎集会の模様を大きく報道。若干の事実の誤りも。(01/06/22

 『朝日新聞』6月20日夕刊(少なくとも東京本社版)は、社会面トップで6月17日のロウさん歓迎集会の記事を大きく掲載した。タイトルは「元脱走米兵31年ぶり来日/80人と交流 響いた反戦歌/かくまった人の心 ようやく知った ベトナム戦争時の行動、伝えねばと気づいた」。

 この報道の内容はほとんど正確だが、ただ、付属の解説記事「米軍脱走兵援助活動」の中には、不正確な記述があるので、ここで指摘しておきたい。この記事の中には、「米軍は士気にかかわることもあり脱走兵の数を発表していないが、当時世界の脱走米兵は約3千人とも言われた。」という記述がある。

 アメリカは、当時も、脱走兵の数は公表しており、その数は、3千どころではなかった。このベ平連のホームページの年表、1969年の中には、以下のような記述がある。


「1969年3月
6 米上院軍事小委員会、「脱走兵実態報告」を公表。脱走兵の激増を認め、また世界7ヵ国にある23の脱走援助機関のなかで、「日本に根拠地をもつ機関」が「精力的、効果的な活動をしている」と認める。」
 

 また、清水知久、古山洋三、和田春樹編著『米国軍隊は解体する』(三一新書、1970年刊)には、以下のような記述がある。

 「米国軍隊と脱走
 ともあれ、このような困難とたたかいつづけている日本の脱走兵支援運動にとって、日本を含めて米軍からの脱走が巨大な数にのぽり、他の反戦・反軍のたたかいとあ わせてアメリカ政府に重大な脅威を与えていることは大きな力づけとなる。これが脱走の問題を反戦米兵の行動のはじめにとりあげる第二の理由である。
 米国国防総省の発表によると、脱走兵の数はここ数年来急激にふえている。一九六七会計年度は、四万二二七名、六八会計年度は五万三三五二名、そして六九会計年度には推計によると七万三八三九名という数にのぽっている。さらにあとでのぺる無許可離隊したものは六七年一三万四六六八名、六八年は一五万五五三六名という驚くべき数字である。アメリカ軍はいまやベトナム戦争を通じて、拒否され(兵役拒香)、見棄てられ(脱走)、しかも次節以下にのべるように、体内にさまざまな反抗をかかえながら「解体」の方向にすすんでいる。……」(同書 95ページ)

 なお、同じ日の『朝日』夕刊には、文化面に『お隣りの脱走兵』の主演俳優、山本圭さんに関する長い記事も載り、そこでも、紀伊国屋ホールでの公演が紹介された。 また、6月22日の同紙夕刊、演劇欄では、「援助体験重ね、脱走兵描く/かくまう庶民像交え/斎藤憐、コミカルに初の本格家庭劇」という見出しで、『お隣りの脱走兵』の好意的劇評が載った。

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