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宇都宮徳馬さん7月1日に逝去(00/07/27)(最初にお詫び この「旧ベ平連の情報ページ」の運営、管理をしている吉川勇一の個人的事情――家族の重態、入院、介護など――のため、ページの更新をする時間がほとんどとれず、ニュースの掲載が非常に遅れました。お詫びいたします。今後もしばらくは、そういう状況が続くかもしれないことをご了解ください。 吉川勇一)
元参議院議員・衆議院議員、宇都宮軍縮研究室の主宰、『軍縮問題資料』の発行者、宇都宮徳馬さんが、7月1日に肺炎で逝去された。93歳。宇都宮さんの人柄、業績等は、一般マスコミでも詳しく報じられているので(例えば7月10日付『朝日新聞夕刊』)、ここでは、ベ平連との関係のみを記すことにします。
ベ平連が発足した1965年当時、宇都宮さんは自民党に所属する代議士でしたが、発足当初からベ平連の運動を全面的に支持され、ベ平連の最初の大きなイベント、1965年8月14〜15日の「八・一五記念徹夜討論集会〈ティーチ・イン〉戦争と平和を考える」にはパネリストの一人として出席されました。中曽根康弘、江崎真澄氏ら、やはり参加していた他の自民党議員らの発言とはまったく異なり、アメリカのベトナム政策に対して、日本として忠告しなければならないと発言されました。(この発言全文は、本項の最後に収録してあります。)また、翌1966年8月に東京で開かれた「ベトナムに平和を! 日米市民会議」の際には、これに海外から参加した全代表と日本側の中心メンバーを赤坂の日本料理の宴席に招待して歓待されるなど、一貫してベ平連の活動を支持、物心両面の援助を続けられました。
ベ平連解散以後も、1985年には、小田実、故岩井章の両氏とともに、「日本海・アジア平和の船」の代表として、ソ連、朝鮮民主主義人民共和国、中国をまわる市民のクルーズの成功にどりょくされましたが、この企画は、のちの「ピースボート」の原型ともなったものでした。
(右の写真は1965年8月14〜15日の徹夜ティーチ・インでの宇都宮さん)
「八・一五記念徹夜討論集会〈ティーチ・イン〉戦争と平和を考える」での
宇都宮と隈さんの発言(全文)
宇都宮 私まず申し上げたいのは、佐藤(栄作)総理が北爆を支持するという発言をした。そういう発言はたしかにしました。
しかし、国際情勢は非常に動いています。ですから、自民党の外交政策もけっして固定したものであってはならないという立場を私はとっているわけです。
そうしていまの、民族解放戦線の間題ですけれども、本日は二十年前に日本が降伏いたしました、そうしていわゆる、当時の枢軸国家のなかで最後に降伏した国家であります。そうして第二次大戦が終ったわけでございますけれども、第二次大戦の大きなこの成果と申しまするか、結果というものは、いま振り返ってみると、そのアジア・アフリカの植民地が独立した、あるいは完全な独立を求めて動きつつあるという状態が、いちばん私は大きな結果だと思います、これはさっき佐藤(賢了)さんも言われましたけれども、非常に大きな結果で、この結果を無視しては、私はいけないと思う。とくに自由民主党が国民政党という限りは、アジアの最近の民族主義も理解しないで、国民政党なんということは、私はできないと、かように考えているわけです。(拍手)
そうして、これはとにかく大きな歴史的事件で、バスコ・ダ・ガマというポルトガル人がケーブタウンを回って、そうして航海術と兵器の優越でアジアを征服した。それが五百年ほど前です。それが第二次大戦後に巻き返しが起っている。私はこのヴェトナム戦争の危険というものは、これは放置しておくと核戦争になるだけでなく、人種戦争になる危険がある。これは私は非常に危険な点だと思います。
そうしてヴェトコン、民族解放戦線の問題ですけれども、日本はアジアにおける自由主義国家として、ヴェトコンの民族主義的な性格を、まずしっかり認めるべきだというふうに、私は考えているわけです。
それでそういうことになりますると、結局現在のアメリカのヴェトナム政策に対して、日本ははっきり忠告しなければいかん。つまり、世界は変りつつある、アジアは変りつつある、そうしてアジアに大きな新しい事態が起っている、その一環だというふうに、アメリカに理解させる必要がある。
これをどうしてもアメリカが理解せず、バスコ・ダ・ガマがケーブタウンを回って、アジアにヨーロッパの植民地をつくった、その植民地がなくなりつつあるときに、アメリカがアジアにおける西洋の植民地を、あくまで維持するというような先頭に立つ限りは、アメリカの政策は必ず失敗するぞということを、私はアメリカに対して言うのが、アメリカの友人としての義務であろうと思います。
もしもアメリカの子分であるならば別ですけれども、われわれはけっしてアメリカの子分であるとは思っていないから、はっきりアジアの第二次大戦後における変化を説明し、その変化の一翼だと、現在のヴェトナム情勢は、これをよく説明する必要があると私は思っております。(拍手)
『文芸』1965年9月増刊号「ヴェトナム問題緊急特集」 78ページ)