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永川玲二さん逝去(00/06/05)英文学者の永川玲二さん(72歳)が4月22日に虚血性心不全で逝去された。永川さんがベ平連とジャテックによる脱走兵援助にかかわった経緯については、坂元良江・関谷滋編 『となりに脱走兵がいた時代――ジャテック、ある市民運動の記録』 (思想の科学社)所載の「広い場所へ」に詳しい。
永川さんを偲ぶ会が5月27日に開催されたが、その席では、その脱走兵援助活動を通じて、永川さんと深い人間的なつきあいを結んだ元米反戦脱走兵、ジョン・フィリップ・ロウ氏(本人の希望で仮名)からの弔文が披露された。ロウ氏は、現在、米国で医業を営んでいる。(彼の側から見たジャテック活動の記録「長い闇を抜けて」も、同じ本に収められている。)
以下は、高橋武智さんが知らせた訃報について、高橋さんに送られたロウ氏の文章。翻訳は高橋武智さん。
永川先生が亡くなったことを知らせるあなた(高橋武智さん)のEメールをたった今開いたところです。先生がもうこの世にいらっしゃらない、過去にもしばしばしたとおり、また今後もしたいと計画していたとおり、先生にお目にかかってお話をしたり、考えを交換したりする機会が二度ともてないことを知って、悲しみに打ちひしがれております。
あなたもご承知のとおり、私は先生が大好きでしたし、どなたが想像されるよりも多く、先生のおかげをこうむってきました。今日の私の大きな部分は、私の人生の形成期にあたって先生から与えられた影響力の賜物です。以前に先生と議論したテーマを読んだり調べたりする機会が少なからずありましたが、そのような時、私は玲二先生ならどうお考えになるだろうかを思い、再会できる機会もあろうと将来を楽しみにしていたものでした。
最近私はレジーネ・ペルノウドの「カスティーリャのブランチェ」を読みましたが、その時も玲二先生のことをしばしば考えたものです。それというのも、先生はその歴史的時期と関係者たちをわがことのようにご存じで、彼らが今日もなお生きている同時代人的存在であり、当時と同様、今日にもぴったりあてはまることを教えてくださることのできる数少ないお一人だったからです。今度お会いする時、先生と分かち合おうと計画を練っていたことが実にたくさんありました。
スペインはブルゴスに発するわが家のルーツに関する発見だとか、私の3人の子どもが先生にお目にかかるチャンスをつくることとか、コニャックやタバコを味わいながら、あるいは私たち二人が共にした冒険や旅行の数々の思い出話をしながら碁を一局打つ楽しみだとか、といったことどもです。
先生が亡くなったことを知った今でも、涙をこらえきれない私には、先生の、あの特徴的な笑い声が聞こえてきます。そして、少なくとも私の夢と物思いと思い出のなかに、先生がいつまでも生き続けておられることを知っております。