チリ社会フォーラムとattac chileの挑戦 Manuel Jesus Mejido Costoyaさん(ATTAC CHILE)と交流 |
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南アメリカ人として 自分自身のことから話すことは、なぜこの運動にかかわるのかということにとっても重要です。南アメリカはスペイン語文化圏であり、その歴史と自分の経歴、ATTACチリの運動などは密接に関連しているのです。 私の両親はスペイン出身で、キューバに行き、そしてその後USAで生活することになりました。私はアメリカで育ち、ベルギーの大学でドクター過程を終了し、チリに住んで一年ほどになります。国籍はUSAですが、母語はスペイン語です。 わたしはUSAにおけるヒスパニック文化およびその発展、そしてアメリカ帝国主義のがどのように影響を及ぼしているのかについて学んできました。エルネスト・チェ・ゲバラの生涯と思想についても学んできました。ラテンアメリカを統合しようとするアメリカ帝国主義についてはゲバラもさまざまな角度から語っています。新自由主義はUSAによる南アメリカの統合とも密接に関連しています。 このような私の経歴が、なぜ私がATTACや社会運動に関心を持ち参加したのかという理由です。ATTACチリはアメリカによる文化的統合に抵抗し、アメリカ帝国主義ではないもうひとつの世界は可能だ、そしてもうひとつのチリも・・・、と考えています。ATTAC JAPANもUSAに代表されるすべてを市場の支配下におこうとする新自由主義に抵抗して、そうではないもうひとつの世界をもとめて活動していると思います。 ATTACチリは、米州自由貿易地域(ALCA/FTAA)に反対しています。昨年11月にチリ・サンチアゴで開かれたAPECもグローバル化を進める機構であるが、ALCAとは異なる側面もある。ATTACチリの活動は、チリ社会フォーラムにあらわされているように、USAに抵抗して、もうひとつの世界を作り出そうという活動です。チリ、アルゼンチン、ベネズエラのATTACは共同の取り組みを重ねてきています。ポルトアルグレでおこなわれる世界社会フォーラムでもラテンアメリカのATTACがあつまり課題や組織的な問題について討論します。 わたしのアイデンティティはチリ人でもなく、アメリカ人でもなく、南アメリカ人です。ラテンアメリカはヒスパニック文化ですが、それぞれ独自の文化もあります。メルコスル(南部共同市場、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイが参加)はこれらをひとつに統合しようとするものです。19世紀、ラテンアメリカのアイデンティティはスペインに対する抵抗にありました。20世紀にはそれがアメリカ帝国主義に対する抵抗になりました。ラテンアメリカで「アメリカ」といえば南アメリカのことですが、USAは「アメリカ」という名称を独占しています。 市民社会の空白期を埋めるATTACの活動 ATTACチリやチリ社会フォーラムのアイデンティティも南アメリカにあります。ATTACチリのいう「another world is possible」には、ピノチェトとアメリカ帝国主義との関係を知るということも含まれています。1973年から1989年までのピノチェト時代には、チリはUSAによって新自由主義の実験室にされていました。その期間、チリには市民社会というものは存在しませんでした。ATTACチリが活動を展開するうえで大きな障害になっているのが、このピノチェト時代における市民社会の空白です。ATTACチリの課題は、市民社会の強化にあります。 APECがチリで行われました。これは市民社会が弱いことの現われでもあります。チリはメルコスルに参加していません。しかしAPECには参加しています。APECにはチリ、ペールーが参加しています。本来なら文化的にもメルコスルに参加することが自然なはずのチリがそれに参加していないのは、アメリカ帝国主義の支配の歴史、ピノチェト時代、そして経済的にAPECを志向していることにあります。APEC各国とは文化的にも大きな違いがあるにもかかわらずです。2003年、チリはUSAと二国間FTAを締結しました。USAはALCAの交渉がスムーズに行かないとして、南アメリカの国々と二国間協定を各国と締結しはじめました。その先鞭をつけたのがチリだったのです。 「もうひとつの世界は可能だ! そしてもうひとつのチリも」 ATTACチリが志向するコンセプトは、USAやFTAなどとは違うものです。それは市民社会の強化にあります。私たちはピノチェトを裁判にかけることを訴えているとともに市民社会の強化を提起しています。市民社会の強化のために、私たちはチリ社会フォーラムを提起しました。2003年11月にATTACチリや環境団体など、2−3の団体で社会フォーラムを行うことを提起しました。市民社会の強化、南アメリカの統一したアイデンティティを求める、USAによる統合に反対するといったことが目的でした。チリ社会フォーラムのスローガンは「もうひとつの世界は可能だ! そしてもうひとつのチリも」というものでした。新自由主義反対、ラテンアメリカの文化を!もスローガンになりました。 それだけでなく左翼に対して新しい思考を要求したのです。ラテンアメリカでは、キューバをはじめ伝統的な左翼の存在は重要です。しかし課題もあります。敵対する陣営からは「もうひとつの世界とは全体主義ではないのか」という批判がなされます。典型的にはソ連のような社会になるのではないか、という批判です。そこで私たちはチリ社会フォーラムを多元的な価値観を持つものとすることで、このような批判に反論することができたのです。チリ社会フォーラムで重視したのは、多元主義(先住民の権利、女性の権利など)、文化、そして参加民主主義です。多元主義については、伝統的左翼が経済的側面、すなわち搾取の問題を言うだけでした。しかしチリ社会フォーラムはそれだけでなく、女性に対する搾取、先住民に対する搾取、環境に対する搾取など反対するスタンスを貫きました。すべてを市場主義に統合しようとする新自由主義に対する多元主義という側面もありました。チリ社会フォーラムは200以上の団体が参加し、250以上のセミナーやフォーラムが開催されました。そして最初のマーチには6万人が参加したのです。セミナーには9000人が参加しました。 多元的につくられたプロセス チリ社会フォーラムの開催までには長いプロセスがありました。2003年11月に2−3の組織で提起し(ATTACもそのひとつでした)、開催時期にはAPECにあわせてやろうということになりました。月二回のミーティングを行いました。世界社会フォーラムの形式をそのまま利用するという方法もありましたが、作りながら発展させていくプロセスを重視しました。資金もなく、組織もなく、という状況でしたが、結果的に大きな成功になりました。組織委員会にはいくつかのセクションを設けました。1プログラム、2文化、3財政、4セキュリティ、5宣伝といったセクションです。準備は分権的な方法ですすめられました。そしてさまざまな活動やイベントをステップとしました。それぞれの参加団体が独自のイベントを行いました。2004年4月には参加団体が50に、6月には100ちかく、そして正式な組織として9月には150の団体が参加しました。参加団体は実行委員を一人出しました。ATTACは3−4人を実行委員として参加させました。 11月19日(金)にはマーチを行いました。20日、21日とセミナーや会議を行いました。フォーラムには8つの軸を設け、参加団体はそれぞれ自らがどこに位置するのかを事前に申し込むことにしました。1ラテンアメリカの経済統合、2環境、3市民社会の参加型民主主義、4グローバリゼーションとワールドピース、5先住民の権利、6文化、7労働組合、8オルタナティブです。これらの軸のどこに関心が集まったのかを見ることで、チリの社会運動の現状を垣間見ることができます。35%の団体が市民社会の参加型民主主義に申し込みました。16%が環境でした。チリは環境運動が強いので、環境問題に関心が集まることは自然なことですが、市民社会の参加型民主主義に関心が集まるのは、市民社会が弱いことの裏返しでもあるのです。一番人気がなかったのはラテンアメリカの経済統合でした。その次に少なかったのは先住民の権利でした。これは経済問題が伝統的左翼の得意とする領域であり、かれらは積極的に参加しなかったのです。先住民問題への関心が低かったことは、参加者の大半が中産階級や自由人が多かったことを反映しています。おおくの先住民や貧しい階層の参加が少なかったことを批判するラジカルグループもいました。こういうグループは政府にデモ申請をしたということにも反発していました。日本のNHKでもラジカルなグループが警察と衝突するシーンが流されましたが、ラジカルなグループは、なぜそのように闘わないのか、と批判をしています。 8つの軸に分けられた課題やグループは、それぞれが相互に関連しており、横断的につながっています。 日チリFTA、アジアとの関係 日本とチリのFTA問題についてはきわめて重要な問題でもあります。今後ぜひATTAC JAPANと協力して取り組んでいきたいと思います。またチリは韓国とのあいだでFTAを結びました。世界社会フォーラムで日本と韓国のグループが交流するようですが、可能ならそこにも参加したいと思います。 メルコスルについてはチリはメルコスル加盟国とおなじ文化圏にあり、チリはそれに入るべきだ、というATTACの参加者もいます。またそれには反対であるという参加者もいます。 (以上) 2005年1月12日 ATTAC JAPAN(首都圏)事務所にて |
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