世界は民営化に反対する


世界社会フォーラム2005参加者からのメッセージ

「新自由主義の攻撃対象はまさにこれらの公共部門です。連中は公共部門を盗もうとしているのです。そして連中が奪おうとしているのは、病にかかっている部門ではなくて、健康な状態にある、すなわち利益が上がっている公共部門だということです。」これは今年の一月にブラジル・ポルトアルグレ市で開催された世界社会フォーラム(注一)の参加者が民営化に関するATTAC Japanのインタビューに答えたものです。

「民営化」。それはさも世界的に拡大しているごく自然な流れのように思われるかもしれません。日本で社会的に民営化が取り上げられたのは80年代の電電公社や国鉄の民営化でしたが、およそ20年を経てふたたびこの問題が社会的に浮上してきました。しかし「民営化」は突如天から降ってわいたものではありません。200年にわたる世界的な労働者階級の闘争と民主主義を求める様々な社会的階層の運動によって国家に「強制」させることによって作り上げてきた公共サービスを破壊して新たな利潤をそこから掠め取ろうという強力な意志が、80年代から世界中で進められてきました。わたしたちはそれを新自由主義とよんでいます。

日本では1871年から郵政事業を発展させてきました(注二)。小泉首相は「民間にできることは民間に」というキャッチフレーズで民営化を表現しています。しかし少し前までは世界中で誰一人として公共サービスを民間=市場原理に任せると大見得を切って主張する人はいませんでした。世界大戦でめちゃくちゃに破壊されたり、全国をあまねくカバーする公共サービスを担うことのできる民間企業などはなかったからです。それはあくまで国家や公的機関の責任として提供されるものだというのがごく普通の考えでした。

では小泉首相は、戦後50年で公共サービスを提供できるほど巨大な民間企業が発展したから、いま「民間にできることは民間に」と主張して民営化を進めようとしているのでしょうか。たしかに世界の多国籍企業の中には、ある一国のGDPや経済規模をはるかに凌駕する資産規模をもつ企業もあります。しかし民間投資は儲かるところに集中する、というのが市場原理の法則です。そして公共サービスとは必ずしも儲けがでる事業ではないことから、民間企業が競い合って公共サービスを担うことはあり得ないのです。では「民間」は公共サービスに参入しないのか、というとそうではありません。同じ公共サービスのなかでも儲かる事業とそうでない事業がありますが、「民間」は儲かる事業だけに参入し、そうでない部分については責任を負わない、ということです(注三)。世界社会フォーラムに参加したATTACフランスのジャック・ニコノフ代表は民営化を次のように説明しました。「民間部門は、もうかっている部門だけに参入しますが、残りのもうからない部門に対しては(民営化されたということで)国が補助金を出さなくなりなす。その結果、利用者にとってかえって高くつくことになるのです。フランス・テレコムの民営化がよい例です」

長年にわたり税金や労力を投じて築き上げられ、提供されてきた公共サービスが、儲かるか儲からないかを基準にブツブツに細切れにされサービスが低下する、という民営化の姿をもっとも如実に反映しているのがイギリスの国鉄民営化でした。線路と車両、路線後とに異なる会社が参入した結果、サービスは低下し、利用者や労働者の生命が危険にさらされるという事態になっています。

これは事業ごとに四分社化されようとしている日本の郵政事業の5年後、10年後の姿かもしれません。儲かる事業や地域にはどんどん投資が集中する一方で、儲からないところでは価格を引き上げたり、事業を縮小、廃止してしまう。支払能力のない人はサービスから排除されてしまうのです。世界社会フォーラムに参加したフォーカス・オン・ザ・グローバルサウスというNGOの代表であるウォールデンベローは、フィリピン・マニラの水道の民営化を次のように説明しています。「実際に民営化がやっていることは、かつては公共サービスだった多くのサービスから貧しい人々を排除することなのです。そうした人々はサービスを購入する購買力がないからです」。市場原理とは人々の必要よりも、いかに効率的にお金を回転させることができるのか、ということのほうが優先されるシステムですから、人々の必要性がもっとも重要視される公共サービスの理念とは相容れないものです。」

こうしたことから民営化反対は、利権にしがみつく政治家や郵政官僚、組織温存が確保されればあっさりと民営化反対の旗を降ろしてしまう労働組合などにまかせてしまってよいはずがありません。アメリカから世界社会フォーラムから参加した参加者は郵政民営化反対の闘いの意義を次のように説明しました。「公共の郵便制度が機能しないところでは、支払能力のある人々しか、自由にコニュニケーションが出来なくなってしまいます。郵便公共サービスを守ること、そのために闘うことは、世界に対して人々のコミュニケーションのためのモデルを示す意味でも、決定的に重要です。日本での闘いは、公共財を守るための全世界的な運動の一翼です。わたしたちにとって不可欠な公共財と公共サービスを守るために、全世界の闘いを結びつける必要があります。」

新自由主義という資本と国家の強力な意志が作り上げようとする「連中の世界」に対して、「戦争も貧困もない、首切りも差別もない、もうひとつの世界は可能だ」という運動が広がっています。世界社会フォーラムにタイから参加したフォーカス・オン・ザ・グローバルサウスのニコラ・バートは、昨年タイで広がった電力民営化に反対する闘いを紹介し、民営化反対の闘いを社会的に広げることは可能だということを示しました。「すべての人々がこうした公共サービスを日常的に受けていることから、これらの公共サービスが自分にとっていかに重要であるかを理解できるはずです。その意味で、市民社会は公共サービスの民営化に反対する大きな潜在力を持っているのです。」「民営化によって直接影響を受ける労働組合だけでなく、農民組織、イスラム社会の団体、環境保護グループなどそれ以外の多くの社会勢力もまた、公共サービスを守るために広範な連合を結成して民営化反対を闘いました。この事例は、たとえ短期間であっても、公共サービスの問題を社会の広範な層に提起して討論し、それを防衛するために大衆動員を行うことが可能であることを示したのです。タイで可能であったことは、全世界のどこにおいても可能なのです」。

郵政民営化をストップし、利権温存でもない、公共サービスの破壊でもない、もうひとつの郵政改革を社会的な運動として広げていくことは可能です。もうひとつの日本、もうひとつの世界へともに!


(注一)世界社会フォーラムは2001年から毎年開かれている。2005年は15万人が参加。ここで紹介した世界社会フォーラムに参加した人々へのインタビュー映像は「世界は民営化に反対する」(仮題)として発売予定。

(注二)国家が郵政事業を発展させようとした思惑には、アジア太平洋への侵略に必要な戦費調達など国家権力としての意向が強く反映され、戦後から現在にいたるまでは郵政利権や公債費用の調達など国家支配層の意図が色濃く反映されてきた。公共サービスに国家の意志が反映されることは当然だが、問題は国家がどの程度社会の各階級・階層の要求を反映しているかであり、それはその社会の社会的闘争の度合いによって決まる。

(注三)日本における郵政事業の民営化の場合は、儲かる事業への参入という理由以外に、約350兆円という巨大なマネーをカジノ資本主義の掛け金に分捕ろう、という国内外の多国籍金融資本の思惑も強くある。


ATTAC Japan(首都圏)公共サービス研究会 稲垣 豊