「サンドインザホイール」日本語版2003年第18号
5月27日号(通巻第176号)

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<目次>

G8 今年のG8に向けて、フランスは4つの主要なテーマに焦点を当てることを提案している。すなわち、
1-連帯(とくにアフリカ開発パートナーシップに強調)によって、すべての人々が水を利用できるようにする、2-政府だけでなくすべての経済の担い手(とくに企業)が資金や社会的、環境的、倫理的領域で示すべき責任の精神、
3-テロリズムや大量破壊兵器の拡散に対する闘争を強化するための安全保障,
4- 市民社会および諸国家との継続的な対話を通じた民主主義

5月29日から6月1日まで www.attac.info/g8evian でニュースをライブでチェックできる。

1. エビアンG8、治安体制と大衆動員(Next meeting of the G8 in Evian, France: Security operations and mobilisations)

米国と英国による対イラク戦争の影響が依然として感じられる中、ヨーロッパの社会運動と社会運動団体は6月1-3日にフランス・エビアンで行われるG8会議に抗議するための大きなデモンストレーションを準備している(1141語)

2. イラク戦争、次は何か?( War on Iraq, what's next?)

イラク戦争とその結果は、新自由主義的資本主義が3つの意味で正統性の危機に直面していることを明らかにしている。第1に、モデルの危機である。金融バブルの破裂と「ニューエコノミー」の崩壊は、新自由主義的グローバリゼーションが依拠していたパラダイム(理論的枠組)を破壊した。このパラダイムの下では、新しい技術と、株価の止むことのない上昇と、市場自由化が大部分の人々にとって持続的な富の蓄積を保証するはずだった。突然の警報は暴力的なものだった・・・(3695語)

3. 少しがっかりしている反戦運動の活動家への手紙(Letter To A Slightly Depressed Antiwar Activist)

・・・もちろん、あなたがそう感じたことは理解できる。あなたを悲しませることになった主要なことは、この崩壊によってワシントンとロンドンの強欲な連中が大喜びできるようになったという事実であった。これは、ブッシュとブレアの二頭立て馬車(二人をB2と呼ぶことにしよう−−爆撃機にちなんだ名前で二人を呼びのはまさしくぴったりだ!)が世界の世論の明白な多数派を敢えて無視して行った半植民地戦争であった。それでもやはり、今や、二人は、これは民主主義の理想によって駆り立てられた「解放戦争」であったと宣言することができる。そうだ、このことは苛立たしいかぎりである。  だが、われわれがこの何カ月間ずっと行ってきた予測を思い出してみようではないか(2532語)

4. モンサント、ユニリバーがインドで児童労働を利用(Monsanto, Unilever Use Child Labor in India)

児童労働はインドではヨーロッパやアメリカの多国籍企業によって、また、インドの企業によって広範に利用されている。とくに綿花の生産は労働集約型である。雇用されている子供たちは長時間にわたって働きつづけ、多くの場合、与えられている住居は非人間的な条件にある(たとえば、牛舎に住まわされている)。子供の労働力コストは成人の女性より30%低く、成人の男性より55%低い。児童労働を廃止し、子供たちを学校へ送るためのキャンペーンがオランダのインド委員会によって始められた(857語)



エビアンG8、治安体制と大衆動員
Next meeting of the G8 in Evian, France: Security operations and
mobilisations
By Eduardo Tamayo G.
米国と英国による対イラク戦争の影響が依然として感じられる中、ヨーロッパの社会運動と社会運動団体は6月1-3日にフランス・エビアンで行われるG8会議に抗議するための大きなデモンストレーションを準備している。この抗議行動には20万から30万に及ぶ人々が参加すると予想されている。
4月8日、フランス・スイスの両政府はG8サミットに先立って、相互の協力に同意した。両国の当局は、ジュネーブ湖にまで及ぶ範囲の厳重な安全策を立てている。スイス側には5700人の兵士と4650人の警察隊を動員する。そのコストは3000万USドルにもなる。フランス当局はエビアンでのデモを禁止し、サミット期間中、外部者が町に入る事を防ぐために、やりすぎとも思える、尋常ではない方策を打ち出している。
エビアンでの抗議行動が困難と予想されるので、ジュネーブ、ローザンヌ、アンネマス(フランス)の各都市で抗議行動が行われることになるだろう。スイスとフランスにまたがる地域の社会運動団体はG8サミットの初日、6月1日よりそれぞれジュネーブとアネマスから出発し国境付近で合流するデモを行う予定である。それぞれのキャンプ地ではワークショップや会議が催されアルゼンチン危機から中東の現状、金融不安から軍需産業、情報戦争とさまざまな問題が議論される予定である。
エビアン・サミットはイラク侵略と占領の問題に関しG8内に亀裂を残したまま行われる。周知の通り、フランス、ドイツそしてロシアはブッシュの戦争に反対の立場だった。ジョージ・ブッシュ米大統領のサミット参加はヨーロッパの反戦気運を高めている。6月1日にはジュネーブ空港でブッシュ大統領とスイスのPascal Couhepin大統領の会談が予定されていたが反G8抗議行動とジュネーブ当局によって中止せざる終えなくなった。

G8とはそもそも、決定権、法的拘束力、本部そして事務局と言ったものがなく、係争を国連や、WTOもしくは、その他の国際機関に委ねると言った事がない、非公式クラブである。しかし、1980年以来、多国籍企業と投資家のために、新自由主義グローバリズム政策を強力に推し進めるこのクラブは、国際取引を拡大し、民営化と公共支出の削減を推進している。これらの政策を遂行するためにG8は強大な力を持つIMFや世界銀行、そして表向きは民主的機関を装いながら実際には彼らの「勧告」にそのままに従うWTOのような国際金融機関に頼っている。
ジュネーブ社会フォーラムの宣言は、「実際、G8は世界政府の役割を果たそうとしている。しかし、世界のどの国からもそのような要請はない。従って、これは正統性のない組織である。G8は富の集中を促進し、労働法を無視し、雇用態と大多数の人々の生活を不安定にし、文化的排斥と環境破壊を助長している。」と指摘している。また、宣言書は付け加える。「G8諸国は不正な金融取引やマネー・ロンダリング、脱税行為の問題には本腰を入れて闘わず、『テロとの闘い』と言う名目で戦争、軍事、抑圧を合法化している。G8は世界の貧困と闘うと言っているが、貧困国の債務削減計画は不十分なもので、とても受け入れられる条件ではない。そしてG8は環境保護対策においても本気で取り組んでいない。」
この「金持ちクラブ」に対する抗議行動はここ数年、「もう1つの世界は可能だ」というスローガンを掲げる世界規模の新しい社会、市民運動の登場と共に、新たな段階に入った。エビアンにおけるG8反対の運動(「祝祭と平和」をテーマにしている)は、このスローガンの実現にさらに貢献するだろう。



イラク戦争、次は何か?
War on Iraq, what's next?
By Pierre Khalfa

イラク戦争とその結果は、新自由主義的資本主義が3つの意味で正統性の危機に直面していることを明らかにしている。第1に、モデルの危機である。金融バブルの破裂と「ニューエコノミー」の崩壊は、新自由主義的グローバリゼーションが依拠していたパラダイム(理論的枠組)を破壊した。このパラダイムの下では、新しい技術と、株価の止むことのない上昇と、市場自由化が大部分の人々にとって持続的な富の蓄積を保証するはずだった。突然の警報は暴力的なものだった。

第2に、この新自由主義モデルの危機が、国際金融機関によって支持されてきた開発方式で具体的に起こっている危機によってさらに深刻化していることである。アルゼンチンやラテンアメリカ全体、そしてアフリカのような完全に黙殺されてきた地域の状況は、構造調整政策とグローバル市場への完全な統合というモデルの失敗をさらけ出した。

第3に、勝利した資本主義の覇者として称揚されてきた企業に関連する一連の事件によって、さまざまな新自由主義システムの提唱者による不正行為とあいまって、ガバナンス(統治)の危機が明らかにされたことである。

この3重の危機が新自由主義的資本主義の基礎--完全に自由な資金の循環と市場自由化を基盤とする金融資産の優位--を揺るがせなかったとはいえ、先進的階級の間での、そのようなプロセスの見直しについての議論を促進した。こうした新自由主義的資本主義の正統性の危機は、もう一つのグローバル化をめざす運動からの批判の妥当性と強制力を強化する作用をしてきた。

しかし、運動の弱点が消え去ってしまったわけではない。運動が主張してきたテーマを広範な議論に上らせることには成功したが、政府や国際機関の実際の政策を転換させたり、福祉国家の解体に向けた新自由主義からの攻撃を阻止することには成功していない。

★戦争と新自由主義的グローバリゼーション: 米国の新しい路線

戦争と資本主義の関係は新しいものではない。ジョレスの「雲が嵐を呼ぶように、資本主義は戦争を呼ぶ」という古典的な分析は、二つの大戦によって証明された。この分析は基本的には、国家間の紛争は、世界というパイの一片を奪い合う各国のブルジョワ階級の間の紛争の反映であるという考え方をもとにしている。この脈絡の中で、2つの世界大戦の結果として世界は新たな分裂に入り、米国とソ連による支配のもとに置かれた。この世界の分裂は、核の脅威のバランスの上に立ち、各国は多かれ少なかれ、2つの超大国のどちらかと提携することを余儀なくされた。ソ連の崩壊によってこのロックが外れた。何十年もの間くびきの下で縛られていた各国はそれぞれのアイデンティティーをもう一度模索し始める。しかし、同時に自由主義政策の採用により社会問題はみるみる悪化し、新自由主義によるグローバル化は新たに再発見されたアイデンティティーと主権に挑戦しているかのようだ。このカクテルは、とくに旧ユーゴスラビアの場合に特に爆発的だった。しかし、大国、特に米国が関与する一連の「小さな戦争」が現在も存在している。

しかしこれらの紛争は、基本的には大国間の「スーパーゲーム」を想定していない(大国間の闘争は依然として国際機関によって統制されている)。米国が常に国際機関に対して挑戦的な姿勢を示しているとはいえ、これらの機関は完全に米国の利益に奉仕してきた。しかし、(米国にとって)これらの機関は他の大国が自分たちの利害を支持する場であり、実際の帝国の政策の障害となった。

アフガニスタン介入に続き、イラクにおける戦争はこの新しい方針を表している。地政学的な理由を超えて、この戦争はなにをおいても、米国による世界秩序を再構築する事への挑戦である。何が世界のために良いことなのかを決定するには米国であり、米国だけである。他の政府は米国の政策に同調しなければならない。この新しい政策路線はある意味において過去に米国がとっていた態度、第二次世界大戦以降、世界を米国のヘゲモニーの下に置くと言う目的を受け継いでいた。しかし現在では次の三つの側面で過去のものと違う。まず、現実の政治論から分かれた新しい米国が願うイデオロギーと救世主的側面。また一方的な性格を持つ政策決定。そして予防の為の戦争と言う理論に基づき戦争を起こす、また少なくとも脅迫する事を政治の軸とし、軍事に過大な力を注ぐことだ。

さらに言えば、この新路線と新自由主義的グローバル化のプロセスは明確にされるべきである。実際、イラクの戦争で米軍の背後に隠れているのは地域市場を狙う米国の巨大企業群である。しかしながら新自由主義的なグローバル化は国籍のない資金が極端に世界中を駆け巡り国家と巨大な自国企業というつながりが弱まる事によって特徴付けられる。新自由主義的なグローバル化を根付かせるのに軍備など必要ない。今世界中の政府が行っている市場の自由化で十分である。

また発展の見通しがどうであれ、現在の経済危機と新しい米国の政策路線を結びつけるのは困難である。米国は危機回避のプレッシャーに押されてイラクに介入したのではない。今日誰がこの戦争が泥沼になるか、または逆に良い効果を生み出すか言うことが分かるだろうか?また1930年代とは違い、現在の危機により各国が身を引くと言う事はない。もしこの危機が地球規模の不況につながるとすれば、このようなプロセスも排除されなかったかもしれない。

したがって、米国の新しい政策は、もちろん経済的利益にも結びついているが、経済に根拠を置く合理性を重視していない。9・11の攻撃を利用してこのような政策を導入したのは、主要にはネオコン(新保守主義)に支配されたチームの政治的・イデオロギー的選択による。米国のヘゲモニーを強化するための可能な方法の中からブッシュ・チームが選択したのは、有利な条件の組み合わせによってのみ勝利できるやり方だった。

★矛盾の新しい方向
この勝利はただ一時的なもので、米国政府にとっての困難は既に存在している。例えば、米国で議論される民主主義について強調されることは、国際関係上の米国の行動を考えると実に偽善的である。しかし、イラクで「傀儡政府」を作り出し、イラク国民を抑圧しそしてグローバルに米国が独裁政権をサポートする事はより困難を伴う事となるだろう。

そのうえ、全ての分野で独善的政策が進めば他の大国は米国に同調するか、反対するかのどちらかしかない。他の先進国が自らの利益を犠牲にし、護衛船となっていつも米国の利益のために協力する準備ができているかどうかと言えば、それはありえないだろう。そして、傲慢な態度は軍事力の再行使により一般人の中から米国のイデオロギーに対して多くの批判を生み出す事になると思われる。イラクの戦争で行われたデモはその現れである。

これらの相反の力は、イラク問題による難局が必然的に現れまた米国の国内経済が不安定になると言った問題と同様にますます重要となるだろう。たとえブッシュ政権の立場が早期の軍事的勝利により一時的に守られたように見えても、それが永続的な政治的勝利に結びつくかどうか、はっきりしていない。

★新しい問題
もう一つのグローバル化を目指す運動は、反戦の闘いにも深く関わってきている。今までにない規模のデモが行われた2月15日が第一回ヨーロッパ社会フォーラムの準備の間に議論された事は象徴的である。多くの国々にとってもう一つのグローバル化を目指す運動は反戦デモの急先鋒となった。

反戦の闘いは、この問題で運動がどのような連合を形成できるかという問題を提起した。現時点では米国の軍事介入に反対した一部の大国の政府との一致点は、大きな問題とはなっていない。このような反対は米国政府を困難な状況に追い込み、すべての諸国の支持という見せかけを不可能にし、介入の正当性を一層危うくしている。しかし私たちは、チェチェン問題やフランスのアフリカ政策のような問題を不問にすることにより、もう一つのグローバル化を目指す運動が、1つの帝国主義に対して他の帝国主義を支持する運動であるとみなす危険を冒さないように注意しなければならない。

さらに、イラク反戦運動とその状況の進展はもう一つのグローバル化を目指す運動と米国の政策を批判するイスラム政策の間で問題を生じさせる。この問題は特に複雑で、二つの落とし穴に陥る可能性がある。一つは、イスラム教を信仰している人々を無差別に非難すると言う事。二つ目は「われわれの敵の敵は仲間である。」という考え方である。

現在の状況は、もう一つのグローバル化を目指す運動の従来の活動分野においても新たな問題を表面化させる。この運動は常に国際機関を強く批判してきた。国際機関を軽視する米国の新しい路線を前に、これらの機関は世論において正統性を再獲得しているようだ。貿易問題における米国政府の一方的決定に直面して、WTOに救いを求めることは自然な成り行きであり、それはこの機関に、これまでなかった正統性を与えられることになる。しかし、WTOは単に自由化のための道具であり、社会の権利を侵害し環境基準を破っている。
IMFと世界銀行の正統性はどうであろう? 国連の場合はどうか、と考えることは、少なくとも重要な教育的価値がある。

これらの新しい問題に答えるためには、まずいくつかのテーマについて明確にするための努力が必要である。WTOの問題が取り上げやすい問題であるとはいえ、自由主義のプロパガンダの力を過小評価してはいけない。国際法と国連の問題はもっと複雑である。国連の役割、その機能と方向性についての論議を早急に行わなければならない。・・・もし、米国の一国主義に対する拒否をもって、もう一つのグローバル化を目指す運動が形式的な合法性についての議論に収斂されることを望まないなら、また、大国によって支配されている国連に追随することを望まないなら、早急にこの機関を抜本的に改革するアイデアを考え、公正に基づいた国際法の基礎を明確にしていかなければならないだろう。

さらに、この戦争はヨーロッパが国際舞台において重要な役割を果たす能力を欠いていることを再び白日にさらし、ヨーロッパの将来についての広範な論争を再開させた。もし、もう一つのグローバル化を目指す運動が、現在のヨーロッパは新自由主義的グローバル化の牽引役であることを明確に意識していて、ヨーロッパの自由主義的政策との闘いに関与しはじめた--困難な闘いであり、まだ不十分であるが--とすれば、この運動は現在のヨーロッパの体制に対して、それに代わる新しい方向性を定義するために奮闘していると言うことができる。

★運動の新しい章?
運動は新たな一連の問題と格闘しなければならないだろう。それは運動を深く分裂させるかもしれない。運動の将来は、それらの問題をめぐる意見の違いを処理する能力にかかっているだろう。もう一つのグローバル化を目指す運動が二重の圧力にさらされているため、この問題は一層重要である。1つの圧力は、運動の力と世論に対するインパクトの結果として、運動に新たな人々が参加してくる。そのため、運動の不均質性が強まる。

もう1つの圧力は、オルタナティブな回答を提起し、必要な社会的運動を構築することの必要性がますます緊急となってくることにより、私たちの間で一定の同質性を求めることが強制されるということである。

・・・運動の不均質性が分裂の原因にならないようにするためには、運動がコンセンサスをもとに運営されることが前提となる。そのようなコンセンサスはほぼ自然発生的に形成されてきた。ここで問題にしているコンセンサスは、最小限の共通項というレベルを超えたものでなければならず、動的なプロセスとして理解されなければならない。それは論争を通じて形成されるし、それを進めるためには時間が必要である。

・・・出発点は、世界の商品化への拒否と、真の民主主義への希望である。もう一つのグローバル化を目指す運動にとって、この統一の意思こそ--それは将来のために不可欠のものである--政治的闘争の中で勝ち取るべきものであり、そのことは各国の政府と国際機関が運動を「穏健派」と「急進派」に分裂させようと常に狙っているがゆえに、一層重要である。

コンセンサスの追求によって、運動内部の力関係という問題をマジックのように解消できるわけではない。コンセンサスは多くの場合、運動の中の有力な勢力の間の合意をもとにして行われる。したがって、それには自らの意見が取り入れられていないと感じる一部組織の不満や疎外化というリスクを伴う。この見地から、コンセンサスを追うことは実際に追い求めている事の反対の影響を生み出す事可能性がある。

もう一つのグローバル化を目指す運動の構築は進行中のプロセスであり、現在的には定期的な国際的な大きな集まりによって維持されている。もう一つのグローバル化を目指す運動が直面するだろうと思われる基本的な問題は、その長期的な有用性である。どうすればこの運動は、現在の状況を実際に変革する上で効果的になるのか? まずこの運動は基本的に、世界の現状を受け入れることを拒絶した。この拒絶はこれまでも根本的な前提だったし、今もそうである。なぜなら、この拒絶こそ、何が問題になっているかを明確にし、敵を明確にしているからである。私たちが現在解決しなければならない問題は、どのようなオルタナティブな提案をするかということよりも--そのような提案はすでに多く出されている--、運動の戦略の問題である。私たちが現在進行中の社会的退化に向かうプロジェクトを阻止して、代替の解決策を実施するために最大規模の社会的動員を組織することを可能にするようなターゲットに行動の焦点を合わせるためには、どうすればいいのか、という問題である。このプロセスの中で、労働組合運動--主要な構成要素である--の役割は何か? 大きな相違点があっても、どのように協力して進めていくか? ヨーロッパ社会フォーラムは、これらの問題に取り組んでいくための枠組みとなることができる。



少しがっかりして反戦運動の活動家への手紙
Letter To A Slightly Depressed Antiwar Activist
[今号の最後に掲載している全文訳をご覧下さい] →こちら



モンサント、ユニリバーがインドで児童労働を利用
Monsanto, Unilever Use Child Labor in India
オランダ・インド委員会

英国・オランダ資本の多国籍企業であるユニリーバ社のインドの子会社であるHindustan Lever Ltd.社と、米国のモンサント社は、インドでの綿実生産で大規模に有害な形態において児童労働者を使用している。Hindustan Lever 社では2万5千人の児童労働者を使用し、1日13時間の労働を強いている。そしてそのほとんどが少女である。一方モンサント社とそのインド子会社であるMahyco社はおよそ1万7千人の子供達を働かせている。彼らは、教育も受けられず一日に40ユーロ・セント(Rs.20)にも満たない賃金で働かされているのだ。さらには労働中に有毒殺虫剤のEndosulphanにさらされている。同じような条件の下1万1千人以上の子供達がSyngenta社(スイス)、Advanta社(イギリス・オランダ)そしてドイツの Bayer 社が所有するProagro社などにより労働を強いられている。

◆綿実: 児童労働の最大の雇用先

アンドラプラデシュ州で24万7800人、インド全体では45万人におよぶ子供達が綿実生産のために働いている。そしてそのほとんどがインドの会社である。インドでこれほどまでに児童労働者が多い産業も他にない。綿実業者は直接ではなく、Seed Organizerというエージェントを通して子供達を雇っている。これらの会社は一方的に農家への報酬を決めているのだが、とても大人を雇えるような金額ではない。子供たちは女性の30%以下また男性の55%以下の賃金を得ている。

綿実の生産は労働集約型であり、10人に9人の割合で6歳から14歳の児童が働いている。彼ら・彼女らの賃金は親に前払いされ、子供たちは同じ雇用主に雇われ続ける事となる。Dr. Venkateswarlu氏の調査では約30%の子供達が、里を離れた移民者として中間業者によりリクルートされる。これらの子供たちは1日約12時間から13時間ほど働かされ、牛舎や10人から30人の子供達が生活する児童キャンプなるところを寝床としている。

◆ユニリーバとHindustan Lever社
ユニリーバ社はオランダのマスコミにインドの綿実栽培で児童労働者を使用している問題で、解決に協力をしていきたいとコメントしておきながら、2003年5月5日の報道発表では児童労働者を使用していると言う批判に対して、それを否定した。2002年3月Hindustan Lever(HLL)社は同社の綿実部門を子会社のParas Extra Seed Growth Seed(PEGS)社に譲り渡し、綿実分野でのバイオを研究している米国のEmergent Genetic社と合弁事業を行っている。HLL社は現在PEGS社の株26%を保有する一方で残りをEmergent Genetics社に売った。その最大の理由はモンサント社がBTターミネーター遺伝子について保有している特許権のサブライセンスとEmergent Genetics社が持つ技術である。モンサントのBT ボルガード遺伝子の利用は綿実業界で生き残り、成長するには不可欠なのだ。

「児童労働をなくそう、学校が最高の働き場所だ」全ヨーロッパ・キャンペーン今週ドイツ、オランダ、アイルランドで 3年にわたる「児童労働をなくそう、学校が最高の働き場所だ」キャンペーンが始まる。このキャンペーンはアンドラプラデシュ州のMV財団からインスピレーションを受け、同財団との協力によって進められる。同財団はこれまでに約15万人の子供たちを労働からフルタイムの教育に向かわせる事に成功している。同州の政府も同様の政策を打ち出している。このキャンペーンは、EUとその加盟国に対して次のことを要求する:

・14歳までの全ての子供達に対して、児童労働を廃止し、フルタイムの正式な教育を与えるという一貫した政策を行う。
・EU加盟国はODAの8 %を初等教育の支援に充てる。
・開発援助にあたって、絶対的貧困などの弱い立場にいる社会階層の少女や児童が正規の教育を受けられるようにするための規定を組み込む。




少しがっかりしている反戦運動の活動家への手紙Letter To A Slightly Depressed
Antiwar Activist
ジルベール・アシュカル
[日本語訳:湯 川順夫。「情況」誌2003年6月号に掲載されているものを同誌のご厚意で転載させていただきました]

友よ
  イラクの政権が崩壊したというニュースを聞いてあなたが感じた落胆が正当なものだと私は思わない。
  もちろん、あなたがそう感じたことは理解できる。あなたを悲しませることになった主要なことは、この崩壊によってワシントンとロンドンの強欲な連中が大喜びできるようになったという事実であった。これは、ブッシュとブレアの二頭立て馬車(二人をB2と呼ぶことにしよう−−爆撃機にちなんだ名前で二人を呼びのはまさしくぴったりだ!)が世界の世論の明白な多数派を敢えて無視して行った半植民地戦争であった。それでもやはり、今や、二人は、これは民主主義の理想によって駆り立てられた「解放戦争」であったと宣言することができる。そうだ、このことは苛立たしいかぎりである。

  だが、われわれがこの何カ月間ずっと行ってきた予測を思い出してみようではないか。それは次のようないくつかの主張にまとめることができる。
  @B2の最も容易な任務はサダム・フセイン政権の打倒であろう。B2はそれほど大した支障もなくフセイン政権を打ち破ることができるだろう。二人にとって実際の問題はそれ以降始まるであろう。
  A二人が敢えて世論に逆らったのは、世論を獲得するために、サダム・フセインの崩壊を祝うイラク民衆という劇的な光景を当てにしていたからである。われわれは、この光景に対して心構えができていなければならなかった。バース党独裁体制がいかに嫌悪されていたか−−これには十分な根拠があった−−ということからすれば、そうして光景が生れるのは不可避なのである。
  BB2は冒険主義者であり、ギャンブラーである。二人は、最良の筋書きに賭けて戦争を始めた。二人は、膨大なイラクの国家機構を引き継ぐこと、とりわけ、その軍隊が反サダム・フセインに寝返り、勝利の後にはこの軍隊を使ってイラクを支配できるという筋書きに賭けたのだ。だが、最もあり得る実際の結果は、サダム・フセインの抹殺とイラクの油田の占領という試みから始まるであろうその介入が、イラク国家機構の崩壊をもたらし、その結果として残酷な計算にもとづく決着によって特徴づけられる膨大に広がる混乱状態を生み出すということになろう。
  以上のすべての主張は確証された。結局のところ、われわれの不意を打つようなことは何も起こらなかった。すべては予測可能なものであった。ごく最近の数日の出来事をより綿密に見てみよう。

一、「勝利」
  一方には、世界の軍事支出の四〇%以上を占めている中心的軍事大国とそれに隷属する大国との間の「連合」があり、他方には、その軍事力の三分の二までが一九九一年の湾岸戦争ですでに破壊されてしまい、兵器類を維持・保守するのを妨げるその後長きにわたって続けられてきた禁輸措置によって残りの三分の一の軍事力も弱体化させられ、ここ数年の国連監督下の軍縮によってさらにいっそう弱体化された第三世界のひとつの国があった。こうした状況のもとで、誰がイラク政権の壊走に驚くだろうか。
  この同じ政権は、クウェートとイラク南部における一九九一年のイラク軍の崩壊によって壊滅的な敗北をすでに喫していたのである。今回のワシントンの目標が都市の占拠と全土の占領であったというのは、本当である。明らかに、これは達成がより困難な目標であった。だが、この国は、二〇年間以上もの戦争、爆撃、禁輸によって枯渇させられ、すでに貧血状態にあった。ワシントンが占領に着手したのはまさにこのような国なのだ。そして、一九九一年と同様に、二〇〇三年には、バクダッドから命令を受けてそれを実行するはずのイラク民衆の圧倒的多数はバース党政権を憎悪していた。このような条件のもとで民衆の大衆動員がどうして期待できようか。
  実際にわれわれを驚かせたのは、米英軍による迅速な勝利ではなくて、攻撃が開始された最初の数日に政権側の軍隊が行った抵抗であった。思い出してほしい。すべてのコメンテーターが、最初は迅速な勝利に対する冷笑的見通しに加わっていたことを。多くの人々は、一九九一年に予想した泥沼が今や最終的に現実のものになりつつあると信じた。これらのコメンテーターは、なぜ最初に抵抗がなされたのかかについての理由について間違いを犯したのである。それは、次のような事実のせいなのである。すなわち、今回の場合、地上軍の攻撃が大規模な空爆作戦と同時に開始されたのに対して、一九九一年にはワシントンは軍隊を送り込む前に五週間以上にわたる野蛮な大規模空爆をイラク軍に浴びせ続けた。このことは、今回の場合、フセイン政権の軍隊が地上軍の攻撃が開始された瞬間には一九九一年に比べてはるかにまだ戦闘態勢にあったことを意味していた。一九九一年のときには、空爆で生き残ったイラク軍は、疲弊し、呆然自失に陥り、集団で連合軍に降伏した。
  イラクの軍隊はまさに政権の軍隊にすぎない!  イラクにおけるこの間の事態と純然たる民衆の抵抗とを混同する者は誰であろうと、また政権の「軍隊」のバグダッド防衛と一九八二年のイスラエル軍による包囲時における民衆のベイルート防衛とを混同する者は誰であろうと、軍事情勢の見通しについてだけでなくサダム・フセインの専制体制に対するイラク民衆の関係についても大きな間違いを犯すことになるだろう。ペンタゴンの計画にとっての主要な失敗は、攻撃の最初の日の「日和見主義的空爆」がサダム・フセインというターゲットを命中し損なったという事実である。そして、サダム・フセインが空爆で殺されたのかそれともこっそり逃れて行ったのかに関わりなく、総司令官として彼の役割の終わりは、バクダッドの防衛の加速度的な崩壊を直接に引き起こした。このような集権化された個人に体現される独裁体制のもとでは、ひとたび強力な圧力にさらされると、政権の土台を破壊するには独裁者を取り除くだけで十分なのである。

二、イラク国内の反応

  独裁体制の崩壊を知ったとき、イラク人民がその安堵の念と喜びを表明したからといって誰がそれについて驚くことができようか。たとえ、私がイラク民衆が体験した経験をけっして味わったことがないとしても、私自身も本当に安堵を感じた。イラクのバース党独裁体制は一九六八年七月に権力を握った。この当時、私自身は、世界の多くの地域の私と同じ世代の人々とまったく同様に、急進化の過程の真っ只中にいた。新政権の第一の優先的任務は、イラクにおけるこの急進化の表現を粉砕することであった。中東においてこの急進化の触媒の役割を果たしたのは、一九六七年六月のイスラエル軍の侵攻に対するアラブ諸政権の敗北であった。
  バクダッドで確立された恐怖政治統治は、ゲバラ主義のカレド・アーメド・ザキとイラク共産党から分裂した左翼がイラク南部で開始したゲリラ戦線を無慈悲な形で粉砕した。この新しいクーデター政権はたちまちこの地域における最も非道な政権であるとの評判をとるようになった。イラクの活動家たちは、逮捕されてほかに比類のないような残虐な拷問で死んでいくよりも政権の軍隊と闘って死ぬ方がましであるということを悟った。バース党体制は、アラブの左翼の中の最大の構成部分であるイラクの左翼を地の海に沈めた。こうすることによって、同政権は、自身のやり方で、中東の民衆の抗議運動に対するイスラム原理主義の覇権の土壌を準備するのに貢献したのである。過去半世紀に、一般にその最も偏向したやり方で宣伝の目的でヒトラーに比べられてきたすべての独裁者のうちで、サダム・フセインは、この国内体制性格(イデオロギー的な大衆動員を持たない)の点からだけでなく、一方的な誇大妄想に駆り立てられた拡張主義的衝動という点でも、最もぴったりの人間である。
  三五年間、私はこの恐ろしい政権の崩壊を待ち望み続けてきた!  だから、この政権が最終的に崩壊したとき、多数のイラクの人々と同様に、私もほっとした。イラクに人々がほっとしたのもまた、驚くべきことではなかった。それはまったく予測できたものであった。少なくともワシントンとロンドンにとって驚くべきことは、イラク住民が米英軍に対して示したしばしば敵意のこもった気のない歓迎であった。そうした気のない歓迎がなされた地域には、米英が自分たちのもとに獲得することができたと思っていたシーア派の多い南部も含まれていた。
  これはたやすく理解できることである。ワシントンとロンドンが捉えられなかったのは、まったく当然に理由からサダム・フセインを嫌っていたこの民衆が、それよりもさらに多くの理由から米英嫌っているという点である。イラクの人々は、米国が一九九一年に自分たちを見捨てサダム・フセインの弾圧にさらされるままにしたことを忘れていない。イラクの民衆は、国連安全保障理事会の協力国と共謀してワシントンとロンドンが強制した大量の死亡を生み出す一二年間の禁輸にいぜんとして苦しんでいる。しかも、米国は中東の主要な抑圧国であり、イスラエル国家の後援国であり、この米国は、まったく忌まわしい記憶を残した昨日の植民地植民地建設者であるイギリスを伴っているのである。イラクの人々はこの米英軍を解放軍として歓迎することはできなかった。
  この事実の結果として、イラクの人々の喜びの表現は抑制されたものであった。ワシントンは、米英連合軍が「解放軍」として歓迎されつつあるという印象を与えるために、宣伝的なごかましに訴えざるをえなかった。「歓迎されている」けれども、それはとりわけ略奪者によってである。略奪者たちが略奪品を手にして「ブッシュはとてもよい」を思うのはまったく当然であった。占領軍は司令官の命令で意識的にこれらの略奪者にしたいようにさせた。司令官は、それによって民衆の敵意から守られると思ったのだが、そうしたやり方は結局のところ、この敵意をよりいっそう大きく増幅させた。(イラクで唯一安全が確保されている地域が油田であったのとまったく同様に、バクダッドで十分護衛されている唯一の公共の建物は石油省であった)。新しい侵略者は、モンゴル軍の侵攻期間中の一三世紀のバクダッドの略奪に匹敵する現代の略奪として歴史的記憶の中に長く残り続けるであろうバクダッドの略奪に責任を負うものとなった。
  占領軍と同盟した、その駐留にに大衆的な喜びを表明したイラク民衆の唯一の部分は、クルド人であった。イラクのクルド人指導部は、あらためてもう一度。まったくひどい同盟者−−イスラエル、イランのシャー、トルコ政府、イランのムラー、そしてサダム・フセインまでも−−に賭けるというやり方をまさに頻繁に行うことによって、たえまなく続く自らの視野の狭さを暴露してきた。その指導部は、イラク内のクルディスタンの将来にとって最終的に決定的に重要な意味をもつ唯一の同盟者、アラブ系イラク民衆の憤激の対象になる運命にある占領軍と関わり合いになることを避けるという分別をもたなかった。その指導者たちが占領権力の献身的提携者としてのイメージをうち固めるのなら、それはクルド人にとって悲惨なことになるだろう。米英は実際、クルド人の自決権を擁護する意図など毛頭ももっていない。両国は、この国に対する自らの支配のために役立つのなら、イラクのクルド人を犠牲にすることもためらわないだろう。

三、イラクをコントロールし、世界を支配する

  イラクの都市における小規模な略奪は初期の段階ですでに、大規模略奪者である占領権力の職務を著しく困難にしている。一日、一日が過ぎ去るたびに、心の底からB2を嫌っている民衆に直面して、イラクを支配することがいかに困難であるかが確認されてきている。米軍部隊といっしょに送り込まれたペテン師のアーメド・シャラビと彼の一握りの傭兵たちがこの情勢を変えることができないのは確かである。
  米国の問題は、一九四五年の後のドイツや日本−−日本での天皇の利用を含めて、旧体制の国家機構の階層全体を利用することができた−−に比べるとずっと、サダム・フセインの機構からの残存勢力以外に信頼できるものを保有していないことである。占領軍に使える仕事に従事できるようになるにはモラルを落とす必要があるのは、旧政権の多くの指導者だけである。彼らは、権力への渇きを癒しながら自らの危機を脱するだろうから、それだけによりいっそう熱心に国の新しい主人に仕える傾向をもつだろう。このことは、イラクの大多数の民衆にとって占領軍をそれだけによりいっそう嫌悪すべき存在にすることになろう。
  米国がアラブ世界でますますその存在を拡大していくにつれて、その拡張によってその軍隊はあまりにも希薄になりつつある。近東のすべての国と全イスラム世界でそれが引き起こしつつある憎悪はすでに何度も公然と爆発してきた。二〇〇一年九月一一日は、この憎悪のうちのこれまでで最も劇的で最も激烈なものにすぎなかった。イラク占領は、この全般的な憤激を極端にまで推し進めることになろう。それは、ワシントンがバックアップしている地域秩序の崩壊を加速するだろう。パックアメリカーナは生れないだろう。この地域に新しい進歩的勢力が登場しないかぎり、むしろ、ワシントンとその同盟者の大きな野蛮がそれと対抗する宗教的偏狭さの野蛮を刺激することによって、野蛮へのもう一段下への転落が生じるだろう。
  野蛮な力を使って米国支配のグローバルな帝国を建設しようとする計画が破産する運命にあることは、避け難い。この点で、ワシントンは初期の段階ですでに、イラクにおける軍事的勝利が一時的に与えるかもしれない印象とは逆に、重大な政治的誤算を行っている。冷戦終結以来、米国の覇権に対する異議申立てが世界中でこれほどまでになされたことはけっしてなかった。この覇権に対するコンセンサスがこれほどまでになくなったこともけっしてなかった。このことは国際関係にも当てはまる。ワシントンが忠実な同盟国であるとみなしてきた国の苦情と反逆がこれほどまでに広がったこともなかった。トルコ政府すら米軍の領土通過を拒否した。ワシントンは、国連安全保障理事会の十分な数の国の買収に失敗してイラク戦争にわずか九票の賛成票しか獲得できなかったのとまったく同じように、トルコ政府の買収にも失敗したのだった。
  反戦運動にとって既存の国家は信頼できる同盟者ではないし、実際、同盟者そのものでないこともまた、確かである。とりわけ、フランスとロシアが、米国がやっているのと同じように自身の帝国領域内においてまさに同じように野蛮で憎むべきやり方で振舞っているときには、そう言えるのである。だが、米国が支配する大帝国と関連した諸国家間のこの不協和音は、ある意味で帝国の計画にとって別の大きなつまづきを反映している。もちろん私が言っているのは、「世界世論」というもうひとつのスーパーパワーのことである。『ニューヨークタイムズ』は、世界規模の大衆動員では歴史上最大規模となった、二〇〇三年二月一五日のデモに正しくもそのようなレッテルを貼った。「世界世論」−−あるいはそれはむしろ、反戦運動としての実際の運動のことである。世論調査は何も示さないからである。
  一九九〇年代の期間中、多くの人々は、反戦運動はかの悪名高き弱点をもはや克服できない運命にあると考えた。ワシントンがベトナムの教訓を学び、それらの教訓を一九八九年のパナマを出発点にその後の戦争に適用したので、ベトナムの時期は本質的にすっかり葬り去られてしまった、と人々は考えた。だが、二〇〇二年秋から、われわれは新しい反戦運動の猛烈な高揚を目撃することになった。この運動はいくつかの国でただちに過去の歴史的な動員記録を破り、米国さえ飲み込んだ。この事実は本当に重要である。なぜなら、最も決定的なものが米国自身で展開されている運動であることがまさしく明白だからである。反戦運動はまだベトナム戦争の時代の絶頂期の水準には到達していないが、九月一一日のトラウマとブッシュ政権によるトラウマの利用にもかかわらず、すでに大衆的規模に達しているという点で大きな価値を有している。
  いわゆる注意深く選別されたイラク「解放」の映像とペンタゴンが脚本を書いた舞台は戦争に反対する多くの人々を動揺させている。だが、一日ごとに、反戦運動がいかに正しかったかが示されている。無数の死者、大量破壊、イラクの国富の略奪は、「解放」に対してイラク民衆が支払わされる巨大な貢ぎ物となっているが、この「解放」は結局のところ、外国の占領なのだ。ワシントンが、アフガニスタンとは違って−−この国は、今日、かつてよりもさらに混乱状態にある−−世界から隠くしおおすことができない国で泥沼に陥っていくにつれて、反戦運動は新たな高揚へと高まることができるだろう。
  この運動の劇的な発展は、シアトルで生れた新自由主義的グローバリゼーションに反対するこの三年間の全世界的な運動の前進という基盤に依拠したがゆえにはじめて可能となった。以上の二つの側面は今後互いに刺激し合いながら発展し続け、新自由主義と戦争とが打倒すべき同じ支配システムの二つの側面であるという人々の自覚を強めていくだろう。
二〇〇三年四月一三日
[筆者は、『野蛮の衝突』、二〇〇二年および近刊、『東方の大釜』の著者である]
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