9月9日(日)午後、日野市勤労青年会館でフィリピンのバタアン経済特区のイワホリ労組委員長の報告会が開かれた。主催は三多摩カサナグの会(カサナグとはタガログ語で真実という意味)。下記三多摩カサナグの会の詳しい報告が寄せられています。
昨日は雨にもかかわらず40人ほどの労働者市民が参加した。イワホリ労組委員長コラソン・レキソさん(女性)と元UNBABALA委員長で現左翼ナショナルセンター・マカバヤン委員長のプリモ・アンパロさん(男性)からイワホリ争議の現状とグローバリゼーションの実態を報告しました。
組合が賃上げを要求してストライキを開始したら、2000年1月日本の資本家は工場閉鎖し、600人の労働者を全員解雇した。以来1年半余り、労組は工場にピケットを張って闘争を続けている。昨年10月労働裁判所は会社の不当労働行為を認め、経営者に対して組合に退職金など4400万ペソ(約1億円)の支払いを命じた。岩堀社長はその命令を履行しなかったが、組合や三多摩カサナグの会の追求で、今年7月から組合との交渉に応じて命令への一部履行を約束したが、誠実に守っていない。
今回現地から全組合員の委任状を持って初めて来日した。二人は9日の集会でたいへん感動し、激励された。さらに11日にはイワホリ本社(静岡県)に行って、社長と直接交渉する予定だ。代表たちは今後長野、横須賀、15日の「それでも基地は必要ですか?三多摩集会」など18日まで多くの日本労働者・市民に訴えを続けていく。
<9月7日ー18日フィリピン代表の日程>
9/7(金)19:49 成田着
9/8(土)今後の打ち合わせ
9/9(日)14:00〜17:00 来日歓迎集会 於:日野市青年会館(中央線「豊田駅」 徒歩3分)
会員だけでなく、多くのみなさまの参加を呼びかけます。会員の方も友人などをお誘いの上ご参加ください。
9/10(月)労働者との交流など。
《夜》三多摩労争連などを中心に懇親会
9/11(火)静岡県吉田町「イワックス本社」訪問し交渉。後、静岡ゼネラルユニオン(054-628-3084)で交流会予定。
9/12(水)長野県上田市でグローバリーゼイション問題などをテーマとする集会に参加。
9/13(木)東京へ。夜、町田市の寺子屋グループとの交流会。
9/14(金) 横須賀の反基地グループとの交流会、横須賀基地の現地視察
9/ 15(土)反基地運動団体との交流(於:武蔵野市井の頭公園野外ステージ)
《夜》 同グループとの交流会(於:三鷹たべもの村)
9/16(日)野宿労働者との交流、話合いなど
9/17(月)予備日 《夜》『元気でね!』小パーティ(場所:未定)
9/18(火)9:45 成田発。
皆さんは100円ライターがどこでどのように作られ売られているか、ご存知だろうか?最近ではさらに値下がりし、100円ショップでは3個100円で売られている。「価格破壊」のひとつではあるが、このようなことは日本の消費者にとって果たしていいことばかりなのだろうか?その影で何がおきているのだろうか?
100円ライターは日本ではすでに製造されておらず、中国やフィリピンで生産され日本や欧米で販売されている。生産・販売を組織しているのは日本や欧米の企業だ。 2000年1月30日、100円ライターを生産してきたイワホリフィリピンが突然工場閉鎖した。働いていた約600名の労働者は、突然職を失い収入を絶たれた。退職金も賃金の一部もまだ支払われていない。労働者は労働組合に結集し、現在もなお工場閉鎖に抗議する工場前でピケット闘争を行い、残された会社資産を確保している。
イワホリフィリピンは、静岡県吉田町にあるイワックス(株)(代表取締役社長 岩堀富久男)が経営している子会社で、100円ライターを生産してきた。フィリピン・バタアン経済区には1982年進出し1999年には約600名の労働者が働いていた。
他方、イワホリ経営者はバタアンのイワホリフィリピンを閉鎖しながら、現在は中国の工場で生産し輸入し日本市場で販売している。したがって、経営者は廃業したわけではなく現在も別の工場を操業しているのであり、経営者の一方的な都合で閉鎖したものである。
以前は日本のイワックス社でもライターを生産していたが、1980年代の初め、イワホリフィリピンを設立し生産を移管し、それに伴い日本では工場を縮小し労働者数を大幅に減らしてきた。そのような点では、日本の製造業がここ20年経てきた典型的な変化をたどってきたといえる。1999年イワホリフィリピンで労働組合が賃上げ要求し意のままにならなくなると、経営者はいとも間単に工場閉鎖し中国からの輸入に切り替えた。国境を超えて労働者が競わされ、他方は使い捨てにされている。
イワックス社はそれほど大きな会社ではない。年間売上が約20億円、従業員が16名(2001年現在)である。国際化、グローバリゼイションの時代は、中小企業でさえアジアの人々を使い捨てにする関係のうえに成り立っている。
イワホリフィリピン労働組合は工場閉鎖反対、操業再開を要求し、現在にいたるまで工場前でピケット闘争を継続している。労働組合は1984年結成され、1987年から単産であるNAFLUに加盟し、また地域の労働組合連合であるAMBA‐BALAにも加盟している。
他方、労働裁判所であるNLRC(National Labor and Relation Commission)に提訴し闘ってきた。2000年10月30日、NLRCから労働者側の主張を全面的に認める判決が出た。会社は控訴しなかったので当判決は確定した。判決は、@工場閉鎖は解雇に等しいこと、A会社が不誠実な態度で交渉に臨みまた交渉を拒否しかつ労働協約に違反したことは不当労働行為と認定する、B締結されている労働協約に基づき退職金、一時金、弁護士費用として約4400万ペソを支払え、という労働者側の主張を全面的に認めるものだった。(判決詳細を文末に添付します。)
イワホリフィリピンの例は、フィリピンに進出した点では一般的だが、労働組合が工場閉鎖後も団結を失わず、なおかつ裁判に提訴し勝利判決を得た点では稀な例と言える。
しかし、NLRCの判決が出たにもかかわらず、事態は一向に解決しなかった。イワホリフィリピン経営者は逃亡し不在であり、イワックス社は放置したままでその責任を果たそうとしてこなかった。
わたしたち三多摩カサナグの会は、これまでバタアン労働組合連合(AMBA‐BALA)と15年間にわたって交流を持ってきており、1999年12月訪問時にイワホリフィリピン閉鎖を知り、また支援を要請された。イワホリフィリピン労働組合から交渉委任状を取り寄せ、イワックス社岩堀社長との交渉を要求し、これまで2001年5月と7月の2回の交渉を日本で行った。
日本での交渉では、岩堀社長は不良品が多く出て赤字が増えたので工場閉鎖したとして、工場閉鎖がまるでフィリピン労働者のせいであるかのような物言いをし、不良品を出されて大きな損失を被った自分こそが被害者であるという主張を繰り返した。 わたしたちは、問題を放置せず解決に向けてイワホリフィリピン労働組合と交渉すること、解決できるのは岩堀社長以外にないことを強く訴えた。
三多摩カサナグの会との2回の交渉のあと、岩堀社長は7/9-10および8/7-10の2回にわたりフィリピンを訪問し、現地のイワホリフィリピン労働組合と直接交渉を行った。交渉は最終合意に至っていないが、社長がフィリピンを訪問し解決に向けた行動をはじめたことで事態は大きく進展しようとしている。
7/10のフィリピンでの第1回交渉では社長は「工場再開はできない」、「工場資産を売却しその代金を労働者に支払う」、「破産手続きをおこなう」ことを提案した。「破産手続き」が重要であるのは、イワホリフィリピンは未だ破産手続きがとられておらず、2000年1月30日に工場閉鎖されたものの会社としては存続しており、そのため現在もなおBEZ(バタアン経済区)当局から工場家賃などの請求額が累積し続け(現在までの累積額約800万ペソ)、仮に工場資産を処分してもBEZ当局に支払われてしまうからである。したがって、労働者に支払われるためには、早急に破産手続きをしなければならない状況にある。
イワホリフィリピン労働組合は、岩堀社長がフィリピンを訪問し交渉に応じたことをまず評価し、また、閉鎖から1年半も経過しており工場閉鎖も仕方なしと判断の上、資産売却金を労働者に支払うことを条件に資産売却の動きを了承した。ただし労働者要求額の4400万ペソを支払うことにおいては労資間で合意に至らなかった。
このような状況のなかで、さらに8/9岩堀社長はフィリピンを再度訪問し、イワホリフィリピン労働組合と第2回目の交渉を持った。岩堀社長は「労働者の退職金などとして資産が売れる売れないにかかわらず2000万ペソ(約4800万円)を支払う」という新たな提案をおこなった。提案は、金額が要求の半分以下であることが問題であるが、「資産の売却の目途が明確に立っていない、かつ金額が確定していない」という状況を解決する新たに踏み込んだ提案であると当初受け取った。ただし、口頭での提案でありその内容は、まったくあいまいである。
というのは、8月8日の岩堀社長とイワホリフィリピン労働組合との交渉内容について、現地労働組合からの報告とイワホリ社長からの三多摩カサナグの会への文書報告とが食い違っており、9月7日現在もなお社長提案の内容の正確な確認ができていない状況である。もっともあいまいなのは、解決金支払い時期と金額である。残った工場資産を売却したら支払うのか、逆に言うと売却できなければ支払わないのか、またその場合売却金額によって支払い金額が規定されるのかどうか、の点である。8月8日の岩堀社長提案が口頭提案であったことも、不明確になっている理由の一つである。
8月26日、イワホリフィリピン労働組合は組合員全員大会を開き社長提案を討議したが、金額が要求の半額であること、支払い時期・方法などが不明確であることをもって、そのまま受け入れられないことを決定し、なお引き続き交渉することを決定した。 それとともに岩堀社長提案に基づき、残された工場資産売却のため工場清掃などには日当を支払を受け協力することになった。
9月7日から17日まで、イワホリフィリピン労働組合委員長コラソン・レキゾさん、元アンババラ議長プリモ・アンパロ氏を日本に招いてイワックス社との交渉や各団体との交流を予定している。9月11日には静岡のイワックス社におもむき、岩堀社長と、上記問題も含め交渉する予定である。
9月11日の交渉は、コラソン・レキゾイワホリフィリピン労働組合委員長から8月30日付で岩堀社長宛に「9月11日、日本での交渉に応じてもらいたい」との申入れをすでにfaxで行っている。また、三多摩カサナグの会も、この間の岩堀社長のフィリピンでの交渉内容の報告してもらうため交渉を申入れしている。
わたしたち三多摩カサナグの会は、イワホリフィリピン労働者の方針を尊重し、その上で日本での継続した支援活動、連帯活動を行っていく方針である。現在の事態は流動的であり、現地フィリピンでの交渉内容と今後の方針などの情報を収集につとめている。
9月7日から18日までの予定でフィリピンから代表2名を招請し、イワックス本社での交渉、9月9日午後、日野市勤労青年会館での集会、そのほか各団体との交流などを行う(下記参照)。
今回のイワホリフィリピンの工場閉鎖解雇問題は、決してイワホリフィリピン個別の問題ではなく、むしろ現代日本と途上国の関係のなかで通常起きていることだ。国境をへだてているだけでこのような不法なことが安易に行われている。現代日本と途上国との関係、グローバリゼイションの一つの姿である。日本資本は海外で「自由」に振る舞い、解雇や工場閉鎖を頻繁に行っている。イワホリフィリピンが特別なのは、工場閉鎖後も労働組合が団結を失わず抗議を続け、かつ労働裁判に訴え勝利判決を得ている点だ。その意味ではまさに氷山の一角である。
今日進行しているグローバリゼイションが途上国にもたらしている実態の暴露と批判を行わなくてはならない。そのことは途上国の犠牲の上に成立している現代日本社会の批判でもあり、われわれ自身の問題としても取り組んでいくべき課題だ。日本の多くの人たち、労働組合、いろんな団体に、ひろくこの問題を知ってもらい、イワホリ経営者を追及する運動への参加と協力をお願いしたい。また9月の連帯行動、集会へぜひ参加いただきたい。
<イワホリ・フィリピンINC.判決文要旨>
National Labor Relation Commision(国家労働関係委員会)
地区調停支部 No.3 サン・フェルナンド パンパンガ
原告 イワホリ労働組合 NAFLU
被告 イワホリ・フィリピンINC.
@ 被告である会社は、指示を受けたにもかかわらず、法廷への欠席、意見書などの不提出など、その責任を放棄し、組合の主張に反論する責任を果たさなかった。
A 会社が予定されていた法廷への欠席、意見書などを提出しなかったことは、法廷に対して、暗に組合の主張を認めたものといえる。
B その結果、法廷は組合の主張を全面的に受け入れるものである。
C 今後、会社が法的手続きが不備だと主張することはできない。
D 会社の行なった突然の閉鎖は積極的な解雇に等しい。
会社はすでに操業を停止しているので、被告組合のメンバーは解雇されたものとみなされる。
E 1999年度の年末ボーナスは2000年度の年末ボーナスに比例して認められる。
F 会社は、組合員にたいし勤続年数に27日分の日給を乗じた額を退職金として賠償すべきである。
6ヶ月を超える期間は1年とみなす。これは両者が結んだ労働協約に盛込まれている。
(労働組合が要求している)未使用の有給休暇についてはどのように金額を算出すべきか判断しかねる。
G 弁護士費用は要求総額の10%が妥当である。
H 経営者は、この訴訟において不誠実な対応で交渉に臨み、また交渉を拒否しかつ労働協約の条項に違反することによって、不当労働行為をおこなったと認定された。
I したがって法廷は、イワホリフィリピンINCが従業員とイワホリ組合員に、年末ボーナス、退職金、 弁護士費用として、総額44,484,487.08ペソを支払うことを命ずる。2000年10月30日 サン・フェルナンド 労働調停者 ヘンリー・イソレナ
2) 被告 イワホリフィリピンINC.は、判決後、2週間経過しても控訴しなかった。したがって、当判決は確定した。