APWSL日本委員会2009年(第20回)総会の報告
日本で働く外国人労働者たちはどんな状態に置かれているか
報告・丹羽 通晴(調整委員)
毎年夏の年次総会だが、今年は関西開催であった。昨年ははじめての愛知開催で、坂さん宅での大盤振る舞い懇親会には驚かされたが、同じレベルのことを関西でやれる条件にはない。ということで、いつもの「大阪スタイル」での開催となった。なお、関西開催ということで、私に報告文が振られた訳だが、メモを取る性分ではないし、当日は会場設営やら買い出しやらでバタバタ動き回っていたから、正確かつ詳細な報告にはならないことをお断りしておく。
)
派遣切り」の下での外国人労働者の現況
7月11日午後、エルおおさか(大阪府立労働センター)で、「グローバル恐慌下の日本と外国人労働者」と銘打った公開講座として行った。大仰なキャッチだが、要するに昨年末からマスコミでさえ「派遣切り」、「悲惨な非正規労働者の実態」など大々的に報じるなか、日本で働く外国人労働者たちがどんな状態に置かれているかをもっと知ろうという企画である。それについては若い2人から報告をお願いした。
大阪に本拠を置くゼネラルユニオンの書記次長・友延さんからは、ゼネラルユニオン南米支部結成に至る経過をお聞きした。実は彼自身が被解雇者で、自ら解雇撤回闘争(今年3月に裁判での勝利が確定したが、まだ職場復帰はしていない)をしつつ、日系南米人たちの相談に乗っていた。そのための武器になったのが、数年前の南米バイク旅行とキューバ滞在で習熟したスペイン語。ただし、日系人のなかではブラジル人の比率が高いので、ポルトガル語も徐々に習得していっているという。彼らの多くは、クボタやダイキン、シマノなどの製造メーカーで派遣労働者として働いている。工場は堺市をはじめとした大阪府南部に多く、この1年ほどで50人以上の組合加入があり、春頃に南米支部を立ち上げた。そのなかで彼が強調したのは、「南米人の、南米人による、南米人のための」組合というスタイル。けっして代行主義には陥らないということである。南米各地では労働者政党が政権をとっている国もあり、その意味でも労働組合の力は強く、組合に所属していたメンバーも多い。だから組合アレルギーはまるでなく、むしろ彼らが驚くのは日本の労働組合の組織率の低さであるという。
名古屋ふれあいユニオン運営委員長の酒井さんからは、トヨタの下請け外国人労働者の現況をお聞きした。彼は数年前まで大阪にいて、イラク戦争勃発当時は集会・デモや実行委員会によく顔を出し、関西メンバーの幾人かとは旧知の関係でもある。その後、トヨタの田原工場で期間工として働き、苅谷工場では派遣労働者として働いた経験をもつ。その間、なんとか連合系の組合への加入を望んだが叶えられず、本人曰くは「不本意ながらいまの組合と出会った」。トヨタでは正規職はもとより期間工や派遣の待遇もそれほどひどくはなく、矛盾は下請けに転化され、そこに多くの外国人労働者が働いている。例えば系列のフタバ産業(マフラー製造)では、同じ所在地で名前だけが違う派遣会社に1ヶ月から長くて半年単位で転籍させられ、雇用保険や社会保険への加入機会を奪われていた。そして、下請けも二次・三次までいくと中国やベトナムからの研修生・実習生が最賃以下で働かされている。裁判中のツカモト事件では、ベトナム人が日本人の10倍の家賃を取られ、さらに強制貯金や管理費、ベトナムの税金などの名目で金を巻き上げられている実態が明らかになった。そこにはブローカーの暗躍がある。さらに、研修生・実習生の闘いでの最大の課題が、本国の送り出し機関の問題で、共産党幹部が関係している場合も多く、帰国後の被害についての打つ手が困難であることが強調された。
メインテーマのほか3報告と懇親会
今回のメイン報告は以上の2つだが、それとは別に3つの報告を受けた。詳細内容はいずれ各自が「リンクス」などに書くだろうから避ける。
時間的にはメイン報告の前段に「前座のようで悪いけど」と断ったうえで、「リンクス」編集長でもある稲垣さんから最新の台湾報告を聞いた。全国自主労工聯盟(自立的労働運動のネットワーク)の会員大会が6月中旬に行われ、全労協の遠藤一郎さんが招待されて、彼も通訳も兼ねて招待されたのだった。全労協が指名されたのは、台湾でも導入が目論まれている派遣法について日本の経験を知りたいとのこと。笑ってしまったのは、「派遣労働者を派遣村に閉じこめるとは、日本とはなんともひどい国だ」という誤解。情報伝達とは、なかなかに難しい。
フィリピントヨタ労組を支援する会の吉田さんは、「多国籍企業の国境を越えた不当労働行為と闘いの国際的な枠組み」について報告。同争議では、国際金属労連(IMF)による反トヨタグローバルキャンペーンやILOへの提訴、日本での労働委員会−裁判での係争など国際的な労働争議になっているが、そのなかでの司法的な枠組みや労働運動の枠組みに関して整理された報告だった。多国籍企業にILOの国際労働基準を守らせる流れが前進しているなか、北米と極東が空白地帯になっていることが印象的だった。
最後に共同調整委員でもある高幣さんが、4月末に韓国で開催された「2009アジア労働メディア」について写真スライド報告。日本、バングラデシュ、フィリピン、タイ、オーストラリアの5ヶ国と韓国で働くネパール、インドネシア、スリランカの3ヶ国の労働者が参加。労働運動におけるインターネット活用およびWEB管理の技術研修とレイバーネット・アジア強化のための会議、というより研修であった模様。
会場が夕方5時までなので、すぐ向かいの大阪教育合同労組に移動して続開。愛知の阪野さんがAPWSLの最近の活動、すなわち各種のトヨタアクションや坂さんの選挙(愛知の代表、東海ブロック比例から社民党で立候補)などについて報告した。また、韓国交流ツアーについての愛知での議論が紹介されたのを受けて、ツアーの時期については今秋で企画することを決め、関東・愛知・関西からの参加希望状況などを確認した。
公共サービス清掃労組からは、今回も2人が参加した。昨年の愛知総会では「高嶺闘争」の地域集会・デモの模様をDVD鑑賞したが、今回は書記長の河津さんから全般的な闘争報告があり、争議当該で被解雇者の高橋さんからも決意表明ともいえる発言があった。
そして、そのまま会議は懇親会へと切り替えられた。酒食をまじえながら、ともかくも自己紹介。参加者(15人)がそれぞれに自分の活動と国際連帯についての想いなどを語った。さらに、今年1月の世界社会フォーラムinベレンのDVD映像(原田さん制作)も鑑賞。その後は脈絡のない宴会と化したが、報告者でもあった友延さんと公共サービス清掃労組高嶺支部の高橋さんの、それぞれの解雇撤回闘争の状況についての質問が多かった、「どんな仕事をしていたのか?」、「どのような職場環境なのか?」、「復職の展望は…?」などといったストレートな質問も出て、大いに盛りあがった。
スライド報告「2009アジア労働メディア会議」
(会場・大阪教育合同労組)夕食・懇親会は乾杯でスタート 総会議論は、国際ネットワークの再構築に集中
翌朝、APWSLの関西所在地でもあるゼネラルユニオンで日本委員会総会を行った。議論は、国際書記局をめぐる問題に集中した。資金団体からのファンドが途絶えて総会を含め国際会議を開催することが難しくなっているなか、日本と韓国が、インターネットを利用した情報交換の多用と、各種の国際交流集会などを利用してAPWSL自身の会合をもつことなどを提唱してきた。そこからレイバーネットアジアの充実などが計られているが、困難や限界も多い。
これまでも国際書記局の3人(3ヶ国?)の連携が充分とはいえなかったが、タイのパラットさんがノルウェイ人と結婚して移住を計画していることで、ほとんど機能停止の状態にある。ファンドが途絶えれば南アジアや東南アジアの諸組織にとっては国際交流が不可能となり、APWSLそのものの存在価値がなくなりつつあって、新たな国際ネットワークを模索しているようである。
いずれにせよ日本に流れてくる情報が乏しいなかで、早々に結論や新たな構想を決めるわけにもいかない。総会の結論としては、この1年をかけて国際ネットワークの再構築についての調査・研究を含めた議論をしていくことにした。そのためにも、とくに韓国委員会とタイ委員会との連携は不可欠だと思われる。
「リンクス」、WEBサイト、メーリングリストなどの媒体問題についても報告と議論をした。日本委員会でもグループとして活動しているのは関東と関西、そして昨年から愛知でもはじまったが、日本委員会としての連携関係は充分とはいえない。その意味でも、こうした媒体を有効に駆使して、日本委員会としての活動強化に努める必要があるだろう。
ささやかな会計(決算・予算)と人事についても報告・決定した。会計では、500ドルの国際連帯基金については、タイ委員会の実情を判断して、執行するか否かを決めることとした。人事については、関東の共同調整委員である高幣さんから、高齢を理由(!?)とした退任表明があった。結論としては、調整委員の役割は秋から山崎さんが果たすこと、共同代表選出をどうするかは関東の運営委員会が持ち帰ることとなった。
最後にあらためて、この秋に韓国訪問交流を行うことを確認して、2日間にわたるAPWSL日本委員会総会の幕を閉じた。
2009/7/29