2000年3月に台湾民衆による総統直接選挙によって誕生した民進党・陳水扁政権は、50年にわたる国民党一党独裁を決定的に打ち砕く事態でした。「民主化」によって実現された政権が最初に直面した問題は、労働時間の短縮でした。民進党・陳水扁政権誕生から2000年末までの経過をまとめました。(APWSL日本委員会運営委員・稲垣)
3月に行なわれた総統(大統領)選挙で、国民党候補を破って当選した民進党の陳水扁は、選挙期間中に「労働時間の短縮に賛成する。関連法の改正は一度にやってしまい、まず2000年内に週44時間、そして2002年に40時間を実施する」と公約を掲げました。(現48時間制)
国会が「二週間84時間」法案を可決
しかし、当選後に動揺を見せ、政府、ナショナルセンター(全産総、全総)、財界の会合で「週44時間」のみで合意します。「一回の法改正で2002年の40時間まできめる」という公約はここで反故にされそうになりました。労働団体の反発もあって、六月には野党になった国民党(国会では過半数を占める)が「2週間84時間」という法案を提出し、賛成多数で通過しました。国民党の行動は、陳政権への揺さぶりと来年に予定されている国会の選挙を見据えたものでした。
その後、陳政権は原発の建設の中止を決定し、国民党や財界からの批判を浴びます。失いつつあった財界からの支持を取り付けるために、11月22日、陳水扁政権は、6月に国会を通過した時短法を実施前に「44時間」へと改悪することを正式に発表し、法案の上程に向けて動き出しています。国民党は「条件次第では賛成もありうる」と本性をあらわにしつつあり、財界は「44時間は労資間の約束である」として陳政権支持に回っています。
広範な運動団体で構成する「84時間大聯盟」結成さる
その後、全国総工会、全国産業総工会の二大ナショナルセンター、労動人権協会、工人立法行動委員会、台湾労工陣線の三大労働運動団体、苦労ネット(労働・環境など広範な社会問題を取り上げるサイトを主催)、銀行員組合全国連合会、公営事業労働組合大聯盟、台北市産業総工会(台北市地区労)、大衆メディア労働組合連合会、台湾倉庫運輸労働組合連合会、敬仁労工センター(労災・職業病センター)、労働災害被災者協会(労災・職業病センター)、アジア太平洋労働速報(労働運動を中心にした雑誌を発行)、連結雑誌社、(労働運動を中心にした雑誌を発行)、夏潮聯誼会、台湾社会科学研究所、新世代青年団など、おおくの労働運動やNGOが参加した「84時間大聯盟」が結成され、請願、抗議行動などが展開されています。
12月10日は世界人権デーということもあって、「労働者の権利は人権である」をスローガンに「国家の政策、労働者はいずこ?デモ行進」を行ない、デモ解散地点の総統府前で「84時間を堅持する労働人権の夜」集会を行ない、抗議行動を展開します。また10日は日曜で動員がかけにくいという組合のために15日にも、国会に対して同じような抗議行動が予定されています。
なお、10日は、1979年に民主化を求めた集会で国民党の治安部隊と集会参加者が衝突し、集会を中心的に組織した反国民党の雑誌『美麗島』のメンバーをはじめ多くの人が逮捕、弾圧された、いわゆる「美麗島事件」の21周年にあたります。
(以上の情報は2000/12/8にAPWSLメーリングリストへ流した情報をもとに作成しました)