□ 裁決の瞬間
2005年11月21日午前11時、いよいよフィリピン国籍ウォンさん家族が裁決の時をむかえました。東京入国管理局から呼び出しがあったのです。在留特別許可が認められて日本で合法的に暮らすことができるようになるか、それともフィリピンへ退去強制されるか、一家の運命が決まる日です。一家の、ことに高校三年生の娘ジャイの身を案じて30名の支援者が集まり、出頭を見守りました。
一家はまず入管の6階にある審判部門に向かいます。入管側の準備が出来ていないということで少し待たされてから、場所を同じフロアにある違反審査部門に移しました。3人が緊張した面持ちで個室へ入っていきます。支援者は全員廊下で待機です。
「許可されるといいね」「大丈夫。きっと日本で暮らせるようになるよ」
支援者全員、固唾をのんで裁決結果を待ちます。20分ほど経過し、皆が不安になってきた頃、違反審査部門の扉が開いてジャイが現れました。
「取れたよ。お父さんもお母さんも、皆、許可だって」
それを聞いた支援者の拍手と歓声が入管6階に響きわたりました。これでウォンさん家族は合法的に日本で暮らせるのです。ジャイにとって人生最良の瞬間だったことでしょう。
支援者の中には感涙にむせぶ人が何人も見受けられました。
□ 報告集会
その後、はれて「定住者」の在留資格を得た一家3人を囲み入管前の路上で報告集会が行われました。NHK等の報道陣もビデオを廻し、カメラのシャッターをきります。
「支援する会」代表の寺西英夫神父が一家の母、ニルダさんの仮放免保証金返還の手続きで不在のため、同会事務局長の山口智之さんが代わってマイクを握りました。
「本日、ウォンさん家族全員に在留特別許可が認められました。『支援する会』としてこの喜びを噛みしめましょう」
大きな拍手がおこります。
次にジャイが通っているCCS世界の子どもと手をつなぐ学生の会の代表で、「支援する会」の中心として活躍した中西久恵さんが発言。
「『支援する会』が発足してから長い時間がたちましたが、一家に在留特別許可が認められて本当に嬉しいです」これまで親身にジャイの面倒をみてきた中西さんは感激で涙ぐみながら話しました。
続いてCCSの仲間から発言を受けてから、一家にマイクが渡されました。
「皆さん、ありがとうございました。ビザがもらえてうれしいです。これからもよろしくお願いします」たどたどしい日本語で両親が御礼の言葉を述べます。
そして最後にジャイがマイクを握りました。
「これまで応援してくれて本当にありがとうございました。これで安心して生活できます。私はスポーツインストラクターになるのが夢です。夢の実現に向かって頑張ります」
輝く笑顔がそこにはありました。
□ 在留特別許可の積極的な運用で日本に生活基盤を有する非正規滞在者のさらなる合法化を!
ウォンさん家族は出頭時、両親が10年以上日本に滞在し娘ジャイも高校生であったことから、これまでの黙示的基準に照らして在留特別許可は問題なく認められると思われていました。ところが、母親に退去強制歴があったことや、彼女が入管法違反で逮捕−起訴されたことなどから在留特別許可の取得が微妙になっていたのです。
「支援する会」では、数度にわたる法務省交渉や、署名(個人8964筆、50団体)の提出などで一家をサポートしました。署名活動にご協力いただいた皆様にはこの場をかりて御礼申し上げます。
昨年(2004年)に認められた在留特別許可数は1万3200件。これは2002年の6995件から倍増に近い数字です。それだけ法務省−入国管理局も、日本に暮らす非正規滞在者に対して配慮した対応をせざるを得なくなっています。
しかし、日本で長期にわたり暮らしてきた非正規滞在者はまだまだ多く、彼・彼女らは不安定な生活を強いられています。
家族、単身者を問わず、日本国内に強固な生活基盤を有した非正規滞在者を法務省−入国管理局は在留特別許可によって合法化すべきです。更なる在留特別許可の積極的運用を強く求めます。
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