在留特別許可を求めて自ら出頭したにもかかわらず、違反審査途中に収容され、2005年1月21日、退去強制令書発付処分を告知されたと同時に、強制送還された長期滞在者らを訪ねて、9月15日から18日、バングラデシュに行ってきました。
今回の訪問は、国家賠償裁判に対する彼らの最終的な意思確認をするとともに、訴状を作成するための聞き取りを行うことを目的としたものであり、加えて、「さようなら」を告げることなく別れることになってしまった彼らと、もう一度会うためのものでした。
□ ダッカ・ZIA空港での再会
シンガポールを経由して、バングラデシュの首都ダッカにあるZIA航空に到着したのは、9月15日の午後11時過ぎのことでした。首都にある国際空港とは思えない質素な空港に驚きながら外に出てみると、強制送還された彼らが全員迎えに来てくれていました。彼らのなかには、首都ダッカからバスで何時間もかかるような地方に住んでいる者もおり、豊かで便利な国・日本とは比較にならないほど未発達な交通機関にもかかわらず、揃って出迎えてくれたことがとても嬉しかったです。
とはいえ、最後に東京入管で彼らと面会したときには、このような状況で再会することになろうとは想像すらできませんでした。再会を喜ぶ彼らの笑顔の背後に垣間見える疲労が、10年以上離れていた祖国に突然送還されたことによる精神的・物質的ダメージ、8ヶ月近くになる母国での生活の苦労を物語っていました。
□ 「最後のインタビュー」の先に待っていたものは?
翌16日、午前11時から、一人ひとりの意思確認と送還時の聞き取りを行いました。送還される前日の1月20日の夜、「最後のヒアリングがある」と言われ、それまで収容されていた部屋から3つの部屋に集められたことから、在留特別許可がもらえるのではないか、あるいは、仮放免されるのではないかと期待を抱いて夜を過ごした者もいました。
それゆえ、翌日、入管職員が言うところの「最後のインタビュー」に呼ばれ、在留特別許可が認められなかったことと退去強制が言い渡されたときの彼らの心はどのようなものだったのでしょうか。APFSや弁護士、あるいは会社の上司に連絡をとらせてほしいという懇願も聞き入れられず、自分が置かれてしまった状況が十分に理解できないまま、呆然としている彼らに対して、入管は手錠をかけて成田空港まで搬送したのです。
50人ほどの入管職員に同行され、2台のバスで成田空港に行く途中、先行のバスが事故を起こしたため、先行のバスに乗っていた4人は、手錠をかけられたまま後続のバスに移動させられたそうです。後続のバスに移る際、あるいはトイレに行く際、他の人々に手錠をかけられた自分の姿を見られてしまったことがとても恥ずかしかったと打ち明ける者もいました。
□ 踏みにじられてしまった誇り
2004年9月21日、彼らは東京入管に出頭しました。そのままひっそり日本で働き続けることもできたかもしれないにもかかわらず、敢えて「非正規」であることを公にし、出頭という道を選択しました。恐らく、想像を絶するほどの葛藤の末の決意だったと思います。
日本を愛し、これからもずっと日本で生活したいと願った彼らは、日本政府の判断を信じ、自分たちの存在を問いかけました。非正規滞在者に対する取締りが強化されるなか、摘発に怯えながらも、人間として、日本社会の一端を支える労働者として、誇りをもって毎日を生きていました。だからこそ、胸を張って出頭したのです。
しかしながら、彼らの真摯な問いかけに対する答えは、手錠をかけられ、人格を踏みにじられた末の送還でした。
20代〜30代という人生の最良の時期を日本で過ごし、10年以上も母国を離れていた彼らは、いまだ仕事をみつけられていません。わずかな貯金を取り崩しながら、毎日を送っています。弟の収入で生活している者、スラムにあるより小さなアパートに引っ越したもの者などもいます。彼らが受けた心の傷はいまだまったく癒えていません。
□ 奪われた最後の権利
たとえ在留特別許可が認められなかったにしても、裁判に訴えるなど、日本で合法的に生活することを求める更なる方法があったにもかかわらず、その権利すら奪われてしまいました。
彼らに強制送還が告知された時点では、当日の航空券や同行入管職員のビザまでが周到に用意されていました。彼らは、日本での生活に自ら終止符を打つ時間すら与えらず、アパートに戻って荷物を片付けることもできませんでした(再び帰れることを信じて、収容中もずっとアパートの家賃を振り込んでいたそうですが・・・)。さらには、お世話になった職場の上司や同僚、大切な日本の友人たちに最後のあいさつを告げることすらできなかったのです。
このような非情な行為に対して、6人は改めて、国家賠償裁判をする決意を表明しました。私たち支援する会も、彼らの受けた精神的・物質的ダメージが決して看過できないものであると判断しました。
彼らの決意を受けて、9月18日、現地のプレスルームで記者会見を行いました。20名以上の記者が集まり、今回の裁判に高い関心を示してくれました。
□ 国家賠償裁判に向けた決意
著しく高い人口密度と増え続ける人口、度重なる洪水被害などによって、産業の高度化が進まないまま経済発展が滞っているバングラデシュでは、失業率が高く、とりわけ大卒者の失業が高いことが問題として指摘されています。今回の出頭者も含めて、日本で非正規に滞在する者のなかには、本国で大学や専門学校を卒業しながらも仕事がみつからず、日本にやってきた者が多数います。
首都ダッカでは、一部に豪奢なショッピングモールや外資系企業の高層ビルが建設され、富裕層が形成されている一方で、物乞いや物売りをする子ども、昼間であっても所在なく過ごす多数の大人たちなど、依然として解消されない「貧困」の現実があります。そのような現実を目の前にして、自分がこの国に生まれていたらと想像すると、どうして彼らが日本にやって来たかということに思いが及びました。
バングラデシュは、人口規模がほぼ同じ日本の80分の1以下のGDPしかないとても貧しい国です。しかしながら、「人権」は、国籍国の豊かさとは関係なく尊重されるべきものではないでしょうか。もちろん、「非正規滞在」であったことの非の一端は彼らにもありますが、今回の法務省/入管の対応は、あまりに非人道的ではないでしょうか。
最後まで日本を愛し、日本政府の判断を信じ続けていた彼らの思いに応えるためにも、二度とこのような非人道的な行為が繰り返されないためにも、私たちは、この裁判に勝訴しなければならないことを強く決意しました。
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