サミットにとって国連は、グローバルな政治・経済・安全保障などの問題をめぐる覇権争いの最大のライバルといっていい存在でしょう。
サミットがそもそも始められたきっかけは60年代を通じて急速に加盟国を増やした国連が第三世界諸国の影響力を増し、国連総会や国連貿易開発会議(UNCTAD)などでG77と呼ばれるようなグループを結成して先進国に対抗するようになったことに対する先進国側による国連の影響力を削ぐ目的があったといえます。(詳しくは、「G8の歴史」の「サミット前史」参照)また、国連には冷戦期までは社会主義圏が所属し、冷戦崩壊後は、アラブ・イスラム圏諸国や反米政権が多く誕生している中南米、そして、経済的に急成長しつつある中国やインドの影響を無視できないわけで、こうした国連における政治地図を見渡してもわかるように、G8諸国は必ずしも国連という枠組みで圧倒的に大きな影響力をもちえているわけではありません。
他方で、G8それ自体が国際法上の正当性をもった条約の制定などができるわけではないという意味では、G8は単に国連と敵対するというよりも国連という枠組みをG8は利用できるところは利用し、利用できない場合は、その影響力を削ぐような行動をとってきたといえます。
経済の分野では、UNCTADなど国連の経済機関の力を弱体化させて、IMF、世銀、WTOの覇権強化を一環して支持してきました。
環境の分野でも国連が80年代入って「環境と開発に関する世界委員会」(ブルントラント委員会)を設置し、88年には国連環境計画と国連の専門機関である国連気象機関による気候変動に関する政府間パネル(IPCC)を設置するといった動きをにらんで88年のトロントサミットでは環境問題が取り上げられた。
保健衛星の分野の例では、世界エイズ保健基金が国連エイズ特別総会で設立が支持され、G8サミットの機会に正式に設立されるという経緯をたどるというような関係もあります。(PMC全体会合(ASEAN+10)における田中外務大臣ステートメント)
安全保障の分野では、国連決議が都合よく利用されたり無視されることが繰り返されている。イラクに関しては、01年では、イラクの大量破壊兵器査察に関して国連決議が援用されたが、他方で、イスラエルのパレスチナへの武力行使問題などに関する国連の非難決議は無視されてきました。(たとえば、04年のイスラエル武力行使への国連決議に同年のシーアイランドサミットの「G8声明:ガザ撤退及び中東和平へ向けた道程」は一切言及していません)
サミット参加国を増やそうという提案が、欧州諸国から出されていますが、こうした動きは、サミットに比べればまだ民主的(といっても一国一票で、民衆の参加が可能なわけではない)な国連機能をますます低下させて、サミットの密室外交により大きな力を与える結果になりかねません。(小倉利丸)