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「西陣雑感」 |
4月26日、西陣分校で松尾弘子氏を招いてご講演をしていただいた。 参加者には、いつものものづくり塾のメンバや今まで西陣会議で関わってくださってきた方々だけでなく、お手伝いをさせてもらっている北青少年活動センターの西陣路地裏アドベンチャーのボランティア諸君、宇多野ユースホステルのボランティアのみなさん、新しくものづくり塾に参加してくれた学生のみなさんなど、合わせて40名を数えた。松尾氏の知名度の高さを改めて感じさせられた。 松尾氏は、西陣織工業組合の広報誌「西陣グラフ」の写真を撮り、編集を35年も続けられた。数年前に退職され、今はフリーの写真家としてご活躍中。1999年に出版されたモノクロの写真集「京・西陣」は、西陣界隈のお宅をじゃますると、必ずといっていいほどお目にかかるほどの有名な作品だ。 松尾氏のお話を聞いていると、西陣のことならなんでも分かると言っても過言ではない。私がものづくり塾で取材などをさせてだいた織屋さんや各工程の工房など名前を挙げるだけで、「知ってますよ」という返答が返ってくる。私の自宅の場所も、すぐにわかっていただけた。名実ともに「西陣の生き字引」だ。もちろん、西陣織職人にも、松尾氏のことを知らない人はいない。 昨年、松尾氏は京都新聞に町家の写真の連載を1年間続けていた。西陣グラフを引退してからも街の舞台で活躍する松尾氏を、西陣のひとたちはみな、隣の人のように温かく見守っていたに違いない。 そんな松尾氏にお会いできただけでなく、私なんぞの企画にご賛同いただき、講師としておいでいただけるとは、思ってもみないご縁だった。 ご講演の内容は、写真集の写真を1枚1枚スライドで投影し、解説をしてくださるという内容だった。昭和中期の町の暮らし、西陣織職人の姿、町の様子をリアルに伺えた。単なるノスタルジックな写真の鑑賞ではなく、西陣に漂う「心意気」と「誇り」を伝える内容だった。 「私は西陣に育ててもらった」と言われる松尾氏は、今の西陣に対して、「ものづくりの心をなくさないでほしい」と繰り返しておられた。その思いは、写真集の最後の「西陣雑感」に凝縮されていた。 「西陣雑感」は、西陣をマクロ、ミクロ双方の視点から、その歴史と工程のシステム、職人の姿と微妙な心理までを巧みに表現していた。松尾氏は「西陣という名の物創り集団」と呼んでいた。西陣というのは、ひとつの運命共同体であり、町ぐるみで産業を支えてきたという、その意識こそが優美な帯としての付加価値を生みだしていたのだ。 そして、松尾氏の今を憂える気持ちも感じさせた。 -人間が手と心で織った時代の西陣織は、人間どうしの手の暖かさ、心と心が伝わる町の暮らしが、西陣という空の下でくりひろげられていた日々にこそ生みだされていたものだと思う。-それゆえ、松尾氏が「これがすべてなんです」とまで言うのも理解できる。私はこの文章を、私は当日を迎えるまで、繰り返し、繰り返し読んだ。 そして、松尾氏が写真の解説を終えられたあとに、皆さんの前で私が「西陣雑感」をじっくり、朗読させていただいた。きっと、参加者のみなさんには少しでも響いていたと思う。 松尾氏のご講演が終わってからも多くの参加者はその場に残り、遅くまで互いに語り合っていた。これを通して、みなが西陣と向き合い、じっくり考え、語り合うきっかけになってくれればという思いがした。 私にとって、この企画はひとつの節目を迎える大きなイベントとなった。松尾氏のご講演の翌日、30歳を迎えた。また、これから新しいステージを迎え、着実にできることを積み重ねていきたい。 西陣の底力は、まだまだ潜んでいる。この40人の力を持ち寄り、この町の魅力を生かしていきたい。 |
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2003.6.8. |