「核ぬき本土なみ返還」といわれた1972年の「日本復掃」から10年がたちました。しかしながら沖縄には今なお、日本全土に散在する米軍基地の53%が集中しています。そればかりか那覇軍港に並ぷ茶褐色の迷彩をほどこした戦車群に象徴されるように米軍の作戦行動範囲は、「極東の範囲」をはるかにこえて中近東にまで拡大されています。「核ぬき」どころか「核かくし」の疑いはますます深くなり、自衛隊の配備増強と共に、基地機能の再編強化は明白であります。
にもかかわらず、復帰後十年間の日本政府の巧妙な政策は、沖縄の人びとの心とくらしにくさびを打ち込み、かっては自己の生命をおびやかすものと認教されていた軍事基地を利害打算の観点からのみ評価しようとする社会的雰囲気すら生まれてきました。軍用地が投機の対象として売買されるという悲しい現実さえあります。
こうした状況の中で、自己の存在と生活をかけて、断固として軍事基地に反対し続けている人び
とがいます。「戦争のためには“一坪”の土地も提供しない」と頑張り続けている反戦地主がそれです。あの悲惨な沖縄戦の体験と挑戦戦争からベトナム戦争へという戦後史の流れの中で、プルトーザーと銃剣による土地強奪の記憶を自らのなかに刻み込んで生きた彼らこそ沖縄民衆の反戦の意志のシンボルです。防衛施設局の悪辣な契約勧誘と地縁、血縁の圧力の中で、自らの志を貫ぬいてきた反戦地主たちの「不屈の魂」にわたしたちは心からの感銘をおぼえます。
わたしたちは反戦地主たちに対するこの共感を、未契約軍用地の一坪共有化運動というかたちで表現したいと思います。
わたしたちはこの運動を通じて未契約軍用地を返還された反戦地主たち(具体的には小禄具志部落の人びと)とも連し、解放軍用地を「生産と生活」の場に変えていく道を追求したいど思います。さらにわたしたちは契約地主たちの間にも契約拒否運動を拡げつつ、大地に根ざしたなりわいを軸に、沖縄社会の将来を展望していけたらと思います。
平和を愛する一人でも多くの方がたが、私違の運動に参加して下さるよう心から訴えます。
1982年6月
一坪反戦地主会(仮称)
(以下略)