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第99号(1998年11月30日発行)

米軍基地の「本土」移転論

ー仲田さんの問題提起に応えてー

米軍への協力はこれ以上許されない


井上澄夫(会員)

 私は「本土」側の一坪反戦地主の一人である。本誌九八号の仲田博康さんの問題提起に応えて、意見をのべたい。

 「米軍基地『本土』移転(分散)論」が沖縄の行政首脳部から出てきたとき、私は「ああやはり」と思った。論自体は、もともと大田昌秀知事の主張にはらまれているものだったし、このままではいずれ表に出てくると思っていたからだ。「このままでは」とは、さまざまな努力にもかかわらず、安保体制を揺るがす力が見えてこないままでは、ということだ。

 問題の根源は安保体制にある。だがそれは揺るがないばかりか、「新ガイドライン」に明瞭に看て取れるように逆に強化されつつある。「本土」側の民衆の反安保運動は、この情勢を変える力になっていないし、当面そういう力になりそうもないーーと判断されれば、沖縄の行政サイドから「どうしても安保が必要と言うなら国民全体で平等に負担すべき」という政策提起がなされるのは無理からぬことではないかと思う。

 私自身は安保体制をなくしたいとずっと思ってきたし、これまで一度たりとも「安保が必要」と考えたことはない。私は一貫して反安保論者である。だから「どうしても安保が必要な」日本政府の立場を共有させられて「『本土』に基地を移せ! 分散せよ!」と言われても答えようがない。

 もっとも、大田知事らの「本土」移転(分散)論」にしても、<日本(ヤマト)政府がどうしても安保が必要だと言うなら>というところに力点があるのであり、彼ら自身が安保必要論に立っているとは思えない。大田氏らの論は、日本政府との論争上のレトリックの側面を強くもっていると私は感じる。

 沖縄で行政とは違う立場で「『本土』移転(分散)論」を主張する人びとにしても、みながみな強固な安保必要論者というより、むしろ基地存続の現実が動かないもどかしさが、そう言わしめているのではないだろうか。

 そして私は、沖縄の行政中枢からだけではなく、在「本土」の私たちの運動の仲間からも、そういう意見が出ていることを知っている。しかし、そのような論は「安保が必要ならば」という前提に立つものではないだろう。

 民衆運動の側は、大田知事と同様のレトリックを用いるべきではない、と私は考える。行政との関係における私たちの立場は、支持できる政策・主張は支持するが、同調できないものについてはきちんと批判するいうことだ。

 沖縄の米軍基地はグァムやハワイに移転できるという大田知事の主張に、私は賛成できない。そういう話を聞けば、グァムの私の友人は血相変えて怒るに決まっているし、ハワイの先住民も賛成しないだろう。

 それにしても、「安保が必要ならば」という前提を共有せず、あくまで反戦・反安保の立場に立ちつづけながら、「『本土』移転(分散)論」を言うとすれば、それはどのような主張なのだろうか。

 大田知事らの主張は、キャンプ・ハンセンでの実弾砲撃演習の「本土」分散という<実績>を踏まえているのだろうが、この<実績>を反戦・反安保運動は歓迎できるだろうか。同演習の在「本土」基地持ち回り実施を許していることは、まさに私たちの責任にかかる問題である。それもやめさせなくてはならないのであって、実弾砲撃演習がとにかく沖縄でなければいい、と私はまったく思わない。

 考えてもみよう。実弾砲撃演習は演習場周辺に被害をもたらすだけではない。それを許すことは、米軍に協力することなのだ。沖縄の米軍基地とともに、在「本土」米軍基地もまた、これまでアジア・中東諸国への出撃拠点でありつづけてきた。米軍への協力になることは、どのような形であれ規模であれ、これ以上許されない。そういう私たちの負う加害性から問題をとらえることも求められている。

 仲田さんは「沖縄に対する謝罪」では何も解決しないとのべている。私は「謝罪だけでは」と言いたい。「本土移転(分散)論」の根拠とされてしまうような謝罪のありようには賛成できないが、「本土」の民衆の一人として、罪を認めることは必要だと思うからだ。

 「本土」の私たちが、沖縄の人びとに対してこれまで犯してきた、そしていまも犯している罪を認めることは、現状の打破、すなわち安保体制の解体を実現する基礎とならねばならない。言うまでもなく、そのような実践は言葉だけの謝罪の対極にある。

 私は仲田さんの「自らの運動にメスを入れる必要」の主張にとりわけ深く同感する。たとえば、これは少々本題からはずれてしまうが、反戦運動の歴史としては、一九四五年八月から九一年四月(ペルシャ湾への掃海艇派遣という形をとった、最初の海外派兵が強行された時点)までが〈戦後〉で、その後は〈新たな戦前〉である、と私は考えている。

 海外派兵を許したことは、戦後反戦運動の決定的な敗北であったと私は思うので、「湾岸戦争」なるものの性格規定とともに、運動主体のありようの真剣な総括が必要だと考え、それは私の日々の課題だ。

 だから、「我々は正しかったが自民党が酷かったでは、何も生まれてこない。我々の正しい方針が、なぜ一般に受け入れられることなく権力の攻撃を許してしまったのか、そのことを反省することが重要である」という仲田さんの指摘に大賛成なのである。

 運動の行き詰まりを自覚するなら、その原因をさぐる。そこからしか、ことは始まらない。

 耐えがたいことは根から絶つしかなく、苦しみの移転や分散を民衆の運動論に導入するのは、やはり間違いだろう。民衆同士の反目・分断をもたらすそういう操作を、権力者は<セイジ>と称するが、私たちの求めるものがそんな<セイジ>ではあるわけはない。

 人の背に乗って安逸をむさぼるのでなく、だれかにツケを回すことなくノビノビと生きられる社会を実現することは、たしかにむずかしい。しかしそこをなんとか工夫するのが、運動ではないか。この<袋小路>から抜け出す知恵の出し合いに私も加わりたい。