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第99号(1998年11月30日発行)

県知事選についてひとこと

稲嶺に投票した若者たち


厳しくなる今後の反基地運動


 「県政不況」「経済政策の失敗・責任転嫁」「失業率9・2%」・「米軍物資輸送」「インターハイ中止」

 これが昨日まで沖縄中の電柱という電柱に(それでも足りなくて立木にまで)貼られていた稲嶺陣営の宣伝ビラである。

 ところが一夜明けた今日(一一月一六日)、どこをどうさがしてもそのポスターというかビラというか、がみあたらない。すべて撤去してある。

 今度の選挙ほど組織力の違いをまさまざとみせつけられた選挙はないだろう。それだけ必死だったこともあるのだが……。

 プロ中のプロの電通(広告代理店)が動いていたらしい。詳しい分析とかは専門家にまかせるとして、気になることを書いてみたい。

 一点目は、若者のほとんどが稲嶺さんに流れたということ。たとえば冒頭のステッカーの類をみてもわかると思うが、若者にとっては「不況なのは今の県政故」と単純に受けとめられる。不思議なほどに単純である。また「インターハイ中止」という文字を見ると、今の県政ではインターハイを中止するのか……それでは後輩がかわいそう>稲嶺に入れるかーーという図式になるらしい。インターハイ中止は、もう一、二年前の過去のことだが、それさえも知らない。

 それで専門学校のクラス仲間が稲嶺に投票しに行く。これが沖縄の若者の現実なのである。

 かつて六〇年から七〇年代に青春時代を過ごした若者とは、もうすでに180度も現実を見る目が違ってきた。大田さんの人柄も大きく左右したのではないか。たしかにりっぱなことを言うが、その態度には不遜なところがある。自分が一番、何もかもよくわかるという態度がありありである。

 今度の立会い演説会でもそれを感じた。もうすでに民衆を離れて高いと、ころにいる。それと彼自身、もうすでにやる気はなくなっていたのだと思う。大田さんのやる気のなさと不遜さが革新陣営を一枚岩にすることができなかった一因だと思う。

 大田さんがハワイ大学に在学中、家族ぐるみでつきあっていたという人が知り合いにいるが、彼が言うには「基地がいままで動かないということをいちばんよく知っているのは大田さん」「基地があるときに、予算を分どってそれをすべて子弟の教育費にまわすようにすれば、沖縄の将来はよくなるはず」(これは選挙参謀の一人として大田さんに進言したらしい)。

 彼は仕事で世界を旅していて、ときどき感心させられるような発言をする。

 「東江君、君は外国に行ったことがないからわからないだろうと思うけどたとえば南米に行ったとき(チリだったかペルーだったか)、住民が粗末な家で粗末な食事をしていたが、時間や金に追われているわけでもなく、実にゆったりとしている。ぼくはあの方が自分たちよりも幸福だと思ったよ。沖縄も将来は気候を利用して農業立県にならなけれぱいけないと思う。今以上(これ以上)の発展など必要だろうか?」と。

 金を分どるということに関しては抵抗感があるが、人間の幸福の原点については率直にうなづける。

 話は前に戻って、六〇年から七〇年にかけて青春した人たちの問題意識はいま社会のあらゆる分野に少しづつ浸透して新しい価値観も生み出していると思うが、今の若者の無感覚が二〇-三〇年後にはどういう文化を生み出していくか、不安でしようがない。

 「普天間基地」は北部の陸上案がとりざたされているが、宜野湾沖の海上基地も念頭に入れていた方がいいと思う。土木工学的にも建設可能だということである。

 いずれにしろ一定のはどめがかかっていたものが、はどめがなくなるのだから厳しくなるとは思うが、逆に大田に遠慮することなく運動構築ができるということだ。これからは少しづつできる範囲でかかわってきたいと思っている。

 それにしてもテレビ・インタビューの一コマ。稲嶺さんが当選後、「小渕総理とはさきほど電話で話しました。沖縄振興についても全面的にバック・アップするとの約束をとりつけました」。

 大田さん「沖縄はもう一回苦労しなければいけないのか、お年寄りと弱者が心配だな」(学者としての沖縄の歴史からの発言だと思うが)。

 最後に率直な心情を吐露していた。
 
 (東江=沖縄在住=投稿)