軍用地を生活と生産の場に!
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2007年

<Vol.193(11.28)
>

サンフランシスコ報告2         

  返還された基地は汚染されていた

・・・本永貴子(平和市民連絡会)

[前号からの続き]抜けるような青空の下、女性国際会議2日目のフィールドワークが始まりました。サンフランシスコは、朝晩が寒く日中は少し汗ばむぐらいの陽気です。私たちが向かったのはアメラダ・リッチモンド・フォートメイスンの3箇所。宿の前で歌を歌いながら手を揺らし、みんなを受け入れるというパフォーマンスを行いバスに乗り込みました。

はじめに訪れたのは、アメラダ地域です。ここは、かつてこの地域に住むネイティブアメリカンの聖地だったところで、今では大型ショッピングセンターと高級住宅街が軒を連ねています。バスを降りるとこんもりとした盛り土がありました。その傍らにはモニュメントが並んでいます。アメリカではネイティブアメリカンを保護する法律がありますが、この地域の方々はその法律の対象外になっているとのことでした。聖地が開発されたとき、ここからは無数の子どもの遺骨が掘り出されたそうです。しかし、その遺骨は大学の研究所に収容され再三の返還要求にも応じてくれないとのことでした。子どもたちの死因は疫病とも飢饉とも言われ、わからないとのことです。そんな聖地から追い出され、さらには何の補償もないのです。私たちは、盛り土のそばの噴水の傍らに花を手向け、手を合わせました。

続いて訪れたのは、アフリカ系の人々の住むリッチモンド地域です。アメラダ地域と対照的に屋根の低い家が並んでいます。バスの窓から見下ろすと地域の住民がにらんでいました。治安が悪いということで刺激しないように住宅地の写真は控えました。ところが、実際には私たちが訪れるわずか30分前に近くでマフィアの発砲事件があったとのことで、急遽ここでの下車は取りやめになり汚染地区の視察に向かうことになりました。犯人はまだ逃走中だったのです。

リッチモンドの汚染地域は、荒涼としていて緑あふれるフォートメイスンの観光地とは対照的でした。ここには現在の戦争の原因にもなっている石油の精製所があります。本当に何もかもが茶色に覆われていて、空には猛禽類が飛んでいます。汚染は深刻で、呼吸器や肺の病気が多いとのことでした。風向きによって、工場の煙が住宅地に流れてくるのです。特に深刻な汚染地域は金網が張り巡らされているので、広大な広場は途中までしか入ることは出来ませんでした。

最後に訪れたのは、フォートメイスンの住宅地です。ここにはかつて軍事基地がありました。今は返還され、住宅地として売り出されているそうです。しかし、アメリカ政府の「浄化されて汚染はない」との話を信じて家を買って移り住んだ人々は、結局深刻な環境汚染に悩まされることになりました。軍艦や潜水艦のメンテナンスを行ってきたこの地域では、ひどい重金属汚染や放射能汚染があるということです。海に向けて水を吐き出す排水溝の先には鳥も浮かんでいます。ふと見るとたて看板があり、そこには住民への「○○才までは、魚を一匹のうちの△△パーセントまでしか食べてはいけない」、「大人の男性は□□パーセントまで」などと、信じられないような注意書きがありました。この地域に住んでいる人々は、比較的低所得者が多いので近くの海のものをとって食べてしまうとのことです。この注意書きも住民への汚染の周知を求める再三の要求に、やっと重い腰を上げて政府が立てたものだということです。アメリカでは今、低所得者への住宅資金の貸付の焦げ付きが問題になっていますが、この地域の住民も、引っ越すにも費用がなく、必死でローンを払い続けている状況なのだそうです。

ガイドの説明によると、潜水艦や軍艦などが寄港する港では放射能汚染がないということはありえないとのことでした。沖縄や神奈川など、自治体の調査はなされてはいますが、住民に対し影響がないか心配です。

今回、女性国際会議に参加するために初めて世界の国々の住民を蹂躙するアメリカという国に触れることになりました。帰沖した今、アメリカが世界のさまざまな国へ戦争を仕掛けていく根っこのところに、差別と侵略があるのだと感じます。思えばアメリカという国は、侵略から始まった歴史を持った国なのです。しかし、振り返ってみて見ると、私たちの住む「日本」はどうでしょうか? かつて、北海道の地にアイヌの人々を制圧しに行くものに権力が与えられた時代があったのです。そして侵略は、差別の意識がなければ出来ないのではないでしょうか?

929日、女性会議参加者のメッセージを手に、私たちは宜野湾海浜公園で行われた「教科書検定意見撤回を求める県民大会」へと参加しました。11万の県民と共に、かつて日本軍に侵略された国々の人々からのメッセージが並びました。歴史を繰り返してはいけない。これからは、手を携えて歩いていかなければ・・・。そんな思いでメッセージを掲げました。



――「海兵隊移転」を考える―グアム・沖縄の自治をめぐって――

沖縄を真の自治の島に、

基地と補助金との連鎖断て

                         松島泰勝
                         沖縄タイムス200662


 名護市長、県知事は基地の受け入れを表明した。その背景には経済振興への期待があるが、経済振興によって名護市、沖縄県は本当に豊かになるのだろうか。
 一九七二年度と二〇〇一年度との名目県民総所得の構成比は次のように推移した。財政支出が二十三.五%から四十一.四%、民間企業設備投資が十七.六%から十一.九%、軍関係受取が十五.六%から五.一1%、観光収入が八.一%から一〇.二%である。
 同期間における全国平均の財政支出の割合は十七.九%から二十三.八%となった。沖縄の財政依存度は全国平均の二倍近くである。観光業が発展したといっても、財政支出の約四分の一程度しかない。
 七二年度から〇四年度までの沖縄振興開発事業費の累計額は約七兆五九六八億円である。全体の九十二.三%(約七兆一二七億円)が公共事業に投じられた。
 膨大な補助金が投下されたが、共同体が衰弱し、失業率も高いままであり、経済自立をいつまでたっても達成できない。日米両政府への従属度が増すだけに終わった。
 自然に補助金が増えたのではなく、沖縄が自立せず、両政府に依存させることを目的にカネが投じられてきた。
 補助金をカードにして基地を押し付ける日本政府の国家意思を拒否し続けることができないようになった。
 公共事業の経済効果は短期的であり、自然環境も破壊され、観光立県の「売り物」も損なわれるだろう。
 建設された施設の管理・維持費等は基地所在市町村の負担となり、財政危機に陥るであろう。そうなると益々日本政府に頼るようになる。
 イギリスの植民地支配と闘ってきたマハトマ・ガンジーは次のように言っている。
「インドをイギリス人が取ったのではなくて、私たちがインドを与えたのです。インドにイギリス人たちが自力でいられたのではなく、私たちがイギリス人たちをいさせたのです(『真の独立への道』)」
 確かに沖縄では活発な基地反対運動がみられる。しかし、「島ぐるみ闘争」から現在まで、日米両政府による振興策、経済的妥協策が基地反対運動を沈静化させてきたのも事実である。
 我々沖縄人自身が経済振興と引き換えに、米軍、基地の存続を許してきたのである。我々自身が変わらなければ基地はなくならないだろう。
 自分たち(沖縄)は善であるが、他者(日本や米国)は悪であると訴えただけでは、沖縄の問題は解決されない。
 振興策を通じて立派な施設が建設され、住民の周辺にもモノが溢れるようになった。モノに対する欲は尽きることなく、渇望感が増している。
 基地をカードにして手に入れた経済振興は我々を本当に豊かにしたといえるのだろうか。
 開発、近代化の意味を問い直し、「本当の豊かさ」について考え、これまでの生き方を改め、自らの力で外部からの誘惑を跳ね返し、基地と補助金との連鎖を断ち切ることで、基地のない島が実現するだろう。

「本当の豊かさ」の基本は自分自身で物事を決めることのできる自治であろう。

 経済振興は一時的な経済効果しかもたらさず、経済構造も不安定になり、日本政府への依存度を深め、その管理下におかれ、沖縄人自身による決定権も失われよう。
 全国と同一の法規制で沖縄を縛り、空いた口に金をつぎ込み、体を肥らせ、さらに食べ物を欲しがらせているのが、沖縄と日本と関係である。
従属の構造が解消されないで道州制が適用されても、沖縄に自治は実現しないだろう。
 自治とは他者から与えられるものではなく、沖縄と日本との関係を根本から問い直し、住民一人一人、地域が自治を自らの手で獲得するものである。
 沖縄における米軍、自衛隊の配備は経済的メリットを生むだけではなく、外敵の侵略から琉球を防衛する上においても欠かせないとの声も聞かれる。
 しかし、バランスオブパワーの論理で島を武装化すると、沖縄戦のように島が戦場となり、住民の犠牲が大きくなる。本当の島嶼防衛は非暴力によって島を守ることであろう。
 沖縄人が島の上で生き残るためには、住民自身が非暴力に徹し、経済振興のような他者からの誘惑を拒否して、内発的発展の道を歩み、真の自治の島をつくりあげる必要があると考える。

松島 泰勝(まつしま やすかつ):1963年石垣島生まれ。石垣島、南大東島、与那

国島、沖縄島にて育つ。那覇中学・那覇高校卒業。早稲田大学政治経済学部経済学

科卒業。早稲田大学大学院経済学研究科博士後期課程履修単位取得。博士(経済学)。
在ハガッニャ(グアム)日本国総領事館、在パラオ日本国大使館において専門調査員と

しての勤務を経て、東海大学海洋学部准教授。著書に『沖縄島嶼経済史―12世紀か

ら現在まで』、『琉球の「自治」』(ともに藤原書店)、『ミクロネシア―小さな島々の

自立への挑戦』早稲田大学出版部がある。




沖縄の基地をめぐる動き

三町村長がキャンプハンセンの日米共同使用を容認
 
 さる1113日、金武町長、宜野座村長、恩納村長の三町村長は在日米軍再編に基づく米海兵隊基地キャンプハンセンの米軍と陸上自衛隊との共同使用を容認しました。

 容認の理由は①キャンプハンセン所属海兵隊の一部がグアムに移転すること、②町村が求めていた統合消防署の整備への防衛省の協力、③米軍再編推進法による再編交付金については、従来のハ-ド事業主体と違って、子育て支援やソフト事業にも使えるために地元にとっても利用価値が高いか--とのことです。

 町村長はこれまで、キャンプハンセンの共同使用「基地の負担増につながる」として反対してきました。これに対し防衛省は、1031日の官報告示(*)町村を在日米軍再編への協力度合いに応じて支払われる再編交付金の対象から除外するなどの圧力をかけていました。

 今回の町村長の容認は、防衛省からのさまざまな恫喝や懐柔がたしかにあったとはいえ、金武(きん)町議会、恩納村議会の反対決議や住民の反対の声を無視し、「金がほしければ基地を受け入れろ」という政府のアメとムチの政策にいとも簡単に屈服した暴挙であり、許すことは出来ません。岩国や座間の市長が、国のいやがらせに屈することなく反対しているのと比べて恥ずかしいかぎりです。

 容認をうけて防衛省はさっそく、1119日に町村を再編交付金の対象にしています。まさに札束でもって自治体の長を屈服させたのです。

 町村の財政収入で基地関係収入が大きな割合を占めていいますが、住民の生命財産を脅かす基地のさらにこれ以上に受け入れて強化、再編交付金に依存しながら街づくりを進めていこうとする姿勢は大きな問題です。

 今回、陸上自衛隊第一混成団(*)が使用する演習場はレンジ16と呼ばれる訓練場です。この一帯は米陸軍特殊部隊グリンベレ-の訓練施設である都市型戦闘訓練施設の移設先です。自衛隊は今後、海兵隊とだけでなく、グリンベレ-との共同訓練をおこなうことにもなります。キャンプハンセンの日米共同使用により、陸上自衛隊第一混成団の戦闘能力は飛躍的に向上し、日米の軍事一体化が一層強化されていくことになります。

 陸上自衛隊第一混成団陸上自衛隊西部方面隊沖縄県に駐屯。1973昭和47)に、沖

縄の本土復帰に合わせて沖縄へ移駐した臨時第1混成群と朝霞駐屯地で編成された第6高射特化

群を中心に沖縄で編成。隊員数は約1900

    宮古島の商工会議所会頭が

陸上自衛隊の誘致を表明

 さる111日に、宮古島商工会議所の会頭が宮古島に陸上自衛隊の誘致をと公の場で初めて表明しました。会頭は、陸上自衛隊の誘致に伴う経済的効果を期待するとして、誘致の理由を①先島地区の国防の強化、②急患輸送ヘリや不発弾処理隊が常駐することによる対応の迅速化--
としています。下地島空港への自衛隊の誘致については現時点では考えていないとしていますが、同空港の自衛隊基地化にむけての下地つくりを狙っていることは明らかです(
2001年、2005年にも町の赤字財政解消を口実にした自衛隊誘致の動きがあり、住民の反対運動(**)で阻止した経過があります)。

 偶然にもその翌日には、宮古島市の財政赤字が県内では上位であることが発表されています。地方財政の赤字を解消するために、自衛隊の誘致へという一連の流れに対して歯止めをかけていかなければなりません。

**下地島空港の地元・旧伊良部町では20053月16日、町議会で自衛隊誘致の請願を賛成9反対8で可決した。しかし住民集会で異論が噴出し、3月25日には白紙撤回された。この住民パワーによる誘致阻止をくつがえそうという動きが存在している。                      (木村辰彦)



国会議員五人ら、防衛省に迫る

 「まだ日米で協議中」と逃げる防衛省幹部

 去る11月14日午前、社民党の照屋議員と共産党の赤嶺議員ら5人が辺野古新基地建設をめぐる政府答弁のゴマカシについて防衛省を追及した。WWFジャパンや辺野古実のメンバーもこれに参加した。

米国側資料などから明らかになった名護市などの住宅上空飛行などについては防衛省自身が認めた(金澤局長)。辺野古へのオスプレイ2014年配備についてはこれまで政府が否定し、未だに認めてはいない。さらに守屋前次官・久間前大臣。額賀前長官らが業者との宴席に参加していた防衛省疑惑も噴出した。いったいどこまで防衛省は国民をごまかしていくつもりなのか、信用できなくなった。

防衛省の議員らが持参した要望書に対する回答はまったくいいかげんなものであった。「沖縄県も名護市も2014年完成という点で(防衛省と)共通している。方法書に対する(住民などからの)意見書は418あった。『これはおかしい』という意見もあった。それは知っている」、「方法書で明確にできなかった点はなお対米協議中であり、今明らかにすることはできない。(アセスの)準備書までにはしっかりしたものにして理解してもらう」などと平然と回答した。

このため沖縄から参加した真喜志好一さん(沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団)は「4月からの現況調査はやめてください。パッシブ・ソナーとビデオ・カメラ設置をやめていただきたい」ときっぱり要求。「現況調査などは既存のデータで行い、それが不足しているときに行うことができる、とされているはずだ」と厳しく追及した。やはり沖縄からきている安次富さん(ヘリ基地反対協)も「ジュゴンの食み跡にロープと釘を置いているが、魚もウミガメも(飲み込んだら)それで死ぬ。ジュゴンを殺そうとしているのか」と怒りの抗議。

この後、防衛省は「金澤局長の答弁は、陸上住宅を避けてほしいということで(06年)4月7日に合意したことを言ったもの。その合意では、米国も上空を飛行しないとなっている。緊急の時は(止むをず)制限はしない・・・」と金澤局長答弁からは後退した説明。安次富さんは「メイヤーも双方向で飛ぶ、と言っているぞ~」。防衛省、いったいどうする?

真喜志さんは「日米合意したのは4月6日のいつか? 名護市が署名したのは4月7日のいつか?」と質問したが、都合が悪いためか、回答はなし。

安次富さんは「そもそも乱暴な調査は守屋前次官らが進めてきたものだ。調査も方法書も、ここで全面的に見直さなければならないはずだ」と追及したが、やはり答えはなし。「沈黙は金」なのか?

そして「雄弁は銀」だと思ったのか、が米国側資料にある「装弾場」については米国側と協議中だと回答した。それなら辺野古は普天間代替施設なのだから普天間にも「装弾場」があるのか?と質問すると「いま、わかりません」。

わからないでは通らないと、赤嶺議員が「そもそも埋め立て(面積)がどれだけかもわからないのですか?」と追及した。防衛省は「方法書に160㎡と書いてあります」と回答。

真喜志さんが「214mの埠頭は作るのか、米国から要求があったのかなかったのか」を質したところ、防衛省は「それは軍港ではなく、桟橋はあくまで人員の補給などのためのもの。それについて米軍と協議中で、決まれば皆さんにも内容をお知らせします」。「協議中」は打ち出の小槌なのか?

真喜志さんは「アセス法25条を知っているなら、もし陸上も飛行とするのなら事業の内容が変わったのだから、方法書から作成しなおさなくてはならないはずだ」と抗議。安次富さんも「協議中なのに方法書を出すのはどういうことか? 最初からやり直すべきだ」と発言した。

海底の釘とロープについては「危険なので、早く撤去してください。しなければわれわれが撤去します」と通告した。

再編交付金を積み上げて、「要るのか、要らないのか」と米軍再編による移転先自治体に迫っている防衛省。この日は、全国知事会があった模様。どうりで防衛省側対応者が少なかったわけだ。照屋議員は「防衛省玄関前に地引課長もいたのに、どうしてこの席にいないのか? われわれを軽んじているのか? 」と憤慨していた。目をむいて「サンゴは破壊していない!」とムキになる辰己課長も出てこなかったのは同じ理由と思われる。

再編交付金を「要るのか、要らないのか」とやるためには、知事会を欠席するわけにはいかなかったのであろう。しかし肝心のところで「対米協議中」を繰り返している防衛省が、知事会に出て再編交付金をちらつかせているのは問題である。知事会でも「詳細は米国と協議中でございます」と説明できるのだろうか? もしできないとしたら、政府・防衛省は沖縄の住民にも、移転先各地の自治体にもほんとうのことは言わないでいることになる。しかしウソは百回言っても本当にはならないはずだ。                            (吉田正司)




0人が参加した院内学習会

    普天間方法書に大きな過ちあり

米国側資料でバレた日本政府の嘘

「アセス方法書には重大なまちがいがある! 方法書は撤回させよう!」。

「環境を少しくらい壊してもしかたがない」と思っている辺野古新基地建設を強行中の政府・防衛省は、アセス方法書を格好だけ公告縦覧。ほとんど全部がこれに抗議した自然保護団体・住民などからの意見書をまとめて、その「概要書」を作成して沖縄県に送りつけた。
 当初の国会会期末を控えていた去る11月14日午後、衆議院議員会館で環境保護団体や辺野古実行委員会などが院内学習会を開催し、強い抗議の声をあげた。沖縄からも3人が参加・発言した。参加した国会議員は社民党・民主党・共産党所属の12人(うち2人は代理の議員秘書)。平日の昼間なのにWWFジャパンや辺野古実など、休暇をとって参加したメンバーら80人が参加した。いずれも「いったい、どうなっているのか? 国会では問題にならないのか?」と、じっとしていられず国会へ。
 午後1時30分に開会挨拶した照屋議員は「平和・環境・宗教団体は市民と力を合わせて、沖縄をめぐる防衛利権疑惑を協力して追及しよう」と訴えた。また赤嶺議員も「防衛省は調査で藻場にクギを置いている。ジュゴンが食べたら死んでしまう。守屋前次官らは沖縄にかかわる資格はない」と厳しく訴えた。
 沖縄から参加した吉川さん(市民アセスなご)は、「アメリカのジュゴン裁判は去る9月17日に結審、来年3月に判決の予定」であることをまず明らかにした。そしてその訴訟で明らかになった米国の公文書について紹介した。それによると、防衛省作成の方法書とは下記の点でギャップがあるという
  航空機は双方向に飛行し、陸上飛行もありうる。
 ② 装弾場がある(とくに「額賀2」文書)。装弾した航空機が飛ぶ!
 ③ 埠頭(214m)がある。これは何か
 ④ 故障した航空機の移動は港から。さては軍港にするのか!
 ⑤ 洗浄場がある。一度に3機できるものが必要。
 ⑥ 環境アセスは海上についてだけでなく、陸上についても必要。これは衝撃。どうして日本政  府は説明しないで来たのか?
 次に真喜志さん(沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団)は「去年12月に守屋前次官が移設協議会で説明した手順は正確だった。しかし4月からの調査も方法書も、その手順からはずれているのはどうしたことか? 辺野古沖(2004年)の時の方法書にはパッシブ・ソナーと水中カメラを使うと書いてあった。ジュゴンの通り道を避けるため横から撮影、となっていた。今回の方法書には調査機器設置の図面もない。だが戦闘活動していない航空機でも航空管制官の指示は受けるから『陸上も飛行する』ことはまちがいない。名護市長が合意書に署名させられたのは2006年4月7日。その前日の6日に、上空も飛ぶと米国とは合意していた」と説明。
 ここで参加した国会議員がひとこと発言。糸数議員「一緒に闘っていきましょう」、喜納議員「こんなアセスは不思議だ。有事法制の前提ではないのか?」、辻元議員「国会では『桟橋です』と答弁されているが、『軍港じゃないですか?』とあくまで追及します」、今野議員「隠蔽するのはこの件に限ったものではない。あきらめないで追及しよう」、渕上議員「トクシンさんを送って、これからもがんばる」、保坂議員「いま、真相がかなり明らかになってきているのではないか?」、川田議員「沖縄には私にも思いがある」、とそれぞれ発言した。なお福島議員は途中で退席。
 次に花輪さん(WWFジャパン)は、「辺野古に基地をつくるとなると、兵舎の他に生活空間が作られることも確実。方法書に何も書いてないのはどういうことか? 藻場に釘とロープを置いているのは危険だ。埋め立て用の土砂も滑走路本体のことしか書いていないが、作業ヤード用のはどうするのか? 最も重要な環境「評価の手法」がわずか3分の1ページとはいったいどういうつもりか?」と方法書を批判した。
 次に安次富さん(ヘリ基地反対協)は「国策、というのは国民をだます政策のことだ。原発の安全神話もウソだった。防衛省問題についてはまさにそうだ。高村防衛大臣が名護に来た時、わざわざ「調査機器の設置は完了」と発表された。しかしあれは<大本営発表>だ。『ぶんご』と台風襲来以来、(水中)カメラは設置させていない、阻止している! 時々パッシブ・ソナーを引き揚げているが、電池交換や藻を取るために5AMに漁港から機材を積んで再設置したりする作業だけだ。今は可能な限り抵抗している、そのさなかだ」と現地報告。
 ここで照屋議員は「守屋前次官の疑惑発生で、防衛省も今は前へ進められないでいる。ここで何かいい方法はないものか?」と発言。
 これについて真喜志さんは「沖縄県の環境影響審査会が知事への答申を検討中。関係者の意見として『方法書を撤回させるべきだ』と発言する」、吉川さんは「アメリカの訴訟結果に頼ってしまうのでは、これもまずい」、安次富さんは「弁護士とも相談している。知事に移設措置協議会には参加しないよう要請していくつもりだ。国会でも決議ができないものか?」、川田議員
「内閣府所管の『海洋基本法』に即してなにかできないか?」――などの発言があった。

 会場からは「米軍再編で返還をパッケージにするのはけしからん。これで沖縄はまた騙される」と発言があり、安次富さんは「まさにその通り。駆け引きでなく、自然を(守って)次世代に引き継ぐことが重要で、パッケージなどありえない」と発言した。 
 この日に報告された米国側文書は、たくさんあるうち、情報公開してもいいと判断されたもので、重要なものは少ない(吉川さんによる)。それでもこれだけのことがわかったのである。
 オスプレイの2014年配備も明らかになってきた。日本政府はこれまでの説明とのギャップをどうするつもりなのか? しかも守屋前次官の業者とのゴルフ三昧、久間・額賀前大臣らとの宴席参加。防衛省は少なくともこのままではアセスを前へ進められまい。
 国会の会期は来たる12月15日まで延長された。私たちは追及の手をゆるめず、抗議行動を強化していこう。あの疑惑の人たちには、国会も沖縄の未来も任せるわけにはいかない。              (吉田正司)



未来の森にヘリパッドは要らない-高江訪問記

  騒音と落下被害は起こさせまい

  那覇から高速を経て3時間。湿った潮風から木々の匂いを感じる頃、車窓の景色はエメラルドブルーの海から深い緑の森へと変わる。70号線を外れて降りていくと、さらさらと優しい川のせせらぎが聞こえてくる。そして森に住む精霊の様な子ども達が手を引いて、先へ導いてくれた。川の上のテラスで囲炉裏を囲んで、親しい人と家族が集まり、Sさんのお誕生日を祝う集いが始まろうとしていた。ここで屠った鶏、栽培された野菜のバーベキュー、持ち寄られた料理、手作りのケーキ、大人たちはアルコールも。三線とギターの合奏、子ども達のコーラス。Sさんのオリジナルは子ども達にも大人気。そして座り込みテーマソング(CDにして欲しい!)。動物達のざわめきで知る、入れ替わり訪れる人たち。昔馴染みにも、初めての人にも、居心地の良い温かい場所。やんばるの木々が、ここに存在する全ての生をも守るかように包み込む。

 と、これだけ書くと、まるで素晴らしい休暇を過ごしに行ったかのようで、そして実際、米軍の演習が無い時は、静かな夜空に星が溢れ、野鳥の声で目覚める高江での生活は、自然の懐で安らぎ五感が生まれ変わるような、夢のような瞬間の連続だ。しかし、この木々の向こうには境界すらわからない、広大な米軍北部訓練場が広がり、また今、この集落を囲むように、新しいヘリパッドが建設されようとしている。民家から数百メートルの場所に作業予定地があり、公道とそこをつなぐために自然のままだった道に砂利が敷かれ、トラックやクレーンが運び込まれた。新しいヘリパッドができると、近隣の基地と連携した訓練や兵站訓練が増加し、これまで以上の騒音被害が予想される。子ども達の通う小中学校の上空を、軍事ヘリコプターやそこに吊り下げられたコンクリートと兵士が飛ぶ。飛ぶだけではなく、これまでも起きたような落下事件もあり得る。直径70メートルの規模でありながら、ヘリポートではなくヘリパッドだとして条例アセスの縛りを外し、「自主的」にアセスを行ったというのが防衛施設局の言い分だが、建設後の運用説明、つまり施設をどのような機種がどのようなルートでどのくらいの頻度で使用するのか、については口を閉ざしたままだ。故障・墜落の多いことで知られる、彼の有名なオスプレイの配備は、199612月の日米特別行動委員会最終報告草案には明記されていた(日本政府の反対によってその後削除された)。世界的な米軍再編成に連動した動きの中で、日米両政府は日米の連携強化をアピールしたが、米軍施設の中でも世界で唯一のジャングル戦訓練場と言われるこの北部訓練場を、米軍と自衛隊が共同使用するということも十分想像できる。塀の外の長期訓練では、食糧などを求めて米兵士が民家を訪れることがあり、高江でもそうした経験を聞くが、沖縄戦における日本敗残兵とますます重なってくる。この地域は、このように美しい自然の中にありながら、一体いつまで、戦場の延長となるのか、軍隊による蹂躙が止まないのか。

 「初めは、座り込みって何をするの?って感じだった」と言うIさん。この地域で暮らすことが、否応無く突然、日米軍事強化の最前線に立つ、当事者になることになると、思い知らされる気がした。仕事と生活の傍ら、時間があればゲート前で座り込み、ウェブサイトでの情報発信に心を砕く。仕事の忙しい人も、一日に数回、ゲート前に立ち寄って行く。山向こうの辺野古から、沖縄中南部から、と定期的に参加する人もあり、受付ノートを見るのは楽しい。私の参加した日は、那覇の民宿で高江の話を聞いて駆けつけた旅する若者達でテントは賑やかだった。本を読んだり、おしゃべりしたり、刺繍をしたり、マメ科の植物の実を焙煎して「ヤンバル豆茶」を作ったり、三線を弾いたり、歌ったり、踊ったり、と十人十色の楽しみよう。先住民文化に関心のある女性、屋台コーヒー店を営む青年、バイクで旅するカップル、アイヌの祭りに20年間関わってきた電気屋さん。一味も二味も違う、個性豊かな人々に会えるのも座り込みの醍醐味だ。  

 幼い子ども達も自然に参加している。ノートには幼い文字が躍っていた。ゲート前、彼/彼女らによるメッセージボードは美しい。黄色の背景に緑の文字で「みらいのもり いのちのものです」と書かれている。まるで聖なるものから子ども達へ、祈りが託されているようだ。

 ここのところ高江では、強行作業による騒然とした夏の日が嘘のように、動きの見えない静かな時間が続いている。住民の会のメンバーを中心とする座り込みは、もう数ヶ月を超えた。N-1ゲートを24時間体制で守るSさんは、「海風に晒された辺野古の冬を思うと楽だよ」と笑うが、山の天気は変わりやすく、風は冷たい。ゲート付近で野営をするにも、日中道路側で座り込むにも、厚手のコートを重ねてさえ、体中冷え切ってしまうほどだ。これからますます寒さは厳しくなるだろう。決して多いとはいえない人数での座り込みをどのように継続できるのか。そして、「ここを絶対に動かない。その間に止めましょう。あなた達に期待しているから。」と言うSさんの言葉にどう応えられるのか、考えなければ。

 やんばるの森を守るイタジイが遠くなり、ブロッコリーの塊のように見え始めた。反対側に広がる海では、「事前調査」と称して環境アセスメント法に違反する作業が、相次ぐ反対の抗議にもかかわらず、今日も強行されているのだろうか。ジュゴンが住む珊瑚の海とやんばるの森は繋がっている。日米軍事強化の最前線として、ではなく、このシマに暮らす全ての生を守り未来へつなぐ源として。その本来の姿を覆い隠しているのは、多くの人たちの生活とはかけ離れた一部の限定された利益だという事実。このことに気づき、行動し始める人たちは、これからもっと増えるだろう。            (水谷明子)



  資料紹介

普天間基地飛行場代替施設建設事業に係る環境影響評価方法書」に対する意見・関連資料集

 沖縄防衛局作成の環境アセス方法書に対しては住民などから意見書が多数提出された。沖縄防衛局によってこの意見書がまとめられ、意見概要書が作成された。

 提出された意見書の一部(団体が80ページ、個人が318ページ)と、意見概要書全文(32ページ)を収録した資料が沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団(那覇市)から発行された。

 収録意見書からは方法書についての多様な問題点や重要事項を知ることができる。そして沖縄防衛局作成の意見書概要はその全文が収録されているが、「概要」にまとめる時に提出意見がバラバラにされてしまっている。そのため無視されたり、趣旨不明になっているところさえある。防衛省では「方法書に反対の意見もあったことは存じております」と発言(去る9月18日午後)しているが、「反対意見の存在について認めてはいる」というアリバイに過ぎない。 さらにこの資料には、方法書と意見書提出前後の経過資料も収録されている。これによって沖縄防衛局による辺野古新基地建設の強引な進め方が鮮明にわかる。また沖縄県が調査での環境への配慮も求め、沖縄防衛局がそれを無視して圧力をかけてきていることも同時に知ることができる。今回だけでなく、辺野古沖計画の時の方法書(2004年作成)をめぐる知事意見や沖縄県環境影響審査会の答申も掲載されている第一級の文書等が収録されている資料集だ。見逃せないのは①巻頭13ページにわたる「本資料集の目的」を通読するだけで、方法書をめぐる問題点の核心がわかること②後半部分には米国防総省公文書(米国ジュゴン訴訟関連資料)が載っていて、原文の抄録と和訳(とびとびに18ページある)を読めば、日本政府が国民には隠していた「日米合意」事項がズバリ、わかることである。

この点では価値ある資料集だ。ただし全文で700ページ、¥2,000。

 2007年11月19日発行。編集・印刷:沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団。〒902-0061那覇市古島1-14-6教育福祉会館407号室。電話:098-885-3008/〒振替01720-4-112015沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団。



<Vol.192(10.28)>


ひんぷん
6回 女性国際会議 第1回国際会議から10年目の報告1

                                        本永貴子

 910日から19日まで基地・軍隊を許さない行動する女たちの会の呼びかけで、サンフランシスコで行われた女性国際会議に参加しました。沖縄からは、10名の女性が参加しました。ウェルカムパーティー→基地返還地訪問→分科会→全体会議というスケジュールをこなしました。今回は、グァムが初参加すると言うことで宜野湾市職労に要請、2人の組合員の参加もありました。二日間にわたって行われた分科会は下記の通りです。

第一分科会(女性、移住、人身売買に対する軍事的暴力)・・・高良、宮城
第二分科会(女性の健康、基地からの有毒物、環境浄化)・・・本永、宜野座、砂川
第三分科会(軍事拡大と編成)・・・高里、真栄城
第四分科会(軍事化に対する経済的、社会的、文化的な抵抗と回復)・・・源、玉城
その他 通訳・・・福村(名前は沖縄側の参加者)
 
 さて、私は「なはブロッコリー」で環境問題に取り組んでいるということで、第2分科会に参加しました。第2分科会にはグァム・韓国・フィリピン・アメリカ・プエルトリコ・沖縄が参加し、各国からの報告を行いました。
  
 ● グァム→基地からの環境汚染が深刻で、返還が決まったあとで   も深刻な環境汚染の政で再開発できない場所がある。沖縄の海   兵隊
8000人の移転が実現するとどんなことが起こるのかが     心配に賛成している人々の説得のために経済的な負11以降は米   軍に対する反対の声が挙げづらい状況にある。また、グァムで   は水・電気等を米軍が管理している状況や仕事が主に基地内や   観光しかないという状況も声を上げづらい状況を作り出してい   る。
  韓国→返還地の環境アセスメントが始まっており、調査結果の   公聴会が今回の会議終了後に行われる予定である。韓国とアメ   リカの環境アセスの基準が異なっていて、韓国の基準に合わせ   たほうが厳しい。韓国側は韓国に基準をあわせるべきだと主張   している。
       フィリピン→返還された基地汚染が深刻化している。そこで、   アメリカで基地浄化についての裁判(アメリカに基地返還地の   原状回復を求める裁判)をおこしたが、基地返還から10年たっ   ているということを理由にアメリカの責任を問うことが出来な   かった。しかし、その裁判の中で「現存するアメリカ国外の基   地はアメリカ国内法が適用される」という感触を得ているので   、各国でぜひ活用してほしい。911以降はたくさんの活動家が   拘束されたり行動を規制されたりしている。
     アメリカ→アメリカの基地はアフリカ系の人々のすむ土地で環境  問題が深刻化している。港があるところではメンテナンス等によ  り、重金属・放射能などの汚染が深刻であるが、地元の人々は経  済的に厳しい人々が多いので、その海で取れるものを食べてきた  。また、アメリカでは基地の環境汚染が問題になり、今では「ス  ーパーファンド」と呼ばれるものに政府がお金を出して、NPO団  体に依頼してきちんとした調査を行うと言う制度があり、今後ア  メリカ国外にある基地にもその調査が及ぼうとしている。Kの制度  を活用してほしい。情報を寄せてほしい。
  プエルトリコ→基地返還後の環境汚染が深刻である。そのため返  還地の開発が進んでいない。また、人々の健康被害も深刻であり  、がんセンターなどがないため検査すら島を出ないと出来ない状  況がある。
  沖縄→「沖縄の基地負担軽減」を理由に米軍の訓練が県外へと移  っていっているが、負担軽減には程遠くかえって負担が増えてい  る状況がある。たとえば、基地からの騒音などは訓練地への移動  が夜間・深夜に行われており、騒音の大きさは100フォンを越える  ことも珍しくない状況にある。まるで、線路の真横に立って暮ら  しているような状態である。また、返還地からは開発の段階で土  壌からの汚染や埋められたドラム缶の発見などがある。現在使用  されている基地からは、米軍の弾16000発の発見や、戦闘機の洗浄  液の飛散など、深刻な環境汚染がある。

 上記のような報告が各国からなされた後、女性国際会議発足から10年を経て、各国とアメリカとの地位協定の環境に関することや各国の環境関係の法律の比較、各国間の交流の強化、インターネット等による情報交換の強化を行うことが確認されました。
 早速基地・軍隊を許さない行動する女たちの会と一坪反戦地主会、なはブロッコリーでは、1016日グァムのチャモロ・ネーション代表のデビー・キナータさんを沖縄に招いて『グァム先住民「チャモロ」からの声 第2回 グァム・沖縄「島の住民」から問う!米軍再編の重圧』集会を行いました。教科書問題の東京要請行動と日程が重なったにもかかわらず、集会には20人あまりが参加し、地位協定での原状回復義務を盛り込むように働きかけていくことやグァムとの今後の連帯、情報交換などを取り決めました。翌日には、高江・辺野古を訪問し、デビーさんからの情報で明らかになった北部訓練場周辺への枯葉剤散布のお話をされたり、デビーさんが名づけた「イナファ・マウレク」と言う名前のボートにも辺野古で乗ることが出来ました。現在、グァムでの汚染情報の解析中です。また、来月には沖韓民衆連帯と共に韓国⇔沖縄間で相互の基地調査を行う予定です。
 紙面の都合上、サンフランシスコでの現地訪問等は来月のひんぷんで報告いたします。また、辺野古・高江での現地座り込みの人数が少なくなっている現状があります。お忙しい折ではございますが、お時間のある方はぜひご参加下さい。よろしくお願いします。



教科書検定意見撤回を求める総決起集会に650人

「教科書は真実を伝えなければならない」

 去る9月29日の県民大会(参加者11万6千人)を背負って、大会実行委員や県議ら168人が去る10月15~16日、政府要請を行った。大挙して東京まで来たが、面会できたのは大野官房副長官とだけだった。県民大会の意思を、文科省は「重く受止める」と口先で言っただけ。県民大会決議に盛り込まれている①検定意見撤回も②記述回復も、どちらも実現の見込みはたっていない。
 大型要請団が東京にやってきた去る10月16日夜、千代田区の星陵会館で抗議の集会が開催された。「大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会」などの主催で、参加者は650人だった。

 開会挨拶は東京沖縄県人会会長の川平朝清氏。「教科書審議会はずさんだった」と強く批判した。ただ「検定意見撤回は将来の課題に」との発言には少し気になった。「将来の課題」にするのなら、今はあきらめるべきだという意味になる。
 次に川内博史衆議院議員(民主党)が経過報告的発言。同議員は「教科書会社からの『訂正申請』による『復活』では、検定意見撤回にも記述回復にもならない。表現も変えられてしまう」と訴えた。
 
 与野党国会議員は18人も参加した。山内徳信参議院議員(社民党)は、「政府はいいことばかり言っている」と強烈に批判。閣僚の答弁は「重く受け止める」「真摯に」など、ことばだけだという。住民が手榴弾という兵器を持っていたのは、集団自決への日本軍の関与を示すもので、「沖縄県民はいったい何回殺され、何回自決すればいいのか!」と怒りもあらわ。次に発言した遠山清彦参議院議員(公明党)は「県民大会に参加し、その雰囲気を渡海文科大臣、福田首相、北側公明党幹事長に伝えた」と発言した。「検定」制度を問い直し、審議会議事録は公開すべきだとも述べた。与党議員なのに、なんと勇気ある発言だ。
 
 次にひめゆり学徒の沖縄戦体験を上江田千代さんが語った。自分は皇民化教育を受け、軍国少女として育った。壕で日本軍に協力した。入口からは血と尿の臭いがして吐き気をもよおした。ピンポン玉大のご飯を一日一個あけ。軍医も衛生兵もおらず、薬もなかった。毎日が地獄だった。手榴弾が配られ、自分ももらって将校に死ぬための使い方を教わった。いよいよ死のうと思ったら、手榴弾がなくなっていた。父親がこっそり捨ててくれていた。自分と母親は奇跡的に生き残った。米軍に収容されたが、みじめとは思わなかった。弾は降ってこないし、逃げまわらなくてもいいし、青空のもとで堂々と歩けるから。戦争は人間の理性を失わせる。戦争を二度としてはならない。教科書は真実を伝えなければならない、と。

 この後、糸数慶子参議院議員(無所属)、川田龍平参議院議員(無所属)、市田忠義参議院議員(共産党)、大浜敏夫氏(沖教組委員長)、高嶋伸欣氏(琉球大学教授)、藤本泰成氏(フォーラム平和・人権・環境 副事務局長)、●米浦正氏(全教委員長)らが、いずれも熱のこもった発言をした。
 また三鷹市、国立市、鎌倉市、小金井市で、市民(有志)「検定」撤回を求める意見書が採択されたことを報告した。意見書が採択された自治体議会はその後増加して現在では30を越えている。閉会挨拶は俵義文氏(沖縄戦首都圏の会呼びかけ人)。

 集会には<義理>で参加した人も、中にはいたかもしれない。しかしほとんどの人が自分の意思で参加したようで、どの発言にも真剣に聞き入っていた。入場無料だったが、上原成信さんの訴えに応えて会場カンパがなんと35万円も集まった。近来にない熱気あふれる集会であった。(Y)


 県民大会の事実が無視できるか

     現在進行している戦争、軍事化直視

 沖縄戦における「集団自決」への日本軍の強制・関与を排除するよう、高校教科書の検定意見が出された。検定を経た教科書は国家の歴史観を直接反映するものであり、教育現場への介入と言っても良いだろう。今回の検定意見においては、意見原案を作った文科省の調査官も、ほとんど審議せずに意見案を通した教科用図書検定調査審議会の日本史小委員会の一部の委員も、「新しい教科書をつくる会」元理事長と共同研究・執筆をするような関係であった。検定意見の理由内には、「つくる会」などの支援の下で係争中の岩波・大江訴訟が、原告・支援側に立った「冤罪訴訟」という呼び名で表記された。このように近現代史におけるアジア・沖縄への日本の加害を「自虐史観」として全面否定するグループと連携した、政権中枢部の「政治的介入」は明らか。にもかかわらず、沖縄県・県内市町村議会から反対意見が出され、県民大会が開かれると、参加者数の揶揄や「教科書への政治的介入は許されない」というバッシングまで起きた。県民大会での体験者の証言や沖縄県全体から超党派で人々が集まった事実については全く取り上げず、数を問題にして重要性を貶めるのは、「つくる会」の常套だ。そもそも裁判の報告集会で教科書検定の報道に「勝利宣言」し、「集団自決」への日本軍の強制・関与を教科書の記述から削除するのが目的の「つくる会」。妨害は当然ともいえる。では、社会全体はどうだろう。検定意見に対する抗議意見書が沖縄以外の地方自治体でも採択され、署名運動が全国で広がったことは注目されるが、未だ、教科書検定に政府からの「政治的介入」があったこと、全国で使用される教科書から「集団自決」への日本軍の強制・関与という事実が消されてしまうことへの危機感、受け止め方に地域的なまたは個人的な差があるような気がする。あたかも米軍基地と同じく、沖縄だけの問題、自分達と関係ないと捉えているのだろうか。それとも「お上」の決めた教科書検定に今さら異議申し立てするものではないと考えているのだろうか。検定の中身よりも、教科書をどのように教えて「勝ち組」の子ども達を作るかの方に関心があるのだろうか。国家を妄信して大丈夫?私たちの教科書、私たちの歴史、私たちの選ぶ政府ではないのか。

 ワシントンポストの記事によると、この問題をめぐり、日本が分裂し揺れているという。E.H.カーが「歴史とは現在と過去との対話である。」と述べたことを思い出す。歴史家が過去に起きたこと全てを歴史として取り上げるわけにいかないのと同様、教科書に全ての事柄を詳述することはできない。そこには明らかに作る側の意図、そして検定する国家の意図が働く。教科書に取り上げられる過去の諸事件とその解釈は、未来の目的に向けて異なり変化する。その点、「つくる会」の目的は明らかだ。「皇軍の名誉回復」と国防意識の育成である。それは憲法9条を変え、戦争の出来る国家を作ろうとする流れをリードしている。格差を広げ、一部のエリートを養成し残りは従順に国策に従う「実直」な国民を作ろうとする一連の教育政策とも呼応するだろう。靖国問題で東アジアから抗議されても内政干渉、「反日」とラベルを貼って対立を煽り、社会への不満を外へ転嫁し、排外主義がはびこると実際の戦争が無くとも、軍備増強で潤うのはどこだろう?一方、別の歴史観は?沖縄戦における「集団自決」への日本軍の強制・関与の事実をしっかり教えていきたい私たちの描く未来像は?軍エリートの立場を擁護するのではなく、戦争に巻き込まれた体験者の苦しみ、悲しみ、怒りから戦争と民衆の関係を学び、軍事基地の無い、格差の無い、一人びとりの個性が活きる社会を作ること。そのためには、現在進行している戦争、軍事化を直視し、世界中の同じ目的を持つ動きとつながり、軍事主義・植民地主義の連鎖を断ち切らねばならないだろう。格差社会が示す将来への不安から、すぐ傍らの暴力から眼や耳をふさぎ、孤立する人々とも、自分達の未来像を目指して、社会を変えていけることを信じて、対話を始めたい。         
                                         (水谷明子)



資料1=県民大会決議文

去る9月29日に決議された。①教科書検定意見の撤回②「集団自決」記述の回復----が二本の柱になっている。2本が実現できるかどうかが注目される。

去る3月30日、文部科学省は、平成20年度から使用される高等学校教科書の検定結果を公表したが、沖縄戦における「集団自決」の記述について、「沖縄戦の実態について誤解するおそれのある表現である」との検定意見を付し、日本軍による命令・強制・誘導等の表現を削除・修正させている。
 その理由として同省は、「日本軍の命令があったか明らかではない」ことや、「最近の研究成果で軍命はなかったという説がある」ことなどを挙げているが、沖縄戦における「集団自決」が、日本軍による関与なしに起こり得なかったことは紛れもない事実であり、今回の削除・修正は体験者による数多くの証言を否定し、歪曲しようとするものである。
 このため、これまで口を閉ざしていた多くの体験者が、子どもたちに誤った歴史を教えることの危機感から、つらい体験や真実をようやく語り始めている。

また、去る大戦で住民を巻き込んだ国内唯一の地上戦を体験し、一般県民を含む多くの尊い生命を失い、筆舌に尽くしがたい犠牲を強いられた県民にとっても、今回の削除・訂正が到底容認できるものではない。そのことから、激しい怒りを示し、そのうねりは県内全体を揺るがす力となって、沖縄県議会での2度の意見書決議、41の市町村議会すべての意見書決議へと結びつき、さらには県内地方4団体や民間団体が相次いで文部科学省へ要請するなど、県民が一丸となって取り組む結果となった。

 これに対し、文部科学省は「教科用図書検定審議会が決定することであり、理解していただきたい」との回答に終始し、検定意見の撤回と「集団自決」に関する記述の回復を拒否し続けている。

 また今回の教科書検定に際して、文部科学省はあらかじめ合否の方針や検定意見の内容を取りまとめた上で同審議会に諮問していること、諮問案の取りまとめに当たっては係争中の裁判を理由にし、かつ、一方の当事者の主張のみを取り上げていること、同審議会では「集団自決」の議論が全くなされていなかったことなど、新たな事実が相次いで判明したのにもかかわらず、依然として対応を改めようとしていない。

 教科書は未来を担う子どもたちに真実を伝える重要な役割を担っている。だからこそ子どもたちに、沖縄戦における「集団自決」が日本軍による関与なしに起こり得なかったことが紛れもない事実であったことを正しく伝え、沖縄戦の実相を教訓とすることの重要性や、平和を希求することの必要性、悲惨な戦争を再び起こさせないようにするためにはどうすればよいのかなどを教えていくことは、われわれに課せられた重大な責務である。

 よって、沖縄県民は、本日の県民大会において、県民の総意として国に対し今回の教科書検定意見が撤回され、「集団自決」記述の回復がただちに行われるよう決議する。

  平成19年9月29日
  9・29教科書検定意見撤回を求める県民大会実行委員会



資料2=「集団自決の実相・ここであったこと・1945年4月2日ロサンゼルス・タイムス朝刊から」

渡嘉敷村指定文化財の史跡「集団自決跡地」パネルから。文中に「島の北端にむかうきつい坂道を登り」とあるのは、集団自決があった「渡嘉敷島北山(にしやま)の雑木林」を指すものと思われる。その生き残りである吉川嘉勝さんが去る9月29日に県民大会で証言した現場と一致する。

    侵攻軍、日本民間人の集団自殺を発見

----「野蛮なヤンキー」の噂で「拷問」より死を選ぶ日本人達

琉球列島、3月29日()AP----米国の「野蛮人」の前に引き出されるよりも自殺する方を選んだ日本の民間人(注、渡嘉敷島の人々)が、死体あるいは瀕死の状態となって折り重なった見るも恐ろしい光景が、今日慶良間列島の渡嘉敷島に上陸した米兵達を迎えた。
 最初に現場に到着した哨戒隊に同行した、ニューヨーク市在住の陸軍撮影兵アレキサンダー・ロバーツ伍長は「いままで目にしたものの中で最も凄惨」と現場の様子を表現した。
 「我々は島の北端にむかうきつい坂道を登り、その夜は露営した。闇の中に恐ろしい叫び声や鳴き声うめき声が聞こえ、それは早朝まで続いた」と彼は語った。

       散乱する死体

「明るくなってから、悲鳴の正体を調べにいくために2人の偵察兵が出ていった。彼らは2人とも撃たれた。その少し前、私は前方6ケ所か8ケ所で手榴弾が炸裂し炎が上がっているのを見た。開けた場所にでると、そこは死体あるいは瀕死となった日本人(注、渡嘉敷島の人々)で埋め尽くされていた。足の踏み場もないほどに、密集して人々が倒れていた」。

 「ボロボロになった服を引き裂いた布はしで首を絞められている女性や子どもが、少なくとも40人はいた。聞こえてくる唯一の音は、怪我をしていながら死にきれない幼い子ども達が発するものだった。人々は全部で200人近くいた」。

 「細いロープを首に巻きつけ、ロープの先を小さな木に結びつけて自分の首を絞めた女性がいた。彼女は足を地面につけたまま前に体を倒し、窒息死するまで首の回りのロープを強く引っ張ったのだ。彼女の全家族と思われる人々が彼女の前の地面に横たわっており、皆、首を絞められ、各々汚れた布団が掛けられていた」。

「さらに先には手榴弾で自殺した人々が何十人もおり、地面には不発の手榴弾が転がっていた。日本兵(注、島人の防衛招集兵)の死体も6体あり、また他にひどく負傷した日本兵(注、同)が2人いた」。

「衛生兵は負傷した兵士らを海岸へ連れて行った。後頭部に大きなV字型の深傷を負った小さな男の子が歩き回っているのを見た。あの子は生きてはいられない、いまにもショック死するだろう、と軍医は言ったほんとうにひどかった」。

 軍医達は死にかけている人々にモルヒネを注射して痛みを和らげていた、トロバーツ伍長は語った」。

負傷した日本人を海岸の応急救護所まで移そうとしている米軍の担架運搬兵らを、道すじの洞窟に隠れていた1人の日本兵が機関銃で銃撃した。歩兵らがその日本兵を阻止し、救助活動は続けられた。

質問に答えられるまでに回復した日本人達(注、渡嘉敷島の人々)は、米国人は女は暴行、拷問し、男は殺してしまうと日本兵が言ったのだと通訳に話した。彼らは、米国人が医療手当てをし、食料と避難所を与えてくれたことに驚いていた。自分の娘を絞め殺したある老人は、他の女性が危害を加えられず親切な扱いを受けているのを見て悔恨の情にさいなまれていた。

 記事引用・・・沖縄県史 資料編3 
       米国新聞にみる沖縄戦報
道 沖縄編3(和訳編
               注釈は村教育委員会による。
        平成17年11月30日指定   
                   渡嘉敷村教育委員会 



連続学習会・第2回/前田哲男講師が批判

「ぶんご」出動に法的根拠はなかった

   ――一体化が進む日米関係――

関東ブロックの主催の第2回学習会、「自衛隊 変容のゆくえ―沖縄・辺野古基地建設への海上自衛隊出動を探る―」は去る928日(金)夜、中野区立商工会館で開催された。講師は前田哲男氏(軍事ジャーナリスト)。参加者は32名だった
 
 内容は濃かったけれど、会員でない人がちょっと平日の夕方に出向くというのはテーマがハードだったかも。

前回の第1回学習会では新崎盛暉氏(一坪反戦地主会代表世話人)が講師。辺野古基地建設のための「事前調査」で自衛隊の掃海母艦「ぶんご」が出動したことについて、(防衛省は)「ひょっとしたら何も考えず(、たいした考えもなく)そうしたのではないか、それが怖い」と指摘した。

今回前田氏はズバリ、その「ぶんご」出動の法的根拠不在に迫る講演だった。最近作『自衛隊 変容のゆくえ』(岩波新書、2007年)にあるとおり、辺野古など現在の沖縄の「軍備強化」「憲法破壊」を強烈に批判した。

講師は日米安保条約と沖縄との接点、米軍再編、日米の軍事一体化・相互乗り入れに焦点をあてて時局を批判。防衛庁から防衛省への格上げ(20071月)が持つ重大な意味を解説した。一見、看板が変わっただけのようだ。しかし、「自衛隊法」第3条(自衛隊の任務)ではこれまでの「専守防衛」に「国際協力」が追加。「情報保全隊」(自衛隊の下に置かれている)が市民団体などへの監視を強化し、人権侵害も最近特に顕著で看板だけ変わったわけではまったくない。

 そこで「ぶんご」出動の法的根拠不在について、講師は、

●久間・元防衛大臣は、「ぶんご」について、「札幌雪祭りへの自衛隊の協力と同じだ」と発言した。現実にはさまざまな活動が「自衛隊法」の第100条(附則)にぶらさがり続けている。第100条は、土木工事、教育訓練、運動会、国賓輸送、南極観測などの本来任務から外れる民生協力を記述するはずのところ。当然、「ぶんご」による米軍基地建設のための住民示威は別のことだ。「米軍への物品・役務の提供」も長々と追加されているが、その濫用を私たちが慎ませなければならない。

●「ぶんご」出動の依拠した法律は「防衛省設置法」と「国家行政組織法」だった。「防衛省設置法」は組織の権限や所掌事務などを確定するためのものであり、自衛隊の部隊行動まではまかないきれない(実際、第5条に、自衛隊の行動は「自衛隊法」に従うとある)。また、「国家行政組織法」は省と省との協力を決めるごく当たり前の法律である。さらに当時の防衛施設庁は防衛省の下にある「身内」であって、そもそも適用には無理があった。これは詭弁である。――と語った。 

そして全土の沖縄化、沖縄の全土化が進行しており、特に辺野古への「ぶんご」出動は、米軍基地建設に自衛隊の力を行使したものと、

●沖縄でのこのような状況は、沖縄の地元紙とローカル紙がとりあげているが、全国紙ではほとんど掲載されない。

●辺野古への「ぶんご」出動は、それ自体では日米安保でも日米軍事協力でもない。しかし米軍基地を作るための協力であり、こうした形で自衛隊が使われたのもはじめてで、出動は「軍国化の路頭」として位置づけておくべきだ。

     「ぶんご」が実際にどこまで進んだのか、国会でははっきりさせられなかった。これは追及する側の怠慢である。国会議員にもメディアにも、私たちにも責任がある。「ぶんご」事件は、かつての日本軍が沖縄に対してしたことと同じであることを明確にしておかなければならない。――と語った。

 また日米関係については、

●日米同盟という言葉のみ先走りしている。しかし現行憲法がある限り、対等の軍事同盟はできないはず。米国とて可能とは考えていないだろう。現在は「部分化」「吸収化」というように表現すべきだ。辻褄あわせのための「集団的自衛権」解釈も、ましてや憲法改正もあってはならない。

●米軍の横田基地(東京都)には航空自衛隊の司令部が府中から移転されることになっている。米空軍と同居することになり、共用とはされているものの、実態的には「部分化」「吸収化」である。また、米軍の座間基地(神奈川県)への米陸軍司令部の移転計画がある。まさに、米軍再編に如何に自衛隊が組み込まれるかが問題とされる。

●日本の防衛体制が、冷戦時の対ソ敵視による北方重視から、西方重視にシフトしてきているのは事実だ。しかし、これは中国の軍備や北朝鮮の動きへの警戒が先にあってのことではない。台湾を巡る米中の鞘当ては本格化しており、沖縄の先島への米軍・自衛隊の配置は戦略上の意味を持ってくる。既に先島への「親善寄稿」などにその兆候がみえてきている。――と語った。

なお次回第3回は11月に予定していたが、来たる11月28日夜(全水道会館で)、辺野古・高江の実情についての集会開催のため、改めて計画することとなった。(吉田正司)

<Vol.191(09.28)>


ひんぷん

「普天間基地の強制使用手続を粉砕しよう!」
本永春樹(一坪反戦地主会)

 普天間基地内の一坪反戦地主や反戦地主等の土地の強制使用期限が2009年12月31日をもって終了するため、日本政府は新たな強制使用手続きに着手しました。
 普天間共有地主の皆さんには「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第6条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う土地等の使用に関する特別措置法第4条第
1項に規定する意見書の提出依頼について」(以下、意見書提出依頼と略)とい
う長ったらしい名前の文書が郵送されてきたはずです。
 この文章には「特別措置法第4条第1項に規定に基づく使用の認定を申請するに当たり、同項のご意見を承りたく依頼します」と記されています。 
 日本政府が契約拒否地主の土地を米軍に提供するためには、まずは地主に対して「あなたの土地を貸して下さい」と任意交渉すべきなのですが、今回はいきなり「あなたの土地を強制使用するので、言いたいことがあったら意見書を8月28日までに出して下さい」と高飛車な態度に出てきたのです。
 そんなワケで、一坪反戦地主会では、急遽、普天間共有地の会員を中心に呼びかけ、8月28日に会員約20名で那覇防衛施設局へ出向き意見書を提出してきました。
 この日は一坪事務局へ事前に郵送された意見書も含めて75人分の意見書を提出しました。事前に郵送されてきた分については、手作りのかわいらしい「郵便ポスト」に「投函」してからポストごと担当課長へ手交しました。また、持参した意見書はそれぞれ読み上げて手交しました。
 意見書の手交に当たって施設局側に対し「なぜ任意交渉をしないのか」追及したところ、「一坪反戦地主は契約を拒否することが明らかなので任意交渉の必要はない」との居丈高な担当課長の回答に、参加した会員からは、「憲法で保障された財産権を侵害するのに、交渉すらしないのか」「無駄な交渉であっても主権者の権利を尊重していく観点からきちんと任意交渉をすべきだ」等々激しい批判の声が挙がりました。
 その後も「前回の強制使用裁判では、明らかに契約拒否をするような相手には任意交渉をしないでも良いと判示されたから手続き的にも問題ない」と開き直りに終始した施設局側に対して、「一坪地主だから差別してもいいのか」「国が主権者を差別して強圧的に土地を取り上げていくのは許されない」と厳しい糾弾が浴びせられました。
 一坪反戦地主弁護団の三宅俊司弁護士からも「施設局が任意交渉をしない根拠に挙げている判決は前回の強制使用手続についてのものであり、今回任意交渉をしない理由にはならない」と厳しく指摘されました。その後も粘り強く施設局側を追及していくと「法律や政令、省令などの根拠はなく、あくまでも那覇防衛施設局の判断で任意交渉をしていない」と驚くべき理由を白状しました。官製談合の巣窟である防衛施設局に対して強い批判があったことは、まだ記憶に新しいのですが、出先機関である那覇防衛施設局も含め、防衛施設庁は国民に対して高飛車で不遜な態度を取り続けています。
 以前、嘉手納基地周辺の騒音被害を訴えた住民に対しても、「神経に問題がある」と差別発言し県民の猛反発を喰らいました。「沖縄県民は基地と共生すべき」との発言もありました。東村高江のヘリ基地建設について申し入れをした際にも「あの程度の基地は住民の負担にはならない」と担当職員が放言したこともあります。日本政府自体が沖縄への基地押し付けを何ら問題視していないのですから、末端の施設局職員が高慢な態度を取るのは当然の帰結なのでしょうか。
 防衛施設庁は防衛省に吸収され「正真正銘の軍隊の機関」に成り下がりました。その出先機関の那覇防衛施設局は沖縄防衛局わりました。変わったのは名前だけで、その酷さは変わりません。しかし私たちは粘り強く「軍隊の出先機関」との闘いを続けて行きます。
 ここに、一坪反戦地主会は「軍用地強制使用粉砕!」を目指して最大限の取り組みをしていくことを宣言します!共にがんばろう!



普天間の強制使用手続き開始に対する意見書を提出

いきなり強制使用の根拠は 
            「任意交渉しなくてもいい」という判決


 去る八月二八日午後、関東ブロックでは防衛施設庁を訪れ、普天間強制使用について「普天間返還はどうなったのか?」などの意見書を提出しました。そしてそれについて約四五分間、意見を述べてきました。
 参加したのは関東ブロックの五人、「手続きは不当」などと書かれた提出意見書は八人分でした。当日午後三までに関東ブロックあてに郵便で届いた意見書は一件でしたが、ほかに現地一坪反戦地主会へハガキで意見書を送付したと確認できたのが三件ありました。現地では多数の意見書が提出されました(2~3ページ参照)。
 任意交渉もせずいきなり強制使用は不当だという点と、普天間返還と「移設」の実情の二点――について主に追及しました。
 防衛施設庁では用地調整室の田中信明氏らが対応しました。彼らは①一坪反戦地主会の会員は会則で契約拒否をうたっており、合意契約は得られないと判断した、②今年四月二四日の那覇地裁判決では、「任意交渉をしなくても手続き上はかまわない」となっている(*)――と、いきなり強制使用したことについて自己合理化しました。
 関東ブロック側では「では、かつて意見照会前に契約確認したことがあるが、あれはどうなっていたのか?」と質しました。
 これに対して防衛施設庁は、①「在来地主(反戦地主を指す)については今回、任意交渉を行なった。一坪反戦地主会会員に対しては行なわない、②合意するかもしれないといってもほんの二、三人だけでは意味がない。二、三〇人ならば行なうかもしれない」――と回答しました。関東ブロックでは、「沖縄県収用委では任意交渉した実績については確認するが、それでまちがいないか?」と確認しました。また、防衛施設庁が死亡した地主の法定相続人に職権で一方的に相続手続きしているために、「会則を知らない会員ではない『一坪地主』が多数いることはどうなるのか?」と追及しました。
 これらは会員ではなく、合意契約して軍用地料を受け取るかもしれない存在です。会員の遺族とはいえ、契約拒否・反戦平和の意志はなく、勝手に地主にされて迷惑している人たちも多い。そういう地主に対しても、一律に任意交渉をしないで強制使用する、というのはまったく筋が通らない。
 また普天間返還は五~七年で返還するはずだったのに、いったいどうなっているのかと追及した。
 防衛施設庁はこの点について、これまでの米軍再編がらみの経過について「説明」しました。しかし九六年四月一二日の普天間返還合意は、今回の米軍再編と関係なかったはず。関東ブロックでは防衛施設庁の怠慢の結果にほかならないと、強く抗議しました。
 当日、防衛省では高村新大臣の下での防衛施設庁解体・新人事発令下で慌ただしい様子でした。正門前では小池前大臣が、平服で儀仗「兵」と記念撮影していました。この人は何を考えているのでしょう?対応した防衛施設庁担当者は下記の七人でした。

用地調整室田中信明/岩田暢子
米軍再編チーム伊藤補佐/辻補佐
施設企画局原技官
広報調査室花岡洋/吉田将
 
 *なお、同日の那覇防衛施設局への提出行動ではこの点について、同席した三宅弁護士が「判決は今回の件についてのものではない」と発言しています。
 その発言によれば「裁判は個別の問題について判決を出す。今回の問題(強制使用認定の手続き)については、まだ裁判さえ起こされていない。従って、那覇地裁判決は過去の個別の事例についての話であり、今回の強制使用認定の手続きとは関係がない。今回の使用認定について地主に会って使用承諾を貰いなさいとわれわれは言っていっている」とのことです。
 またその席上、「反戦地主であって一坪反戦地主でもあるケースではどうなるのか?」という追及も行なわれています。
 つまり「今回の強制使用対象の地主には反戦地主でもあるが、一坪反戦地主の会員でもある対象地主がいる。施設局は反戦地主には、使用承諾の許可を貰いに行くが、一坪反戦地主には使用承諾の許可を貰いに行く必要がないと言っている。その区分、その差別の根拠は何か。差別してよいという法律上の明文があるのか?」と。発言はいずれもその要旨です。
(吉田正司)



「シュクシュク人間」VS 辺野古実
――環境省と防衛省に申入れ

 
辺野古への基地建設を許さない実行委員会は九月十八日、参議院議員会館で環境省と防衛省への申入れを行なった。急に設定された申入れだったが、午前の環境省には十人、午後の防衛省には二十三人が参加した。昼休みを挟んで夕方まで、長時間にわたる申入れには参議院議員の山内徳信さんが同席し、辺野古実メンバーとともに両省を厳しく追及した。
 環境省からは環境影響審査室・藤井審議官ら六人が出席。藤井審議官はこれまでも出席しており、二月には、防衛省の行なおうとしている「事前調査」はアセス法違反ではないがアセス法の趣旨には反する、と発言していた。しかしその事前調査が強行されている現在、環境省の姿勢を問うと「事業者=防衛省がやっていることで、事前に環境に配慮するよう伝えており、環境省は見守るだけ」と繰り返す。
 この八月に環境省が「レッドデータブック」入りを公表したジュゴンへの調査によ
る影響についても「防衛省がやる調査なので責任を持つのは防衛省」という答え。さらに最近発見された大浦湾の大サンゴ群についても、サンゴ担当官もまだ実見していないと答えるものだから、実際に現地に見
に行くよう要求した。
午後の防衛省への申入れには、辰巳・地方協力企画課長ら六人が出席。アセス方法書の受け取りを沖縄県も名護市も保留している中、「公告縦覧」を強行したことを質すと、辰巳課長自身が「三十回沖縄に行って説明したが、説得できていない。公告縦覧実施は普天間基地移設のタイムリミットを優先した」という答え。「タイムリミットを言うなら普天間基地閉鎖をすぐ実施すべきだ」と参加者は異口同音に訴えた。今後について「よく説明してご理解とご協力をたまわり…手続きは粛々と…」と官僚答弁を繰り返すので、山内さんが「それではシュクシュク人間ではないか」と一喝。
七月二十一日の阻止行動参加者に対する暴力事件(酸素ボンベのバルブを閉めた)については「当事者から聞きとりをしたが、そんな事実はない」とニベもない答え。掃海母艦「ぶんご」出動の根拠を再度問うたが、自衛隊法三条ではなく防衛
省設置法第四条だと言いはり、さらに「ぶんご」の「出動は事実だが、その経路も人数も明らかにできない」と言うのに、「終わったことをなぜ隠すか」と山内さんが怒りの声をあげた。
前回の申入れ(六月十四日)の宿題「事前調査によるサンゴ損傷の調査」の結果を求めたのだが、「確認のための作業中」なので事前調査が終わるまで公表できない、という。同じ質問に環境省は「(防衛省からその)写真を見せてもらったが損傷はないようだ」と答えていたのだが、防衛省はすべてを秘密の壁でさえぎってしまう。
官僚の答弁を聞いていると、映画『スペシャリスト』をいつも思い出してしまう。自分の職務を忠実に果たしただけだ、とアイヒマン自身は思っていたのだ。(田守順子=戦争に反対する中野共同行動)

* 映画『スペシャリスト』=ナチス戦犯アドルフ・アイヒマンの裁判を描いた作品。ノーベル平和賞を受賞した「国境なき医師団」元総裁のロニー・ブローマンと、イスラエルの若手映画作家エイアル・シヴァンの共作。



辺野古のアセス方法書を撤回させよう

□県議会に「現況調査」中止とアセス方法書の撤回決議を要請しよう

 8月14日から9月13日まで公告縦覧されていた「普天間飛行場代替施設建設事業に係る環境影響評価方法書」(以下、「辺野古」アセス方法書または方法書)に対する住民からの意見書受付(防衛省沖縄防衛局)が9月27日締め切られた。

沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団(東恩納琢磨団長)は同日、沖縄防衛局に対しては、アセス方法書に対する意見書として、4月末から実施されてきている、法律違反の「現況調査(事前調査)」の中止、また、方法書としての要件を満たしていないアセス方法書の撤回を求め、同時に、9月沖縄県議会(会期:9月19日~1015日)に対しては、県民の総意として次の2点の決議を求める陳情を行った。

1.沖縄防衛局の違法な「環境現況調査」を即時中止させること。

2.  事業内容が明示されていない「方法書」を即時撤回させること。

沖縄平和市民連絡会(新崎盛暉代表世話人ほか)も同日、同旨の陳情を行った。県議会のこれまでの取り扱いから、この陳情は、米軍基地関係特別委員会(軍特委)に付託される見通しなので、1011日(木)開催予定の軍特委に向け、県議会に対する取り組みが急務となっている。

沖縄防衛局への意見書提出締切の27日までに、日本自然保護協会、WWF(世界自然保護基金)ジャパン、日本環境法律家連盟等の団体意見書がWEB上に公表された。一致して、アセス法違反の「現況調査(事前調査)」の中止、そして、アセス方法書としての要件が満たされていないからとして、アセス方法書の撤回等を求めている。

沖縄県環境影響評価審査会への傍聴活動に取り組もう

 報道によると、意見書数(27日当日消印郵便除く)は377通(沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団が集約・提出した意見書は156件)。ちなみに、前回(2004年)の辺野古沖(軍民共用)埋立案のとき、締切当日受付分は846通(締切日消印郵送分を含むと1175通)と伝えられるから、前回の半分以下ではある。

 現況調査(事前調査)中止とアセス方法書の撤回という、私たちの主張に反し、アセス手続きがこのまま推移するとなると、次の手続きは、方法書に対する住民意見の概要づくり(沖縄防衛局)→その住民意見概要の県や関係市町村への送付(前回は意見書締切04年6月16日から2か月余り後の8月31日)→60日以内(県アセス条例の適用を受ける飛行場建設事業)、また、90日以内(アセス法の適用を受ける埋立事業)の知事意見の提出という段取りとなる。

 この知事意見は、アセス手続き上、住民意見や関係市町村意見、沖縄県環境影響評価審査会(以下、審査会)答申を踏まえることになっている。そこで、9月県議会だけでなく、「現況調査」中止と方法書の撤回を求め、審査会への傍聴活動等(監視活動)への取り組みが肝要となる。審査会がアセス方法書を審査対象とするかどうかは、次項のとおり、県が方法書を受理するかどうか次第であるが、審査会では、たとえば、事業者(沖縄防衛局)が審査会に出向いて方法書の説明を行ったり、審査会の意向次第だが、住民意見の概要だけでなく、住民意見そのものの提出が求められる。審査会委員は県環境政策課サイトに常時紹介されているし、審査会日程も、同サイトに案内される(ただし、直前の案内となるので注意する必要がある)。

沖縄県等に対し、辺野古崎沿岸案容認姿勢を見直させ、日本政府を追い詰めよう

 沖縄県は、沖縄防衛局から8月7日提出された方法書について、方法書の受理を保留している。ちなみに、県は、アセス方法書開示請求(8月9日)に対し、翌日10日付で、「県へ提出するための前提条件が整えられていないことから、条件整理のため預かっている状態であり、(沖縄県)情報公開条例第2条第2項に基づく公文書には該当しません」という理由を付し、「公文書の不存在による不開示決定」を行っている。

 その前提条件として考えられるのは、滑走路1600m(日米合意)→1300mへの短縮、また、「可能なかぎり沖合に寄せてもらいたい」(以上、名護市)、「(名護市)提案が尊重される必要がある」「県外移転が困難であるという状況を踏まえ、同(普天間)飛行場の早期移転や危険性除去のため、県内移設も選択肢である」(知事公室返還問題対策課)、「訓練の分散や暫定的なヘリポート機能の整備など、あらゆる方策を検討し、3年を目途として閉鎖状態を実現」「現行のV字型案のままでは賛成できない」(県07年度重点施策)というものであろう。

 稲嶺恵一前知事は、辺野古崎陸上部分(兵舎地区)に、「あくまで(普天間飛行場の)県外移設が実現するまでの間の緊急的措置」として「暫定へリポート建設」を提起していた(06年5月4日)。ところが、県(仲井真弘多知事)は、県民に対し、説明責任を果たさないまま、普天間飛行場の県外移設前提の「暫定へリポート」(稲嶺前知事)から、県内移設容認、また、県内移設前提の「暫定へリポート」に政策転換をはかろうとしている。

アセス方法書に対する「意見集」を武器に世論づくりへ

 私たちは、971221日名護市民投票結果(新基地建設No!)を尊重し、かつ、私たちには、生物多様性のある豊かな辺野古沿岸域や大浦湾の自然を後世に引き継ぐ責務があるから、そもそも、この地への普天間飛行場代替施設(新基地)建設計画は無謀な計画であると考える。

 事前調査(現況調査)は、法律(アセス法)違反の行政行為である。防衛省や環境省は、アセス法違反ではないと繰り返すが、詭弁にすぎない。一切の説明責任を果たさないまま、その上、海上自衛隊(ぶんご)や海上保安庁を治安出動的に投入させ、現況調査を行った。アセス方法書も、具体的事業内容が一切不明であり、アセスしようにもアセスしようもない法律違反の内容となっている。

 法律は、ほんらい、権限(権力)の乱用・恣意性を規制するためにある。法律は、最低限のモラルともいわれる。このような権限の濫用、最低限のモラルに反した防衛省の法律違反(環境省の加担)は、断じて、許されるものではない。

 アセス監視団は、アセス方法書に対する意見書を収集し、公表可能な意見書について、その編集・発行を予定している。この意見集を武器に、防衛省や環境省(日本政府)、沖縄県、県議会等への働きかけを強めたいものである。(9・29教科書検定意見撤回を求める県民大会」に結集した11万人に感銘を受けながら、07年9月30日記)

土田武信(沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団・副団長、ジュゴンネットワーク沖縄事務局長)



「編集後記」

  教科書書き換えに抗議、県民大会に一二万人

九月二九日午後、宜野湾海浜公園に集まった沖縄県民は一二万人。来年度の高校歴史教科書で、沖縄戦の「集団自決」に軍が関与したという部分が検定で削除されたことに対する怒りの集会だった。県知事も県議会議長も参加し、九五年の米兵による少女レイプ事件抗議集会(八万五千人)を超える規模。

文部科学省は、削除は教科書審議会が決定したことで自分達は関与していないと逃げた。しかし事実は違っていた。

その審議会は文部科学省職員の教科書調査官による教科書調査によってそのまま検定意見が決まっていた。ズバリ、文部科学省が削除を要求してそれが集団自決への軍命令削除になったのである。

「沖縄をなめてはいけない」、「地上戦で犠牲にされた歴史的事実を、なかったことにするのか!」と、沖縄県民は厳しく政府に迫っている。詳細は次号に。

この県民大会の決議文を携えて、超党派の抗議団が一〇月一五日と一六日に政府・文部科学省に抗議を行なう予定だ。

東京沖縄県人会では「日本軍の存在と誘導・・・は歴史的事実」とする「修正指示の撤回を求めるアピール」を決議した。私ども関東ブロックでも文部科学省への抗議行動に参加し、沖縄県民の差別に強い抗議をすべきだと考える。

 法的根拠はなかった「ぶんご」出動

関東ブロックの連続学習会・第二回が去る九月二八日夜、開催された。講師の前田哲男さん(軍事ジャーナリスト)はその講演で、去る五月一八日早朝から掃海母艦「ぶんご」が辺野古に出動したことについて厳しく批判、出動の法的根拠はまったくないこと、「掃海母艦」というのも実は「機雷敷設艦」と呼ぶべきところをたくみに回避している――などと語った。参加者は三五人。詳細は次号。

 トクシンさんと共に防衛省・環境省を追及 

関東ブロックも応援した山内徳信さんが参議院議員になった。当選まもなくの去る九月一八日、関東ブロックなど三五団体で構成する辺野古実行委員会の防衛省・環境省への申入れに同行、両省を厳しく追及した。
 トクシンさんは環境省に対して「共に人間として、協力しあ
おう」と友好の呼びかけ。他方、防衛省とは去年うるま市でのPAC3阻止行動で排除された時の顔見知りの担当者とバッタリ。「おう、君だったか! あの時はくやしかった。国会議員になろうと思ったのは、あの時のくやしかった気持ちもある。こちらに着任しても、沖縄県民のことを考えてやってくれよ」。しかしその後、「何も知らないと思って言っているのか?!」と厳しい批判も飛び出した。(Y)




関東ブロックの連続学習会・第二回=新崎盛暉氏の講演は去る八月一七日夜、中野商工会館で開催。参加者は五二人でした。当日参加した斎藤聡さんが自分のブログにレポートしていました。その全文を本人の了解を得て転載します。斎藤さんのブログURLSightsong

民衆連帯の契機になり得る

米国の慰安婦決議

                                     齊藤聡

沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの方に誘われて、新崎盛暉氏の講演「沖縄から見る安部政権の歴史的性格 ― 辺野古への海上自衛隊出動の背景を探る」を聴いてきた(二〇〇七/八/一七、中野区立商工会館)。参加者はいつの間にか増えて四〇人くらい。新崎氏の説明は、これまでの著作(最近の『基地の島・沖縄からの問い―日米同盟の現在とこれから』)と同様に、とても明解で納得できるものだった。

配布されたレジュメには、最近半年間の出来事として、①教科書検定における「集団自決」書き換え指示(三月)、②辺野古への海上自衛隊出動および米軍再編特措法成立(五月)、③米国下院での「慰安婦決議」採択(六月)、④参院選で自民党惨敗(七月)、が挙げられている。これらの一連の出来事が、「イデオロギー的には極右に純化したが極めて危うくもろい」安部政権の意図を反映したものだという説明がなされた。

参院選の結果を受けて首相退陣論が云々されているが、その背後では淡々と米軍再編特措法の施行令が閣議決定されている(二〇〇七/八/一五)。つまり、選挙とは関係なく、政権の政策はあくまで続いているということだ。メディアに頻繁に登場するのは靖国参拝問題、防衛省内のイニシアチブ、首相のテレビ目線問題(笑)といったところだが・・・。

新崎氏の指摘は以下のようなもの。

○八二年の教科書検定時よりも今回の指示のほうが政府による姿勢が強い。
○八二年には、日本軍による沖縄住民虐殺部分の削除、他国への「侵略」を「進出」に書き換える、などの指示がなされた。沖縄で問題視されたのは前者だが、ヤマトゥやアジア諸国で報道され抗議の声があがったのはむしろ後者だった。その結果、教科書検定の基準に「隣国条項」が盛り込まれた。しかし、これは歴史への認識についてではなく、感情に配慮するという本質的でない考えであった。同様に、沖縄県民の感情に配慮、とする意見も、歴史のことはともかく気持ちはわかる、ということであるから限界がある。
○「国民保護法」では武力攻撃にあったときに国民をどう保護するのか、自治体に計画策定を求めている。都道府県は全て策定したが、期限を過ぎても作っていない市町村が七〇以上ある。そのうち沖縄県内が二七であり、これは沖縄県の市町村数の過半数にのぼる。有事の際に、「住民を守るどころか死に追いやる軍隊」という沖縄の歴史が、それに影響している。
○防衛庁から防衛省への昇格、それにともなう海外活動が本来任務に組み込まれたこと、さらには自衛から米国の海外での戦争への協力、という動きのなかで、日本軍に対する歴史上のマイナスイメージを背負うわけにはいかないという考えがあるのだろう。
○沖縄戦における軍の住民虐殺の前に、イメージ払拭の標的とされたのが「慰安婦」問題だった。しかし、米国下院での圧倒的多数での決議(日本政府が歴史的責任を認め謝罪すべし)は、現政権の挑発が自ら招いたものだ。具体的には九三年宮沢政権時の「河野談話」(慰安婦問題への官憲の関与を認めた上での「お詫びと反省」)を撤回しようとする動き、そして「強制性」には「広義」と「狭義」があり、慰安婦問題は「狭義」にあたらないとする首相の発言、さらにはその後の訪米時の取り繕い、といったところ。
○米国下院での「慰安婦決議」に対しては、日本のメディアでは、「米国にも現政権がやられた」(と喜ぶ)、「日米同盟に亀裂が入ってしまう」、「米国だって原爆や住民の無差別虐殺などをしたではないか、とする反発」が見られた。また、決議案を提出したマイク・ホンダ議員に対する誹謗中傷が多くなされた。しかし、実際には、ホンダ議員は敵性外国人として収容された経験もある日系人であり、また、リベラルな中国や韓国のアジア系米国人の考えが決議として実ったものだ。
○確かに米国は米国自身の責任を問うていくべきだ。しかし、これを、同盟や政治や国籍を超えて、平和に対する民衆の連帯に向けた契機と捉えるべきではないかそしてこの民衆の連帯をとりこんでいくことが、私たちに必要なことではないか
○戦争体験を持つ人々が次第に少なくなってきている。一方、世代を超えて歴史的体験を共有する可能性は、社会的体験や後天的な学習を通じて存在する。『ヒロシマナガサキ』(日系のスティーブン・オカザキ監督)は極めて練度の高い作品であるし、『ガイサンシーとその姉妹たち』(日本に留学したことがある班忠義監督)の影響力は大きい。二人とも戦後生まれだ。そのような世代の感性を取り込む工夫が必要とされている。
○辺野古への「ぶんご」派遣に関しては、政府には「住民に銃口を向けた」つもりすらないのではないか。これまで中曽根政権などがやりきれなかったことを、軽々と、軽薄にやっていることが極めてあやうい。
○参院選の結果、与党から第一野党に票がシフトしただけであり、無党派もそこに吸収されている。そして第一野党の民主党にも前原前代表のような自民党に近い議員もおり、決して選挙結果が政策の選択によるものではないことに留意する必要がある。
山内徳信氏が、比例区で個人名記載の票を多数獲得したことは大きな評価にあたいする。糸数けいこ氏とあわせて二人の、沖縄問題に取り組んでもらえる議員の役割を考えるのは、私たちの仕事である。

今回、私としては、米国下院の「慰安婦決議案」を、個人が垣根をこえて平和を希求するうえでの連帯のきっかけになるものだ、とする見方に、大きく心を動かされた。
 最後に、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックから、辺野古基地建設のための「えせアセス方法書」が縦覧されていること、それに対して那覇防衛施設局や防衛省に意見を送るべきとの働きかけがあった。私も何らかの考えを送るつもりでいる。



自衛隊基地強化、キャンプハンセンの日米共同使用を許すな

沖縄の陸自第一混成団が旅団化 

日本政府は二〇〇四年一二月の「新防衛計画の大綱」で、アジアをにらんだ西南方面重視の自衛隊の部隊の配置を打ち出しました。この大綱で「新たな脅威や、多様な事態」として「島嶼(とうしょ)部に対する侵略」があげられました。島嶼防衛が重視されて沖縄の陸上自衛隊の第一混成団の旅団への格上げ(一九〇〇人から三〇〇〇~四〇〇〇人規模へ)と、那覇基地のF4戦闘機のF15戦闘機への配備替えと自衛隊の強化が決定しました。

 さる八月防衛省は、〇八年度の予算概算請求で、旅団化にむけての司令部庁舎の建設費と、F4戦闘機をF15戦闘機と入れ替える予算を計上しました。また、〇九年度には、人員増の予算を計上するとの方針とのことです。政府は自衛隊の強化にむけて本格的に動き出しました。

 さらに、旅団化の一環として、宮古島への二〇〇人の戦闘部隊の配備や、沖縄市の返還軍用地への陸上自衛隊射撃訓練場の建設、宮古島への電波測定基地の建設と自衛隊基地の強化も進められています。沖縄を自衛隊の最前線基地化する、これらの動きを許してはいけません。

下地島空港(民間パイロット訓練場)が自衛隊基地化の動き

 下地島空港の自衛隊基地化の動きが最近また出てきています。同空港への自衛隊の訓練誘致や自衛隊基地化については、二〇〇一年、二〇〇五年に住民の闘いで阻止してきた経過があります。にもかかわらず〇六年二月、自衛隊那覇基地司令官の「中国脅威を理由にしての下地島空港の軍事利用」発言、今年四月の久間防衛相(当時)の自衛隊使用が望ましいとの発言(しかも空港の平和利用を政府と確約してある屋良確認書の廃棄まで言及)に引き続く、六月の自衛隊使用を重ねて要望するとの発言など、軍事利用の発言が相次いでいます。

 地元の人々は、政府が本格的に下地島空港の自衛隊基地化にのりだしてくるだろうと危機感をもって「未来永劫、下地島空港のいっさいの軍事利用に反対し、軍隊に依らない平和的利活用をもって宮古島の自立した経済発展と活性化を追求する」として立ち上がっています。

海兵隊基地キャンプハンセンの日米共同使用へ

 在日米軍再編の最終報告で日米合意した、キャンプハンセンの日米共同使用が年内にも始まろうとしています。米軍再編の目的である、日米の軍事的一体化が沖縄の米軍基地で進められます。

 陸自の第一混成団は、県内に実弾射撃訓練場がなかったので、これまでは九州の演習場で訓練を

行っていたのが、これからはキャンプハンセンで自衛隊独自の訓練や日米共同の訓練を行います。

このことにより沖縄の陸上自衛隊の戦闘能力が飛躍的に強化、キャンプハンセンでの日米共同使用は、将来的には海兵隊基地の自衛隊への肩代わりをねらっていることはあきらかです。

 キャンプハンセンでは、米軍の陸軍特殊部隊用の射撃訓練場の建設が相次ぎ、反対の声が強まっています。日米共同使用に対しても地元は「負担増」であるとして反対にたちあがっています。

沖縄の自衛隊基地強化をゆるさない闘いを 

辺野古、高江への基地建設を許さない闘いとあわせて沖縄の自衛隊基地の強化を許さない闘いを強めていかなければなりません。                       (木村辰彦)




9・29教科書検定意見撤回を求める県民大会報告 

「沖縄をなめたらあかんぞ!」と、会場入り口でビラまきをしていた金城実さん。

会場には多くの顔見知りがいた。どの顔も生き生きと輝いていた。

9月29日午後3時から宜野湾海浜公園で、県議会や婦人会、遺族連合会など22団体の実行委員会と、247の共済団体が超党派によって「教科書検定意見撤回を求める県民大会」が開催された。

本大会は文部科学省による、高校歴史教科書の検定で日本軍の強制による「集団自決」を削除させたことに対して、沖縄人の意思表示の場である。集会開始1時間半前から、各地域の青年団、婦人会、学生や高校生、中学生のグループ、会社ぐるみ、家族一家、戦争を体験したオジー、オバーの参加等々続々と集まり、開始30分前にはすでに6万人を超えた。集会が始まっても会場に向かう人の波は一向に途切れることなく続く。ついには本会場に入れない人々は、周りの小公園や通りにまであふれた。集会場の後方は座っている人を掻き分けトイレや場所の移動がかろうじて出来るが、それより前方は、立錐の余地もなくジリジリと40度を超えようかとする灼熱の中、集会が終わるまで全く動けない状態にあった。でも多くの参加者は発言に耳を傾け、時にはうなずき声を出し、拍手をしたり熱心に聞き入っていた。

大会は、諸味里PTA連合会会長の「県民へのアピール」に続き、仲里大会実行委員会(県議会議長)、仲井真知事、中山教育委員長、翁長那覇市長、古渡県夫人連合会長、読谷高校生、青年団協議会長など次々と挨拶が行われた。多くの発言者が自己の戦争体験を通し、国(文部科学省)の横暴な対応に心底からの怒りの訴えで、聞く人の心を揺さぶった。ただ、仲井間県知事の発言は、原稿の棒読みで心も全くこもっていなかった。それに比べ、若い高校生や、青年団の発言は、心を打つものがあった。読谷高校生は、オジー、オバーから戦争の悲惨さを教えられ、二度と戦争をしてはいけないことを学んできた。文部科学省は、オジー、オバーが嘘をついているとでも言うのでしょうか?嘘を真実といわないで欲しい。戦争を美化しないで欲しい。真実を知りたい。学びたい、そして伝えたいと結んで、参加者から多くの拍手を受けた。また青年団会長は、先輩たちが戦後復興で頑張ったお陰で、エイサーや郷土芸能を守り発展させる事が出来た。歴史を捻じ曲げようとする圧力に対し、県民のみなさんと共に検定意見撤回まで頑張りたいと力強く訴えた。

今回の県民大会は、主催者の目標を大きく上回る大結集となった。その大きな理由は、沖縄人の悲惨な戦争体験による、非戦反戦の気持ちを無視し踏みにじる国(文部科学省)

対応に対する沖縄の怒りである。教科書検定調査審議会のでたらめさがますます明らかになる中、これまで硬く口を閉ざしてきた戦争体験者が、意を決し重い口を開き国に対し直接対峙した事が、保守革新を越え経済界まで巻き込む大きなうねりとなった

この「集団自決」検定問題に妥協的解決はない。国が折れるか、沖縄が国に屈服するかどちらしかない。その答えに、今大会で沖縄の人々は明確な答えを意思で示した。

「軍命による『集団自決』か、『自ら進んで死を選択した』殉国美談を認めるかが問われている大会だ。今こそ県民が一丸となって立ち上がり、教科書から沖縄戦における軍隊による強制の排除に断固ノーと叫ぼう」仲里実効委員会(県議会議長)

国は圧倒的権力であらゆる手を駆使して潰しにかかるであろう。その圧力の中で沖縄が、戦争の悲惨さ、非戦、反戦の心を失わず、一致団結して闘うことが出来るかこれからが本当の闘いである                    2009年9月29日  久貝


<Vol.190(07.28)>

市民運動と選挙

私たちの議員が誕生した

一坪反戦地主会・関東ブロックは結成以来初めて、公式に選挙支持を打ち出し投票を呼びかけました。その山内徳信氏が当選しました。関東ブロックの呼びかけに応えて、山内氏に投票してくださった皆さんありがとうございます。

 開票の翌日、当落が確定した直後に、私は投票依頼をした何人かの人たちにお礼のメールを打ちました。それに応えて、沖縄県人会の人から次のような返事が返ってきました。

 <川平です。比例代表は迷わず、山内徳信さんに入れましたが、今朝の朝日を見たら、糸数さんは良いとして、社民は又市征治さん一人となっていたので、がっかりしていたところでした。 よかった、よかった。>

 山内氏に投票して同じ気分に落ち込んだ人は多かったようです。当選した山内氏も、もちろん嬉しかったに違いないが、支持し投票した人たちの方がもっと喜んだようです。

 「自民党惨敗」という結果になりましたが、躍進した民主党が憲法問題や米軍再編問題で自民党の方針を踏襲する可能性は残っています。今回の選挙結果を手放しで喜ぶ訳には行きません。

 当落確定の三十日夕方には山内徳信氏が、三十一日の午前には糸数慶子さんが辺野古に駆けつけたと聞いています。この選挙結果で辺野古や高江で頑張り続けてきた人々に明るい笑顔が戻ってきたということです。新基地を作らせず、今ある基地を撤去させるために、更に力を合わせて行きましょう。 

一坪反戦地主会・関東ブロックは二月の定期総会で山内徳信氏の参議院選立候補を支援しようと決めた。それは同氏がこれまでに辺野古の基地建設阻止活動に如何に真剣に取り組んでいるかを見聞きし、同氏が議員バッジをつけて阻止行動の先頭に立ちたいと言っていたことに共感したからである。

 私は四月末にほぼ一年ぶりで帰省し、大雨の中のキャンプ・シュワブ包囲行動に参加し、その後一坪反戦地主会の総会に出席した。そこでは一緒に行った本村君が関東ブロック定期総会の報告をしたが、山内徳信氏の選挙を関東ブロックとして支持すると言うことについてはほぼ黙殺された感じで、反応はなかった。

 関東ブロックは方針としては決めたものの、暫くは別にこれと言ってすることはなかった。しかしその間に、『一坪反戦通信』の号外という形で山内氏を紹介するカラーチラシを作ったが、それは好評を呼んだ。

 昨秋の知事選挙では候補者選びのごたごたを遠くから眺めていて、非常に歯がゆい思いをした。糸数慶子参議院議員は「私は国政に専念します」「先輩を差し置いてさしでがましいことはしません」と言っていたので、革新統一候補は山内徳信氏にほぼ決まったかに見えた。しかしながら、私の目には全くのどんでん返しのような、糸数候補への切り替えが行われた。

 証拠は出せないが、私はこの山内おろしには首相官邸から、庶民の目には見えない巨額の金が流れたに違いないと思っている。

 山内氏が社民党公認という立場で立候補するということになって、沖縄では一坪反戦地主会も平和市民連絡会も「特定政党の候補者は支持しない」という原則に従って、山内選挙への関わりを断ち切ったように見える。関東ブロックの中にも特定政党の候補者を支持することには賛成できないという意見があった。

 しかし、私は思う。日常、基地建設阻止行動では共に手を携えて行動し、知事選では統一候補に擬せられた人物が、選挙制度上、統一候補という形が存在しない参議院比例区に出馬するとなると、手のひらを返すような対応になるのは変な話だ。

 関東ブロックは社民党を支持したのではない。私たちの主観的な支持はナンセンスと非難されるだろうが、私は社民党と無関係に山内徳信を支持したのである。社民党は山内氏と立候補協定を結んだとき、東京都国立市の前市長・上原公子の擁立についてどであったか知らないが、関東地方では社民党の比例区候補は上原公子だけという宣伝(山内徳信を社民党候補ではないという宣伝)が行われるようになった。私は憤慨した。──しかし、抗議はしなかった。抗議して訂正されるような事態とは思えなかったから。それは社民党という政党のあり方に対する不信である。

 共産党にしても、辺野古では一緒にスクラムを組みながら、そして、知事選候補のときは山内氏を推薦していながら、比例区選挙には山内氏に対抗する独自候補を立てて、山内氏への票の流れを防いだように思える。立候補は自由で文句の付けようはないが、しかし私のような、感性だけの人間には、辺野古の基地建設阻止よりも、「わが党」の勢力拡張が大事というように見えて仕方がない。

 政党に引き回されないようにしようとの市民運動の警戒心はわかるつもりだが、そこにとらわれて、今回の山内選挙にそっぽを向いて、何のメリットがあったかなと思う。たぶん、私が想定している一坪反戦地主会や平和市民連絡会の個々のメンバーは、山内氏に投票したに違いない。そして、それで当選したのだから文句はないだろうと言われるかも知れない。

 市民の政治的自由とは何だろう。市民団体は、誰かが政党公認になると支持しないと言わなければならないのか。山内氏を支持すると言いながらも、立場上それを公表されては困るという自治体議員も結構いたようだ。なぜ、私たちはこの候補者を支持すると公言できないのだろか? 何時になったらその状態から脱却できるのだろう。

 私と関東ブロックの多くの仲間は、山内徳信を支持すると宣言して運動した。そうすべきではなかったと思っている人たちの、見解を聞いてみたいものである。

           (上原 成信)



     2団体が那覇防衛施設局に突きつけた声明文

那覇防は「そういう報告は聞いていない」、「バルブ閉めはなかった」で押し通した。

 

那覇防衛施設局                                2007722
 局長 佐藤 勉 殿              ヘリ基地建設反対協議会
                            平和市民連絡会


   
  辺野古新基地建設に伴うアセス法違反の事前調査(環境
    現況調査)受注業者による危険行為に対する抗議と謝罪
    を要求する声明


 那覇防衛施設局は、20074月から新基地建設のための環境現況調査を開始した。これは2014年完成を既定方針し、それに間に合わすべくアセス法に依らない違法な事前調査である。
 政府は518()19()20()に自衛隊をも投入し、未明から調査機器設置作業を強権的に実施した。69()10()にも継続作業を実施した。
 それ以降、未設置の機器設置作業とそのメンテナンス、さらにサンゴなどの海洋生物の生息状況を把握するライン調査作業が継続されている。
 私たちは非暴力による新基地建設阻止、違法な事前調査阻止行動を進めている。
 721()12時すぎ、辺野古の海で作業をとめる行動の中、いであ()の作業員が海中で平良夏芽さんの空気ボンベのバルブを閉め、夏芽さんは窒息状態となり急浮上した。空気ボンベは残圧20050しか消費されておらず、あきらかにバルブを閉めた結果である。これは人命軽視の危険行為であり、許されるものではない。
 那覇防衛施設局は前回のボーリング調査と違い、今回は現場に責任者を配置しない無責任体制をとりながら、他方では事業者にノルマを課して事業を強制しているため、暴力行為を誘発させているのである。ゆえに、我々は今回の暴力行為を故意の危険行為と断言する。
 私たちは今回の危険行為に関し、いであ()と那覇防衛施設局に対し厳重に抗議し、謝罪を要求する。
 また、ここに改めて基地の押し付けを糾弾し、違法な事前調査の中止と新基地建設計画の白紙撤回を要求する。                          (以上)


緊迫する高江のヘリパッド配備作業

                         三多摩ピースサイクル 平田一郎

827日夜から31日朝まで辺野古と高江に行ってきました。

夏芽さんの潜水中バルブ閉め事件もあり、ただならない状況かと、辺野古実で友人と入れ替わりで辺野古と高江に行ってきました。5月中旬の掃海艦ぶんごの出動、6月中旬の台風通過、数回のジュゴンの遊泳の撮影、山内さん、糸数さん、東京での川田さんの参院選での当選、自民党の大敗しました。辺野古の新米軍基地建設をめぐり状況が大きく動いています。

今回ぼくもおっとり刀で、シュノーケルで海につかったり、カヌーの転覆訓練もさせてもらいました。

また高江では、やんばるの実に豊かな山と海と空をみて道路わきに泊り込んできました。

夏芽さんは海中で何回も指をひんまげられ、日常的に殴られ蹴られてたたかっていました。僕が行った日はバルブ事件後初めて海に潜ったといっていました。

高江では小さい集落のなかでも、たった四家族が子供たちを連れて、ジャングル戦闘訓練のヘリパッド基地建設を阻止し続けていました。きびしいたたかいがありました。豊かなやんばるの山々と動植物に囲まれて、これを守ろうとする人たちと、ヘビやカエルや野草をたべながら戦場をサバイバルする戦闘訓練場からいまにも海兵隊員がヌッとでてきそうな森でもありました。防衛省はあきらかに辺野古と高江を分断し、米軍基地建設の攻撃を広げてきていました。

少数のたたかいに見える辺野古と高江のたたかいですが、多くの人々の支援も目の当たりにしました。民医連の70人もの訪問団が夏芽さんを囲んで平和講座をし、辺野古の現場を実感していました。今回で1300人になるといっていました。高江では、ヘリパッド建設現場への林道入り口に一人二人で座り込み、やってくる業者に語りかけ、引き上げさせていました。

今回、実に幸運だったのは、沖縄の人々の10万票という投票を得て当選した山内徳信さんが当選翌日に辺野古、高江をたずね、うれしさが顔いっぱいのおじいおばあや夏芽さんたちと熱い握手をしたのを目撃できたことです。「これで金城裕治さんにうれしい報告ができる」とおばあたちは口々に言っていました。

まだまだきびしいたたかいはつづくと思われますが、辺野古実のみなさんとともに、反動右翼の石原都政と、ぐらついた安倍政府のあしもとから、沖縄でのたたかいに連なって私たちも精一杯たたかっていきたいと思います。

アメリカ議会で「慰安婦」被害者に明確な謝罪と補償を行えという決議があがりました。「アメリカで決議があがったから」でなく、「アメリカでさえ決議をあげたのだから」とバウネットのフォラムで東澤弁護士が言っていましたが、戦後そのまんまになっている戦争責任問題、在日米軍問題をいま、歴史的な問題としてたたかっていきたいと考えます。

喜びがこぼれるような山内徳信さんと辺野古、高江の人たちの写真をお土産にできて何よりでした。


追悼・高田普通夫さん(一坪反戦地主)

残念!! 会いそびれてしまった・・・

 高田普次夫さんは、とっても優しくて、大きくて、謙虚で、ユーモアもあって、一緒にいると心が温まってくる、そんな人だった。

 亡くなられた六月一四日は、ちょうど沖縄に出かけた日だ。沖縄の南風原(はえばる)で織物修行を続けている松井裕子さんと、近く来京する折、一緒に高田さんに会いに行きましょうと約束していたところだった。松井さんの南風原の住居は、高田さんがお世話してくれたものだった。それに、かねてより高田さんのお話をもっとしっかり聞きたいと思っていた私は、六月以降昼間の時間がとれるようになるので、高田さんにその旨お電話でお願いしていたところでもあった。

だから沖縄から戻ってきて、上原成信さんからの高田さん逝去のメールを見た時は、ショックだった。たしかにここ二、三回、電話の向こうの高田さんの声は弱々しく、気にかかっていたところだった。何でもっと早くお訪ねしなかったのか、悔やまれてならない。

後日、裕子さんと一緒に高田家を訪れた。ご家族だけで密葬を、というのが高田さんの遺言だったが、私たち同様、遠慮しつつも、どうしても高田さんに直にお別れをしたい、という思いの人々が訪れているようだった。

高田さんの書斎の机の上に、お骨と写真が花で飾られていた。私は、一人の凛とした琉装姿の女性の写真に目が止まった。高田さんは、父親についてはほとんど語らなかったが、母親については、生みの親と育ての親がいて、育ての親をとても大切に思っていると語っていた、その女人だった。

一九一九年、シンガポールに生まれた高田さんは那覇で育ったのち台湾や満州、インドネシア、中国各地で学び、仕事をし、あるいは兵士として巡り歩いてきた。敗戦後は在日米軍の通訳を長く務めたあと、貿易関係の仕事をしていた。高田さんの父親は、さらにダイナミックな人生を送った人のようだった。西銘順治元知事とは一門とのことで、高田さんの故郷も久高島や与那国とのことだった。  

高田さんの優しさは、年輪を経た上で醸し出されてくるものだった。どれだけ大勢の人たちが助けられたことだろう。私の場合、何かの席でふともらしたことを高田さんに聞きとがめられて、後に食事に誘っていただいて、アドバイスを受けたり、息子と二人で、高田さんから思い出話や息子へのアドバイスをしていただいた。

私が高田さんと出会ったのは、一九九九年に設立された「米軍人・軍属による事件被害者を支え、損害賠償法をつくる会」でのこと(詳しくは『安保は人をひき殺す』森口豁著、高文研を参照)だ。事務局長に就いた上原成信さんが誘ってくださったのだろう、高田さんは共同代表に就いてくれた。あの辛口の批評眼をもつ成信さんが信頼をおいていた稀有な人物であった。

高田さんと成信さんは、沖縄県立第二中学校(現・那覇高校)の先輩後輩の関係だ。私たちはのちに二人のお爺の話を聞く「ジイ・プロジェクト」という会を催した。楽しみにしていたが、数回限りになってしまった(この時の話は、また別の機会にご紹介できると思う)

ありがとう、高田さん  
          加藤賀津子
(基地はいらない! 女たちの全国ネット) 


高田さんを偲ぶ    クバぬ(ふぁ)ぬ世(ユー)?  

「吉田君、『法治国家』って何か、わかる?」と、故・高田普次夫さんが私に聞いた。「国家が法に拘束される、という国家だよ」という。私にはわからなかった。高田さんは「国民が法に拘束・規制される」のではない、ということを言わんとしていた。

この考え方によれば、法による国民の権利制限だけを見るべきではない。反対に、国家にこそ法の縛りがかかるはずのものなのだ。国家は制限がかからなければ、必ず暴走する。その点、国民は暴走しようにもその力はない。だから国民は法規制の対象ではなく、国家こそがその対象だというわけである。

戦争準備のための法案を政府が次々と繰り出して来ていたその時、たしか高田さんは地元・杉並区が扶桑社の歴史教科書を採択することへの反対運動をしていた。採択は戦後民主主義下の歴史観を転倒させ軍国主義化するとして、「そもそも憲法に国家が拘束されるはずだ」と「法治国家」論を説いたのである。

「そうでないと、君、『放置国家』になってしまうじゃないか!」。

 出ました! 高田さんのダジャレ、彼はダジャレの名人。高田さんと一緒に山手線に乗っていたUさんの談。高田馬場に着いた時、「ここは『高田の馬場』だよ、我が家にいるのは『高田のばばぁ』だよ、と面白くおっしゃいました」。・・・もう、どうしょうもない。

彼は一九一九年シンガポール生まれで、三歳の時に沖縄へ「帰った」という。旧姓が宮城普次夫。「普次夫」の「普」は門中(*)を示している。伊波普猷(いは ふゆう)の「普」も同じで、「昌」とか「朝」とかつく名が沖縄人には多い。母は高田姓だという。那覇の小学校、県立二中(現・那覇高校)、旧制台北高業に進み、旧満州に出征した。

     ムンチュー。父系の血縁集団。日本「本土」の「同族」にも類似。

彼は博識だった。太田朝敷(**)の「くしゃみ論」についても、私は彼から教わった。

太田は現実主義的立場から、沖縄の日本「本土」同化論を説いた人物。彼はくしゃみまで「ヤマトゥグチ(標準語)でしなくてはならん、と言った」というブラック・ユーモアである。

     *戦前『琉球新報』の論説記者、後に社主。自由民権運動や謝花昇、頑固党には批判的だったという。一八六五年~一九三八年。

彼は沖縄史の民衆からみた時代区分は、ハダカぬユー→クバぬ(ふぁ)ぬユー→ヤマト世→ア

メリカ世→ヤマト世となる、と言っていた。ヤマト世→アメリカ世→ヤマト世とはよく聞くが、ハダカぬユー、クバぬ葉ぬユーとは聞いたことがない。面白い時代呼称である。クバぬ葉ぬユーとはだいたい感じはわかるが、もしかして高田さんの独創だったのだろうか?

高田さんはいま、向こうに行って「吉田君、クバ笠をかぶってみなさい。よクバかる

はずよ」などと、ダジャレを飛ばしているのではないだろうか?     
                         (吉田 正司)

     一坪反戦地主だっ

た高田普次夫さん。

▼クバ笠

 



「第四回チバリヨーなかの」で、とことんゆんたく

 関東ブロック、沖縄の基地強化の現状を訴え

 

 参院選の投票日七月二九日(日)に、今回で4回目となる「チバリヨーなかの 平和・自治・環境・福祉とことんゆんたく」が開催された。東京の中野区職員労働組合の沖縄スタディー・ツアー参加メンバーが、山内徳信さんの読谷での闘いに出会うことから始まった「チバリヨーなかの」。一坪反戦関東ブロックも他の市民団体と共に、第1回から参加してきた。第一回は徳信さんを中野区長と対談させるという趣向であったが、その徳信さんが辺野古基地建設反対のため参院選で闘う中、自らの足場・中野で「平和・自治・環境」を考える企画は深まりを持てたであろうか。

 前二回が中野区の施設を使ったのに対して、今回は東中野の映画館「ポレポレ座」の一階展示スペースを使用した。「ポレポレ」で上映中の沖縄映画とも連動させる形となった。新しい試みとなったが、無味乾燥な区の施設で一階(展示)と二階(トーク)とに分かれた前二回に対し、普段は写真の展示や小さなライブでも使用する「ポレポレ」の展示スペースでの今回は、「とことんゆんたく」することに主眼を置いたのである。

 私たち一坪関東のブースでは、辺野古基地建設反対を訴える展示をはじめ、東村・高江のヘリパッド建設反対闘争のカンパとなる物品販売や辺野古のもずく販売などにとりくんだ。他の団体も自らの普段の活動を紹介するべく、趣向を凝らした展示を行っていた。そしてそれらの展示をバックとして、真ん中のスペースで各団体がアピール・問題提起・歌や踊りの披露を行った。「とことんゆんたく」としては、それらのアピールが相互に交流することを狙ったのである。 

一坪関東のアピールは一番最後(トリ)であった。「復帰三五年を問う」と題して、自衛隊投入された五月一八日前後の辺野古の阻止闘争のビデオ()を上映しながら、復帰三五年してますます強化される沖縄の基地の現状を訴えた。

 中野(東京)と沖縄の反基地闘争をつなぐ試みを、さらに継続していきたい。

(小野信也)

    「チバリヨー」は「がんばれ」、「ゆんたく」は「おしゃべり」の意味

    上映された辺野古の阻止闘争のビデオは自主制作のもので、あらまし次の通り。

(闘いの)テントが建った。

「違法な『事前調査』に海自艦投入=琉球処分」の横断幕。

 米軍キャンプ・シュワブ内にある那覇防衛省施設局の監視小屋。

 深夜から座り込みで道路を封鎖。

(辺野古を)「守るというみんなの気持ちで、座り込みを続けよう!」。

海上保安庁のヘリ、巡視艇など多数が海上に現われた。

那覇防の調査船、保安庁のゴムボート、「平和丸」。

保安庁のダイバー4人が海中に。カヌー隊からも潜る。

まるで「ウミザルだよ!」[海上保安庁のこと]。 

保安庁「離れてください」「危険ですよ」。

反対派「キャンプ・シュワブが何か知ってますか?」。

(イラクで)6,000人殺したのはここです」。

「戦争だからしかたない、ではありません」。

「考えなさいよ。人の命を守りたいから保安官になったんじゃないか?

「クニ()のためという言い訳は通じませんよ」。

 



      名護市議選の当選確認訴訟続く

 二人の候補の得票は同数か?

昨年9月に行われた名護市議会議員選挙で、辺野古基地建設反対派の東恩納琢磨(ひがしおんな・たくま)新候補がわずか一票差で落選した。現職の照屋全哲候補が当選したが、県選挙管理委員会では照屋候補に投じられたとされる一票は無効と判断した。投票用紙に書かれた名前に傍点が付されていたため、無効票であり当選無効と判断された。

照屋議員は福岡高裁那覇支部に「当選の確認」を求める訴訟を起こしたが去る六月二八日、同支部では県選管の判断は正しいと判決。照屋議員はこの判決を不服として去る七月九日に上告した。

 照屋議員と東恩納候補とは、県選管の判断と高裁判決によれば得票が同数。同数ではないと主張する照屋議員に対して、最高裁がどのような判断をするか、注目される。

 最高裁が判断するまで照屋議員の議員資格は維持されるが、得票が同数と判断されれば東恩納候補の当選も可能性がある。



沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの連続学習会

第1回沖縄から見る安倍政権の歴史的性格

     ――辺野古への海上自衛隊出動の背景を探る

講師:新崎盛暉(もりてる)さん

(沖縄平和市民連絡会共同代表、沖縄大学名誉教授) 

8月17日(金) 

PM7:00~  中野区立商工会館3F・大会議室

資料代:500円  (JR中野駅北口から徒歩9分。左下に地図)

主催:沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック

連絡先電話:090-3910-4140 

 

日本政府=防衛省による辺野古への海上自衛隊の投入は、沖縄県民

に銃口を向け、基地建設を強行しようとする、事実上の治安出動でし

た。日本の戦後史上、前代未聞の大暴挙でした。

この海上自衛隊の投入は、2004年の「新防衛計画の大綱」によ

る自衛隊の西方重視戦略に基づく陸上自衛隊第一混成師団の旅団への格上げ、宮古島への戦闘部隊の配備、F4戦闘機に代わるF15戦闘機の配備等、沖縄の自衛隊基地強化の一連の流れの中にあります。

また在日米軍再編・最終報告に盛り込まれた、嘉手納基地とキャンプ・ハンセン基地の日米共同使用による米軍と自衛隊の一体化とも結びついています。さらに教科書から、軍

命による「集団自決」削除、県民に沖縄戦・歴史認識の変更強要の動きと連動しています。

 復帰35年、米軍基地の再編強化とあわせて、自衛隊基地の飛躍的な強化が進んでいま

す。私たちは、沖縄にとって自衛隊投入の持つ意味の重大さをしっかり考えていくために、

この連続学習会を開催します。

 

     第2回講師は前田哲男さん(軍事ジャーナスト)、    

     第3回は山城博治さん(沖縄平和運動センター)の予定。                   

     どなたでも参加できます。

     気軽においでください。





<Vol.189(06.28)>

(ひんぷん)

判決目前の普天間爆音訴訟

普天間基地周辺の住民404名が提訴して始まった爆音差し止め訴訟が、5年の歳月を経ていよいよ年度内にも判決を迎える。

裁判は今年に入り、法廷で基地周辺の実態が次々と明らかにされている。4月には原告9名と侵入路直下の幼稚園、小学校での被害状況が述べられた。5月の現場検証では、航空機騒音訴訟としては初めて低周波音を測定した。検証した全4ヶ所で環境省が示す「低周波音への苦情のための参照値」を上回る値が計測され、ヘリコプターの離着陸が多い普天間基地に特有の騒音の実態が明らかになった。621日には、国際的にも類例のない規模と内容の調査研究報告である沖縄県調査(1999年)に関わった音響環境学の平松京大教授と環境衛生学の松井准教授により、低周波音の大きい普天間基地の独特の騒音と住民の健康被害について科学的見地からの証言が行なわれた。次回公判では石原昌家沖国大教授と安里猛宜野湾副市長が、普天間基地の歴史的形成過程と市民の基地被害の実態を証言する。

私たちは200210月の提訴にあたり、裁判という場において普天間基地の被害を訴えながら同時に、裁判の内外でこの基地の存在そのものを問い返していくことを課題とした。提訴して以降、イラク戦争の勃発、宜野湾市伊波市政の誕生、沖国大へのヘリ墜落炎上、辺野古海上基地建設の阻止、PAC3迎撃ミサイル沖縄配備、辺野古沿岸V字案「事前調査」に海上自衛隊の投入など大きな波がいくつも押し寄せ、普天間基地の存在の意味がおのずと明らかになってきた5年であった。そしてまた、韓国で、グアムで、フィリピンで、世界各地で沸き起こる米軍(再編)に対する民衆の闘い、連帯の広がりと具体的に結び合ってきた5年であった。

昨年11月、宜野湾市は普天間飛行場の安全不適格宣言(宜野湾市のホームページ参照)を行い、「米国内の法律また安全基準」に照らしても普天間米軍基地は即時閉鎖以外にないことを改めて明らかにした。「普天間問題」は、米軍の世界再編の最重要の環であると言っても過言ではない。

今年度中にも予想される普天間爆音差止め訴訟判決にご注目を!

2007/6/23 記  訴訟団事務局・高橋年男



「ぶんご」出動の意味:沖縄にだけ「治安出動

  軍が結びつける沖縄支配

 キャンプ・シュワーブ沿岸での環境現況事前調査に、海上自衛隊の掃海母艦「ぶんご」が出動し、海上自衛隊員が調査機器の設置作業を行った。いわば自衛隊は米軍基地建設の露払いをし、米国の傭兵と化したといえる。自衛隊が出動した本質的な意味は、環境影響調査という技術的なものではない。辺野古の新基地を建設するという国家意思が自衛隊出動を通じて示されたことにある。自衛隊が住民に対し脅威の存在であることが改めて明らかになった。沖縄戦において日本軍は住民を虐殺し、戦闘への参加を強制し、「集団自決」に追い込むなど、住民を守らなかった。このような教訓が住民の生活に今も生きている島において、日本政府はあえて軍隊の導入を決行したのである。

 自衛隊は日本国民を守る軍隊であると法的に位置付けられてきた。しかし実際、自衛隊は沖縄の住民を守らず、かえって脅威を与え、基地を押し付ける存在となった。沖縄の住民は日本国民ではないことを日本政府が示したのではないか。他の都道府県において、自衛隊は今回のような「治安出動」をしたことはないだろう。日本政府は国土の0.6%の島に基地の75%を押し付けるという沖縄差別を続けている。今回、この沖縄差別を自衛隊という国の権力装置を用いて固定化したといえる。

沖縄からグァムに海兵隊が移設されることで、沖縄の負担は軽減されると喧伝されているが、実際はそうではない。辺野古への新基地建設、自衛隊と米軍との戦闘協力関係の深化によって沖縄の基地はさらに軍事的重要性が増し、住民の負担はより一層、重くなるだけである。それに加えて、安部首相は日米同盟に基づく集団的自衛権を法的に実現しようとしている。集団的自衛権の行使によって米軍と自衛隊とは一心同体の関係となる。米軍が世界各地に出動した場合、自衛隊も武器、弾薬をもって出動し、戦うことができる体制が整備されつつある。沖縄は日米両軍共同部隊の有力な出撃基地となり、戦争に巻き込まれる可能性が高まった。辺野古の米軍基地建設の過程において自衛隊が出動したことは、日米両軍の連携関係の深まりを暗示するものであった。

これまで沖縄における基地問題は主に米軍を巡って発生していた。しかし今後は日米両軍が一体化するなかで、自衛隊による基地の利用が頻繁になり、自衛隊が軍隊としての性格を露にすることで基地被害はより深刻化するだろう。

沖縄には基地に関連した振興策として、IT・金融特区関連施設、国立工業高等専門学校が設立され、これから大学院大学が開設される。日本政府はこれらの産業と学問に軍隊を強力に結びつける形で沖縄支配を確立しようとしている。沖縄支配と差別の連鎖を断ち切るためにも、今回の自衛隊導入がもつ意味の重大さをもう一度考える必要があろう。

松島泰勝(東海大学海洋学部海洋文明学科准教授)



辺野古の調査作業に海自を投入

   ソナー、カメラなどの機材設置強行

去る5月18日早朝、辺野古に海上自衛隊の潜水士が現われた。彼らは広島県呉基地の掃海母艦「ぶんご」所属で、未明から出動し辺野古新基地建設工事のための調査機材設置作業を始めた。翌19日、翌々日20日も作業を継続、21日にはその姿を消した。調査終了まで待機しているらしい。場合によっては再出動もあるようだ。

その時のヘリ基地反対協による現地レポートを聞こう。

5月28日(金)の早朝6時過ぎから調査機器設置作業を開始した。相手は海上保安庁の6隻の巡視船、14、5隻のゴムボート。巡視船の背後には海上自衛官、作業船18隻、警戒船18隻の態勢。わが方は船6隻とカヌー隊12隻で、きわめて劣勢であるが意気軒昂。私たちは戦争遂行のための基地建設を阿波根昌鴻氏に学び暴力を使わないで止める考えである。相手より早く作業現場に行き、そこにしがみ付き剥がされないよう抵抗する。作業船にしがみ付き、海底にへばりつきながら作業員等に誠心誠意、基地をつくらないよう、ともに平和を作っていこうと対話を求めていく。

相手は6班態勢の上、保安庁がガード。こちらは2班で抵抗、彼我の力関係で徐々に設置作業は進み、午後5時前に作業は終了した。19日(土)も継続。20日、私たちは金城祐治さん[命を守る会代表]の喪に服し、海上行動を自粛したが、相手は事業を行った。那覇防衛施設局は3日間で一応終了したと発言した。  (6月5日、ヘリ基地反対協)

この結果、海象調査機器が112箇所にわたって設置された。パッシブ・ソナー(音波探知機、海生生物調査機器。30箇所)、水中ビデオカメラ(14箇所)、ライトブイ(112箇所全部に)。またサンゴの調査機材として着床具(39箇所)、この時サンゴを損傷した(=写真⑤)。

なお去る6月9日、10日に那覇防は調査を再開。この時、海自は姿を見せていない。

以下、写真6点の説明。

①5月19日午前9時過ぎ=カヌー隊を取り囲む多数の海上保安庁の船。

     ②5月19日午前11時過ぎ=調査器具(パッシブ・ソナー)を積んだ漁船(ブル-と黒っぽい旗。作業船A)と奮闘するカヌー隊。

     ③5月19日午後2時過ぎ=奮闘中のフィリア(平良夏芽船長)

     ④干潮で作業ができないこともあって、退却を始める作業船。パッシブ・ソナーを別の船に積み込んでいる。         以上、いずれも写真撮影は土田武信氏。

     ⑤マナヌ岩外洋側の礁斜面に18日設置されたもの。5月20日午前、ジュゴンネットワーク沖縄(T.S)撮影。

     ⑥5月18日午前、辺野古漁港堤防の先端にある岩から。土田武信氏撮影。


防衛大臣記者会見より

平成19518

Q:普天間移設に関連して、海上自衛隊の艦艇が調査に向かっている、調査に入ったという情報もありますが、事実関係はどうでしょうか。

A:先ほどの報告によれば、短時間に器材の設置等を行う必要もありますから、そうした潜水員の協力も含めて施設庁から依頼がありましたので、海上自衛隊においても協力を行ったということです。今後も必要に応じて協力を行うという報告を受けています。

Q:いつ頃までそういう協力活動が続く見通しですか。

A:2~3日、あるいは3~4日でしょうか。スムーズにいけば、それほど自衛隊が協力する必要はないかもしれません。とにかくスムーズに行われることを希望していますから、トラブルがなければそのくらいの日数で終わるのではないでしょうか。

Q:今回海自が出る必要があったという理由は何ですか。

A:前回は民間だけで調査を行いましたが、妨害行動で調査が全然出来ませんでした。だから今度は海上保安庁にもお願いしていますし、また、警察にもいろいろなお願いをしています。ですから、防衛省としても省を挙げて協力態勢を作らなければいけないと思っていました。他省庁だけでなくて、我が省としてもバックアップするというようなことで構えていたというところです。

Q:今回の事態ですが、民間業者だけでは足りない、海自の力も必要と判断されたのは何故ですか。

A:妨害がなければ民間だけでもやれるわけです。短時間に妨害があった時に所定の行動、目的を達成できないこともありうると思いますので、そういう意味で海上自衛隊にも協力するように言いました。

Q:沖縄の方では、海自の活動に対して反対する声も上がっていますが。

A:反対の声が高まっているかどうかですが、もともと一部にそのようなものはありますからね。

Q:普天間移設に対しては逆効果ではないかという指摘もありますが。

A:そのようなことはありません。調査のための器材を設置するとか、調査をするということ自体は必要ですから、最初から反対の人は何をやっても反対だと思います。

Q:先程、海自の参加協力が、2~3日または3~4日とおっしゃっているこの目処というのは調査器材の設置が終了するのが、大体それぐらいと見ていらっしゃるのでしょうか。

A:そうですね。調査のために必要な作業が終わるのがそれぐらいではないかと思っています。調査の期間中は、以前から言っているように、混乱があった際の救助の場合もあるでしょうから、いろいろなことを考えていかなければなりません。もちろん海上保安庁も協力してくれますが、海自としても、いざという時は人命救助や調査活動も含めてやらなければならないと思っています。

Q:調査活動の終了まで参加するということでしょうか。

A:それはやはり参加するというか、協力しないといけません。今まで何もなかったからといって、調査活動の終盤になって、もし人命救助等をしなければならなくなったら大変ですからね。

Q:今回の民間主体の調査に海自が協力することが異例であると報じられていますが、異例かどうかということについては、防衛省としてはどのように思われますか。

A:通常は県から調査を許可されて、そして調査する時にはそれができるのが当り前であって、それを妨害するということ自体が異例なのです。やはり法に基づいて手続きを取って、県から海面使用の許可をもらって、民間業者が実施する調査を力づくでやらせないということ自体が異常な事態でしょう。そして異常な事態だということは、何が起きるか分からないということですから、起きた場合には万全の対策を講じるということです。邪魔されて、なかなか短時間に終わらないようだったら、その調査についての協力をせざるを得ないということです。本来は民間業者が来年の10月までかけてやる調査の一環として、事前調査をそこでやるということですから、そういうような応援を海上保安庁や警察や海上自衛隊に頼らなくてもいいようなことを想定してやっているわけです。

Q:今日、この段階で海自は出ているというような、調査に入っているということでしょうか。

A:出ていると思います。あらゆる協力をするようにと言っていますから。

Q:今日、調査は始まっているみたいなのですが、その場にも海自は絡んでいるのでしょうか。

A:もうやっているのではないでしょうか。

Q:そういう報告を受けられたのでしょうか。

A:まだ具体的な報告は、海自から受けていません。

Q:沖縄近海に「ぶんご」は待機しているのでしょうか。

A:それはやはりまだ待機しているのではないでしょうか。何かあった時は、いつでも応援隊を出せるように。

Q:具体的にはどのような対応になりますか。

A:それは自衛艦隊司令官が自分の権限において、ここまで必要だと判断すれば、その範囲内においてやると思うし、施設庁からどのような協力要請があって、どのように応じていくのか、それは任せております。

Q:今日の調査の器材設置に係わっている所要の人数とか、そのような情報は今、大臣はご存じなのでしょうか。

A:知りません。

Q:後でいいので、事務方を通じてご連絡いただけないでしょうか。

A:準備をどうやってしていたのか、その内何人ぐらいが調査に係わったかというのは、別に秘密にするようなことではありませんから。

Q:今回の自衛隊が出た法的な根拠については、次官は官庁間協力と言っていましたが、それでよろしいでしょうか。

A:官庁間協力でいろいろなことがやれます。官庁間ですら協力できるのに省内のことで協力しないというのは、おかしいわけです。むしろ同じ防衛省の組織であるわけですから。

Q:海自の潜水員を使っているというような話なのですが、海保にも潜水員がいると思うのですが、なぜ海自の潜水員を使うのでしょうか。

A:やはり他の省庁に依頼する前にまず自分のところの組織に頼むというのが、筋ではないでしょうか。

Q:法的根拠は官庁間協力とおっしゃっていますが、具体的に調査をしたり救助をしたりする場合、それぞれの細かい根拠は何になるのですか。

A:細かい根拠というのは、私が以前に防衛庁長官をやっていた時から、なかなか具体的にどれということを断定出来ないケースがあります。下甑島に不審者が上陸して、消防団をはじめ、町の皆が不審者を捜すために山狩りをした時に、警察官はあの島に1人いるかいないかでした。それで、自衛隊もお願いしますという話があって、皆と一緒に調査しましたが、その時にどうして自衛隊がという報道があったので、私はそういう活動に参加しないこと自体が、国民から見てどう思われるかと言いました。法律のどの条項に基づいてやったのだと言われたので、それは調査活動もあるし、情報収集もあるし、根拠の理屈付けはいくらでもあります。常識的にやるかやらないか、どっちが正しいかということを判断して、理屈は後からでも付いてくるのだということをその当時言ったことがありました。やはりこれはやれるという判断ならば、やれるわけでありまして、今言ったように、他の省庁からの依頼により、こういうケースの場合に協力をしますということであるならば、ましてや同じ省内で協力を求められた場合には、それに対して協力することはできると思っております。今、つまびらかにどの条文で、どれでというのは私としてもなかなか言いにくいかもしれませんが、一般的に言うと官庁間協力でできることは広く認められております。従って、それに基づく省内の協力については、もっと寛大に解釈できるのではないかと思っています。

平成19522

Q:普天間基地の移設に関して、海自の投入を巡って沖縄県の仲井真知事が「反自衛隊感情を助長させるようなことは避けるべきだ。」と発言されましたけれども、大臣としては仲井真知事にどのような説明をされたいとお考えですか。

A:仲井真知事の持っておられる色々な県民感情、その辺りを我々も今後とも参考にさせていただいて、大事にしていかなければいけないと思っております。

Q:沖縄県の地元の反発というのが、正式なアセス手続きに影響するという可能性はないでしょうか。

A:それはないと思います。作業中に民間の潜水士が、レギュレーターを抜かれて溺れそうになったということを、海保に届けを出しましたけれども、それぐらいで済んだから良かったですが、前回の経緯を踏まえ、どこまでやるか万一の混乱を避けるために、万全を期して構えてないといけないので、今回はたいした混乱がなくてほっとしています。(防衛省ホームページから)



掃海母艦「ぶんご」の調査強行を問う

なんと「法に明記はない」出動だった

     環境省は「助言はしない」

 去る5月18日から始まった調査作業への海自投入に抗議して、21日には辺野古実が防衛省へ緊急抗議行動(80人参加)を行なった。行動の冒頭に金城祐治さん(命を守る会代表)を追悼して参加者が黙祷。この日、ヘリ基地反対協の安次富さんが参加、防衛省に向って「昨日20日は金城祐治さんの死を悼んで喪に服し、抗議行動を私たちは自粛した。なぜ、あなた達はこの日も調査強行したのか!」と激しく抗議した。

 また去る6月4日の辺野古実による防衛省前抗議行動には140人が参加した。


 さらに去る6月14日午後、関東ブロックなど35団体で構成する「辺野古への基地建設を許さない実行委員会」は、防衛省と環境省に対して要請・申入れ行動を行なった。行動には辻元議員(社民党)の仲介で実行委メンバー25人が参加した。

 実行委では、調査作業への海自投入は沖縄へ銃口を向けたことだと考え厳しく追及したが、防衛省・防衛施設庁は重要なところについてはほとんど回答を回避した。

 防衛省運用企画局事態対処課の係官は、海自投入は「出動」ではないとしつつ、その理由について「自衛隊の潜水能力の活用」、「潜水病になった時に掃海母艦の設備を利用」と強調した(たしかに「ぶんご」には潜水病防止のため室内の圧力を調整できる「減圧室」が装備されているという)。「出動」依頼の時期について実行委は「511日に命令を出したというが、命令を受けたその日に掃海隊群の司令、幕僚、水中処分員を乗せて横須賀を出港できるのか? あなた方は嘘を言っている」と質(ただ)した。同係官は「511日は正式命令。ものごとには準備というものがあるんですよ」として、以前からの準備を認めた。ただし「いつから、準備していたのか」については「お答えできません」。
 今後の調査への自衛隊参加についても「出るかもしれないし出ないかもしれない」と述べ、自衛隊再投入の可能性を認めた。防衛施設庁の辰己昌良施設企画課長は海自の潜水士参加の理由についてほぼ
同じ説明をし、設置作業の結果によってサンゴが破壊されたことについては「いま、調査中」だとした。しかし潜水士の人員も機材設置箇所も「反対派の妨害があると混乱が起こるから」などとして明らかにしなかった。辻元議員は「それなら破壊していないかどうかも、わからないでしょう~ ! 」と防衛施設庁側を揶揄(やゆ)した。

      出動・作業理由は根拠あいまい

 なお出動の根拠は防衛省設置法第4条の19号、国家行政組織法第2条第2項だと明らかにした。自衛隊法上は出動の法的根拠にはならない、としている。たしかに治安出動(78条=命令、81条=要請)、警護出動(81条2)、海上警備出動(82条)のいずれにも該当しない。だが、法に明記がなければ出動すべきではなかったはずだ。

 防衛省は潜水士による機材設置作業と、防衛施設庁による海自への出動依頼とについて、法的根拠を区別しているようである。前者は防衛省設置法、後者は国家行政組織法がその根拠らしい。しかし防衛省設置法4条の19号の「所掌事務」にはその具体的表記がない。そのどれが同事務に該当するというのか? せいぜい駐留軍使用の施設及び区域の「提供」か「変更」が該当するというのであろう。しかし潜水・機材設置作業が「提供」と「変更」に該当するというのはこじつけにもならない。それに第一、その潜水・機材設置作業は「条約に基づいて」いない。たしかに駐留軍使用の施設及び区域は安保条約に基づいているが、潜水・機材設置作業は日米合意した「中間報告」と「ロードマップ」に基づいているものである。「中間報告」と「ロードマップ」は共に条約ではなく、日米政府間だけで合意したもので国会での批准も経ていない。ただの紙切れである。

 それに国家行政組織法第2条第2項が根拠だといっても、行政機関は「調整及び連絡」で「一体化」しなければならないと言っているだけである。いわば<和を以って尊しとなす>という精神規定である。しかしみんな仲良くせよ、といっても各機関は「その政策について、自ら評価」すれば対立も避けられない。何も基準を示していないのだから、何も言っていないに等しい条項。海自への出動依頼の根拠になるものではありえない。

 いったい防衛省が環境破壊して暴走している時に、それを止めようとする環境省とはどうやって一体化するのか? 環境省ではなく防衛省が引っ込むと、両者は一体化するが、これこそ見習うべき省庁間協力ではないだろうか?   

     存在意義を問われる環境省   

 また環境省は環境影響評価審査室の藤井審査官ら3人が対応し、サンゴの損傷状況については「防衛省に説明を求めている。引き続き求める」と回答、事前調査については「環境に配慮するようにと伝えている。今回の件で環境省が独自に調査する考えはない。環境大臣が助言することは考えていない」と述べた。損傷されたサンゴの現場写真をその場で見せられても「これはこうでしょう」と言っただけ。「どこの、いつの写真かわからない」とでも言いたかったのかもしれない。しかし、そうは言わなかった。

 いずれも環境省の存在意義があらためて問われる対応である。

 しかし環境省はこれまでにもジュゴンと藻場の広域的調査を数年がかりで行った業績さえある(01年~03年)。今回のこの重大な事態に臨んで、独自にでも調査をすべきではないのか? ジュゴンは国の天然記念物である。それとも沖縄のことなら重視しない?

 それに99年の閣議決定=辺野古沖計画の時も、口頭ではあるが環境大臣が環境破壊を憂慮して助言したこともある。沖縄県へ助言文書を出したこともかつてはあった。肝心の今になってなぜできないのか? 環境省は影が薄くなって防衛省主導で辺野古の環境破壊が進められようとしている。事業者・那覇防は環境省もアセス法も無視、沖縄県の「留意事項」5項目、「配慮事項」5項目もまったく踏みつけにしてやりたい放題である。

 久間防衛大臣は辺野古の自然を「少しくらいこわしても」たいしたことはないと国会答弁している(参議院外交防衛委員会、喜納昌吉議員(民主党)に答えた)。環境省はこれを聞いてなんと思っているのか? 同じ政府機関だから防衛省とは省庁間協力しなくてはならないなら、環境省は防衛省に対して環境保護の協力を求めるべきではないのか。                            (吉田 正司)




辺野古への米軍基地建設のための現況調査

 辺野古への米軍基地建設のための現況調査(事前調査)にあたって、掃海母艦「ぶんご」を派遣し、調査協力を行なった件に関し、辺野古への基地建設を許さない実行委員会では、社民党辻元清美衆議院議員の協力を得て、六月一四日に、防衛省と環境省の担当者との直接の交渉を行なった。

 衆議院議員会館で行われたこの交渉では、防衛施設庁施設部施設企画課・辰見課長、同再編プロジェクトチーム安藤係長ほか五名の防衛省の側の参加及び環境省からの三名の参加に対し、辻元議員を初め、辺野古実のメンバー二〇数名が「追求」する形となった。

 紙幅の関係もあり、自衛艦「ぶんご」の出動の経緯のみにしぼって、防衛省側の「説明」とそこから浮かび上がる防衛省の意図について考察する。

  事前の質問書への回答も含め防衛省側の言い分を要約すると以下のようである。

一 自衛艦派遣の決定プロセスは、五月一一日に北原防衛施設庁長官より海上自衛隊幕僚長に出動を依頼した。

二 自衛艦出動の法的根拠は、防衛省設置法第四条第一九号にもとづく防衛庁の所掌事務について、国家行政組織法第二条第二項の省(官)庁間協力により防衛省に協力を依頼した。自衛隊法上の根拠は、今回の派遣については必要ないものと考える。

三 反対によって調査作業が遅れており、迅速に調査を行なう必要があった。そのために海自の潜水能力を活用した(妨害行動がなければ派遣していない)。(潜水夫の派遣のみならず)掃海母艦を派遣したのは、潜水作業等で不測の事態があった際に対応するため。食事・宿泊確保など自己完結型の派遣が必要だから。

四 具体的な人員(潜水夫の数など)・装備・期間などについては、今後の作業の実施にもさしさわるので公表しない。

五 (シビリアンコントロールについては)施設庁の要請で、防衛大臣の判断によるものなので、問題はまったくない。

 防衛省側の説明はおよそ以上である。

 派遣の経緯については、「一一日に出動依頼」したという以外なにも説明していない。当日の依頼で即出港などありえないが、事前の準備・検討についてはまったく隠している。象徴的なのが、安倍首相へ報告・相談などについてお茶を濁していること。「首相とは定期的な連絡のなかで話している」との説明のみ、事前に承認を得たかどうかも言明しなかった(報告が事前か事後かは、確認の上で辻元議員に連絡するとは約束した)。

 派遣理由についても、「潜水能力の活用」と「不測の事態に備える」と言うのみ。「民間業者および海上保安庁に作業能力がないのか」との追求に、「反対派の妨害が有り、作業が出来ない」との返事。「自衛隊による反対派の排除はあるのか」との問いには、はっきりと「それはありません」。「では不測の事態とは何か」については、「潜水夫がおぼれるなどの事故など万全の体制をとった」との回答で、掃海母艦出動の納得できる説明にはなっていない。

 いろいろ勘案してみると、防衛省の狙いは、実際の作業を進めることよりは、自衛艦まで出動させることで、阻止行動に対して恫喝をかけ、さらには、地元自治体や警備に当たる海上保安庁・沖縄県警に対しても新基地建設に対する防衛省の決然たる意思を示すことにあったのではないか。

 しかしそのために自衛艦を派遣する法的な根拠はどこにもない。その意図するところと最も近い「治安出動」の発動ともなれば、安倍首相の首が飛ぶ。そこで、「省庁間協力」という融通無碍な法律を盾にそのあいまいさを承知で派遣に踏み切ったのであろう。

 しかしこれは、常識では考えられない法的根拠付けでの軍隊の活用であり、防衛省の暴走というほかない(事の重大さから首相も了解の上であることも間違いないであろう)。 

 今回の事態を許せば、あらゆる局面での軍事組織の出動が許されてしまう。この重大事態にマスメディアが沈黙する中で、防衛省・安倍政権の責任を追及する声をさらに広げていかなければならない。

 (新しい反安保行動をつくる実行委員会・梶野宏)



許すな海自の調査強行

 辺野古緊急集会に350人参加

  平良さんらが現地から電話メッセージ

 去る6月9日、東京・池袋で関東ブロックは辺野古連帯緊急集会を開催、調査作業への海自投入に抗議して労組、市民団体など350人が参加した

 集会のタイトルは「沖縄の海も山もクニ(日本)のものかッ!!」。これは山内徳信さんが県内移設反対県民会議の那覇防衛施設局への抗議の時に言い放ったことばだ。

 辺野古現地で闘争中の平良夏芽さん、安次富浩(あしとみ・ひろし)さん、元読谷村長の山内徳信さんの3人がスピーチの予定だった。しかし9日の朝から突然の作業再開。そのため急遽、平良さんと安次富さんは参加を取りやめ、現地での必死の闘いとなった。

 集会参加者350人は、予想もできなかった土曜日からの調査再開に怒り、「そこまでやるか!」とため息。辺野古現地でカヌー隊責任者の平良さんは、抗議の潜水もしたため疲労困憊。話をするのもやっとだったが、安次富さんと二人が電話で会場にメッセージ。

 平良さんは「今日も穏やかに語りかけ、非暴力で作業は阻止しました」「夜も作業船がいる。何日続くかわからない」「人が足りない。船が足りない」「東京でがんばってる人たちがいるから、こちらもがんばれる」と。会場では割れんばかりの大拍手だった。安次富さんは「海自が出動したということは、戦後はじめて日本の軍隊が自国の民衆に銃口をむけたということ。民主主義の破壊だし、21世紀の琉球処分だ」「でも、絶対くじけない、あきらめない。みんなの団結で展望をひらこう」と。

 ステージの画面にはその日の午前に撮影された辺野古の映像。海保巡視艇やゴムボート、抗議線やカヌー隊をバックに、平良さんと安次富さんの訴えが会場に流れた。

 その後、当日朝に依頼されて那覇からやって来た「なはブロッコリー」の本永貴子さんが発言。彼女は、北部の東村・高江(たかえ)地区への訓練場ヘリパット建設に反対する運動と辺野古での苦闘の現状を訴えた。その後、山内徳信さんがスピーチ。闘いは「水のように、風のように」、「ことばと笑顔を武器にして」、「一人から始まる闘いこそ」、「島ぐるみではなく日本全体で、国際ぐるみで」――というトクシン節の50分間だった。

 「沖縄には<行き会えば兄弟>という言葉がある。わたしはみなさんを兄弟姉妹と思ってる。しかし沖縄をいじめる政治家たちをそうだとは思えない」。「政府の役人が交渉に来てもお茶を出してもてなし、おじいさんやおばあさんと沖縄の歴史、自然、文化の話をすると、役人は逃げるようにして引き上げた」と語った。「たとえ30,000人の村でも、団結して国際性をもてばアメリカにも勝てる」と。そして「私は70過ぎて、もう失うものはありません。現場にい続けるか、国会に行くか考え抜きました。その結果、議員バッジをつけて辺野古に座る決意を固めました。平和と民衆の未来のために、身を捧げる決意です。私は勝ちます。勝ちましょう!!」としめくくった。満場からは拍手が沸き起こった。  この後、日本山妙法寺の木津(きず)上人、環境団体・WWFジャパンの花輪さん、全労協から諸隈さんが連帯発言した。

 なお、集会冒頭に上映された記録ビデオ(12分)は左のような内容。 (吉田 正司)



  あわただしかったこの日●69(Qさんのメモ)

7:30AM 安次富さんから電話がけたたましく鳴る。「調査が再開された。夏芽はそちらへ行けない」。運営委メンバーにあわてて電話連絡。

▽琉球新報朝刊に「機材設置今日再開、普天間事前調査。環境配慮示さず」と掲載。「本土」の新聞は報道せず。

▽「海保のゴムボート9隻が浜から100メートルまで接近。カヌーや船が出航」、「沖合いの作業船がリーフ内に入り、ポイントブイを浮かべる。カヌーは分散してポイントにはりつく」というレポートが届く。 

8:29AM 安次富さんから再度電話。「高速で途中まで来たが、内部から『東京へ行くのは問題がある』という意見が出ている。やむなく東京行きはキャンセルする。済まない」。

▽汀間(ていま)漁港からの阻止船に、またもや海保が船検。出航が遅れる。

▽作業船は20隻以上。カヌー隊が作業船遺跡にしがみついて機材を降ろさないように阻止。しかし阻止船1隻とカヌー隊の半分が、海保のゴムボート5隻にとりかこまれ身動きできず。

▽リーフ内でカヌー隊2隻が2箇所、リーフの外で阻止船が2箇所で作業を阻止。海保「キミタチノセイデ、マッタクサギョウガデキナイ。アンカーヲアゲテ、タダチニココカラドキナサイ」の警告。

▽ 沖合いに海保の大型船4隻、上空にはヘリが旋回。

    QAB(琉球朝日放送)が「住民や平和団体が必死の阻止行動、にらみ合い

続く」と報道。RBC(琉球放送)も「巡視船が警戒、にらみ合い」と報道。

▽2PMから那覇の県民ひろばで県民大会、3,500人が参加。「集団自決」をめぐって、教科書検定で<軍命はなかった>ことに書き換えられたことに対する怒りの集会。

▽3PMころ作業船がひきあげ。再びリーフ内でカヌー隊が作業船しがみつき。

5PM過ぎ:沖縄から本永さんが急遽来京。舞台裏の控え室で打ち合わせ。

6PM過ぎ:安次富さんに電話メッセージ依頼。「夏芽は潜水後、クタクタで口もきけない状態。自分1人になると思う」。

6:40PM:今朝の辺野古の写真をバックに、夏芽さんからも電話メッセージ。「朝から5PM過ぎまで阻止しました(拍手)。人も船も足りません」。司会者が「息もたえだえでした」。安次富さん「巡視艇は4隻。あつかましいがゴムボート一艘購入のカンパに協力を」。なはブロッコリーの本永さんが報告。その後、トクシン節50分(「水のように、風のように」「言葉と笑顔を武器に」「一人から始まる闘いを」「島ぐるみではなく、日本全体で、国際ぐるみで」)。参加者は350人を越えた。




6・5集会(那覇)決議    集会決議

 遅々として進まぬ辺野古新基地建設に業を煮やした日本政府は、ついに、海上自衛隊掃海母艦「ぶんご」を辺野古に差し向け、県民を威圧するとともに、那覇防衛施設局が強引に進める、キャンプ・シュワーブ沿岸部での違法な環境現況事前調査のために、海上自衛隊潜水士を調査機器の設置作業に動員した。

 時あたかも、沖縄では復帰35年の大きな節目を迎え、復帰の内実が厳しく問われている時期に、自衛艦を派遣し基地建設に乗り出す暴挙は、基地負担にあえぐ県民を足蹴にし、天に唾する許しがたい暴挙と厳しく糾弾されなければならない。

 そもそも掃海母艦ぶんごは、銃砲を搭載した紛れもない「軍艦」である。沖縄が戦場でない以上、この掃海母艦派遣は、県民に銃砲を向けるための行動と言うほかはなく許されるものではない。

 しかも、那覇防衛施設局や政府は、派遣の根拠をただす県民の追及に対し、明確な答弁が出来ないだけでなく、予めそのことを検討すらしていなかったことが明らかになった。政府は61日の閣議で、「国家行政組織法の規定にある『官庁間協力』の趣旨を踏まえ実施した」との見解を取りまとめたと報じられている。明確な派遣根拠を示せず「何とでも言い繕える」という傲慢な姿勢は、久間章生防衛相が「さっぽろ雪まつり」への動員と同様だと開き直った姿勢に如実に表れている。このような閣議決定、政府見解が許されるなら、自衛隊が白昼市民運動の弾圧に乗り出すのも時間の問題と言わねばならない。事実、久間防衛相は、衆院安全保障委員会で、海上自衛隊の警備行動の可能性について「絶対にないとは言えない」と述べ、辺野古への治安出動を匂わせている。

 また、今回の海洋調査機器設置作業は、辺野古海域の珊瑚が一番発達するポイントで行われ、環境団体の調査によれば、無造作な機器の設置やワイヤーの固定によって珊瑚に甚大な被害が発生したことが明らかになっている。しかし政府はそのことを一切認めようとせず、何らの追加調査も行わず、「生きた珊瑚が大規模に破壊損傷されているとは考えていない」旨の閣議決定を行い公然と開き直っている。そうであれば、国会で追及を受けているように、設置箇所の開示と現況を県民の前に明らかにすべきである。説明責任を明らかにせず、強引な開き直りで巻く引きを図ろうとする行為は、県民へのこの上ない侮蔑と言わねばならない。

 さらに、驚くべきことに、政府は、辺野古海域での現況調査に際し、県側から求められていた事前の調査計画書の提出を無視したのみならず、海自掃海母艦や潜水要員の投入について、県側に事前の連絡すら行わなかったことが明らかになった。

 これらのことを振り返るとき、政府の形振りかまわぬ不法で不当な行動が明らかになってくる。私たちは、県民に対するあからさまな政府の挑戦・挑発に煮えくる怒りを込めて抗議するとともに以上の事案に対する説明責任の実行を強く求める。そして同時に、あらためて県民団結のもとに、新基地建設阻止の決意を打ち固め新基地建設阻止まで闘いぬく決意を表明する。以上決議する。

                                    2007年6月5日

       自衛艦「ぶんご」派遣糾弾!環境アセス法違反調査糾弾!

       県民に銃口を向けた政府の辺野古「事前調査」抗議集会





<Vol.187(04.28)>

ひんぷん)


沖縄に、「軍国総理、安部」がやってきた

                               本永貴子

「軍国総理」の沖縄訪問

415日、沖縄に「軍国(主義)総理」安部がやってきた。前日、「こともあろうに沖縄戦で住民の半分以上が命を失った嘉数(かかず)高台へ視察に来るらしい…。」との情報をつかみ、県民有志で来沖を歓迎しない集会を行った。

情報では2時ごろ嘉数高台に到着するらしい…。私たち有志は約30人。そこに、「○○スイミングスクール」のロゴの入ったバスがやってきた。「おおっ、ここにも来沖に反対する者たちが…」と思うのもつかの間、降りてきた人々は手に手に日の丸の旗を持っていた。なかには小さな子どもを連れた親子の姿も…。(あなたの子どもが戦争に行かされるかもしれない瀬戸際なのですが…)と唖然としていたが、最後にバスから降りてきて先導しているのは赤いジャンパー姿の自民・公明推薦の島尻あいこ陣営だった。(やっぱり…)背中に書かれたハートマ-クを使った「I LOVE OK」(I LOVE OKINAWAの意味らしい)の文字が「I LOVE OKANE」に見えたとは、会員のOYさんの弁。「頭がおかしい人たちだ」と彼等にののしられながら、「軍国主義」安部の到着を待った。

ところが、嘉数に向かう前に安部は自衛隊の葬儀に参列したのだが、車を降りたとたん土砂降りの雨、ということで到着が遅れているとのこと。絶妙なタイミングの雨の情報に参加者は、「ウヤファーフジヌワジトークトゥ、バチカントーンテー!!」(ご先祖が怒っていて、バチがあたったんだよ、きっと!!)と話していた。

城間勝さんの「嘉数地区では戦争で半分以上の住民がなくなった場所です。このような戦争を策動している安部の来沖は許せない。皆さんも沖縄人(ウチナーンチュ)なら反対の声を上げましょう!」と切々と訴える話に、日の丸隊の皆さんは静かになり、まずいと思ったのかリーダー格(?)の赤ジャンパーが、「安部頑張れ!」と話とはあまり関係のないエールで応酬するという場面も。また、駆けつけた島田善次牧師もいつものように「物言わぬ民は滅びる」と力強く説教、相手をびびらせていた。

2時を過ぎ、いよいよ安部がやってきた。すると、それまで「反対の方も賛成の方も差別なく同じように一直線に並んでほしい。同じ扱いにする。権利は同じなのだから…。」といっていた警察がいっせいに私たちの前に並び、雨も降らぬのに傘を差し始めたではないか。「うそつき!」「傘をおろせ!」「さっきまでの話はどうしたんだ!」「警察は差別をするのか!」「スケベ!???」わけがわからないような怒号の中、安部がやってきた。

「安部帰れー!!」「沖縄は歓迎しないー!」「歴史改ざん糾弾!」「うそつき総理帰れー!」

私たちは、激しく叫び続けた。勢いあまったものたちは、嘉数高台の近くへと走った。しかし、高台へと続く階段の下には私服警官が待ち構えていて、あがることは出来ない。「安部―帰れー!安部―帰れー!」安部が立ち去るまで、私たちは声の限りに叫んだ。結局、安部は帰れコールの中での視察となったのだ。

その後、県庁前での島尻あいこへの応援演説の最中も、安部はずっと「歴史の改ざん許しません! 軍国総理はno thank you オスプレイ・嘘 負担軽減・嘘 嘘だらけでごじゃいます」(「ごじゃいます」は安部の口真似)の横断幕を見せつけられ続けることとなった。

ちなみに、県庁前では道行く人が横断幕を見て、「頑張って! そのとおりだよね!」と自民・公明陣営のあふれる中、声をかけてくれたそう。やっぱり沖縄ではそうでなくっちゃ!

仲井間県知事は「公共用財産使用協議書」に同意するな!

 428日に行われる「キャンプシュワーブ包囲行動」を前に、沖縄県仲井間知事は、辺野古V字案の環境アセスに「実質」伴っている「事前調査」を認める「公共用財産使用協議書」に同意しようとしている。この協議書は去った327日に沖縄県に対し、那覇防衛施設局が提出したもの。1ヶ月の期限とのことなので、いよいよ426日にも同意かと沖縄のマスコミ各社が報じている。

 そこで、平和市民連絡会では423日緊急の会議を開き、24日と25日に行動を起こすことに決めた。24日は、県庁に対しての早朝ビラ配布行動、夕方からの街宣行動、辺野古現地での抗議行動。25日は、県庁に対する申し入れなどである。ビラの内容については別紙参照。早朝ビラ配布行動への参加者は13人。県庁職員は、おおむね快く受け取っていた。会議の確認では、ビラ配布は最低限の人数を確保して、それ以外は辺野古現地へ向かうとの確認であった。というのも、辺野古現地ではすでに今日(424日)から、事前調査をとめる闘いが始まっているからだ。

 現地からは、「辺野古への結集を呼びかける」との声が寄せられた。辺野古への新基地建設の息の根を止めるまで、私たちの闘いは続く。座り込みは1100日を越えた。結集を!

辺野古現地での闘いがいよいよ今日から始まっています。辺野古での座り込みも1100日を越えたというのに、いまだに国民の声に耳を貸さず、国民の命をまるで紙切れのように扱う政府の態度に、強い怒りを感じています。

添付資料は、原稿・写真(105・112→県庁ビラ配布行動、01・20→北部訓練場内に放置された弾丸とT33戦闘機・サバイバル訓練に使用)です。ビラ配布行動のとき、県民広場の向かい側では、憲法を改正しようとマイクを持って訴えビラ配りする一団がいました。この沖縄で!情けない限りです。



4.14 日本を戦争に巻き込む米軍再編特措法案 

アセス法に反した沖縄新基地建設・辺野古事前調査を許さない緊急集会とデモ行進

  主催 辺野古への基地建設を許さない実行委員会

について簡単に報告します。

 4月13日(金)に「改憲手続法案」と「米軍再編特措法案」が政府(自民党、公明党連合軍)の圧倒的数の暴力によって衆議院本会議の場で強行採決されると言う私たちが最も危惧していた事態が起きてしまった中で緊急に行われた集会とデモでした。今回の緊急集会とデモの目的は大きく分けて2つありました。そのひとつは現地沖縄辺野古で強行されようとしている新基地建設の事前調査がアセス法さえも無視したまったのく違法であることを広く一般市民に訴えていくこと。そしてこの東京の地で事前調査を非暴力、実力で実態的に阻止する沖縄現地の闘いと硬く連帯する大きな闘いのうねりを作り出していくことを再確認することです。今回の集会にも現地沖縄辺野古から事前調査強行が迫っている緊迫し情勢の中、その状況を訴えに当山栄さんが馳せ参じてくださいました。もうひとつはアメリカの戦略のもと日本を実態的に戦争の出来る国(する国)にする米軍再編特措法案を実質廃案に追いこむため、米軍再編が沖縄の基地縮小(負担軽減)のもと進められていることがいかにまやかしであるか、その例として普天間基地の返還の替わりに新基地を作る、そして海兵隊のグアム移転に七千億円もの税金を使う(久間防衛相はその費用がどうして必要か私に聞いてもわかるはずがないと平気で答えている)など、広く市民に訴えていくことです。

 2時から始まった集会の最初に辺野古の当山栄さんマイクの前に立ち次のように沖縄の、そして辺野古の闘いの現状と現地の戦いへの支援を訴えられました。

 「実行委員の皆さん、そして市民の皆さん、久しぶりです。僕は20049月にこの集会に参加して以来、集会に参加します。

 20044月から陸上での約半年間の座り込み行動、海上での約1年間の攻防によって、そして全国、東京、神奈川、名古屋、大阪等々の皆さんのバックアップ体制の中で、海上基地は、閣議決定であったに係わらず見事に覆すことができました。

 そういう意味では、我々は、日米政府が決めようが、それを大衆の力によって撤回、断念に追い込むことができるということを証明しました。第1次ステージにおいては勝利をしましたけれども、それに懲りずにまたもや自民党政府は、辺野古の海に新たな計画を練り直して、さらに基地強化を図ろうとしています。

ご承知のとおり、V字型滑走路をもって、住宅地域の上空を飛ばないという形の騙し討ちをしながら、決定を見ております。その中で、二つの点がこのV型に関しては暴露されております。1点目は、離陸専用、着陸専用の滑走路にするためにV字型にしましたと言っていますけれども、これは普天間基地の実態からもわかるように、軍事基地で有る以上はタッチアンドゴーという訓練が重要な訓練です。米軍が、米国政府が双方向から飛びますということを明らかにして、日本政府の隠蔽をやぶっております。

もう1点は、オスプレイの配備に関しては関知しないというふうに言いくるめてきたんですけれども、これも先週の共同通信でも明らかにされているように、明確にオスプレイは配備するというふうになっています。二重三重の騙し討ちをしながら、決定に持ち込んできています。これが昨年の5月最終的に閣議決定を受けたものです。

 それ以来、彼らは、普天間基地の即時閉鎖という強い要求に押されて、今度は辺野古崎で新しい空港は、海上基地の半分の8年間で完成させるという突貫工事的な形での基地建設を目指しております。そういうことで彼らは、何としてでも工期を短縮しなくちゃならないという事態に追い込まれています。

その中で出てきたのがいわゆる事前調査ということです。そのために327日に県知事に対して公共用財産使用協議書を提出しました。そして328日には、それを請け負う業者の入札をし、工事事業者の決定をみております。この事前調査なるものは、事務的に言えば大体一月で処理できるということが言われております。金曜日、昨日ですね、仲井真県知事は事前調査の使用協議書の件に関しては、4月下旬をめどに回答しますと言っております。私たちは、422日の参議院選補選あるいは宜野湾市長選が22日にあります、それを終わる直後の23日からでも事前調査に入るんじゃないかとみています。

すでに辺野古の漁民のチャーターは済んでいるんじゃないかという状況があります。428日ヘリ基地反対協がキャンプシュワーブの基地を陸上から、海上から包囲するという形で新たなる基地建設に対して大きな運動を作り出して立ち向かう、そういう準備をしておりますけれども、28日を待たずに調査船が海上に繰り出す可能性もあります。そういうことから、辺野古においては辺野古浜集会を5週間前から開始して、今日からカヌーの訓練に入っています。

 我々は、この、アセス法さえ無視して現場で事前調査をやろうとする事に対して、カヌーを、船を繰り出して阻止する体制も今作りつつあります。ヘリ基地反対協の呼びかけは、前回のあの現地の闘争に結集された皆さん、再度また結集してくださいという呼びかけを全国に発しているところであります。

 今回の事前調査について、ちょっと中身を点検してみたいと思います。一番大きいのが、会社名が「いであ」という、平仮名で言えばいであという字ですけれども、海棲生物生態系調査、珊瑚礁、海草調査となっております。そこの金額が16億円です。それが最大の、調査する会社ですね。具体的に言えば、これ資料が開示されていませんから、かいま見るぐらいですけれども、一つはみどり石珊瑚の産卵期が56月にあると、これをアセス法の手続きを待っていては間に合わんから事前調査をやるんだと。同時にジュゴンの動静をキャッチするために、約50カ所ぐらいの後それとセットしてカメラを据え付けるということによって、ジュゴンが回遊してきたらそれをキャッチしカメラで撮影するということが言われています。これが最大の調査項目だろうというふうに言われています。

 私たちは、県に対してこの実態を明らかにせよというふうに迫まりました。現在この公共財産の使用窓口は土木建築部海岸防災課というところです。まずそこに行きました。このような不当な協議書を受け取るなということでしたけれども、それを受け取っている、その内容を明らかにせよと迫りました。ところがこう言うんです。協議中につき開示はできませんと。これは前回の時は、2004年の12月頃には、協議中だったけれども開示したんです。12月議会で、県議会でも公然と開示されています。我々市民もそれを入手できました。

ところが今回は、開示できませんと。これはなぜかと言えば、国会内で赤嶺議員が久間防衛庁長官に、違法な事前調査は止めろと、協議書を開示しろという要求に対してどう答えたか皆さん新聞でご覧になったと思います。前回にはヤグラに阻止隊が上って引きずり下ろしたと、あのようなことにならないために資料は開示できませんというふうに言ったんです。これに対して僕らは非常に怒りを持っています。戦後60年も沖縄に過大な基地を押しつけて、さらにまた新たな基地を作る、何事かと。このように政府自体が沖縄の基地を減らす義務があるにもかかわらず、それをせずに新たな基地を作るとは何事かと、怒り心頭に発することであって、このように正当な我々の行為に対して、基地を作るのは絶対に許せんという怒りでいっぱいです。そういう意味で彼がこのようなことを言ったために、現地の那覇防衛施設局、そして沖縄県も、それに取り込まれて情報を開示できませんというふうな言い方をしております。

 さらに僕らは、実質的にこの内容を協議する環境保険部の環境衛生課にまた行きました。アセス法違反の事前調査のための協議書には協力するなと言いながら追求しました。皆さん前回のことを覚えているでしょうか。那覇防衛施設局が協議書を出すにあたって5名の専門家の意見がついていました。ジュゴンの専門家、珊瑚の専門家、ジュゴンに関していえば鳥羽水族館の担当官ですけれども、彼が言ったのはこういうことです、ジュゴンは音に対してどのような反応をするかわからないけれども、しかし大丈夫でしょういうふうな専門家です。彼らは自分らの意見に自信がないものだから、決して名前を明らかにしませんでした。それで僕らは覆面専門家という形で叩きました。

こういう形で議会でも叩くなかで、県としてもそのまま鵜呑みにするわけにいかなくなって9名の専門家を新たに選任をして意見を聴取しました。その中では山里清珊瑚礁学会の会長もおりまして、珊瑚礁の真上に基地を作るということは、人間に例えれば心臓に針を打ち込む物だという痛烈な批判をしました。そういう攻防戦の中であの協議書を一月で処理できるのが4月までかかった。4ヶ月も引き延ばすことができたんです。

 今回もまず、第一点にやるのは、一応受領したにしても、それをとことん追求して遅らすということ。56月のそのような珊瑚の調査を遅らせれば1年遅らすことができます。8年間、2014年に完成させるというのを1年遅らすと、2年遅らすというのがわれわれ市民の大きな闘いです。そうすれば沖縄県においてはあと一回、工事を着工する前に県知事選挙がやってきます。県知事選挙を勝ち取っていけば、海の許可を県知事が出さないということによって基地建設を止めることができます。そのような闘いが僕らの具体的な闘いであります。

 まず最初にやるのは、事前調査をいかに阻止するかということです。皆さんにもぜひ東京の防衛施設局、あるいは環境省に対しても攻め込んで、法律無視の事前調査はまかり成らんということを追及することによって、この協議書の同意を遅らせることができます。皆さん、事前調査ということを十分学習されて、あるいはアセス法も学習されていると思いますけれども、仮に一人ぐらい知らないという前提で話をしますと、アセス法によれば調査の方法を記載した方法書というのを公告縦覧していくところから始まります。しかし今県ができないのは、防衛施設局がそれの手続きが開始できないのは、基地の位置がまだ確定していないということですね。名護市、沖縄県と300メートル沖合に出しなさい、そうじゃないという格好でもめています。僕らからすれば耳くそ鼻くそのたぐいで、どっちでもつぶす対象であって、大して違いないですけれども、これがまだ決定をみていないから広告縦覧に移れないという事態ですね。

それから広告縦覧に移ったら一月は一般国民から意見を聴取すると、それを取りまとめて知事に出して、知事はまた31日以内に返事をするということで、手続きからいえば3ヶ月くらい要します。3ヶ月を要する手続きをやっていたら、さっき言った珊瑚の産卵期を逸してしまうということがあって事前調査になるわけです。この意見を聴取するというのが重要な所ですね。事前調査というのは、方法書を明らかにせずに、国民から意見も聴取せずにやりたい放題で調査するということです。法律ができた以上は、これの法律に基づいて調査するというのが当然の政府の義務です。そういう法的義務さえやらずに強引に調査に入るということですね。そういう暴挙をやろうとしています。

 逆に言えば、我々がそれを阻止する正当性がむしろ強まるということも言えるわけです。私たちは断固このような事前調査を、法律を無視し皆で意見を言う権利も奪う、このような暴挙は絶対に許さないということで、非暴力による現地での体を張った抵抗闘争で、それをまた阻止する体制を今作り上げているというところであります。

 そういう形でやりながら、今沖縄では二つの闘いが同時進行しています。一つは現場に於けるこのような阻止体制を作ることで、カヌーの訓練も始まりました。428の大きな取り組みに引き継いでいく。そして参議院補選、そして宜野湾市長選挙があります。宜野湾市長選挙では絶対に負けてはならない。普天間基地の閉鎖ということと同時に普天間基地の移転先を辺野古にというのが自民党公明党の方向です。ですから負けてしまえば辺野古への圧力は強まるということですから、是が非でも伊波市長を当選させて普天間基地の閉鎖と同時に辺野古への基地建設はまかり成らんということを勝ち取る。そういう意味で僕が属している平和市民連絡会も、今宜野湾市長選挙にも全力投球しながら闘いを進めています。

 僕は日帰りで、また明日選挙に参加するということで、日帰りとなっていますけれども、そういう状況が今あります。そして今日のテーマである米軍再編との関係でいえば、新たなる基地交付金が今回中身になっています。基地交付金というのは皆さんもご承知のとおり、この基地受け入れを同意したときに全体の2割ぐらいを交付しますと。次は環境影響評価の手続きが終わったら2割ぐらい交付しますと。そして、完成した時にいくら上げますという形で、つまり出来高払いですよね。基地建設に協力しなければ払いませんよということです。逆に言えば僕らが阻止していくということになると、誘致派からすればお前らが阻止するから金が貰えなくなるという形の分断工作でもあります。そういう意味で非常にむごい形の基地交付金がでると。大衆同士、県民同士を争わせるという仕組みの交付金で非常に残酷な交付金です。

 かって海上基地の場合は、1年につき100億、10年間で1000億円になります。あれは基地ができようができまいが交付されたわけです。ところがあんな形では政府としては効果がないということで、今言った出来高払いの交付金ということで促進派をしてプッシュさせると、反対派に対して攻撃させるという内容を含んだ基地交付金です。ですから我々は、岩国市長もこれには反対していますが、肝心の沖縄の仲井間知事はですね、これは必要ですという形で沿岸案に、今の状態のV字型には反対だけどと言っているけれども、本音が出ていると。これを受け入れたいということですから、協議会が3月末にもあって最終的に合意して基地促進で。

 そういう意味で非常に厳しい県内環境が作られてきますけれども、私たちはあの海上基地をつぶした、その大衆の力を信じ、勝つためにはどうすればいいかということを考えてみた場合に、まず現地に於ける参加者を増やしていくという、体を張って非暴力でありながら基地建設を止めていく、具体的に。そしてそれを支える大衆的な政治闘争として東京の拠点、名古屋の拠点、大阪の拠点で頑張って、その政策を進めている中央の日本政府に攻め込む運動を同時にやらなければこの闘いは勝利できません。そういう意味では、関東の皆さんは関東の皆さんの、やるべき仕事として中央官庁を攻めていくというやり方ですね。そのために我々沖縄が考えているのは、今後は東京と連帯して東京で集会を持つ、大阪で、沖縄からも繰り出して大阪でも集会を持つというような形のも目指しながら、以前よりもさらなる大きな輪を作り、自民党、公明党政府の沖縄への基地押しつけ、あるいは全国における日米同盟強化を突破する大きな闘いをともに作り出していきましょう。共に頑張りましょう。」

 その後米軍再編の一方の中心である神奈川から横須賀基地の原子力空母の配置の現状、基地撤去の闘いが報告されました。また沖縄現地闘争に実態的にかかわっている東水労青年女性部からの戦う決意表明を受け集会を終え、デモ行進に移っていきました。

 今回の集会とデモは緊急ということもあり充分な情宣活動が出来ず、参加者の数が心配されました。しかし最終的には150名を上回る人数が参集し、事の重大さを多くの市民が認識していることを確認することが出来おおいに心強ささえ感じました。デモは休日で多くの市民が集まっている渋谷の繁華街をサンシンあり、太鼓ありなどにぎやかに楽しく私たちの思いを、主張をおもいきり道行く市民に訴えることが出来たのではないだろうか。その後県は事前調査に同意してしまい、現在政府、防衛施設局本来中立であるはずの海上保安庁の大型船を連日辺野古沖合いに停泊させ、カヌーによる海上阻止行動をなりふり構わず暴力的に排除し調査を強行しています。このように阻止行動は本当に厳しい状況に追い込まれています。しかし現地辺野古での地道な粘り強い非暴力、実力阻止行動の闘い、そして全国各地で新基地建設反対の声が市民の中にゆっくりと、しかし、じわじわと浸透していき、ついには政府の、米軍の思惑を打ち破り沖縄の新基地建設を許さない、また日本を戦争する国にしないことが実現できるように願って今後も地道に戦い抜いていきたいものです




《本永貴子さんの訴え》

 米軍ヘリパッド建設を止めさせ、やんばるの森を守ろう!

東京・大崎の南部労政会館で4月16日夜に開かれた「やんばるの森を守ろう!米軍ヘリパッド建設を止めよう!! 4・16集会」で、なはブロッコリーの本永貴子(もとなが・たかこ)さんが報告した。集会は、なはブロッコリーと関東ブロックの共催で40人が参加。以下は切々と訴えられた報告の要旨。

〈米軍北部訓練場のあるやんばるの森の中心はイタジイという、モコモコしてブロッコリーのように見える木です。米軍の新しいヘリパッド(ヘリコプター着陸帯)建設予定地の東村高江区のみなさんが「ブロッコリーの森を守る会」をつくっているので、那覇に住む私たちはグループ名を「なはブロッコリー」にしました。北部には地下でつながっている国管理ダムが5つあり、それが沖縄島の水甕(がめ)ですが、うち4つが北部訓練場内にあります。やんばるには400㍍級の山がありますが、そこには氷河期の高山植物が残っていて、調査毎に新しい希少種が発見される世界的にも貴重な亜熱帯の森です。

 そこに米軍はヘリパッドをもっていますが、96年のSACO合意で訓練場の半分が返還されることになり、残る半分にヘリパッドが集中することになりました。米軍はヘリパッドを15カ所ももっているのに、さらに6カ所増設しようというのです。

増設で2カ所ずつセットにされるところが数カ所ありますが、そこに事故の多発で問題になっている垂直離着陸機・オスプレイが来るのではないかといわれています。このままいくと、高江はヘリパッドに囲まれることになるので、住民のみなさんが建設に強く反対しています。

 私たちは昨年、高江で行なわれたコンサートに参加し、住民のお年寄りが「手や顔が汚れたら水で洗うことができる。しかし沖縄の水甕であるこのダムの水が汚れたら、何で洗うのか」と言うのを聞きました。そこで水を使う側の那覇の住民として声をあげようと思ったのです。今年になって福地ダムや新川(あらかわ)ダムから大量のペイント弾や空砲、1万6千発以上が発見されました。それらでダムの水が汚染されているのですが、ダムの底に泥がたまっているので、まだ十分な確認がなされていません。

北部訓練場の特徴は民間地域との境目が全然ないことです。ですから県道76号線沿いに米軍兵士が大勢転がり落ちてくるという事態が日常的に起きています。サバイバル訓練や夜間のヘリによる無灯火訓練などが行なわれています。女性たちは訓練中は畑から早く帰るようにしています。県道沿いの草むらに銃をかまえた兵士が潜んでいたりするからです。サバイバル訓練は98年、「ジャングル戦闘訓練」に改称され、700名で1カ月の訓練が可能になりました。米軍にとっては北部訓練場だけが世界で唯一のサバイバル訓練場で、同盟国の軍隊も訓練しています。

高江の人口は156名、人口の5分の1くらいが小さな子どもたちで、子どもたちが最初に覚える言葉は「こわい」とか「うるさい」なんです。

県に申し入れを繰り返しているのですが、取り合ってくれません。1999年にヘリ墜落事故が起きているのに、「何があれば対応する」としか言いません。本当は何かが起こる前に対応すべきではないでしょうか。那覇防衛施設局も「米兵への教育を求める」と答えるだけです。156名の声が県に届かないなら、沖縄の声が日本政府に届くわけがない。人数が少ないから、中央から遠いから声が届かないなんておかしいと思います。みなさんも声をあげて下さい。〉

(井上澄夫)




新崎参考人が「負担軽減」を痛烈に批判

           --衆議院の安全保障委員会で--

 公然と「出来高払い」をうたった米軍再編特措法案を去る四月一二日、衆議院の安全保障委員会が賛成多数で可決した。翌一三日の衆議院本会議も賛成多数で可決、参議院へ送られた。

 それに先だって一〇日の衆議院の安全保障委員会では四人の参考人が招致され、同法案について意見が求められた。招致されたのは、軍事評論家の江畑謙介氏、大阪大学大学院法学研究科教授の坂元一哉氏、拓殖大学国際学部教授の川上高司氏、沖縄大学名誉教授の新崎盛暉氏。

 TVの国会中継では委員会会場は大きく見えた。しかし実際には意外に小さい会場だった。傍聴席はわずか一〇席、記者席も一〇席程度。委員は出たり入ったり、一番少ない時はなんと七人だった。少数会派で委員会をかけもちしている委員はやむを得ないが、まじめに聞いておらず抜け出したり、戻ったりしている委員の多いこと。

 新崎参考人は同法案を厳しく批判、「あくまで抑止力の維持強化が目的」になっていて、沖縄の負担軽減は大きくクローズアップされているのに事実は正反対だと指摘した。 「海兵隊がいなくなる、それは負担軽減になる、では、なぜ辺野古にV字形滑走路を持つ新しい空港が海兵隊基地として必要なのか?」、「普天間の海兵隊の施設等はほぼグアムに移るようですが、では、なぜ普天間代替施設として辺野古に基地が必要になるのか」説明がないと意見を述べた。また米国総領事は「普天間基地の周辺には八万人人がいる、辺野古には八千人しかいない、だから負担軽減だと彼は堂々と言っていますが、・・・それだったら、沖縄には百三十万しか人口がいない、日本には一億三千万いるから、沖縄に集中させれば日本全体としては負担軽減になる」のかと痛烈な批判。

 さらに基地を維持するための経済振興について、沖縄では「それは、家族的な共同体を含む地域社会を破壊してしまう、そういう問題をはらんでいる」と警告した。「沖縄の負担軽減という口実で、・・・アメリカ合衆国における基地の建設等にお金を出すんだという理由づけに沖縄が政治的に利用されている問題。ここに私は非常に大きな問題を感じます」。「初めての、やったこともない、外国に基地をつくることに金を出す、それを正当化する根拠として、なぜ沖縄を引き合いに出すのか。ここのところに、私は、ある意味では、ある種の怒りを感じます。もしそれがどうしても必要なら、沖縄を利用しないでやったらいい。なぜこれが沖縄の基地問題の解決であるかのごとく、みんなが言うのか、あるいは政府も言うのかという問題です」と発言。 胸がすく批判。そうだ、と思わず私も拍手してしまった。あとで傍聴券の裏に書かれた「傍聴人の心得」を読んだら「傍聴人は拍手をしてはならない」と書かれていた。え?

 新崎参考人には質問する委員がいなくて無視されるのではないかと、実はハラハラしていた。しかし実際にはたくさん出番があり、むしろ質疑の部分の方が面白かった。 

 最後に彼は、同法案は「日米の共同覇権主義の象徴であると答える以外にありません」。

 坂元、川上参考人は政府の御用学者。軍事評論家の江畑参考人は軍事オタクの立場から発言した。早口だがメリハリがあった。もっぱら軍事技術的観点からだが、たいくつしなかった。ずばり、安保条約の極東条項を批判。

 江畑参考人「お答えいたします。まず、極東条項の件ですけれども、これは客観的に言って間違いないと思いますが、現実にはほとんど意味をなしておりません。もう大分前からなしておりません」。そもそも「冷戦後のグローバル化の世界において、果たして極東という地理的概念が適切なものを持つのか否か。 極東条項という、あるいは極東の概念という解釈は変えた方がいい、もう廃止した方がよろしいかと思います」と。

 また再編交付金の説明がないことについても、「お答えしますというよりも、いや、一国民として、むしろそれは国会において、皆さん民主党の方々を初めとしてぜひ聞いていただきたいことで、我々国民、納税者としてみれば、今、笹木議員がおっしゃられたことは全く確かにわかっていない、説明が十分にできていないというふうに言わざるを得ません」とあてこすり。

 他に質問した公明党の遠藤(乙)委員にいたっては、お笑いである。「三月の上旬に委員会の理事でグアムの現地を視察いたしまして、・・・グアムには基地はあっても基地問題がないということなんです。私、もう一つ、グアムは基地の島になるんでしょうけれども、場合によっては基地観光というカテゴリーもあり得るんじゃないか。F22をウオッチング、ホエールウオッチングじゃなくてF22ウオッチングとか、そういうこともあれば、かなり安全保障オタクの人には観光の一つのあれにもなるだろう、まさに観光振興の一つのあれになるかなと」。いくら与党で賛成側の質問とはいえ、ネジがほどけてしまってはいないか?                                              (吉田 正司)




 事前調査反対の東京行動

  防衛省、成果を「使うかどうか、わからない調査」と発言

 環境省は「サンゴ調査は疑問」と認める

去る四月二四日午前、那覇防衛施設局は地元の反対を無視し、辺野古新基地建設のための事前調査に着手した。辺野古の海上で再び調査船と抗議の阻止船との間での闘いが始まった。

 事前調査を開始させてはならないと去る四月一八日午後、沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団などのメンバー四人が東京行動を行なった。沖縄選出の赤嶺議員(衆議院)が防衛省と環境省の担当者を議員会館に呼んで辺野古の事前調査について質問、辺野古実行委員会(関東ブロックなど三五団体で構成)も二〇人が同席した。

赤嶺議員に質問された防衛省担当者は四人。同議員は衆議院安全保障委員会で事前調査について鋭い質問を展開、久間防衛大臣もたびたび答弁してきた。この日は「疑問は全然解消していない」と再質問。「事前調査はアセスと違うというのなら、アセスの時にまた同じ調査をするのか?別の調査をするのか?」と核心点を突いた。

防衛省は「現況調査であって、環境事前調査ではない」と回答。その調査業務名と履行期間・契約金額表を延々と読み上げた。契約ベースでの金額で、合計六〇億円。名護市と沖縄県とで合意していないため、滑走路の位置が確定しておらず辺野古沖まで含んだ「広域調査」になっており、うっかり(その成果を)「使うかどうかはわからない調査業務」だと失言。同席した実行委員会メンバーも「使わないかもしれないのなら、税金のむだづかいではないのか!」と非難の声があがった。

この後に議員会館に呼ばれた環境省担当者は五人。初めから「アセス法は方法書の前の調査を禁じているものではない」と高飛車な解説をした。しかし沖縄からのサンゴ専門家の追及で、同省のサンゴ専門官も「たしかに目的不明の調査」だと認めた(*)。当初はなめらかに事前調査も「事業者の自由」と言っていたのに、だんだんにそのトーンが落ちた。環境省のスタンスが「防衛省に口は出せない」とする点については、同席した全員が強力な反論。実行委員会メンバーも「環境破壊を目前にして黙っているのではなく、はっきりモノを言いいさえすれば、それを防ぐことができるはず」と発言した。             

なお、防衛省が延々と読み上げた調査業務費用が六〇億円もの巨額になることは見過ごせない。それらは二〇〇六年と二〇〇七年の契約であるが、辺野古沖計画(九九年の閣議決定による)の時までに既にかかった費用は実に六五億三千万円(**)。九六年の時のボーリング調査費用である一二億九五〇〇万円と併せるとなんと七八億円である(すべて歳出ベース)。これらはすべて支出済みである。何も造らないうちに、これら費用が国民の税金から支出されたのである。

さらに今回、成果を「使うかどうか、わからない」調査に六〇億円も支出するのである。湯水の如く使う、という表現があるが、まさにその通り。今回も特別に調査しなくても、その成果を活かせるはずである。それとも全然使えない調査ばかりしたとでもいうのだろうか? その巨額費用はドブに捨てたのと同じではないのか。

しかもこれらは調査費用だけである。辺野古の基地建設には埋め立て費用が約二、〇〇〇億円、その他に滑走路・駐機場の建設や移転費用に一、〇〇〇億円かかる。実に合計三、〇〇〇億円以上かかるのである(***)。

* 翌日の琉球新報紙も二面に大きく報道した。

     * 内訳は二〇〇一年二億円、二〇〇二年三億二千万円、二〇〇三年一三億八千万円、二〇〇四年一八億八千万円、二〇〇五年二七億三千万円。財務省主計局の鈴木正則次長が国会で明らかにした金額。          

 *** 読売新聞のWEB記事、二〇〇六年五月一〇日付けによる。                                      (吉田正司)




全面敗訴の判決    --「地籍不明地ではない」--

 去る4月24日、那覇地裁は一坪裁判について判決、全文24ページです。嘉手納の使用認定と裁決とについての取り消し請求は全面敗訴です。

 使用認定は2003年11月8日、裁決は2005年7月7日のものです。米軍駐留も合憲、特措法も合憲判断で、違憲かどうかの判断は「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外」。特措法も「地位協定の義務を履行するためには強制的に使用し、または収用することは必要」と述べています。

 嘉手納の共有地が地籍不明地かどうかについては、被告(国と沖縄県)主張どおり「位置境界を争っているものでもない」し「補償金を受領していたことが認められる」ので、地籍不明地ではないとの判決。 さらに裁決前の任意交渉についても、「任意交渉をすることを起業者に義務づける規定はない」し、一坪反戦地主と「使用に関する合意が成立する可能性がないことは明らか」だから、申請の要件ではない--としています。

 それならどうしてこれまで防衛施設庁は「任意契約が基本、任意交渉が望ましい」と表明してきたのでしょう? 防衛施設庁をもしのぐ判決内容です。それに「補償金を受領していたことが認められる」というのも、受領拒否してきた私としては不可解で、気になるところです。供託されても受領していたことになるのでしょうか。(吉田)




三月二四日に最後のロウソク集会:韓国から

ピョンテク・テチュ里

2007年4月29

Mow(ソウル在住)

二〇〇三年三月二四日、ピョンテク米軍基地拡張予定地であるペンソン鄙で毎晩行われてきたロウソク集会が、九三五回目にして最後を迎えた。

二〇〇四年の秋に私がはじめて訪れた時には予定地の外のポンジョン里農協前で行われていて、本集会の前は村の人々のカラオケ大会になっていて和気あいあいとした雰囲気だった。本集会でも私たちのグループが前に出ると一曲歌え!の声がかかり、女性メンバーが「おはこ」の韓国の歌を歌ったのをよく覚えている。その後ポンジョン里のペンソン住民対策委本部前のビニールハウス、ケソン初等学校の校庭、テチュ里の農協倉庫と会場を移してきた。

会場となる農協倉庫は昨年五月四日の強制執行で破壊された初等学校のすぐ隣にある。今も後者の瓦礫の山が横に残されている。最後となったこの日には、村外からも多くの支援者が来ていた。五〇〇人くらいはいただろうか。住民の用意した弁当をいただいて、集会開始。

集会では、この闘争にかかわった多くの人々が発言した。

住民とともに闘い、昨年五月四日のケソン初等学校取り壊し強制執行では校舎の屋根に陣取っていたムン=ジョンヒョン神父は、住民たちの闘いを次のように評価した。

「かつて日帝時代に追い出されたときも、米軍に追われたときも、住民は黙ってそれに応じた。それが今回は三年も戦い続けた。これは住民の大きな成長である。この次は絶対負けないってことだ!」

もしも本当にこの次があるとすれば、それは米軍基地のさらなる拡張を意味する。本当にそんなことがないように願いたいが、これで三度目となる追い出しをくらうことになった住民にとっては、それは現実みのある話かもしれない。神父の言葉は、負け惜しみのように聞こえるかもしれない。そう。負け惜しみだ。集会の場にいた誰もが、負けを感じていただろう。だがその負けの悔しさを、慣れ親しんだ土地を追われる悲しみを、アメリカの、国家権力の理不尽さを、住民とともに共有しすることにこそ、この日集まった意義がある。テチュ里の住民は、今後も基地を背負って生きてゆかなければならないのだから。住民は四月なかばまでに近くのソンファ里に仮移転。同じペンソン鄙のノワ里に移住団地が造成されるのを待って二年後に本移転する予定だ。

最後に、住民と支援者の前にはキムチを漬ける壷が用意された。これに各々のメッセージや小物を入れて、タイムカプセルとしてテチュ里のどこかに埋めるのだそうだ。いつか、何十年後かに、住民が帰ってきた時に、これを開こうと。それはテチュ里の地をいつか取り戻すんだという決意であった。私も、たまたま持ち合わせていたピックとともにメッセージを書いて壷に入れた。

どうか、この壷が拡張工事で破壊されませんように。




長編ドキュメンタリー映画『ひめゆり』を観て

    伝えようとする強い意思                    会員 上里 

 スクリーンにひめゆり平和記念資料館内部の展示室が、浮かび上がる。そこにはセーラー服姿の女学生たちのモノクロの遺影がずらりと並んでいる。場面は変わり、生存者が静かに語る。「つらいですよね、話すことは。でも話さなければいけないですからね。だからもう命のある限り、それは引きずって生きなければいけないでしょうね」。映画『ひめゆり』はこうして始まる。

 この映画で語られる一人ひとりの「体験」はまさに地獄絵図そのものだ。薄暗い壕の中で負傷者の傷口に湧いた蛆のクチュクチュとひしめく音。横穴式の粗末な手術室で行われる上腕や大腿部の切断手術のさま。落としたヘアピンを探そうとしゃがみこんでいると爆弾が落ちた。生と死は紙一重。その爆風の直撃を受けた壕の中では大勢の仲間たちが重傷を負い、あるいは死んでいる。脳みそが流れ、血が噴出し、散らかる肉の塊。「これが戦争だよ」婦長さんの言葉にガタガタ震えが止まらない少女。日本軍とともに南部に撤退していくなかで解散命令が出され、生徒たちは米軍の包囲網の中へ放り出される。あてもなく戦場をさまよい、追い詰められ、つぎつぎと目の前で教師や友人たちが死んでいく。そして「だれか私を殺して」という叫び声…

 沖縄陸軍病院に動員されたひめゆり学徒に限っていえば、222人中生き残ったのはわずか99人。身体の傷のみならず皆が生涯癒えることのない心の傷を負っている。それを乗り越えて自らの体験を語り始めることができるようになったのは、戦争が終わってから40年ほどの年月を必要としたという。ひめゆり学園の生存者たちは戦争の実相を後世に伝えるため、1989年にひめゆり平和祈念資料館を設立する。その5年後に、証言を映像に記録することを監督の柴田昌平氏(43)に依頼する。柴田氏は『平和への祈り~ひめゆり学徒の証言』を製作し、資料館で上映され続けている。その後も13年にわたり22人の生存者の証言を撮り続け、この映画が誕生する。

 ドキュメンタリーの映画によくあるナレーションが『ひめゆり』には一切ない。必要最低限の字幕による解説と、話の内容に沿う形で挿入される沖縄戦の記録映像なども控えめで、証言者のことばをできるだけそのままの形で観客に届けることに徹している。それにしても、よくもこれだけの証言を記録できたなと思う。それは撮る方と、撮られる側に確固とした信頼関係があり、伝えようとする強い意志で結ばれていたからできた事なのは間違いない。悲惨極まりない内容の話も多いが、見終わった後は元気が湧いてくる。良い映画にはそういう力がある。小学生でも高学年ならきっと理解できるはず。

 526日(土)からJR東中野駅の「ポレポレ東中野」でロードショー上映が始まります。皆さまにお勧めします。(■共同製作■財団法人沖縄県女師・一高女ひめゆり同窓会。

2006年/130分)





――主催:沖縄・一坪反戦地主会関東ブロッ――

1972年5月15日に沖縄が日本に復帰、それから

35年目の5・15防衛省抗議行動へ結集を                                                                                        


わたしたち沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックは、35年目の今年も沖縄の日本復帰の意味を問う行動を呼びかけます。復帰前と変わらない米軍基地の重圧。それどころか、日本から米軍基地が移設して来て米軍基地の75%が集中するまでなってしまっている今の沖縄。平和憲法の日本に復帰すれば基地はなくなって平和になるはずだったのに。この上、さらに新基地を辺野古に造ったらいったいどうなる? <戦後0年>状況にある沖縄をヘリ基地反対協の仲村善幸さんが熱く語るのを聞こう!                 

15()PM30防衛省前抗議行動

 ▼沖縄からのゲスト PM7:30屋内集会(ルーテル市ヶ谷センター)

  ルーテル市ヶ谷センター:JR市ヶ谷駅から徒歩4分東京メトロ有楽

線、南北線市ヶ谷駅の5,6番出口から徒歩1分。参加費\500




<Vol.185(02.28)>

(ひんぷん)
 
沖縄は今、米軍の島・全党訓練場


 沖縄で今、何が起こっているのか。1996年のSACOの最終報告から10年を経て、沖縄は今「米軍の島・全島訓練場」と化しています。あまりにもたくさんのことが起こるので、収拾がつかない感があるかもしれません。私の頭の中もいっぱいいっぱいです…

 沖縄では今、かつてないほど米軍の訓練の激化・基地機能強化が進んでいます。連日、深夜に及ぶ訓練や、嘉手納基地・辺野古沖でのパラシュート降下訓練、宜野座村松田の民間地での国道に銃口を向けた訓練(朝の9時から夕方5時まで続いた)、東村平良沖の提供区域外での訓練(施設局に問い合わせても「ありえない」というばかり)、嘉手納基地へのF22配備など数え上げたらきりがなく、まるで戦場のような状況です。

 

嘉手納基地

  2月7日、伊江島で行うというSACOの最終報告を無視して、1998年・1999年に続いて3回目のパラシュート降下訓練が行われ、217日、嘉手納基地に米軍の最新鋭戦闘機F22が2機、18日にも8機のF22が追加配備され、沖縄の空は更なる危険が増し、基地の機能強化と固定化が進んでいます。自衛隊との共同訓練にも使用されるという報道もあり、いずれ日本政府が購入するのではないかといわれています。購入価格は1機200億円以上(F15約4機分)、許せないことに、人殺しの機械にまた私たちの血税が使われるかもしれません。

2月10日に「嘉手納基地へのF22ステルス戦闘機の配備に反対する抗議集会」(嘉手納第1ゲート・参加者・約500人)、18日には再び「緊急抗議集会」(安保の見える丘)が行われ、約30人が参加しました。(いずれも主催:平和運動センター)

2004年に「おおむね3年をめどに移還」と発表され、2007年度末に予定されていた嘉手納ラプコンの移還の遅れも報道されました。緊急時のスクランブルへの影響が出ない範囲での移還となっているのです。しかし、米軍基地の返還が実現しないままの嘉手納ラプコンの移還は、民間人に戦闘機と民間機の両方の運行を任せることになり、軍事への動員体制を整えるものになるのではないでしょうか。

 

辺野古

 辺野古にあるキャンプシュワブへの新基地建設問題は、平和市民連絡会では基地内にある文化財の調査をめぐり、名護市教育委員会や防衛施設局との折衝に追われていましたが、ここに来てV字案の位置の修正問題で沖縄県・名護市と政府の間にひずみが出ています。

 沖縄県・名護市は「沖合いへ修正」案を主張し、政府は「現行のまま」を譲らず、このままでは政府の希望する「3月上旬までに方法書を送付する」のは困難ではと言われています。しかし、方法書が送付されれば60日間の公告・縦覧を経て知事意見が出され、手続きとしては、調査を始めることが出来ることになります。県が、方法書受け取らない、あるいは知事意見の提出を「例外的に」延期するなどのことが起これば、調査機関に珊瑚の産卵時期が重なり、時間を稼ぐことが出来ます。また、知事が辺野古海域の調査を許可しなければ、アセス調査を始めることは出来ません。というわけで、(不本意ながら)みんなで知事に(もちろん基本は押さえた上で)応援?の意見を送りましょう。( 郵送 〒900-8570郵便番号のみでOK  FAX 098-8662467 いずれも「知事へのたより」あて /   メール kouhou@pref.okinawa.jp

 

宜野座村松田&東村平良

 2月13日午前7時ごろ宜野座村松田の潟原海岸で、移動訓練をしていた米海兵隊の水陸両用車1台が故障、半日にわたって立ち往生しました。その間、複数の米兵が民間地内で国道329号線などに向かってM16を構えていたことが報道されました。「銃は空砲で安全」と米軍は答えています。しかし、提供区域外でしかも住民に銃口を向ける行為は、それ自体すごくおかしいし、許されることではありません。宜野座村議会では19日、抗議決議を採択しています。

 2月15日午後2時、なはブロッコリーのメンバーの携帯に東村平良の知人から連絡が入りました。平良湾の沖100mぐらいのところに、米軍の戦艦がとまり、ヘリコプターが飛び交っているとのことでした。平良湾は提供区域外、早速マスコミに連絡し防衛施設局に問い合わせてもらいました。しかし、那覇防衛施設局の回答は「提供区域外なので訓練はありえない」の一点張り、話になりません。しかし、今までも提供区域外で訓練が行われ、後日連絡があることが多々あるのです。

 私たちが考えている以上に米軍は「沖縄は米軍のもの」と考えていることがわかります。沖縄に住むものたちは、人間扱いされているのかさえ疑わしくなる状況です。このまま米軍再編が進めば、いずれ沖縄のどこへ行っても我が物顔で銃を持ち訓練する米兵の姿が見られるようになるかもしれません。そしてそれは、本土の米軍基地周辺でも起こりうることではないでしょうか。

 

東村高江

 昨年8月から活動しているなはブロッコリーでは、東村高江区を囲むように作られようとしている「北部訓練場の過半返還に伴うヘリパッド」に反対して、これまで1月22日・24日の両日、那覇防衛施設局・沖縄県・沖縄県文化環境部似たいし申し入れを行い、2月14日には東村高江区の皆さんが県議会各会派への陳情を行うことを支援してきました。

 2月5日には東村高江区から、2月8日にはなはブロッコリーからそれぞれ陳情書が県議会に出され、14日からは2月定例議会が始まっています。各会派の代表質問や、議員の一般質問に東村高江区へのヘリパッド建設問題・北部訓練場の環境アセスメント問題・ペイント弾問題等を入れてもらう予定になっています。

 北部訓練場内には5つの国管理ダムがあり、それらは地下で繋がっていて全体でひとつのダムとして機能しているのですが、先月相次いでその中の2つのダム(福地ダム・新川ダム)でペイント弾など1万2000発が見つかりました。県民の生活用水の60%を供給している国管理ダムですので、県民の関心は大きく、2月14日には県議会でも抗議決議が全会一致で採択されました。しかし、きちんとした調査が行われているのか、ダム周辺の水源地への調査がなされていないなど問題は山積みのままです。

 なはブロッコリーでは、早急にパンフレットを作成しようと準備を進め、カンパを呼びかけています。

 そのほかにも、報告したいことは山ほどあります。それぐらい沖縄の状況は今、緊迫しているのです。関東ブロックの皆さん、3月16日から行われる伊江島学習会&スタディーツアーや、5月13日に予定されている嘉手納基地包囲行動に、ぜひご参集下さい。そして、沖縄で今何が起こっているのか。「日本」という国がどこへ行こうとしているのかを見てください。

なはブロッコリー代表本永貴子




北部訓練場へのヘリパッド建設問題

福地ダムおよび新川ダムの安全についての陳情

要旨

下記の審議を陳情する

1.        北部訓練場の過半の返還に伴う残存地域へのヘリパッド移設に  ついて、環境アセスメントのやり直しについての審議

2.        福地ダム・新川ダムを含めた北部訓練場全体の公開環境影響調査、および安全の確認までの北部訓練場の全面使用禁止措置についての審議

理由

 1996年SACO合意によって発表された北部訓練場の過半返還に伴うヘリパッドの移設について

世界的に見ても類を見ないほど貴重なヤンバルの森は、世界自然遺産に登録しようと県を上げて取り組んでいる最中であり、ヘリコプター着陸帯の新設による環境・生態系への影響は計り知れない。

評価図書案によると、ヘリコプター着陸帯建設予定地はG地区をはじめとして希少動物であるノグチゲラ・ヤンバルクイナ等の生息地であり、希少動植物は400種を超えている。アセスメントの中で報告されている動植物の移動・移植によって生態系が維持されるのか疑問である。1000羽を切ったヤンバルクイナをたとえ1羽でも減らしてしまうことは、種の保存がなされないということと同じではないか。

 また、「既存のヘリパッド15個がすでに存在しているにもかかわらず返還地からの移設がなぜ必要なのか」「どのような機種を使いどのような訓練を行うのか」「住民生活への影響についての十分な説明がなされていない」等々十分なアセスメントがなされたとは言えない。

 県条例によると環境アセスメント対象となるヘリポートに対する基準が30m以上であるにもかかわらず、さらには一般的に「ヘリパッドとヘリポートの明確な違いはない」にもかかわらず、今回の環境アセスメントを「自主」アセスとした根拠がない。

 よって、上記「要旨1」の審議を陳情する。

 平素より米軍の使用している北部訓練場の中に位置する福地ダム・新川ダムを代表する国管理ダムは、県民の生活用水のうち、60%近くの水を供給するいわゆる「県民の水がめ」である。北部訓練場内にある国管理ダムは5つ。そのすべては地下でつながっており、全体で一つのダムとして機能している。にもかかわらず、今年1月福地ダム・新川ダムへの米軍による不法投棄が行われていたことが判明した。その数は日々増え続け、すでに1万2000発を超え県民の安全を脅かしている。

 1月31日付の新聞報道によるとダム内のペイント弾等は回収された。とはいえ、その不法投棄された弾と水質検査で発見された成分との関連は明らかにされておらず、県民は日々不安を抱え水道水を使用している。

ダムの水はダム内だけでなく、水源地全体をもって供給されている。水源地全体が北部訓練場としてサバイバル訓練等に使用されていることを考えれば、水源地全体への不法投棄の有無を確かめなければ、県民の水がめの安全が確保されたとは言えない。さらには、北部訓練場の使用状況を明らかにし、今後このようなことの起こらないという保障のない限り、県民の命を守る意味でも北部訓練場の使用を禁止するべきである。

県民だけでなく、観光客も使用する水。大切な子どもたちの口にも入る水。影響があれば、沖縄県の大事な観光産業にも大きな打撃を与え、沖縄は文字通り「人の住めない島」になってしまう。

よって、「ダム・水源地の安全について徹底した調査を行い、県民・マスコミに対し公表し、安全確保の確認されるまで北部訓練場の使用禁止を米軍・日米両政府に求めること」を審議するよう「要旨2」の通り求め、陳情する。

 沖縄県議会議長 仲里 利信様

                              2007年2月8日(木)         
              なはブロッコリー
代表者 本永貴子






東村へのヘリパッド建設の撤回を求める陳情

要旨

米軍は東村高江区を取り囲むように、ヘリパッド(ヘリコプター離着陸帯)を新たに6箇所も建設しようとしているが、沖縄県議会として、ヘリパッド計画の撤回を求める意見書を決議し、日米両政府に働きかけていただきたい。

理由

高江区では、現在でも米軍のヘリコプターにより、昼夜を問わず民家上空を低空飛行する訓練が行われており、その際の騒音や、平成114月に起きたヘリコプター墜落事故を始めとする事故の危険に悩まされ続けています。区内にある小中学校の真上を米軍のヘリコプターが通ることもあります。高江区を取り囲むように新たなヘリパッド建設が実行されれば、訓練の激化により更なる騒音被害・事故など、住民環境への影響は計り知れず安心して暮らすことは出来なくなります。

 また、今年1月には、北部訓練場に隣接する「県民の水がめ」、福地ダム・新川ダムから米軍が使用したと見られる弾薬類が1万発以上回収されるなど、水質汚染等による水の安全に対する問題も、深刻な危機に直面しています。高江区民は、主に農業により生計を立てている状況であり、ヘリパッド新設により訓練が激化することは必至であり、高江地域への汚染も起こるのと予想されます。

 高江区では、昔から自然とともに暮らしてきました。この地域はヤンバルクイナ・ノグチゲラ等の世界でも大変貴重な動植物が生息しており、世界自然遺産の候補地として選定されるほどの豊かな場所です。子どもたちの未来のため、自然環境を守る観点からも何としても保護しなければならない地域です。

 高江区の住環境・県民の水がめ・豊かな自然を守るため、県議会としても「新たなヘリパッド建設に反対し、計画の中止を求める」決議をし、日米両政府へと働きかけていただきますよう強く要請いたします。

沖縄県議会議長

仲里 利信 殿
                                     20072月5日

住所 沖縄県国頭郡東村字高江98

東村高江区 区長

仲嶺 武夫




沖縄に新米軍基地を作らせ

ない集会

  =辺野古沿岸案と高江ヘリパット建設を阻止するために

 

(主催 辺野古への基地建設を許さない実行委員会)

 

    講師   真喜志好一さん

 

 95年の米兵による少女暴行事件を契機として沖縄の人々の「もう我慢ならん。米軍は沖縄から出ていけ」の声は最高潮に達した。その声を受けて日米両政府は沖縄の米軍基地の負担軽減を旗印にして1996年、宜野湾市の中心部にあり最も危険な軍事空港といわれる普天間基地を返還することに合意しました。しかしその代替施設として辺野古に軍事空港を建設するということも合意したのでした。いわゆるSACO合意といわれているものです。日本政府は沖縄の基地軽減をうたい文句にしていますが、そのことが明らかにうそであることが判明してきています。例えば海兵隊1万人のグアムへの移転が実はもともと海兵隊は沖縄に5千人しかいなかったので沖縄の負担軽減とは名ばかりで、沖縄住民をだまし、その移転費用だけ(約7千億円)を日本の住民に負担させるだけである。また北部訓練場の約半分を返還すると発表されましたが、現実は訓練施設の単なる再編統合であり北部地区の基地はむしろ拡大しているのが実態です。日本全土における沖縄の米軍基地の占める割合は75%から71%になっただけです。政府の掛け声とは裏腹に沖縄の基地負担はほとんど変わっていません。その上、沖縄の地で戦後51年間は新たな米軍基地を作らせていなかった実績を覆し日米両政府は辺野古に新米軍基地を、そして北部訓練所に隣接する東村高江区に新たなヘリパット基地を作ろうとしているのです。

 1997年12月の名護市民投票で「海上ヘリ基地案」は否決され、2002年7月の「軍民共用空港案」は反対住民、支援者の座り込み行動で中止に追い込まれました。しかし2005年10月以降、キャンプシュワブ沿岸案が突如浮上し、2006年5月1日、日米両政府は辺野古と大浦湾沿岸部に2本の滑走路を持つ軍事空港と、軍港を建設することを発表したのです。そして環境アセス法を無視して事前調査を強行しようとしています。また高江区には現在でも15のヘリパットが存在し、その上世界でも唯一のジャングルでのサバイバル訓練場として新ヘリパット基地を建設するための環境アセス計画が昨年の2月から着々と進められているというのです。

「SACOの合意とは何を意味するのか」

「新な基地建設はどういう経過で出てきたのか」

「新米軍基地建設を阻止するために今重要なことは何か」

について真喜志好一さんに得意のパワーポイントを駆使して簡潔にわかりやすく講演していただきました。その内容の一端をここで紹介させてもらいます。

真喜志さんは言います。

「95年9月4日、米兵による少女暴行事件で県民の総意として基地の整理縮小、地位協定の見直しを日米両政府に突きつけていった。そこで日米政府は11月SACO発足。96年4月,発足からわずか5か月足らずで普天間飛行場返還を含む中間報告を出した。その意図は何かを究明するため宮城先生を中心に米軍の文書を掘り起こしてみるとSACO合意による基地の移設とは実は基地の新設であるということ、米軍の長期計画にもとづいたものであるということがはっきりしてきた。そして米軍の側に立って整理してみると

SACO合意は3つのグループに分類すると非常に合理的であることがよくわかる。

 ひとつは50年以上たった古い施設は返還し使いやすい新しい施設に更新していくということ。例えば通信施設の象の檻は返還し、キャンプハンセン基地に新設した通信施設に変えていく。またそのほかにも病院、住宅を新設していくなどです。

 ふたつ目としては現在進められようとしている浦添の軍港建設や辺野古の海上基地建設は1966年の段階ですでに米軍は計画しており、今始まったではなく長期的展望の下に計画されたものであるということです。

 まず浦添軍港計画ですが1968年の米軍工兵隊の作らせた文書があります。浦添の牧港補給廠の沖合いをしゅんせつし深くしてその土砂で埋め立てをして軍港をつくる。そうすると補給基地とつながるので便利になる。そのほかにも1972年ごろの文書にキャンプギンザーとつなぐアクセスロードを作ると外部からの目隠しが出来、反米分子デモをしても安全に物資の輸送が出来るなどしゃあしゃあとかかれています。すでにその道路は作られており那覇港のコンテナ基地の荷揚げの7割を占めている米軍関係の物資をこのアクセス道路を使いスムースに輸送が行われている。

 次に辺野古海上基地のことです。1966年1月海兵隊が辺野古に3000mの滑走路を持つ飛行場を計画している。そしてその暮れの12月には海軍が大浦湾に軍港をつくる計画を追加している。そして1997年国防総省の報告にこの計画が載っている。30年間米軍はこの計画を保持してきたのです。この報告書には戦闘機装弾場が追加されています。この計画は2005年10月29日の沿岸案とぴったり符合します。そしては滑走路が約400m延長されています。これは明らかに戦闘機装弾場を意味していると思われます。このように辺野古の新基地建設は沖縄県民の要求である普天間を返しその代わりに出てきた建設計画ではまったくなく、米軍の長期的計画であるということが分かると思います。そしてこの計画は日米合作であるということです。1966年大浦湾は米軍によりボーリング調査済みであり、そして1997年日本政府により南の方もボーリング調査が終わっている。このように日米両政府の協力の下に計画が進んでいるのです。ちょっと話はそれますがこれからの闘いとして今までより困難なことは提供水域が民間人の立ち入り禁止区域であるということです。今までのように海上阻止行動が出来なくなるということです。これは非常に問題であるといえるでしょう。

三つ目ですが、オスプレイの訓練場の新設ということです。この訓練施設として高江のヘリパット基地が浮上してくるのです。オスプレイは期待の安定を取るのに翼の両端に着いたプロペラをうまく安定させる必要があります。その安定を保つのが難しく、墜落を繰り返しており、何度か生産を中止したにもかかわらず、高江のヘリパット基地に配備されようとしているのです。この新設されようとしているヘリパット基地では米軍のジャングルにおける訓練が行われようとしています。米軍は歩行ルートといっていますが、点線で記されているように決まったルートを通るのではなく、明らかにジャングルの戦闘訓練を意味しているといえます」。

真喜志さんはこのようにSACO合意の意味するところをわかりやすくお話してくださいました。

そして最後になりますが今私たちがやらなければならないこととして、環境アセス法を無視して防衛庁が強行しようとしている事前調査をとめることを強く訴えられていたのが印象的でした。防衛施設局にまず方法書をつくらせるよう環境省に強く要請していく必要があるということです。その上でしっかりとその方法書に意見を言っていくことが大切であるということです。今行われているジュゴン裁判、そして現地沖縄での戦い、そしてこの東京の地での地道な活動を通してなんとしても新基地を作らせないようにしていきたいものです





グアムと琉球との開発にリンケージ戦略

       
松島泰勝氏(東海大学海洋学部海洋文明学科助教授)


日本政府は、琉球内において振興開発と基地をリンクすることで、基地を固定化しようとしている。同じようなリンケージ戦略の適用がグアムと琉球との間にもみられる。シーファー駐日米大使は、海兵隊の移転開始がキャンプ・シュワブ沿岸部基地建設の進捗と連動するとの考えを示した。グアムにおける海兵隊受け入れのために、住宅建設、電力・水道等のインフラ建設が実施される予定である。シーファー大使は「沖縄の労働力の確保や産業界のチャレンジに平等な機会を設けたい」と延べた。(『沖縄タイムス』200724日)辺野古の新基地が完成しなければ、琉球企業はグアムにおける「基地特需」の恩恵を受けられないとしている。振興開発を餌にして新基地を建設しようとする論理である。

 下地幹郎・衆議院議員は琉球企業のグアム投資を活発に求めている。同議員のウェブサイト(200652日付記事「グアム視察の目的」)には次のような記述がある。「今回グアム移設にあたり、日本政府が拠出する膨大な予算で、上下水道や住居など、基本インフラ整備が行われることで、戦後61年間沖縄県内における米軍基地のインフラ整備を行ってきたという実績のある沖縄の産業界が、如何なる役割を担うことができるかも模索してみたいと考えております。そして、グアム視察の状況を纏め上げ、沖縄県のあらゆる産業界に報告をし、グアムにおけるインフラ整備に沖縄側が大きな役割を果たせればと強い期待を持っております。また、そのような環境を作り、今、経済的に厳しい状況にある沖縄経済を活性化させることが、私ども政治家の役割であると認識しております。

 昨年5月、下地議員に同行してグアムのカレオ・モイラン副知事が浦添市の儀間光男市長を訪ねた。その際、儀間市長は「普天間や嘉手納での空軍の訓練を減らすことが県民の課題となっており、さらなる受け入れは相互の利益につながる」とし、「グアムでの基地建設では沖縄の労働者や技術力を導入していただければありがたい」と述べた。(『琉球新報』2006520日)経済の活性化を掛け声にして、辺野古の新基地建設を認めるような見解が琉球側からさらに出るように、グアムの「基地特需」が利用されるのではないか。

 グアムではまだ基地関連の開発は始まっていないが、軍事機能の増強による好況を期待した投機的動きが見られる。4年前の一戸立て住宅の平均価格は約11万米ドルであったが、昨年12月のそれは約17万米ドルに上昇した。(Pacific Islands Report2/7)住宅や土地価格が上昇することによって最も被害を受けるのが、島の貧困層である。乱開発によって路上生活者が増加し、島の生態系が破壊され、犯罪も増えるだろうという声も聞こえる。

 グアムでは基地建設による利益が島の内部で循環するように、地元民を建設労働者として養成する学校を設立する計画がる。しかし、海兵隊の移設による経済的損失を埋め合わせるために、琉球の労働者をグアムの基地建設において活用すべきであると、沖縄県庁が日本政府に要請するのではと、グアム側が懸念している。(Pacific Islands Report1/22

 概して、グアム政府、グアム商工会議所は基地機能の強化を歓迎しているが、琉球側が利益を得ることを心配しているのである。1972年の「日本復帰後」、琉球が日本企業や日本人によって支配されてきたことを、今度は琉球企業や琉球人がグアムのチャモロ企業やチャモロ人に対して同じことをやろうとしている。

現在、グアムにあるチャモロ・ネーションという団体を中心とする「グアムの平和と正義のための連合」はオンライン上において、同島で強化されている基地機能に反対する主張に対する国際的な支援を求めている。特に琉球からの海兵隊移設の決定過程においてグアムの人間が排除されてきたことに異議を唱えている。またこの基地機能の強化は、グアムの環境、社会、文化、政治経済からみて島に深刻な影響を与えるとしている。(Pacific Islands Report 1/29)グアムにはチャモロ人という先住民族が住んでいる。チャモロ人の先住権を基にして基地反対運動を展開しているのがチャモロ・ネーションである。私がグアムに住んでいたころ、同組織の代表であったエンジェル・サントス氏と話したことがあるが、文字通り体を張って米軍基地に抵抗していた。グアムにはこのような基地移設に反対する人間がいることを琉球側は明確に認識する必要がある。グアムが米国だから海兵隊移設を当然と考えたのでは、世界の人から琉球の反基地運動は共感をえられないだろう。

 日米両政府は、琉球の新基地を建設するための取引材料として、グアムの「基地特需」を琉球の経済界に提示している。一部の人々はそれに非常に関心を持って行動している。仮に琉球の企業や労働者がグアムに進出することで琉球の経済が好況を呈しても、かえって失うものの方が大きいのではないか。「競争力」をもつ琉球の企業や労働者が、中小のグアム企業を尻目に「基地特需」による成長を享受し、利益がグアムから琉球に還流することになる。その結果、グアムのチャモロ人は琉球人、琉球企業を支配者側、搾取する側としてみなすようになろう。そうではなく、琉球とグアムは互いに協力し合って日米の従属体制から脱却し、島の自立、自治を実現する「兄弟の島」になるべきであると考える。





横須賀から

「原子力空母母港の是非を問う住民投票を成功させる会」

                     共同代表新倉裕史


 2月8日、横須賀市議会本会議で、「原子力空母の是非を問う住民投票条例」は否決された。賛成10名、反対31名の大差だった。しかし、「成功させる会」に集まる人々には不思議なほど敗北感はない。
 
 もちろん、41591筆もの市民の声が無視されたことは、とても悔しいし、残念ではある。けれど、この4ケ月間、横須賀市民が力を合わせてなしとげた住民投票条例の直接請求運動が、否決によってその輝きを失うことはない。署名運動の広がりの中で、市民の声がこの町を変えうることを私たちは実感した。否決によってこの実感が消えることもない。むしろ足りなかったものを冷静に考えることによって、実感はより確かなものになっていると言っていい。
 
 130年続く基地の町で、原子力空母の配備について、住民投票条例の直接請求を実現できたと。この意味がなんと言っても大きい。当初、誰もが直接請求は難しいと思っていた。しかし、市内各層の幅広い協力が生まれ、直接請求が実現した。
 
 署名運動のスタート時の目標は法定数のクリアだった。受認者の目標も1000人。それが受認者は2200人を越え、署名は法定数の6倍近くも集まった。
 こうした市民の関心の広がりは、条例に反対した議員にも、少なからぬ動揺を与えたと思う。総務常任委員会では、条例反対議員が4万人の署名の重みを口にした。本会議で請求人の意見陳述を聞いた議員が、「賛成したくなった」とつぶやいたとも聞いている。
 
 請求人の意見陳述。3日間本会議傍聴席を満員にした市民。総務常任委員会の傍聴席も、定員の2倍の席が設けられた。07年2月の横須賀市議会臨時議会。その主役は間違いなく、市民だった。
 
 それにしても、なんでもっと賢く迫らないのかと思う。市民の不安をバックに、基
地問題でイニシアティブをとることが、安全性のより確実な確保のためにも大切なことだというのは、誰にも分る理屈なのに、市長はそれをしない。原子力空母の配備は国の専権事項と言ってしまうのは、どうぞご自由におやりくださいということだ。横須賀が基地の町として継続・強化されることを認めてしまったということに、市長や条例反対議員はどこまで、自覚的なのだろうか。
 
 「成功させる会」は運動の継続を、否決された日の声明で明らかにした。個人的には、横須賀の町を変えることができるんだという、希望と自信を、しっかりとこの町に根付かせることが大切だと思う。2200人の受任者、署名をしてくれた4万人の市民、議会の判断に注目していた多くの市民にそのことを伝えたい。そのうえで、第二ステージをどのように描くのか。
 
 「何度でもやるよ」というのは、直接請求運動のなかで、公然と語られていた合い言葉だが、その選択肢も含め、当面は4月の市議選で条例賛成の議員を増やすことを視野に入れた取り組みがある。そして、4月以降、本格的な第二ステー
ジは始まる。

「原子力空母母港の是非を問う住民投票を成功させる会」
共同代表新倉裕史
原子力空母の横須賀母港問題を考える市民
の会HPより(h tt p: // ww w. p as op it .c o. jp /





二十年余を振り返って

                            上原成信

 先日の関東ブロック総会で私は「代表」を辞任しました。満八十歳を越して、ひと様との約束も忘れがちになり、組織に迷惑をかけそうな予感がしたので任務を解除して貰いました。残った運営委員の諸君が今後の運営について、いろいろ相談をした結果、当分は代表なるものを置かず、全員で手分けして任務を分担するということにしたようです。今後のブロックの運営について、皆さんのご支援ご協力を私からもお願いいたします。
 
 関東ブロックの結成大会は八三年六月二三日で、今では取り壊されている、野方駅前にあった野方青年館で行われました。昔のことで、手許に記録も残っていませんが、参加者も百人ぐらいはいたような気がします。議事の殆どは忘却の彼方ですが、今回の総会に来て記念講演をしていただいた新崎盛暉さんが沖縄から駆けつけて挨拶をしました。新崎さんは一坪運動の提唱者ですからまあ、当然のことでしょう。
 
 また、当時自治労本部の副委員長であった仲吉良新さんも来ていたのをよく覚えています。自治労の沖縄県本部委員長であっ
た仲吉さんが、本部入りすることについては沖縄の運動が衰退すると反対の声も多かったのですが、副委員長というポストにつられてか、彼は東京に来たばかりでした。
 
 これだけを書いてから、何か記録は残っていないかと思いめぐらしたら、『おきなわの声』という自分も編集に加わっていた月刊紙の縮刷版のことを思い出しました。その八三年七月号を開いたら、べた記事ながら『一坪反戦地主会 東京でも結成』の見出しで「当日は、反戦平和を願う人たち百三十余人が集まり、沖縄からも仲間の代表として世話人新崎盛暉氏が駆けつけた」とありました。連絡先は北区十条・沖縄研究会となっていました。
 
 同じ頁には三段見出しで『参院選 喜屋武氏が圧勝』の記事がありました。革新統一候補の喜屋武真栄氏が自民党公認の西銘順志郎氏を七万票差で破ったと書いてありました。
 
 また、次の頁には『新潮社降参 上原氏等勝訴』と私ほか一名が名誉毀損で週刊新潮を訴えた裁判の控訴審の記事が載っていました。その記事には東京控訴裁判所という私なら絶対書かない表現があるので、記事は私ではなく山城文盛氏が書いたに違いありません。
 
 発足時の代表は複数で、金城唯温、山城文盛など四、五人いました。私がその中に含まれていたかどうか定かではありませんが、気がついたら私も代表の一人になっていました。
 
 私より十歳も二十歳も年上の先輩方は次々になくなり、十数年前から私だけが取り残されて代表という名を背負ってきました。
 
 沖縄の反戦勢力が米軍基地トラブルや政府の反動的立法に抗議するための上京行動に協力することはたびたびありました。反戦地主会長の照屋秀伝さんたちが国会本会議で傍聴席から抗議して逮捕されたときも、議員でもない弁護士でもない私どもは、何をすべきかよくわからず、うろうろ、おろおろさせられました。
 
 そんなことはいくつもありましたが、一番記憶に残っているのは、九五年秋のアメリカ大使館前での徹夜座り込みでした。月日は覚えていませんが、小学生の子どもが三人の米兵に強姦されたというあの衝撃的な事件への抗議行動でした。問題が問題だけに、大使館門前のお巡り連中も、私たちにいちゃもんは付けませんでした。
 
 ひとしきり騒いだ後、正門右側の芝生に坐ったり寝ころんだりで時を過ごしました。通りかかったタクシーの運転手が車を止め、ウィンドーをあけて千円か二千円かのカンパをくれたし、近くの酒屋さんはジュースを二ケースも私たちを励ますために持ち込んでくれました。ニュースを聞いて横浜から駆けつけたという人もいました。
 それはわずか十年前のことに過ぎないのに、今ではアメリカ大使館には近づけません。百メートルも手前で警官隊に阻止されます。世の中は悪くなってきています。
 
 しかし、明けない夜はない、振り子は行きっぱなしではなく戻ってくる、とも言われます。それは気休めかも知れませんが、自分の心を奮い立たせて、初心を貫きましょう。年取った私に失う未来はほとんどないので、逮捕されても多分平気です。時々息抜きをしながら、鼻歌を歌いながら、一緒になって政府の悪政にたて突いていきましょう。




カンパの要請

 1996年のSACO合意で、北部訓練場の約半分の返還が発表されてから10年の月日が経ちました。当初、返還予定地にある7個のヘリパッドのうち6個を残る地域に移設するという条件付の返還計画は・環境団体・学者などの反発を呼び、断念したように見えました。しかし、昨年の2月、環境アセスメントの計画が着々と進められていることがわかったのです。しかもそのヘリパッドは、北部訓練場に隣接する東村高江区を取り囲むように建設されようとしています。

 現在でも高江区では、ヘリコプターによる昼夜を問わず深夜まで無灯火での訓練や、食料を持たず訓練場内で捕食するサバイバル訓練、訓練場内にある国管理ダムでの水上訓練などが行われています。高江区民は小中学校の真上をも飛ぶヘリコプターによる騒音被害や事故の恐怖に悩まされています。また訓練場と住宅地域との間にはそれと分かるような境界線もなく、区内の道路わきまで出てくる武装した兵士による事件・事故の恐怖にさらされ続けています。実に草むらに隠れ、民間地域に向かって銃を構えていたりするのです。

 さて、返還されずに残る地域にはヘリパッドがないのでしょうか?そうではありません。今も15個のヘリパッドが存在しています。ではなぜ新しいヘリパッドを米軍がほしがるのか。答えは、辺野古との関連にあります。事故が多いことでも有名な「オスプレイ」というアメリカの新型輸送機での訓練が行われるのではないかといわれているのです。これは、辺野古に基地が作られると沖縄に配備されるといわれ、それを裏付けるように、建設予定図には2つのヘリパッドが隣接した場所が2箇所あり、オスプレイの滑走路になると推測されます。

 また、北部訓練場のあるヤンバルの森は世界でも類を見ない豊かな自然のある森です。ヤンバルクイナやノグチゲラなどの希少動物をはじめ、日本に生息する動植物の実に4分の1が生息し、イタジイの木を中心に豊かな生態系を保っています。そして、県民の飲み水として供給される大切な水源地でもあるのです。

 先月、北部訓練場に隣接する福地(ふくち)ダム・新川(あらかわ)ダムで、米軍のものと見られるペイ
ント弾・照明弾・使用済み手榴弾・散弾銃など、1万2000発以上が見つかりました。いまや米軍基地により水の安全までもが脅かされていることが明らかになったのです。

 私たち「なはブロッコリー」は、昨年8月から高江区の皆さんとともに話し合いながら、ヘリパッド問題
に取り組み活動してきました。今まで、デモ行進や勉強会、県・防衛施設局への申し入れ、抗議の記者会見などを行っています。
今回、東村の方々から「東村議会はオール与党という状況なので、この問題があまり知られていない。もっと知らせてほしい」という要望があり、早急にパンフレットを作成し、まずは東村を手始めにポスティング
しようと決め、準備を進めています。なはブロッコリーは実質3人の自腹で活動してきましたが、現在資金
不足に悩んでいます。そこで、全国の皆さんにカンパの要請を行うことにしました。

 私たちのモットーは「ヤンバルの森の生態系の中心をなすイタジイの木になったつもりで頑張ること」。イタジイの木はまるでブロッコリーのような形をしているのでこの名前をつけました。どうぞ・皆様の暖かいお力添えをよろしくお願いします。
〈カンパの送り先〉郵便貯金:17010-16061551 名義:なはブロッコリー
※送金先は郵便貯金口座なので、振替用紙ではなく、「郵便振替電信振込依頼書」を用います。
          2007年2月16日なはブロッコリー代表本永貴子





2007225

2007年度 関東ブロック総会報告

テキスト ボックス: 2007年2月25日
2007年度 関東ブロック総会報告
        2007年度関東ブロック総会は去る25日、都内で開催されました。活動報告・方針とも承認され、運営委員全員留任のほか、山内徳信氏の参議院選挙支援を決定しました。

参加会員は、30人。佐藤運営委員が司会し、金城会員を議長に選出。活動報告の提案・承認後、上原代表が特別発言。1983623日の関東ブロック結成時(仲吉良信氏も同席)や1995年秋の米国大使館前での徹夜の座り込み等を回顧し、「今では大使館に近寄ることもできなくなって情けない!」と語りました。また「この総会をもって高齢のため代表を辞任する」と発言しました。

決算報告と活動方針・予算案も承認され、事務局長・会計と運営委員13人の全員留任を確認しました。また上原さんが関東ブロック顧問に就任することが併せて報告されました。

質疑では、会員数と会費納入状況についての質問がありました。関東に居住する一坪地主は約900人いるが、会費未納の地主への発送を中止したため、現在は約270人の地主に通信を送付しており、その内150人から会費が納入されていること、別に通信購読会員が130人おり、毎月約400人に発送しているとの報告がありました。

また参議院選挙に立候補予定の山内徳信氏を「辺野古基地建設阻止の国会議員」にするため支援することを決定、山内徳信氏からのアピールが紹介されました。

この後、新崎盛暉氏の「沖縄をめぐる状況と沖縄闘争の課題」と題する講演が行われました。記念講演の参加者は73人でした。参加者からの質問では、県知事選での「車があっても運転者がいなかった」状況や「異常に多数の期日前投票は食い止められなかったのか」等のほか、3年後の知事選「体制」はどうすべきか、若い人々の運動参加はどうなっているのか―等でした。講演内容は次号(3月号)に掲載予定です。

 

2006年度活動報告

【1】反戦地主を支援するとりくみについて

① 公開審理闘争への参加について

  牧港補給地区の反戦地主の土地の強制使用をめぐる公開審理が3回開催されました。一坪関東ブロック結成の源点にこだわり毎回、運営委員が頑張って参加し、通信で審理内容を報告し、特措法の下でも継続している反戦地主の闘いの意義を訴えました。

1回 36日、第2回 52日、第3回 69日。

② 学習会の開催

  新しい会員を対象に反戦地主の闘い、公開審理闘争の意義を理解し反戦地主を支援する取組みを作り上げていこうと連続学習会の一環として池原秀明氏(反戦地主会事務局長)をお招きして学習会を開催しました。参加者は50

【2】辺野古への基地建設を許さない取組みについて

辺野古実行委員会の中核として6月までは毎週,7月から毎月1回の防衛庁行動と駅頭情宣を軸にしながら以下の取組みを行いました。

① 1月に米軍再編により基地の強化を押し付けられている自治体に「ともに生活を守ろう」と、基地強化に反対している運動体には「ともに政府に手を焼かせよう」と呼びかける文書を発送して全国の人々が力を合わせて米軍再編に反対する闘いを広げていこうと呼びかけました。

② 225日に米軍再編についての学習会を開催しました(講師は真喜志好一氏、参加者は40名)。

③ 35日に沖縄の県民大会と連帯して辺野古沿岸への基地建設を許さない集会とデモをおこないました(参加者は300名)。同県民大会代表団9人の東京要請行動の時に行われました院内集会(参加者60人)にも参加しました。

④ 岩国市民投票支援のカンパをおこないました(金額は総計50万円。関東ブロック20万円、辺野古実30万円)。

⑤ 330日に外務省、防衛庁への要請行動をおこないました。

⑥ 423日に許すな憲法改悪市民連絡会との共催で市民憲法講座を開催しました。

⑦ 毎週行動のほかに43478日に防衛施設庁前で名護市長、県知事にたいして政府案に屈するなとの激励行動を連続して行いました。

⑧ 71日に新たな実行委員会の立ち上げもかねて、辺野古への基地建設を許さない集会を開催しました(参加者250名)。

⑨ 530日に閣議決定に抗議する首相官邸前行動をワールドピ-スナウと共同で行いました。また626日には米軍再編を強行する小泉訪米に抗議する官邸前行動をワールドピースナウと現場前の共同行動としてとりくみました。

⑩ 9月 日にキャンプシュワーブ内の遺跡発掘調査の強行と不当逮捕に抗議する防衛庁行動を行いました。

⑪ 1028日に遺跡調査と環境アセスメントについての学習会を行いました(講師は土田武信氏、参加者は50名)。

【3】515行動について

復帰34年を問う!辺野古沿岸案反対!の防衛庁行動と集会を開催しました。防衛庁前で集会を行い、沖縄に基地を押し付けつづける政府の政策を糾弾する抗議文を手交しました。集会では平良夏芽氏が日米の辺野古沿岸案合意後の辺野古現地の闘いの現状や完全非暴力の闘い、今後の闘いへの準備、決意などについて報告しました(参加者は180名)。

【4】1012日に迎撃ミサイルPAC3の配備強行に抗議する防衛庁行動を行いました

日本政府は米軍再編の最終報告ではPAC3の配備については「日本国内の既存の米軍施設」としか合意していたにもかかわらず県知事、地元の市長が反対している中で配備を強行しました。ミサイルの搬入に対して沖縄平和運動センター、平和市民連絡会が3日間にわたる座り込み闘争で阻止しました。しかし日本政府は機動隊を導入して配備を強行しました。この政府の暴挙に対して緊急の抗議行動を行いました(参加者は70名)。

【5】連続学習会を開催しました

721日 テ-マ「海兵隊のグアム移転と沖縄経済を考える」

       講師 松島泰勝氏(東海大学助教授) 参加者 50名 

926日 テ-マ「沖縄反戦地主の闘い 米軍用地の強制使用に反対して」

       講師 池原秀明氏(反戦地主会事務局長) 参加者 50

【6】沖縄県知事選挙への支援カンパをとりくみました

県知事選挙は辺野古への基地建設を阻止するためにはなんとしてでも勝利しなければならない重大な選挙であることを訴えて支援カンパ運動にとりくみました。糸数候補は立候補圧倒的の立ち遅れの中で奮闘しましたが勝利することはできませんでした。280の広範な労組、市民団体、個人からのカンパがよせられ189万円を選対本部におくりました。

【7】チバリヨー中野に参加しました

中野区職労呼びかけの実行委員会に参加し、辺野古のビデオの上映、販売、パネル展示、辺野古アクションの販売を行い、中野区民に辺野古への基地建設の問題を訴えました。

【8】東京沖縄県人会青年部主催のアシバ祭に参加しました

辺野古のビデオ、一坪通信、辺野古アクションの販売、チラシの配布、祭りでのアピールなどを行い参加者へ辺野古への基地建設を許さない闘いへの支援を訴えました。

【9】運営委員が各種集会に参加して辺野古への基地建設を許さない闘いへの支援をよびかけました

10】一坪通信の発行

機関誌と同時に沖縄の闘いと現状を知らせる情報誌として、また座間、岩国、韓国の米軍基地強化に反対する闘いの記事も掲載しながら沖縄、本土、韓国の連帯で米軍再編を許さない闘いの広がりを呼びかけました

11】インタ-ネットで沖縄にかんする情報を発信しています

 

 

2007年度活動方針

日本政府は「普天間飛行場の移設に係る措置に関する協議会」の場で県、名護市をとりこみ協議をかさね辺野古沿岸への基地建設にむけて動きだしています。那覇防衛施設局は環境アセスメントの方法書の作成と公告・縦覧、シュワ-ブ沿岸域の環境現況調査、海域調査の県への同意を求める「公共用財産使用協議書」の提出の動きなど基地建設にむけての環境アセスメントの手続きに入ろうとしています。

日本政府は、在日米軍再編の最終報告に盛り込まれたキャンプハンセンの日米共同使用について米国との協議に入り本年度中に米軍と自衛隊の共同訓練を開始し、海兵隊と陸上自衛隊の一体化を進めようとしています。

嘉手納基地のF15戦闘機の訓練の本土への一部移転については、2007年度中は6基地で15回程度の訓練が実施されることが決まりました。訓練の本土への移転は日米の相互運用性の向上であり米空軍と航空自衛隊の一体化を進めるものです。年間7万回とされる嘉手納基地のF15戦闘機の離着陸回数の削減幅については明らかにされていません。

那覇防衛施設局は、東門沖縄市長の契約解除の通知を無視し返還軍用地の跡地に陸上自衛隊の射撃訓練場の建設工事に着手しました。

嘉手納基地では、迎撃ミサイルPAC3の強行配備、深夜から未明の米軍機の離陸訓練の強行、8年ぶりのパラシユ-ト降下訓練の強行、さらに最新鋭のF22Aラプター戦闘機の将来の配備にむけての一時配備など基地機能の強化が進んでいます。

今国会に米軍再編促進法案が提出されようとしています。法案は計画の進捗状況に応じて交付金を4段階に分けて交付する、さらに沖縄の負担軽減を口実にして在沖米海兵隊司令部要員のグアムへの移転費用を日本側が負担するものです。「アメ」と「ムチ」によって自治体に受け入れを強要するものです。外国への基地建設についての費用を負担するのは現行の法律に違反するものです。 

米軍のイラク派兵の増員の一環として普天間基地から海兵隊のヘリコプター部隊がイラクの民衆を殺戮するために出撃しています。

基地機能の強化が進む中で、基地問題が最大の争点となる4月の参議院議員補欠選挙と、7月の参議院議挙と大事な選挙が続きます。また513日には嘉手納基地包囲行動が予定されています。

このような状況の中で私たちは命を守る会、ヘリ基地反対協を始め平和市民連絡会、沖縄平和運動センターとの結びつきを強めながら、首都圏において労組、平和民主団体、市民団体との連携を深め辺野古沿岸への基地建設、沖縄の基地強化を許さない闘いを作り上げていかなければなりません。

 

1】反戦地主の闘いへの支援、連帯の取組みを行います

・反戦地主会との交流ツア-へ参加していきます

・強制使用問題などについての学習会を行い会員の一坪地主としての自覚を高めていきます

2】辺野古沿岸への基地建設を許さない闘いを支援していきます

 辺野古への基地建設を許さない実行委員会の中軸としてより幅広い支援運動を作り上げていきます。

3】東村高江区の人々のヘリパット建設反対の運動を支援していきます

4】浦添の人々の那覇軍港の浦添移設反対の闘いを支援していきます

5】韓国の人々反基地闘争、地位協定(SOFA)の改定を求める闘いと連帯していきます

6】労組、平和、民主団体、市民団体と共に関東の地において沖縄の闘いと結びついた反戦平和の闘いを進めていきます

7】沖縄の基地問題などについての連続学習会を開催していきます

8】一坪通信の内容の充実と購読者の拡大を進めます

9】ホームページの内容の充実について討議をすすめていきます

102008年に結成25年を迎えるに当たり25周年記念事業について検討していきます

117月の参議院選挙では辺野古への基地建設と基地機能の強化を許さない沖縄の声を国政に反映させるために山内徳信氏(社民党比例区候補)の当選にむけて首都圏で支援運動を行います

会計報告

2006年度決算報告

 

 

200611日~20061231

収入

2005年度実績額

2006年度予算額

2006年度決算額

会費    

176,000

253,000

173,000

「一坪通信」購読料 

551,000

780,000

535,000

「一坪通信」売上

 

 

19,300

カンパ等

798,111

 

457,022

辺野古へのカンパ

341,820

 

2,000

沖縄一坪へのカンパ

1,825

 

 

岩国市民投票へのカンパ(*

 

 

102,786

知事選へのカンパ(**

 

 

1,895,981

集会収益

49,000

 

171,500

冊子等売上

77,280

 

48,171

辺野古ビデオ売上

170,950

 

37,440

辺野古実賛同金

35,000

 

 

損失補償金

19,965

 

 

雑収入

8,000

 

 

前期繰越

932,469

637,142

637,142

3,161,420

1,670,142

4,079,342

 

支出

2005年度実績額

2006年度予算額

2006年度決算額

「一坪通信」印刷費

719,115

550,000

478,133

「一坪通信」送料

326,361

350,000

350,515

運営費(旅費・会場費)

197,076

250,000

272,790

事務所維持費

72,000

72,000

72,000

事務用品費

56,028

70,000

31,328

印刷費

2,490

30,000

25,468

通信費

108,424

120,000

112,790

送料

24,000

70,000

157,746

振込手数料

5,335

10,000

27,285

賛同金

35,000

50,000

31,000

辺野古へカンパ送金

432,422

13,000

13,000

反戦地主会へのカンパ

63,000

 

 

沖縄一坪へのカンパ

1,825

 

 

岩国市民投票カンパ送金(*

 

 

200,000

知事選カンパ送金(**

 

 

1,759,301

冊子等売上送金

 

 

20,322

辺野古ビデオ売上送金

425,600

43,090

43,090

辺野古実賛同金送金 

41,000

 

 

損失補償金送金 

14,602

5,363

5,363

雑費

 

36,689

 

次期繰越

637,142

 

479,211

3,161,420

1,670,142

4,079,342

 

      

 

郵便振替

200,929

 

 

現金

278,282

 

 

次期繰越金合計

479,211

 

* 岩国市民投票へのカンパは、集まった金額に一坪で97,214円を足して送金しました。

** 沖縄知事選へのカンパ金額から、カンパ呼びかけにかかった費用(送料103,026円、印刷費10,054円、振込手数料23,600円)を差し引いた金額を送金しています。(キラめく沖縄をつくる会ご承知済)

会計監査報告

会計の市原さんの作成された会計報告をチェックしましたが、問題はありませんでしたので、ご報告いたします。 2007221日 加藤俊也

 

2007年度予算案

                               

20071月~200712

収入

2006年度実績額

2007年度予算額

会費

173,000

251,000

「一坪通信」購読料

535,000

756,000

「一坪通信」売上

19,300

 

カンパ等

457,022

 

辺野古へのカンパ

2,000

 

岩国へのカンパ

102,786

 

知事選へのカンパ

1,895,981

 

集会収益

171,500

 

冊子等売上

48,171

 

辺野古ビデオ売上

37,440

 

前期繰越

637,142

479,211

4,079,342

1,486,211

 

 

 

支出

2006年度実績額

2007年度予算額

「一坪通信」印刷費

478,133

450,000

「一坪通信」送料

350,515

350,000

運営費(旅費・会場費)

272,790

270,000

事務所維持費

72,000

72,000

事務用品費

31,328

40,000

印刷費

25,468

30,000

通信費

112,790

120,000

送料

157,746

70,000

支払手数料

27,285

10,000

賛同金

31,000

30,000

辺野古へカンパ送金(*

13,000

2,000

岩国カンパ送金

200,000

 

知事選へのカンパ送金

1,759,301

 

冊子等売上送金

20,322

 

辺野古ビデオ売上送金 (**

43,090

37,440

損失補償金送金 

5,363

 

雑費

 

4,771

次期繰越

479,211

 

4,079,342

1,486,211

 

 

 

* 辺野古へカンパ送金は、2006年度未送付のものです。

 

** 辺野古ビデオ売上送金は、2006年度未送付のものです。

 

《一坪通信》 2006年度決算 / 2007年度予算案

 

200611日~20061231

収入

2005年度実績額

2006年度決算額

2007年度予算額

購読料 (*) 

551,000

535,000

756,000

「一坪通信」売上

 

19,300

 

差引損失

500,251

279,708

50,000

1,051,251

834,008

806,000

 

 

 

 

支出

2005年度実績額

2006年度決算額

2006年度予算額

印刷費 (**)

719,115

478,133

450,000

送料

326,361

350,515

350,000

事務用品

3,675

3,675

4,000

振込手数料

2,100

1,685

2,000

1,051,251

834,008

806,000

 

 

 

 

 *   支払 239

 

 

 

   未払 139名    

 

 

 

 

 

 

 

** 2004年度印刷費5ヶ月分の請求が翌年に繰り越されているため、2005年度の印刷費が増額になっています。

 

 

山内徳信さんから総会へのメッセージ

参議院選挙比例区(全国区)への出馬にあたってのメッセージ

 

山内徳信()

メッセージをお送りいたします。

沖縄一坪反戦地主会・関東ブロックの皆さんの、防衛省前における果敢な闘いと、辺野古現地の座り込み並びに海上闘争を物心両面から支えて下さいましたことに対し、心から敬意を表し感謝申し上げます。

さて私は、120日那覇市内において、722日予定の参議院選挙比例区(全国区)への出馬表明を行いました。

決意するまでに、社民党関係者や、沖縄で反基地平和の為に闘っている多くの先輩後輩の皆さん方からの強い要請を受け『決意』いたしました。

決意するに至った理由は、日本の政治状況が戦後最大の危機に直面しており、日本国民の『命』とも言うべき憲法が改悪され、戦争への道へ進もうとする政治に対峙し闘わねばならないと決意しました。

日米軍事同盟の一体化は、日本をアメリカの軍事的植民地化を永続させるものであります。再編協議の結果は最悪な事態で、またしても辺野古海岸域に新たな「V字型」基地の押し付けであります。

 

私は「覚悟」しました。

辺野古の「おじいさん」「おばあさん」たちと共に戦いの先頭に立ち、襲いかかる権力に抗し、自然を(陸と海)を守り、ジュゴンと人間の生活を守り、地域社会の発展と平和憲法の理念を実践する国会議員になろうと決意いたしました。

政府ならばなんでも出来るという傲慢な発想に立つ「辺野古基地建設計画」の前に、私は敢然と立ち上がり、糾弾し、抵抗し、計画撤回を求めて闘います。平成の「田中正造」となり、アメリカのバーバラ・リーや、ガンジー、阿波根昇鴻の闘いに学び、「風の如く、水の如く」闘いたいと考えております。

 

皆さんへのお願い

最後に、選挙区は、北は北海道から南は沖縄県の与那国まで、それこそ全国区であります。皆様方のご家族、知人、親戚、地域の人々にも声をかけていただき、目標達成ができますよう心からお願い申し上げメッセージといたします。

(以上)





<Vol.184(01.21)>


2007年1月15日
防衛施設庁抗議行動

辺野古からの電話メッセージ

金城祐二さん(命を守る会)

 去年は非常にお世話になりました。今年は座り込みから1002日を数えます。沖縄では春のような日々が続いておりますが、東京ではお寒い中たくさんの皆さんがお集まりをいただき本当にありがとうございます。

 いずれにしても、いまだ建設の方法書、アセス等が決まったわけではありません。久間防衛庁長官は、大臣はですね、我々を愚弄するかのごとく、あっちの案、またこちらの案という形で沖縄県民を本当にたぶらかしているような状況です。

私たちのこの長い長い闘いも、なんとか皆さんのお力で今日まで闘い抜けたということは、本当にこの運動にとって、これから大きな展望を開くことでありましょう。

どうか皆さん、今後ともよろしくお願いをいたしましてご挨拶といたします。ありがとうございました。

 

当山栄さん(沖縄平和市民連絡会)

 こんばんは。沖縄から報告、連帯あいさつをします。

 防衛施設庁前の皆さんご苦労さんです。もう日も暮れて暗いところだと思います。

 沖縄では、先週の木曜日、111日に平和市民連絡会、それからヘリ基地反対協と一緒になって那覇防衛施設局交渉をやりました。キャンプ・シュワーブ内の文化財調査にあたって客観的にかつ厳正に調査するにあたって、調査現場に考古学の専門家並びにマスコミを最小限入れるように尽力せよという要求交渉を行いました。

 ところが那覇防衛施設局は、名護市教育委員会から名簿提出されたら米軍にそれを持っていって交渉するという言い方をしておりますけれども、マスコミの現場立ち入りに関しては難色を示している状況があります。そういう意味で、是が非でもマスコミの現場立ち入りを実現していきたいと思います。

 もう一点、117日、水曜日、県知事交渉を反対協と平和市民共同で行います。119日に普天間基地移設協議会が開催されます。その際、沖縄県は稲嶺県政の暫定ヘリポート案を放棄してV字型沿岸案を微調整して国と合意に達しようという方針転換を図ろうとしています。これに対して私たちは断固抗議をし、このような県民無視の沿岸案を拒否するように強く要請行動をし、沿岸案反対行動を貫徹していきたいと思います。

 東京の皆さん、関東の皆さんも防衛施設庁に対する要請行動等を展開されることを強く要望いたします。ともに頑張っていきましょう。




2007111

那覇防衛施設局局長 佐藤勉殿

ヘリ基地反対協議会沖縄平和市民連絡会

キャンプ・シュワーブ内の埋蔵文化財調査について

ご存知の通り、キャンプ・シュワーブ内には、過去の部分的にして初歩的な調査によって、思原遺跡、思原石器出土地、思原長佐久遺物散布地、大又遺跡が確認され、本格的な分布調査が待たれています。全面的・本格的調査が実施されれば、琉球の古代史を解明するほどの貴重な文化財の発見と保存が大きく期待されています。

 名護市教育委員会は2007年度からシュワーブを含め全面的な埋蔵文化財の分布調査を計画しています。ところがその矢先、防衛施設庁はキャンプ・シュワーブ内の陸地をも使用して、米軍の飛行場を建設しようとしています。事業計画案(マスタープラン)の提示がないなかで、那覇防衛施設局は予定地内にある2棟の兵舎移転先における文化財の有無について照会してきました。名護市教育委員会はそれに回答するために、近く試掘調査などを実施しようとしています。

 私たちは当該地域における貴重な埋蔵文化財調査にあたって、県民の財産である貴重な文化財を保全する立場から、厳正にして客観的に調査がなされるよう、調査の計画、実施、結果についての情報の公開を名護市教育委員会に強く要請してきました。教育委員会は、民間地域におけると同様、基地内の調査であっても情報の公開と調査現場への専門家とマスコミ等の立ち入りは当然であるとし、そのような立場から事業者でもある那覇防衛施設局にも文書で要請したとの回答をしました。

 事業者である那覇防衛施設局は当然のこと、名護市教育委員会に協力すべき立場にあります。

 そこで、私たちは貴職に下記のように要請します。誠意ある回答を心からお願いいたします。

1  今回のキャンプ・シュワーブ内の埋蔵文化財の調査については、広く県民が注目しているところであり貴職にあっても、県民の立場に立って調査が厳正にして客観的に実施されるために、調査に関する関係資料をもの都度公開すること。

  2  調査の客観性を保障するため、民間地におけると同様、調  査現場は広く県民に公開されるべきでありますが、少なくとも第  三者としての考古学の専門家、県民の目としてのマスコミの立ち  入りの実現をはかること。

教委文第452

平成1919

那覇防衛施設局長 殿 

名護市教育委員会
 教育長 稲嶺 進

キャンプ・シュワブ埋蔵文化財試掘調査にかかる情報公開等について(要請)

 平素より文化財保護についてご理解、ご協力いただき感謝申し上げます。

 標記について、照会のありました部分の試掘をまもなく実施する予定でありますが、調査を開始するにあたり、下記のことについてご配慮くださるようお願いします。

     文化財保護の理念に則った「調査内容原則公開」の立場を   保障し、調査の客観性を確保すること。

     教育委員会が、埋蔵文化財だけでなく天然記念物も含めた   総合的な調査ができるようにすること。

    以上要請します。




沖縄県東村高江より

Voice of Takae   玉元かよ

 沖縄本島北部の東側にある、東村高江は、人口約140名そのうち小中学生14名、未就学児14名(過疎の進む田舎で、2割が子供というのはすごいです よね)いて、豊かな自然の中で、お年寄りから赤ちゃんまで、静かなこの集落で平和に暮らしています。高江は手つかずの自然が残されている地域で、週末に は本島中南部から、都会の疲れを癒しにドライブしにくる方も多くいます。動植物の研究者の方々や、自然保護に携わる方は、声を揃えてこの地域が世界遺産 にできる程の、貴重な地域だという事を繰り返し言われています。

 けれど、ご存じの方も多いとは思いますが、昨年、“北部訓練場に新たに6ヶ所のヘリコプター着陸帯(ヘリパット)を増設する”という新聞報道と共に計画が具体化され動き始めました。通称北部訓練場は、ジャングル戦闘訓練センターという名前の通りヘリコプターの訓練飛行、ジャングル戦闘訓練が日常的に 行われており、その結果今でさえ高江では、子供たちの遊ぶ公園や公民館、授業中の小中学校の隣にも爆音を響かせ飛び周り、昼夜構わず民家の真上を超低空 で縦横無尽に飛び回ります。これが今現在の高江の現状です。ほとんど全ての移設予定地が高江の集落に隣接していて、予定地に一番近い民家は直線距離にすると約2キロしか離れていません。なんて危険で無謀な計画なんでしょう。

 この高江ヘリパット移設計画(1996年のSACO合意により沖縄の米軍基地の整理縮小するという約束。しかし縮小の結果、普天間飛行場の辺野古移設であったり、高江のヘリパット移設、つまり基地の新設と再編強化が狙いの約束)が具体化する前に、一方的な那覇防衛施設局による環境アセスメントが行われ、昨年説明会もありましたが、自然環境においてのみで、住民生活に対する影響のひとつも説明はありませんでした。そして今後も直接地域の住民に説明予定は無いそうです。言葉もありません。

 そんな中で高江では区民が集まり『ヘリパット反対』の決議が行われ、「ブロッコリーの森を守る会」を立ち上げ、ほとんど知られていなかったこの問題を、まずは広め問題意識をなるべく持って知っていただける様にと「Voiceof  Takae」というチラシをみんなで作り、色々な団体の方に協力していただきながら各地の集会やイベント等で説明したり、辺野古の移設問題に関わる方々等、協力して下さる方々を高江に招いて勉強会を開いてきました。高江平和音楽祭を企画し、県内のミュージシャンたちと、沢山のお客さんとこの問題を話し合う機会を持てました。私達も日々の生活の中で限られた活動になりますが、地道な活動のもとなんとか中止させる道をと運動しています。

 今後の活動としては、今月末に例の環境アセスの内容に、最終的な知事の意見が出される予定なので、その前にまた集会を持ち、高江区代表が県庁と、那覇防衛施設局とに再度ヘリパット移設計画の中止の申し入れを行います。その後すぐ県議会議員と意見交換の場を持ち、ヘリパット予定地の視察を予定しています。これらの行動が何らかの形で知事意見に少しでも良い方向に反映させる事が出来ればと期待しております。

 小さな島の、小さな集落の出来事なのですが、この高江の未来が、この島の未来にそのまま繋がっていると思います。この問題の先にある未来の高江をイメージして、問題を乗り越え、この自然の中で共に生きてゆく道を選んでゆきたいです。





いつまでも減らない米兵による事件・事故

 「私の時と同じだ!」、と海老原大祐さんはつぶやいた。海老原さんは十年前に息子を沖縄で米兵にひき殺された。妻を米兵に強殺された横須賀の山崎正則さんが裁判で証言したのを聞いた時のことである。事故後に山崎さんを訪問した防衛施設庁は「いくらでもいいから、ここに金額を書いてください」、といって領収書を差し出したという。海老原さんも同じ体験をした。山崎さんのことが自分のことのように思われた、と語っている。

 この裁判は横須賀に寄港している米空母「キティホーク」乗員と日本政府を相手取った国家賠償訴訟。山崎さんが無念の思いを第1回公判で証言した時、法廷内では筆者の周りの人々もすすり泣いていた。どうして米兵にこんな目にあわされなくてはならないのか? 日米地位協定の壁が立ちふさがり、米軍を駐留させている日本政府は再発防止策を米側に迫ることもしない。米兵による事件・事故は年間二千件近い。凶悪犯罪でもSACO合意で被害補償には「好意的配慮」を払うことになったものの、地位協定の壁によって米兵はほとんどお咎めなしが実態だ。だから懲りずに事件・事故を繰り返す。

 山崎さんの妻が殺害された横須賀のキティホーク乗員による事件は昨年一月三日に発生した。その前後一か月間でキティホーク乗員による事件は他に暴行、窃盗などが四件も起きている。ルポ・ライターの鎌田慧さんによれば「戦争から帰ってきて、あるいは戦争にむかうまえの、気持ちの荒[すさ]んだ数千人の兵隊を閉じこめている基地」が問題だと指摘している。

 日米安保条約とセットで締結されている地位協定には、その一六条に国内法つまり日本国内法尊重条項の明文がある。平時に他国に軍隊を駐留させる以上、駐留国内の国内法は尊重されなければならないのは国際慣習上も当然だ。たとえ駐留している基地間移動であっても、駐留国住民と接触する際に国内法適用を免罪されるわけにはいかない。

 一方、照屋寛徳議員(社民党)は衆議院で政府に質問主意書を提出、地位協定に関連して日本政府の理不尽な態度を批判している。

 同議員が問題にしているのは嘉手納爆音訴訟の損害賠償金の求償について。

 嘉手納爆音訴訟で嘉手納基地周辺住民に支払った損害賠償金一五億円余りは地位協定一八条によれば、日米間で分担請求し米国にも求償(請求)すべきなのにそれをまったく日本政府がしていないのである。

 米軍の駐留による被害補償をわれわれ日本国民が一〇〇%支払っているのである。米軍は駐留国に対して被害補償もせずにのさばっているのである。日本政府はそこまで米軍におもいやりする根拠はどこにあるのか? しかもそれを日本国民には知らせることもせず、だまって米軍にサービスを続けてきたのである。米軍もひどいが、国民をだます日本政府はもっとひどい。

 地位協定には重大な問題がある。そのうえさらに、協定の適用さえしない日本側の不利益についてはもっと問題がある。

  照屋議員の指摘に対して政府の答弁書には、なんと次のような目を疑うような「回答」が書かれていたのである(平成一八年一二月五日受領、答弁第一八一号。安倍晋三)。

  我が国政府は合衆国政府に対して損害賠償金の分担を要請するとの立場で協議を重ねてきたが、本件分担の在り方についての我が国の立場と合衆国政府の立場が異なっていることから、妥結をみておらず、個別の訴訟に係る問題の協議は困難な状況にある。合衆国政府との具体的な協議の詳細については、これを公にすると合衆国政府との信頼関係が損なわれるおそれがあること等から答弁を差し控えたい。

 もはや地位協定に運用の改善の余地などない。抜本的に改訂し、一方的な米軍優位は解消すべきである。解消できないのであれば、日本から撤退すべきであ(    吉田=会員)





中学2年生2人からの関東ブロックあて礼状

   関東ブロックでは中学生2人から「沖縄の軍事基地とそれをめぐる運動の現状について」のインタビューを受けました。真摯に学ぶ姿勢だったので、関東ブロックでは面談してインタビューに応えました。その礼状が下記の通り届きました。

 拝啓、街中にはクリスマスのイルミネーションが華やいでいますが、皆様にはお変わりなくお過ごしのことと存じます。わたしたちも元気に学校生活を送っています。

 さて、先日は突然のお願いにもかかわらず、インタビューにお答えいただき、ありがとうございました。おかげさまで、反米軍基地問題やそれに対する人々の考えなどについて考えを深めることができました。中でも「SACO合意」や「日米安保条約」という少し難しいようなことも、私たちのためにとても詳しく説明してくださり、「一坪反戦通信」や辺野古のことについて、すごく良く分かりました。

 今後、今まで調べてきたことやお伺いしたことをまとめ、テーマに関する自分たちの考えをつくっていく予定です。

 今回の体験で世界の一端を知ることができました。年末のお忙しい中本当にありがとうございました。

 末筆ながら皆様のご健康とご活躍をお祈り申し上げます。

 まずはお礼まで。                            敬具

 一二月二〇日

               中学校2年 (2人の名)

 一坪反戦地主会関東ブロック

 上原 成信  様

 外間 三枝子





スービックレイプ裁判での勝利判決とその後

              平田一郎(フィリピンレイプ裁判を支援する連絡会)

 フィリピンの年末はすでに11月から始まっていた。あり金をはたいてクリスマスのお祝いを準備する。町は路地までクリスマス飾り売りでにぎわう。そしてクリスマスを家族と共に過ごす。これが一変して、大晦日、元日には爆竹、花火、銃の空砲の乱射で騒然と年が明ける。

今年20075月には総選挙、対立候補者どうしの殺人合戦が全国で繰り広げられると予想されている。政府の権限強化と雨リカ軍の再駐留を図る基地をねらう、フィリピン国憲法(外国軍隊の駐留を禁止)の改正議会の策動もうごめいている。こうした中で、フィリピンの新年は、比国憲法が危いという新聞社説で迎えられた。

☆政府による「監獄破り」が比国憲法を危うくする

17日、大統領府VFA委員会のパレデス委員長が辞任を表明した。裁判所の判断を待たずに、有罪米兵をフィリピンの監獄からアメリカ大使館に渡したのは、「監獄破りも同然」と言い、Vサインを示して辞任を表明した。直ちにアロヨ大統領は罷免した。

☆米兵有罪判決と被害者ニコルさんの勝利

昨年124日 比国で初めて、米兵レイプ犯罪米兵に有罪判決が下された。2005111日、スービック元米海軍基地で起きたフィリピン人女性に対するレイプ事件で、米海兵隊員4人が起訴され、一年越しの裁判となった。マカティ地裁ポゾン裁判長は、主犯ダニエルスミスに対し、終身禁固40年という判決を下し、訪問米軍に関する地位協定(VFA)で、米側が米兵被告の拘留権をもつとされた「裁判過程の終了まで」とはこの第1審までとして、フィリピンの監獄に拘留を命じたのであった。共犯の海兵隊員は、検察官団の怠慢もあり、証拠不十分で判決直後直ちに、沖縄・キャンプハンセンの原隊復帰した。しかし被害者のニコルはポゾン裁判長に感謝し、クリスマスと新年を安心して過ごせると表明した。

この勝利は被害者ニコルと支援の結果であった。スービックレイプタスクフォース(支援協議会TFSR)は、同様に日本の支援者の勝利でもあると言っている

☆VFA協定の解釈の問題

日米軍事訪問協定(VFA)では第56項で、裁判過程の終了まで、米側に拘留権があるとしている。米側は新任駐米フィリピン大使や、あらゆるフィリピンの政府機関に対して、このVFAの忠実な実行を、国際協定の尊重として迫った。判決を出したマカティ地裁ポゾン裁判長に対し、米大使と主任検事の同意書でスミスの身柄返却を申請、却下され今度は外務大臣との同意と米大使の同意として控訴裁判所にスミスの返却を申請した。比司法長官ゴンザレスは、ポゾン判事は法律を知らないという発言をした。しかし比政府は、判決の数日後には、この有罪犯海兵隊員スミスを米国側にけ返却する決定をした。同時にその許可を控訴審裁判所に申請した。

☆米側が比米軍事演習と援助の中止声明で恫喝

比国内法で新しい「反レイプ法」により禁固40年の刑を受けたダニエルスミスを取り戻そうと米国はあらゆる圧力をかけた。昨年12月、着任した新駐米比大使が着任して新任状をブッシュに届けると、その場で、VFA協定の忠実な履行とスミスの返還を求めた。在比アメリカ人の妻たちでスミスを支える会を結成させ、クリスマスプレゼントを届けさせた。またスミスの証言「二コルはプロの売春婦だった」という法廷証言にもとづき事実に反するVTRまで氾濫させた。12月22日には、駐比大使館が「軍事演習参加の米兵の安全が確保できない」として「07バリカタン」米比合同軍事演習と災害人道援助の中止を発表、反政府運動におびえるアロヨ政権の弱点に迫った。支援の一人は「レイプ被害者の安全を放り出して、米兵の安全をいうなんてとんでもない話だ」と語っていた。批判勢力はこの軍事演習の中止を「歓迎」したのは言うまでもない。

☆比米両政府による「監獄破り」

12月29日午後11時すべての官庁が門を閉じた年末の休暇中に、国務省と司法省が動き、アメリカ大使館の車で、スミスをマカティ市拘置所から大使館に移送した。直ちにマスコミがこれを報道し、翌30日には二コルの支援者たちが休みを返上してアメリカ大使館への抗議行動に結集した。比米両国政府は、自ら控訴裁判所に、移送申請を出しながら、その結果を待たずに「監獄破り」を行った。1月2日には控訴裁判所は、原判決を支持する決定を出した。しかしこの「監獄破り」を、外交上の問題として追認するという決定であった。議会、政府、教会関係者は一様に驚き、1月7日のVFA問題委員長の「監獄破りも同然」というVサインでの辞任発言を呼び起こした。米政府は、規模は小いが、「07バリカタン」軍事演習の中止を撤回した。

VFA協定の見直し発言が大統領府からなされたが、これはあっさり「時期早尚」として米側に一蹴された。しかしラモス前大統領はその後もVFA見直しを語っている。

 ☆いいかげんな対米地位協定

今回の事件で、比米地位協定を読んで改めて日米地位協定を読み直した。韓米地位協定も気になっていた。ちょっと整理してみた。

比米軍事訪問協定では、第5条6項で、犯行時点から裁判過程終了まで米軍側が容疑者を保護、これに一年間という期限を設けて、一年で結審しないと米軍側の拘留義務がなくなる。

これが日米地位協定では、17条5項Cで、―起訴時点で日本側に容疑者を渡す―となっている。

韓米地位協定(韓米駐屯軍地位協定)の場合は第22条5項Cでは、すべての裁判手続き上、未決の間米軍側が拘束権を持つ、第22条7項Bでは刑に服していても米側の要請で「身柄引き渡し」(刑の執行制限)となっている。(無罪放免条項といえる)

独米地位協定は無くて、NATO軍(とドイツの)地位協定(1959)第7条5項Cで、起訴まで派遣国が身柄拘束、ボン協定(1961)の第22条2項で、いつでもドイツ側に引き渡しでき、ドイツの要請で好意的考慮を払うとなっている。ドイツ国内法に従う内容で基地自体も要請に応じて返還できる内容となっている。(「『安保』が人をひき殺す」米軍人軍属による被害者の会1996年9月15日発行-より)

いかに地位協定というものが、国際法における人権と国家主権を無視し、相手国次第のいいかげんな協定であるのかをまざまざと見せてくれた。

イラク派遣自衛隊もイラク日本地位協定を結んでいる。これをイラクアメリカ地位協定(というものがあるはずだが)と比較すると、とんでもなく異なった内容となっていることが予想される。

これらの地位協定は、米軍の都合により、現在の米国の世界支配の中で、各国の主権と国内法を無視した、軍事のグローバリゼーションのなかで起きている差別と特権支配の規定である。

☆タブーのない比国報道

連日の新聞報道がなされた。インクワイアラー紙の一紙だけでも12月だけで163件の記事があった。しかし、米比両国政府側に立つ、スミスは無罪だという投書も相当にのぼる。

2007年早々に支援団体は、スミスの米大使館移送を非難し、抗議行動を開始した。被害者ニコルのいらいしたウルスア弁護士とフィリピン大学の法学研究家ハリーロケ弁護士が最高裁にスミスの移送とVFA協定の拘留権規定を憲法違反として提訴した。被害者ニコルは「裁判所を信じる」を語っている。すでに共犯者の三人はキャンプハンセンに復帰し、一人が降格処分後帰国の軍法会議決定があったという。アジアでの米軍犯罪を許さない監視の目を持ち続けたい。

☆日本の被害者について

昨年8月12日、元海兵隊員のケンドリックレデットが、米国ジョージア州で知人の女子学生22歳をレイプ殺害し自殺した。レデットは沖縄での1995年小学生誘拐レイプ犯で懲役6年半の判決を受けていた。地元ジョージアでVTRつきで大々的に報道された。2006年1月4日、横須賀主婦殺人事件では、米軍空母キティホークの乗員が、内臓破裂の残虐な殺害が偶然VTRに撮られていて、起訴事実をすべて認めて判決を受けた。そして今、被害者の家族が異例の国家賠償を求めて民事訴訟を起こしている。

「米軍・軍属による被害者の会」の海老原さんんによれば、米軍人の犯罪は、1995年の沖縄の事件以降、減じるどころか増加しているという。

 「偶然米兵犯罪に出会ったのが不運だった」というのではない、被害者が「泣き寝入り」をしないですむ、わたしたちの取り組みが必要である。





114日 ピョンテクに行って来た

2007114

Mow(ソウル在住)

今日ピョンテクに行って来た。約一月半ぶりだ。5月以来、拡張予定地内の住民には通行証が渡され、それ以外は検問で追い返される状況が続いていた。入ろうとすると検問所で警察がバスに乗り込んできてその場で降ろされ、帰れと言われる。国家人権委員会がこれを人権違反と認め、前回来た時からバスに乗っていれば検問はなくなった。

ピョンテクは韓国の首都ソウルから南へ列車で約50分、最近は通勤電車でも行けるようになっている。ご存知のように駐韓米軍の基地があり、その拡張計画が持ち上がっているところだ。ここよりも北に位置する米軍基地が軒並み移転してくるのだとか。何でもこのあたりがちょうど北朝鮮の長距離砲の射程距離から外れるんだそうだ。港も近い。今まで対北朝鮮のはりつき部隊だった駐韓米軍が、今後世界的に展開していくための再編だという。これを韓国では戦略的柔軟性と言う。これと連動して、今まで米軍との共同行使だった韓国軍の戦時作戦統制権の韓国政府への完全委譲が議論されている。

この拡張計画の予定地になっているのは、テチュ里とトドゥ里という二つの村と、村民たちの田畑だ。実はこの村民たちの祖先はもともと別の地区に住んでいた。それが日本の植民統治下で軍事基地建設のために追い出され、その基地を米軍が拡大したという経緯は沖縄と同じだ。追い出された村民たちは自分たちの手で海を干拓し、現在の田畑を作り出した。そして今回またも基地拡張。村民たちは三たびの追い出しと闘うことになった。

私がはじめてピョンテクを訪れたのは2004年の秋だった。その時は政府の恫喝にもかかわらず移転に応じた住民は数%に過ぎず、説明をしてくれた住民対策委の方もそのことに大いに勝利の展望を見出している様子だった。

しかし3年間の闘いで住民たちは心身ともに疲弊してしまったようだ。10月にはトドゥ里の住民がすべて移転に合意して12月中に退去。隣り合うテチュ里の住民にもこれは大きなショックだっただろう。7ヶ月間獄中にあったテチュ里のキム=ジテ里長が1228日に釈放。しかしそれと引き換えに住民と政府との移転交渉が始まった。現在、住民は地域共同体ごと新たな土地に移れるよう要求している。しかし政府はこれに応じていない。移転交渉が開始されたといっても、住民たちの望むかたちでの移転が実現するまでにはまだかなりの時間がかかるだろうということであった。

村には住み込みで住民たちを支援するチキミと言われる村外の若者たちが何人かいる。彼らは住民が移転した後も村に残ろうと話し合っているという。しかし住民の去った村から警察がチキミを排除することはいとも簡単だ。彼らはそれをわかっていながら残る覚悟をしている。

住民たちは移転交渉と同時に、改めて政府にアメリカとの交渉をやり直すよう要求している。「交渉が長引く間に自体が好転することもありえるかもしれない。」チキミの友人が期待をこめてそう話してくれた。




「各地の取り組み」

(横須賀から)

米軍再編のロードマップにどう向き合うか

檜鼻 達実 

昨年、在日米軍再編が関係自治体の意向を一顧だにすることなく、日米政府間でロードマップとして公表された。

 20051029日、日米同盟として合意された日米安全保障体制は、米軍の世界戦略に日本が主体的にその任務と役割を担うことになっていた。その意味では、日米の軍事再編であった。再編について「本土の沖縄化」「全島基地化」「後方兵站基地から最前線基地化」と言い表されてきた。特に軍事行動の範囲が中東地域にまで拡がっていることに、さしたる説明もなし既成事実化しようとしている。

 海外で唯一とされる空母の母港である横須賀基地、空母キティホークの艦載機の前進基地である厚木基地。基地周辺住民は、爆音を撒き散らし続けるFA18スーパーホーネット等の戦闘機による騒音被害に苦しみ続けている。60年に結成以来、厚木基地爆音規制同盟は、これまで実力行動のみならず、空母母港化反対と違法爆音の解消に向け、三度にわたって訴訟を起こした。飛行差し止めや損害賠償を求めてきたのである。その度に、判決では、受忍限度を超えた騒音であるとして、違法性とその状態の解消に無作為の国を敗訴としたのであった。

 嘉手納基地を一望できる丘は「安保が見える丘」と称されているが、厚木基地の南側に位置する小さい丘を「憲法研きの丘」と命名したのは、半世紀を基地問題の解決に費やしてきた爆音規制同盟顧問で第三次訴訟団長の真屋 求さんであった。

 2000720日、嘉手納基地包囲行動の連帯行動として厚木基地撤去をめざす神奈川集会が取り組まれた。爆音規制同盟を中心に県央地域の自治労、教組、鉄道労組や補給廠監視団などの市民団体が集会の段取りや行動計画を議論してきた。労働組合と市民団体が発言と議決を共有することは従来考えられなかったことであった。

 私たちの名称は「原子力空母の母港化に反対し、基地のない神奈川をめざす県央共闘会議」と少々長い。何故「原子力空母」を頭にしたかについては、キティホークの後継空母が原子力空母になるのではとの情報が流布されていたからである。この名称には、爆音期成同盟の苦渋がにじみでているのである。騒音問題の完全解消は空母の母港化返上でしかないからだ。

 このことでは余談がある。後継艦としても、原子力空母ジョージ・ワシントンとすることを外務省が発表した時、土屋大和市長は「敗北主義」と評価した。つまり、先の論理矛盾をついた形となった。

 米軍再編では、厚木基地の米艦載機59機が山口県岩国基地に移転となっているが、整備部隊は残るので飛来はなくならない。岩国基地からの海自の増強については、ジェット機化の懸念もある。キャンプ座間への米陸軍第一軍団を改編した司令部移駐と、12年には陸自中央即応司令部設置。相模原総合補給廠への戦闘指揮訓練センターの設置、モータプールの建設となっている。基地の機能と性格が大きく転換するのである。基地の機能強化、恒久化反対を掲げ返還を市是とする座間、相模原両市は「中間報告」を前に市民署名や横断幕、ステッカーを始め、市民集会を開催し、自治体ぐるみの反対運動を繰り広げてきた。恒久化に絶対反対の立場をとる星野座間市長、一部返還(17ha)をアメにロードマップの妥協を迫られる小川相模原市長。政府は、こうした首長の姿勢に再編促進に向けた新交付金を「餌」にして容認を迫ろうとしている。

 防衛庁の「省」昇格、自衛隊の海外派兵が本来任務となった今、安倍首相は「ちゅうちょなく」派兵すると欧州連合の国々に見栄をきった。

 さて、米軍再編の工程が明らかになった今、私たちは如何に対抗していくか。リキんでもしかたない。私たちが積み重ねてきた力量は十分ではないかもしれないが、結成後、毎年実施してきた韓国の反基地運動との交流や、ピースフェスティバルの開催など、集会、デモによるアピール以外の方法により基地問題を取り上げてきた。

 横須賀では原子力空母母港化の是非を問う住民投票を行うための直接請求署名は、条例制定のために必要とされる法定数を大きく上回り41,551筆も集まった。2月上旬にも市長は意見書を添えて議会に可否について問うことになった。

 第三次厚木基地騒音訴訟を巡って、昨年、司法は「爆音は違法」と6度目の判決を下した。4,854人の原告に損害賠償を命じた。爆音期成同盟は4次訴訟に向けた実行委員会を立ち上げた。

 4月の統一地方選を前に、当共闘会議の構成役員、幹事が米軍再編でNOを選択した岩国市長と同様に、有権者たちにその是非を問う闘いが既に始まっている。これらの取り組みにも勝利していかなければならない。


(横田から)

横田基地飛行差し止め訴訟・控訴審の現状

  減少していない被害を主張

被害は将来も続く? 五月には結審へ

横田基地飛行差し止め訴訟団
事務局長 福本道夫

19941212日に八王子地裁に提訴した「横田基地飛行差し止め訴訟」は,03523日に一審判決(75WECPNL<W…は,うるささ指数を表す単位>以上に居住する原告に,過去分の被害に対する損害賠償金の支払いを国に求める)が下された。その後,国が控訴・私たち原告が応訴した(一審判決で過去賠償が認められた)242人と,一審判決で被害が認められなかったために控訴した75WECPNLの外に居住する15人の,合計257人が原告として高裁でたたかっている。

東京高裁で行われている控訴審では,始めに2回法廷が開かれた後は,原告代理人・被告代理人・裁判所の3者が,双方の主張(証拠や陳述書など)を提出する・提出したことを確認し合う「進行協議」ばかりが14回行われ,本年5月にも結審法廷が開かれる予定となっている。

この間の進行協議の中で、国側は、国側による周辺対策(公共施設建設等への補助金の投資、防音工事や太陽光発電装置の取り付け<まだモニターによる実施のみ>など)によって損害賠償に値する被害が無くなっていること、飛行回数減少の現状を反映させた騒音コンターの引き直しによる被害地の減少化を主張し、明らかに損害賠償額の減額を目論む主張をしてきている。これに対し、私たち原告側は、周辺対策によって被害が減少しているわけではないことや、横田基地による騒音等の被害が将来も継続することに対しての(損害賠償を請求する)「将来請求」、原告本人による被害の訴えなどを主張している。

今後の高裁でのやりとりは、原告の居住地・WECPNL値の確認、逝去者に対する訴訟承継者の確認などの細かい実務作業に絞られ、本年5月開催予定の結審法廷では、裁判所に対して原告本人による被害の訴え等を行い、高裁段階での法廷闘争を終結させていくことになる。以上のように、この間の高裁に於いては、米軍基地による被害の認否のみを争うかのような様相を呈している。

しかし,ここ数年の間に基地を取り巻く状況が変化する中で(米軍再編の方針の基に、横田基地の自衛隊との共用化やミサイル基地化構想が進行中であり、さらに、軍民共用化も実現に向けて日米協議がスタートした。)、横田基地の存在による危険と被害の増加がさらに見込まれている。

私たちの裁判は、私たちが「平和のうちに生存する権利(憲法前文)」を主張する闘いでもあることを再認識し、裁判後のたたかいをも見据えて運動を進めていかねばならないと,決意を新たにしている。



(岩国から)

今こそ、私たちが声を合わせる時!
              
                  市民投票の成果を活かす会 大川 清

はっきりと示してきた「移転反対」の民意

 私たち岩国市民は「空母艦載機部隊の岩国移駐案」が報じられて以来、一貫して反対の声をあげ続けて来ました。一昨年六月には市議会の反対決議が行われ、同九月には市民六万人の反対署名。そして昨年三月の住民投票においては六割近い投票率と投票者の九割が反対票を投じて、はっきりと「ノー」の意思を示してきました。また合併後の四月の市長選や一〇月の市議選においても市民の大多数が反対の意思を何度もはっきりと示して来ました。

これは私たち岩国市民が戦後六一年間、戦闘機の騒音に苦しめられ、米兵の犯罪に脅かされ続けてきた悲痛な心からの叫びです。この市民の一票一票に込められた声にこそ国は耳を傾けて政治を行うべきではないでしょうか。

「基地の街」に対するいじめは許さない!

 しかしながら私たち地元住民の意思を無視して国は日米合意を行い、無謀な移転案を強硬に推し進めるべく様々な圧力をかけてきています。一二月末には移転案への反対を理由に岩国市新市庁舎建設費への補助金を来年度予算計上しないと発表しました。そもそも岩国市新市庁舎建設費への補助金は「SACO合意による空中給油機受け入れ」によるものであり、米軍再編に係る移転問題とは無関係なものです。この約束のもとに、すでに岩国市では新市庁舎建設工事が行われており、今回の予算計上見送りはその約束を反故にするものであって、岩国市を窮地に追い込み艦載機部隊移転を強引に推しつけようとする圧力以外のなにものでもありません。

 今、教育現場では「いじめの問題」が深刻化し、国をあげての対策にとりくんでいます。しかしながら今回の新市庁舎への補助金見送りは、「基地の街」に対するいじめ以外のなにものでもありません。

 政府自らがこんな風にいじめを強行してよいものでしょうか?

 民主主義の時代にあって、圧力による強行というやり方が許されてよいはずはありません。

 もし私たちが今、この圧力に屈してしまえば今後こういうやり方でますます岩国は痛みを押しつけられていきます。

今こそ市民がともに声をあげよう!

 なかには移転計画の見返りに振興策を求める声もありますが、基地で街が豊かになることなど決してありませんし、安全や安心と引き換えの振興策などあろうはずがありません。

 今こそ市民が一致団結して声をあげる時ではないでしょうか。決して諦めることなく、私たちの声を国に届け続けたいと思っています。どうかご支援をよろしくお願いいたします。




新刊紹介

国民学校四年生
疎開・漂流からの生還 
 上原清著『対馬丸 沈む』

              評者 上原成信

 私はこの小冊子『一坪反戦通信』に、〇六年一月号から「私の垣花物語」という想い出話を連載し、先月号で終わったところである。この本の著者上原清さんは私より七歳若い同郷の人で、彼が小学生として駆け回った、この本に出てくる地名、町名や町のたたずまいは私の記憶とぴったり一致する。

 この一文は<新刊紹介>と題してはいるが、紹介というより推薦である。ぜひ皆さんに読んで貰いたい。ちょっと長生きしすぎて、涙が枯れかかっている老人のこの私が、この本ではこみ上げてくる涙を抑えることができなかった。私にとってはそれほど感動的な本であった。

 上原清さんは、私が通った垣花小学校(四一年から全国で小学校は国民学校に改称)の出身で、四年生のとき学童疎開船「対馬丸」に乗り、四四年八月二二日に米潜水艦の魚雷によって撃沈され、一枚の筏に数人でしがみついて六日間漂流し、奄美大島に流れ着いて奇跡的に生還した人である。対馬丸には学童と一般人を含めて約千七百人が乗り、約二百人だけが救助されたと言われている。

 対馬丸の船団(三隻)は駆逐艦など二隻の軍艦で護衛したと言われながら、対馬丸が攻撃されて沈没すると(夜中十時過ぎ)、僚船はおろか護衛艦までが海中に漂う遭難者を見捨てて逃走するという情けなさ。まったくの着の身着のままでフカがうようよしている大海原を筏にしがみついて流される。筏にすがっていながらフカに食いちぎられる人も。渇きと飢えに耐えられなくて、自分の小便を飲み、着ているシャツを食う。

 死体となった同船者たちと共に流れ着いた先でも、一応救助はされたものの船の沈没は軍事極秘で、生存者たちはあってはならない存在になり、戦時というもののむごさがむき出しになる。その日陰者の身分は、ひと月後に那覇に戻ってきた後まで続く。

 この本は遭難の報告だけでなく、学童疎開にいたる世の流れ、町の雰囲気、人々の気持ちの流れ、遭難者への世間の風当たり、そして学校生活での遊び仲間シーちゃん(静枝)への少年清の淡いしかし熱い想いが描かれている。シーちゃんは沈没する船から脱出できなかったらしい。清少年のシーちゃん対する想いが私の涙を絞った。

 小学校校長を勤め上げた人の文章でありながら、私の脳裏には四年生の児童の姿しか浮かんでこなかった。そして、殆ど全ページに配置された、清少年がその時書いたとしか思えない挿絵がまた素晴らしい。

 インターネット書店では容易く買えるが、東京では本屋の店頭で入手するのは難しいはず。少しまとめ買いして、関東ブロックの集会などで販売したいと思っている。たいへん易しい本なので、高校生はもちろん中学生でも読みこなせると思う。若い人たちに読ませていただきたい。声だかな反戦・非戦論は語られていないが、戦争というのが何であるかを事実によって示しているので、憲法を変えて戦争する国へ移っていこうとしているこの「美しい国」のあり方について、深く考えさせるに違いない。

 この本を買いたい人は、その趣旨を明記して関東ブロックの振替口座に1500円振り込んでください。その時は送料こちら持ちで本を送ります。

振替口座番号 00150-8-120796

加入者名   沖縄一坪反戦地主会関東ブロック

『対馬丸 沈む』

著者・上原清  

発行  財団法人・対馬丸記念会  098-941-3515

発売    有限会社・琉球プロジェクト 098-865-5100(琉球新報社共用)

定価  一五〇〇円+税七五円


安載成『京城トロイカ』(同時代社、2006)の紹介

  本書は、日本帝国主義支配下の植民地朝鮮で革命運動をすすめた国内派組織「京城 トロイカ」(注:京城は現在のソウル)の闘いを韓国で初めて描いたノンフィクショ ン小説である。著者の安載成氏は『ストライキ』などの著作がある労働運動出身の小 説家。

 主人公の李載裕は、民族解放・労働者解放・日帝打倒を核心内容とする朝鮮革命運動 の歴史を体現した人物といって過言でない。乙支条約締結の2年前である1903年に生 まれ、19年3・1独立運動を契機として民族意識に目覚めた。20年代に日本へ渡って労 働運動・革命運動に身を投じ、70回も投獄される闘士となった。結局ソウルに送還さ れ、西大門刑務所で数年間の獄中生活を送り、生涯の同志たちと出会う。29年光州学 生運動は全土に波及して多くの活動家を輩出するが、30年代初めに出獄して彼ら彼女 らと合流し、非合法革命組織「京城トロイカ」を形成。工場細胞と労働者大衆を次々 に組織し、歴史的な連鎖ストライキを敢行する。

 その後、組織潰滅型弾圧を受ける が、反天皇制警官や「赤色」教授など日本人の支援で辛くも逃れ、再建された組織は 第三期まで続く。37年末に逮捕されるが、その後も「トロイカ」の同志たちを中軸に 地下革命運動は41年まで続く。李載裕は約7年の獄中闘争の後、44年10月に獄死し た。

 だが、本書の主人公は他にもいる。その一人は李載裕の連れ合いである朴鎭洪であ る。女高時代に活動家になり、労働現場に入って李載裕と出会って夫婦になるが、逮 捕され、獄中で出産。20代のほとんどを獄壁の中ですごすが、釈放されるとすぐに現 場へ復帰し、運動と組織の再建に奔走した。他にも、彼女のクラスメートだった李順 今、先生だった李觀述、後の南朝鮮労働党の実質的代表になった金三龍、解放後もパ ルチザンとして山に篭った李鉉相をはじめ、個性的な人物たちとともに朝鮮革命運動 が立体的に浮かび上がる。
 
 安載成氏が2003年、「京城トロイカ」第一期メンバーだった李孝貞ハルモニと偶然 出会ったことがきっかけとなり、植民地時代の革命家の霊魂に背中を押されて執筆し たと前書きにある。本書が出版され、かつ、共訳者が手にした2004年8月は、女子中 学生轢殺事件が起きてから丸2年であると同時に、平澤住民の米軍基地拡張阻止ロー ソク集会が始まる前月でもあった。(AWC日本連・迫田英文)