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『一坪反戦通信』
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 第172号(2005年10月28日発行)

連載/ひんぷん                 

平和を受け継ぐ子供を育てる

HY


 世の中の流れをみると、映画やテレビでは軍隊モノが多く、「(愛する者のために)戦う君がかっこいい」とパワー(武力)を誇示する風潮がある。愛する者を守る方法は戦いだけではないと思うが、平和ボケで飽和した「大和魂」は刺激を求めてやまない。サムライニッポンを気取り、武力と権力で弱者を押さえ込む「戦世の時代劇」が大好きなのだ。敵にだって愛する者はいる。武力で押さえ込めばウラミを買い、ノチノチ返り討ちに遭うのだが。戦う前に「いかに対話で解決できるか」が人間の賢さだと思うけど、そういう映画は流行らない。

 「平和世」を後世に残すためには今の大人が子供達に「平和の大切さ」を伝え、子供達が「平和を創造する」ことが大切である。しかし、残念ながら現代日本には「無意識自己中心主義」が蔓延し、一方通行が多いようだ。他人のことをおしはかる努力が不足している。人の苦しみが眼の前に示されなければわからない、もしくは、示されても、他人行儀でしか考えられない人が多くなっている。

 伝える側からの例でわかりやすいのは集会。集会がすんだ後にタバコやビラが落ちて汚れている。デモあれば道路が渋滞し、先を急ぐ人には迷惑。集会の訴えは正論であっても、そこの住民は眉をひそめないだろうか。集会内部でも同じ現象がある。持ち時間過ぎても長々と話す演説者。結果として後の演説がカットされる。自分の訴えのあまりに「人に迷惑がかかっていることに気づいていない」だけなのだが、あとの人を思いやる気持ちが失われていることにはかわりない。ウチアタイ(*)する人、一緒に反省しましょう。

 さて、受け取る側はどうか。戦争体験者が血をはく思いで戦争を語っても、どこかヨソイキで聞いておりきちんと想いを受け止められない人がいるようだ。例の入試問題のように。仕方の無い現実であるが、子供達の感想はやはり映画の様に見えて実感がわきにくいという。これからますます戦争を知らない世代になり、本やビデオで学ぶのが増えていく。

 このままでは伝えるのが難しくなる一方だろう。先日、某テレビ局からの依頼で沖縄戦を学ぶ子供達を案内した。沖縄戦体験者の話を聞いたのがきっかけで、夏休みを利用し沖縄へ学びに来た彼らに、ある女性を紹介した。米国の沖縄戦当時のフィルムに井戸から少女が助け出される映像が残っている。破れたつぎはぎだらけの小さな着物をみせ、「これが私です。同じ柄でしょ?この井戸のなかに2ヶ月以上もいましたよ。」と語る。

 その井戸の中に入った子供達は「暑い・暗い・苦しい・・・無理!」と興奮気味で出てきた。井戸の持ち主が井戸から出てきた七輪や茶碗を見せてくれた。「夜、大人がこっそり井戸からでて食事を作った。火が見えると攻撃されるから命がけだったのよ。」

 子供達は帰りのバスの中では言葉少なく、じっと考え込んでいた。映像と実物(着物)そして井戸の中の蒸し苦しい湿気。目の前で涙を浮かべて話す女性はフィルムの中の少女なのだ。過去と現実がつながり、初めて実感がわいたと報道されていた。このように伝える側と受け取る側の意思双方通行が大切だが、このような追体験をみんなができるわけではない。この子供達は幸運である。

 伊江島の反戦地主・故阿波根昌鴻氏は、人間社会を五本の指にたとえ、互いに協力しあい・助け合い・学びあうことを尊び、相手を理解することが問題解決の糸口として常に学習しておられた。どんな小さい集団でも「わびあい=互いに思いあう」ことが平和のカギとされている。私は、この「わびあう心」を今の子供達にまず体得させなければならないのでは、と思う。

 相手と同じ高さでものを考えることができる子を増やさなければならない。戦争体験者の話に耳だけではなく心まで傾ける「聞く心」・想像力を最大限に使って「理解しようと努力する心」・そして自分に近づけ「どうすればより良くなるのかを考える心」。これらがきちんと備わればビデオや本からでも想像できるはずだ。過去の検証だけでなく、きちんと先人の想いを受け取り、未来をも豊かにする子供達になれるのではなかろうかと思う。

 伝える側は色々な工夫を凝らしてできるだけ「実感がわく」努力をし、受け取る側はしっかりと受け止める。不具合があれば、常に対話し解決を目指す。双方が互いにそれができるようになったとき、平和の受け渡しが成立するのではないだろうか。

 大人の想いを受け止められる子供達を育てるためには、まずは大人が手本を示さなければならない。その子の成長そのものが、普段からの生活すべてが「平和を伝える時間」なのである。「わびあう」心で互いをゆたかに、身内から家庭から「平和」を育てていきましょう。

編集部注:ウチアタイ:思い当たることがあって恥じたりする、という意味の沖縄方言。