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『一坪反戦通信』
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 第170号(2005年8月28日発行)

新刊紹介

『誰も沖縄を知らない 27の島の物語』

 森口豁著、筑摩書房、二〇〇五年七月刊


 この挑発的な題名を、あなたはどう受け止めるだろう?

 本書は、『週刊金曜日』に連載された「沖縄 孤島の地図」がまとめられたもの。取材・連載の時期は二〇〇〇年六月から〇三年の一一月までで、ちょうどあの沖縄サミットの前後から「復帰三〇年」をまたぐ時期にあたる。著者にとっては、《これほど集中的に島々を歩くのは今回で三度目です。一度目は一九五〇年代の終わり頃から六〇年代の初めにかけて、新聞記者として。二度目は沖縄の日本「復帰」を挟んだ七二年前後。このときは東京の民放テレビ局のディレクターとして。そして今回はフリーの物書きとして》(「鳥の目、虫の目??まえがきに代えて」)、という。

 本書を開くとまず印象的な写真の数々が眼に飛び込んでくる。黒島・宮里海岸のミルク神。水を湛えた一斗缶を頭に掲げて運ぶ女たち。テトラポットで埋められた海岸を歩みゆく神司。伊江島の村中を行軍する米兵たち……

 現在の写真と、著者が六〇年代から撮りためた「近い昔」の写真が混在しており、本書にまとめられたルポ自体は現在のものだが、その底には四〇年あまり変容する島々を見続けてきた著者の眼差しが一貫して流れていることが感受できるだろう。

 本書で紹介される現在の島の現実は、重く、厳しい。過去の島と現在の島が交差し、「これでいいのか?」「この現状が、かつて望んだものであったのか?」「島はどこへいこうとしているのか?」と問いかける。 例えば、一九六〇年に撮られた伊是名島の一〇人の子供たちの写真と、そこに写っている少年たちの現在を訪ねるルポ「笑顔の少年、それぞれの四一年」の章では、「復帰」後生活は豊かになり社会基盤は整ったが、果たして人間はどうか、島に残った者、出て行った者、それぞれが、圧縮された近代化過程を生きざるを得ない島の歴史を背負っていることをひとりひとりの生き様を通じて突きつけるのだ。

 沖縄戦の記憶と有事法制化がすすむ現在とが交差する国境の島々の痛み。共同体が崩れていくなか老人ホームで「孤独死」を迎える離島の老人たち。崩れゆく島の社会に異議申し立てし、地域に根ざし、足もとから島を立て直してゆこうとする人びとの生きる姿……この「27の島の物語」に描かれた現実を直視せずして論じられるどんな「沖縄」も、自立論も独立論も、植民地主義もゴーマニズムも、単なる机上の空論にすぎまい。

 「誰も沖縄を知らない」の「誰」とは誰をさすのか。ヤマトンチューだけでなく、沖縄の人も、あるいは島に生きる者でさえも、この島々の現実を知らない……そして、「誰も」に自らをも含める含羞の人、森口豁。〇三年の山形国際ドキュメンタリー映画祭の沖縄特集で、宮古島・西原の祭祀を撮った『ナナムイ』(琉球弧を記録する会)の上映後、客席にいた森口は、こんな豊かな世界をみてしまうと自分が三〇年あまりやってきたことは何だったのかと思わざるをえない、と発言した。その含羞に出会った時の驚きが私には忘れられない。

 厳しく優しい島を見つめる眼差しと、歩行を重ねた文体は、歳月を重ね雨風にさらされて余分なものをそぎ落とし、本質だけがくっきりとした姿を見せる。森口さんの歩行とともに島々をめぐる、本書を読むことは幸福な経験である。

 (岡本 由希子)

筑摩書房 200507刊 
 定価1995円
ISBN 4480863664