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『一坪反戦通信』
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 第169号(2005年7月28日発行)

連載 ひんぷん

七月の沖縄の動き

M. T


 七月三日午前八時、またしても事件がおきた。沖縄市の駐車場で米兵による小学生へのワイセツ行為事件が起きたのだ。本当に許せない。各自治体・平和団体・女性団体から次々と抗議の声があがった。アメリカ独立記念日の前日だった。

 七月八日アメリカ総領事館への抗議行動を「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」で行った。高里鈴代共同代表は、事件は基地の外で起こっていること・米軍の休日に起こっていることなどを指摘、更なる綱紀粛正を訴えた。領事は米軍の犯罪はたとえ一件であったとしても多い。「ゼロ」にすべきだとした。

 七月九日、二十一年前に米兵による性被害に会った女性からの「二度とこのような事件を起こさないで」と切実に訴える稲嶺知事あての公開書簡が公表された。この公開書簡は、現在国会でも取り上げられ、町村外相が彼女の手紙に対して「一方的だ」と発言し沖縄で反発を呼んでいる。

 七月十二日、いつものように金武町キャンプハンセン前では抗議集会が行われていた。その直後の午前八時半、キャンプハンセン内レンジ4での都市型訓練施設への実弾射撃訓練が強行された。外務省の沖縄事務局でも、担当者が席をはずしているとのことで米軍との連絡が取れず、対応が遅れた。沖縄どころか日本政府にも何の連絡もせずに強行されたのだ。

 七月十三日午前七時、「都市型戦闘訓練中止」を求める金武町民の四百日にわたる座り込みが今日も行われた。訓練の強行に抗議して五百人近くの人々が集まっていた。ゲート前に用意された椅子に腰掛けたおじー・おばーや子どもたち。向かいあって女たちが横断幕を掲げている。金武町議会の松田義政議長は「これからは、地代を取るか命を取るか真剣に話し合わなければならない。」と述べた。集会の途中でもまた訓練が強行され、集会終了後、金武町民は見張り台へ向かった。ゲート前では引き続き平和運動センターによる抗議集会が行われた。

 七月十九日、金武町キャンプハンセン内「レンジ4」都市型戦闘訓練施設での実弾射撃訓練に抗議する「陸軍複合射撃訓練強行実施緊急抗議県民大会」(主催:金武町伊芸区・金武町・金武町議会・県・県議会)が行われた。午後五時に那覇を出て、高速道路を会場に向かったが金武町の出口付近で既に車が混雑していた。伊芸区の用意した駐車場は満杯に近い状態。金武町内外から多くの県民が駆けつけていた。会場に入れずにUターンする車もたくさんあり、参加者は1万人を超えた。「(伊芸区では過去十数件の流弾事故が起きており)日米両政府の言う安全は信用できない」とし、施設の閉鎖・撤去を要求。(金武町長 儀武 剛)、「危険を子や孫に残すわけにはいかない。」(金武町議会議長 松田 義政)、「流弾事故が起きれば観光業にも大きなマイナス。伊芸区だけの問題ではない。」(伊芸区長 池原 政文)。集会後、ゲートまでのデモ行進を行ったが先頭がゲート前についてもまだ後方は出発していない状態だった。たった4日間の準備期間。自民党は集会を小規模なものにし、ガス抜きを図ろうとしていたと言われる。しかし、逆に危機感をもって県民は集まった。最初、何も付けていなかった稲嶺知事は集会途中から赤はちまきを締め、「施設の暫定使用は容認できない」としてデモ行進の先頭で参加した。ただし、「辺野古」という言葉は最後まで聞けなかった。集会に参加した辺野古住民はどんな思いでいたのだろうか。

 七月二十二日「心に届け女たちのネットワーク」主催の「基地は{沖縄の}どこにもいらない 普天間基地の閉鎖・辺野古新基地建設断念をもとめる 女たちの道ジュネー」が県庁前の県民広場で行われた。午後2時30分から外務省沖縄事務所へは、真志喜トミさん(呼びかけ人)・国政美恵さん(呼びかけ人・他1名)・中村未央さん(沖縄市)など五名、三時から県庁へは高里鈴代さん(呼びかけ人)・命を守る会の皆さん・名護市内の皆さん・金武町の皆さんなど約三十名。それぞれに移設候補地として名前が挙がった沖縄各地からの要請書を手渡した。また、七月九日に「知事への手紙」を公開書簡として出した二十一年前に米兵による性被害にあった女性からも、手紙を託された。要請後、県民広場で行われていた集会に合流、報告。会場から参加者を募って替え歌と踊り?「05 まみとーま」を披露した。

サー 普天間基地や どぅきなりよー 美童(ミヤラビ)たー遊(アシ)ぶんどー
基地や うしとぅばしぇー 基地や うしとぅばしぇー
{普天間基地は退きなさい 娘たちが遊ぶから 基地は押し飛ばせ 基地は押し飛ばせ}

サー 辺野古ん金武んいーぬ命(ぬち)どー 肝ん合わちょてぃ 守らなやー
基地や うしとぅばしぇー 基地や うしとぅばしぇー
{辺野古も金武も同じ命だよ 気持を合わせて 守ろうよ 基地は押し飛ばせ 基地は押し飛ばせ}
 踊りながら、大きな沖縄地図の基地の部分に突き立てられている戦闘機や戦車を刈り取り、花を植えた。つづいて国際通りを道ジュネーし、「沖縄のどこにも基地はいらない」「基地は沖縄のどこにも作らせない」と訴えながら歩いた。途中で「一緒に歩きましょう」の呼びかけに次々と沿道から参加してくれた。東京から観光に来ていて飛び入り参加した高校生は、「一緒に歩いてみて基地を抱える沖縄の大変さを知った」といってくれた。「沖縄人なら一緒に歩こう」という声に答えて、飛び入り参加した地元高校生もあった。辺野古住民の宮城清子さんは「知事、辺野古にも子供たちの命を守るため、全力を尽くしている区民がいます」と書いたプラカードを首から下げて行進した。「あきらめないこと。私たちにはそれしかできない」呼びかけ人の一人である国政美恵さんが語った。

 九月に発表される米軍の再編に向けて、沖縄は大きな山場を迎えている。関東・沖縄連携してこの山場を切り抜け、基地撤去を実現し大きな喜びを分かち合おう!

 最後にもうひとつの替え歌05豊年音頭の一説を紹介する。(「ニライカナイ」は沖縄の理想郷の意味。)

海鳥鳴いて基地撤去告げりゃ ニライカナイの夜が明ける 豊年でーびる 豊年でーびる
シトゥリトゥテン シトゥリトゥテン…