軍用地を生活と生産の場に!
沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック
http://www.jca.apc.org/HHK
東京都千代田区三崎町2-2-13-502
電話:090- 3910-4140
FAX:03-3386-2362
郵便振替:00150-8-120796

『一坪反戦通信』
毎月1回 28日発行 一部200円 定期購読料 年2,000円
 第168号(2005年6月28日発行)

連載 ひんぷん 

第22回 6・23国際反戦集会報告

60年たっての沖縄戦新証言も

M. T

 2005年6月23日、沖縄は戦後60年を迎えた。午前10時30分、沖縄平和祈念公園入り口に着いた。国際反戦集会の前に、戦没者慰霊祭にやってくる小泉に対して「辺野古移設断念しろ」「ヤスクニ参拝止めろ」と抗議するためである。

 車から降りると、4人の私達に対して10人ぐらいの警官が次々に現れて道をふさぎだした。横断幕に何が書いてあるか見せろと言うのである。(何を根拠に市民の行動を制限するのか?)通せ!通さない!の押し問答が続き、城間さんや私は転ばされ、そのあとも体を押し付けて退かす(痴漢行為じゃないの?)道を渡さない(ここは小泉の土地じゃない、沖縄人の土地だ!)などの嫌がらせが続き、警官は機動隊の盾を持ってさらに集まってきた。

 抗議の参加者も次々と集まってきた。「私達を止める法的根拠を示せ」と言っても、警官たちは何も答えない。法的根拠なんて何もないのだ。私たちは、用意してきた横断幕をその場で広げ抗議した。

 午前11時40分ピースウォークが始まり、今年も沿道にある「瑞泉の塔」に参拝している皆さんや、「魂魄の塔」での参拝を終えた皆さんに手を振られ激励されながら歩き、「魂魄の塔」の前で、高校生の喜友名〔きゆな〕君がアピール文を朗読した(表紙に掲載した「一握りの土」)。その後12時40分から集会が始まった。

 集会では、中村文子さん(開会の挨拶) 海勢頭豊さんのミニミニコンサート・ 泡瀬干潟を守る会の紹介(会場内での写真展開催) 沖縄戦で家族を次々と失い、亡くなった妹の遺体を抱きしめながら戦場をさまよい、一人生き残った石原絹子さんの証言・ 高校生を中心とし、日本軍による性奴隷問題に取り組んでいる「平和(ピョンファ)会」の皆さんの歌や太鼓、踊り・ APA(アジア平和連合)から、コラソンさん(フィリピン)とデビーさん(グァム・先住民チャモロ人)の挨拶と韓国からのメッセージ・ 宜野湾市長の伊波洋一さんの挨拶・ 真喜志好一さんのジュゴン訴訟報告・ 沖縄戦における「軍によるいわゆる集団自決の強要はなかった」とさかんにプロパガンダしている「自由主義史観研究会」に抗議する緊急アピールの採択(本誌綴じ込み付録の8ページに掲載=編集部注)・ まよなかしんやさんの演奏・ 新崎盛暉さん(閉会の挨拶)が行われた。(集会の詳しい内容は、次回発行される一坪反戦地主会会報にてお知らせいたします)

 戦後60年を迎え、沖縄では関係者の高齢化が進んでいるため、今年を最後に慰霊祭の開催を終了するところも出ている。一方では、今年証言してくれた石原さんのように新しく証言を始める方もあり、沖縄戦から60年を経た今でも、戦場での心の傷は決して消えることはないことを思い知らされた。

 ある沖縄戦体験者が言った。「ヤマト政府はチュヌムンタルガキヤーだ(日本政府は他人の物ばかりあてにする者だ)」ここで言う「あてにする」とは犠牲にすること。そこには自らの痛みは伴わない。日本政府は、琉球政府の貿易での儲けをあてにし、沖縄人を理由に戦争し、太平洋戦争では沖縄人の命を盾に生き残り、沖縄を質に入れて米占領下から独立し、沖縄の土地をあてにして安保条約を維持している。

 いったい沖縄はいつまで踏みつけにされなければならないのか。基地の置かれている沖縄の現状は、歴史的構造的差別によって成り立っている。

 沖縄戦はいまだ終わってはいない。