軍用地を生活と生産の場に!
沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック
http://www.jca.apc.org/HHK
東京都千代田区三崎町2-2-13-502
電話:090- 3910-4140
FAX:03-3386-2362
郵便振替:00150-8-120796

『一坪反戦通信』
毎月1回 28日発行 一部200円 定期購読料 年2,000円
 第167号(2005年5月28日発行)

【報告】

五・一五普天間基地包囲行動

  沖縄の「復帰」から三十三年目の今年は、五月一五日に宜野湾市で「普天間基地撤去・基地の県内移設に反対する県民大行動実行委員会」により普天間基地包囲行動が呼びかけられた。普天間基地を「人間の鎖」で包囲し、一日も早い閉鎖・全面返還の実現を訴えようという趣旨の下、昨年に引き続き四度目の実施であった。

 私たちは五月一三日金曜日の夜から一五日まで那覇に宿をとりながら、一四日は辺野古へ行き、一五日は「人間の鎖」行動へ参加した。

 一四日、朝に那覇を出て、途中嘉手納基地や嘉手納弾薬庫を見渡す「道の駅」や、キャンプ・ハンセンなどに立ち寄りながら辺野古へ向かい昼前に到着した。この日の天気は霧雨が降り続け風も強く、海上へは座り込み側の船も施設局側の船も出ていなかった。私たちが座り込みテントに入ると、毛布を顔が隠れるくらいにかぶって横になっている方が三人いた。四月二六日以降ずっと二十四時間態勢で海上に出て闘う中でのつかの間の休息をとられているところだったのだろう。私がゴザに座るときに間違って寝ている方の爪先に当たってしまうと、逆に「ごめんよ」と私に声をかけ、毛布を引っ張り上げながら寝返りをうった。過酷な闘いの中、なかなか疲れを拭い取れないであろう体で、少しでも多く眠りを吸収しようとしている様に見えた。テントの中に座ると、所々傷みながらなお、しっかりと立っているテントそのものの姿に、これまでの時間とその闘いが刻み込まれているように感じた。雨が強まる中キャンプ・シュワブとの境界線のある浜へ行き、薄く深い緑色の海に立つ四つのやぐらを見、辺野古を後にした。

 一五日、この日も朝から小雨がぱらつく中、那覇を出発。普天間基地に行く前に嘉数公園へ向かった。四五年四月七日から二〇日に日米両軍の戦闘が行われたというこの場所に立ち、三十三年前の今日、ここはどのような状況であったのかと考えながら、遠くのほうが白く霞みながら浮かび上がる普天間基地を望んだ。その後、昨年八月の米軍ヘリ墜落現場である沖縄国際大学に立ち寄り、また、宜野湾市役所のロビーで行われていたヘリ墜落をテーマとしたパネル展示を見たりした。

 包囲行動の私たちのポジションは、ちょうど宜野湾市役所の正面玄関に向かって五十メートルほど左に行った辺りであった。午後一時に集合し、早速立ち位置についてから開始時間の二時までの間、少しずつ移動しながら、位置と間隔を調整。その頃には雨も上がり、雲の間から陽が射し始めていた。二時一五分・三〇分・四五分の三回、手をつなぎ、基地を完全に「人間の鎖」で縛ることに成功した。途中何度もウェーブがあり、私は膝の屈伸にヒーヒー言いながら、「鎖」の中の一つの輪っかになっていることを実感した。

 この行動には、昨年を上回る二万三千人余の人々が参加。普天間基地の一刻も早い閉鎖・全面返還を求めかつ基地の県内移設に反対する人々の思いは、辺野古への新基地建設反対の闘いと結びつきを強めながら、高まり続けている。東京に帰り、また自分の足場でこの沖縄の闘いにつながる闘いを私自身もつくっていきたいという思いをあらたにした。

    (明治大学駿台文学会 樋口 朋)