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『一坪反戦通信』
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 第166号(2005年4月28日発行)

連載 ひんぷん

辺野古座り込み1周年・いよいよ正念場

本永 貴子(一坪反戦地主会)


 4月に入り、沖縄は風薫る「うりずん」の季節を迎えました。

 2005年4月19日辺野古での座り込みは1周年を迎え、4月17日(日)には、基地の県内移設に反対する県民会議・ヘリ基地反対協主催の「ボーリング調査阻止座り込み行動1周年集会」が行われました。集会に集まったのは450名。当日は集会に先立ち、カンパ集めを兼ねて、単管足場を巡るツアーや、海人(ウミンチュ・漁師の意)提供の魚汁や某山羊汁店提供のカレーライスなどが振る舞われるなど多彩な催しが行われました。

  しかしみんなの話題は、「施設局によるボーリング調査の強行」。というのも4月14日付の琉球新報の記事に「4月21日にも台船設置 辺野古沖調査」の見出しがあったからです。このところ、国会での答弁や沖縄選出議員(しかも与党議員)のコメントでも「辺野古見直しはやむを得ない」などの声があがる反面、稲嶺知事の訪米での「海兵隊の県外移設は求めるが普天間基地の辺野古移設は進める」という筋の通らない主張の矢先だけに、不安は募ります。(普天間基地は海兵隊の基地ではないわけ???)集会では、「今は作業を強行するときではないはず、施設局は頭を冷やすときだ。」(東恩納琢磨・沖縄ジュゴンアセスメント監視団団長)、「沖縄戦後、食べ物のない時代に沖縄人は海に支えられてきた。海への恩返しは壊すことではない。」(山城善勝・国頭村漁師)、「多くの人の熱意が、この闘いを支えた。政府から建設断念の言葉を引き出すまで運動を続ける。」(安次富浩・ヘリ基地反対協代表委員)など最後までともに闘うことを誓い合い、力強くガンバロー三唱を行いました。

  その後、4月19日には県民会議、4月20日には市民共同行動が、相次いで那覇防衛施設局を訪問し、辺野古ボーリング調査の強行を断念するよう申し入れを行いました。市民共同行動での申し入れでは、局長は係争中のため会わないとのことで、キャン(というからには沖縄人であろう)課長補佐が対応しました。ちなみに前日の県民会議の時は「出張中」とのことで局長は県民会議の皆さんと会わなかったとのこと。(一体局長はどこにいるのか、仕事しているのだろうかと思う。)申し入れ文を読み上げた後に、「21日に強行を行うというのは本当か」と問うと、施設局は「21日と言った覚えはない。天候や海の状態が整えばいつでも行うと言うことに変わりはない。」と答え、「新聞社が勝手に書いたと言うことか」「今まで、何度も状態のいい日はあったのに強行しなかったではないか」と問われても同じ言葉を繰り返すばかり。

 国会で辺野古新基地建設見直しの話が出ていることも、県民の80%以上が辺野古移設に反対しているというアンケート結果にも「認識していない」としていました。反対派が単管足場から落ちて気を失っても笑っていられる施設局のこと、何時「強行」(凶行?)に及ぶかわかったものじゃありません。

  4月21日辺野古沖、単管足場の上には実に99名もの人々が集まっていました。浜の座り込みテントの中も満員。人があふれ出ています。聞いてみると、昨日(20日)からこの状態とのこと。施設局側の船が14隻、こちら側は18隻、いつもは4、5隻ずつ交代で船を出す海人たちが、今日はみんな集まってくれたとのことでした。望遠鏡で眺めてみると船に挟まれて波の間を黄色いライフジャケットが見え隠れしています。みんな心配そうにかわりばんこに望遠鏡をのぞいていました。午後4時過ぎ、やっと第一陣が帰ってきました。するとテントの中から「ありがとー」「おつかれさまー」「おかえりー」と声がします。嘉陽のおじぃの声に会わせてみんなで大きな声で迎えました。途中「にふぇーでーびる」と沖縄口(方言)でのお迎えに挑戦してみましたが、方言がわからない人もいて、さすがに難しいらしく断念しました。でもみんな無事に帰ってきてよかったです。

  このとき私たちはまだ気づいていなかったけれど、午後3時頃には嘉陽沖でジュゴンが目撃されていたのでした。そしてもう一つ、建設推進派が軍事利用部分と民間共用部分と2期に分割して辺野古基地建設しろと国と県に提案したのもこの日です。施設局長は出張ではなかったらしく、もちろん係争中でもないためか面会したそうです。

  単管足場は台風でのぞいた1つを除いて現在4つ。海風に晒されてさびているパイプには、施設局が強行してくるのを阻止するため、体をパイプに縛りつける鎖が揺れています。単管足場を守るある女性は、その鎖を自分の首に巻き付けて守ったのです。そして、施設局が何度も「強行」をちらつかせるのは反対する住民の資金が底をつくのをねらっているという話もあります。辺野古新基地建設を止める闘いは、今日も続いています。「うりずん」の季節のように、平和の香りが香る風の吹く日まで。