軍用地を生活と生産の場に! |
沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック |
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『一坪反戦通信』 |
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第165号(2005年3月28日発行) |
【報告】 沖縄県収用委員会 第九回公開審理(2005年3月23日)沖縄戦で土地の公簿・公図が焼失したため、地主の申告に基づいて土地調書を作り上げ、これが沖縄の地籍図になった。しかし、申告制のため正確さに欠けていたので、政府は戦後処理の一環として地籍明確化法を制定した。小字のすべての地主が了承すれば地籍が確定するという集団和解方式をとり、地籍の確定に役立てるという建前であったが、そのねらいは地籍を確定することによって軍用地の強制使用が容易になることにあったため、反戦地主会は地籍明確化法に反対して闘ってきた。 三月二三日第九回公開審理はこの集団和解方式による強制使用に対して求釈明が行われた。 軍用地を強制使用するためには土地の図面を確定した土地調書をつけて申請しなければならないが、嘉手納の地主の有銘政夫さん、真栄城玄徳さんはかつての土地とは土地の形も境界もちがい、現地調査もできない状況であり、地籍明確化法に基づく集団和解方式で確定されたら強制収用につながるため、署名押印を拒否してきた。 ところが、国は小字の地主の九十九%が署名押印に応じているので、残りの分が有銘さん、玄徳さんの土地であると「特定」した。強制使用する際の法的根拠である「確定」ができないにもかかわらず、「特定」だけで強制使用を申請しているので、その法的根拠を明らかにせよと両氏は迫ったが、防衛施設局大沢部長は法的根拠を明確にできず、次回の公開審理に持ち越しとなった。 真栄城玄徳さんは求釈明の前におばあさんの話をされた。懸命に働いて土地を買い、畑をつくり、子供たちを育てあげたおばあさん。しかし戦争のあと大切なその土地は基地にとられてしまった。一九五〇年代に一度だけ自分の土地にはいれたとき、おばあさんは戦争で焼けた家屋敷の跡にたたずんで、玄徳さんに以前の村のようすを話してくれた。大きなクスノキがあって、それで箪笥を作るのが夢だったと。そして、生きているうちにこの土地に帰りたいと。 玄徳さんは「基地に土地を貸さないことがおばあさんの遺志を継ぐことだと思っている、基地に土地を貸すことは公共の福祉に寄与するものではないと思う」と発言された。おばあさんの願い、玄徳さんの想いが防衛施設局の職員たちの心に届いただろうか。 公開審理のあとには反戦地主の方々との交流会があります。沖縄料理を食べながら、普段の集会では聴けないようなお話を聴くことができます。次回は四月二七日沖縄市民会館で開催されます。会員のみなさまの参加をお願いいたします。 (市原) |