軍用地を生活と生産の場に! |
沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック |
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『一坪反戦通信』 |
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第158号(2004年7月28日発行) |
ボーリング調査を許さない6・26集会
講演記録 講師 大西照雄さん (ヘリ基地反対協議会代表委員) ただいまご紹介いただきました大西です。ヘリ基地反対協の代表委員をして、現在座り込み闘争の現場にいます。だいぶ色が黒いでしょう。昨日防衛施設局に初めて怒って、少し声がおかしくなっています。その点はご勘弁いただきたいと思います。 この座り込みの闘いには二つの力が働いております。一つは、座り込みは2639日プラス今日で69日目だということです。その意味は市民投票以来、命を守る会の皆さんが小屋を守り続けてきました、これが8年余りの日々の生活なんですね。このことが極めて大きな意味を持っているということです。もう一つは、この座り込みはヘリ基地反対協の提起の中で行われているということです。命を守る会もヘリ基地反対協の加盟団体です。私たちはこのおじいちゃんやおばあちゃんと共に闘い、励ましあいながら今日までやってまいりました。一つの組織を守り8年余り持続していくということは大変なことであったわけです。政府は水のごとく予算をつぎこんでまいりました。その中でものが言えなくなる人たちも出てまいりました。そういう一番苦しい状況の中で、やはり一つの組織をきちんと守りとおしていくこと、これが非常に重要なことだと考えております。 2003年3月、イラク戦争反対の国際行動が地球的規模で広がりをもったその中で、キャンプシュワブで何が行われていたかというと、基地の中では海兵隊が半分に分かれます、半分はイラク人、半分は海兵隊、そこで戦闘が行われます。キャンプシュワブの訓練の中ではイラク人は全員死にます。まさに今ファルージャではイラクの人たちが虐殺されています。あれはキャンプシュワブでの訓練の「たまもの」です。私は東京がイラクの人たちからテロにあっても不思議ではないと思います。なぜならイラクの人たちが何百名も殺されているのを援助しているのはこの日本だからです。そういう意味では私たちのこの闘いは平和に向けての闘いだと思っています。もう一点は地球的環境を守る闘い。この二つが結合している闘いが今の私たちの闘いです。 日本のアセスメントは「合わせメント」といわれています。起業者に合わせていくような環境評価です。私たちの会の中でも政府のやりたい放題のアセスメントに関わるということは、基地造りを容認するという考え方もあります。この問題についてどのように対応していくのか。私はこう提起をしています。この環境アセスメントの問題は極めて幅広い闘いが組める、多くの人々、平和団体、自然環境団体、市民団体、学者の皆さん、弁護士の皆さん、すべての人の共同によってこの闘いは成り立つんだと。 那覇防衛施設局がこのアセスメントに入りました、昨年の4月8日です。私たちは潜水調査については適切な対応をとれませんでした。しかし、その中から何をしてきたかというと、一つはアセスメントの学習を徹底しようということです。辺野古で抗議集会を1週間に1回やる。土曜集会といっています。辺野古の海の掃除をしてここで学習会を開く。もう一点は、海での闘いの準備をしようということで、カヌーの訓練をする。カヌーで行動していたら、海上保安庁が突っ込んできたとしても、海上保安庁に過失行為が発生します。その訓練をこの1年、約40週行ってまいりました。 そこから生まれたのが沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団です。この呼びかけ人はヘリ基地反対協や、ジュゴン基金や、平和市民連絡会など、弁護士も含めて提起をして、個人加盟の組織にしました。その中でアメリカでラムズフェルド国防長官と国防総省を被告として裁判を起こしています。8月4日には原告の東恩納琢磨さんを含めて2人がアメリカの裁判に出てまいります。その中で何が起こったか、とうとうラムズフェルドが沖縄にきて言いました、「辺野古の海はきれいだ、代替施設はもう死んだ」。あの発言はただ生まれたのではなくて、彼を被告として行っている裁判に耐えきれず、彼がきちゃったということです。私はそう認識しています。このジュゴン監視団は公害調停など法的な手段、法的な問題提起をしていくつもりです。 アメリカから生物多様性センターの人たちがきています。裁判を支援してくれています。今回沖縄で国際珊瑚学会が開かれます。約2千名余の世界の珊瑚研究者が沖縄に集まります。このバンフレットは今日できあがったばかりです。これを全員に配布して沖縄の珊瑚や自然や、そういう豊かさを世界に発展させようといま取り組んでおります。明日はアメリカの皆さんと海岸でビーチパーティーを開きます。そういう交流を進めていきます。ジュゴン監視団というのは、環境問題として攻めていく団体としてこれから重要な役割を果たしていくと思います。まだ入られていない方々がおられましたら、個人加盟ですから是非このジュゴン監視団に入っていただきたいし、物心両面の支援をお願いしたいと思います。 4月19日、防衛施設局はボーリング調査に着手してまいりました。私はそれから毎日座り込んでいるんです。その日沖縄は嵐の日でした。防衛施設局は9時に調査船を出すとマスコミには発表していたんですね。ところが大変おもしろいところから情報が入りました、彼らは4時から動くよと。だから私たちは4時から海岸にカヌーを並べて、陸上では調査船阻止の体制を5時には取っておりました。陸上で突破されたら、海で命をかけて阻止するという体制だったのです。その中には72歳の女性がいました。嵐の波の中に72歳のおばあちゃんが命をかけてカヌーを漕ぐ。私が団長です、私は61歳です、それでも大変です。ちなみに私は沖縄県のレガッタの監督でもあるんです。その私が漕ぐのも大変なのに、素人で1年しか訓練していない72歳のおばあちゃんが漕ぐ。女性4人を含むカヌー7艇に13名が漕いでいって、陸上では夜明け前から阻止に入っています。ところが、4月の5時半というのは沖縄は暗いんです。その中を重機をもって、5人でもかつげないような大きなH鋼というのをセットして、気がついたら、ぱかぱかっと作業ヤードの塀が造られていく。これはしまったということで、そこに集中して中断をさせていく闘いを組むわけです。その中でやっと食い止めて中断させています。初日は防衛施設局と業者約80名。我々の仲間は約30名です。ですが、なんとか食い止めました。ところが相手が中断すると言ったもんで、みんな帰ってしまったんです。人がいいんですね、ぼくらは。後方のキャンプシュワブの中に監視塔がありまして、そこから覗いていて、人が少なくなくなったらすぐにまた11時頃やってきた。残っている人でまた必死の防衛です。その日以来、緊急連絡体制をとって集まってもらいまして、作業ヤードの建設を阻止して今の状態が続いているわけです。 その日以来座り込みが69日ということになります。私どもはこう考えています。国連が99年9月総会で平和の文化宣言というものをやりました。21世紀の子供のために、10年間子供の平和の文化を創る国際行動です。どういう位置付けかというと、20世紀は暴力の世紀であった、物事の平和的解決を目指すのが21世紀の生き方です。ブッシュは野蛮な暴力的な行為を行っています。だけど世界の流れはその方向に進むなということです。そして地球環境保全をしていくと。沖縄の歴史は武器なき闘いです、米軍占領下での武器なき闘いを、この闘いの中にも適用していく。まさに21世紀的闘いをしようじゃないかというわけです。私たちの座り込みの闘いは歌もあります、花もあります。 防衛施設局とは月曜日から金曜日まで、私と牧師の平良夏芽さんが対応します。その中で私たちはこう言うんです。この闘いはテントの中に座り込むことだ。ただ座り込むことだ。場面においては訓練がありますね。業者がきたときにはどういう体制を組むか、機動隊が発動されたときにはどういう体制を組むか。いかなる場合であっても耳から上に手を上げない、スクラムはしっかりと組む、これが私たちの闘いの基本なんです。テントの中には阿波根昌鴻さんの写真を掲げています。阿波根さんが言いました、「敵に対しても礼儀を尽くせ」。私はよく言うんです、もし前線で私が防衛施設局と話し合っているとき、交渉しているとき、不測の事態が起こってもテント小屋は動くな。不測の事態というのは私が逮捕されてもです。整然とした行動をとれ。 例えば皆さんが支援にいらしたときにも言います。いきなり写真を撮るなと。国会議員であろうが、どんな偉い人であろうが、まず最初に座り込んで、それからお話をさせます。これは絶対に守っていただきたい。それから私どもが行動しているときに、勝手にテント小屋から離れて写真を撮ることは、これは私たちの闘いを破壊するものだと私たちは考えます。なぜかというと、常に名護署の公安がいます、彼らは挑発をかけるんです。カメラを向けようとすると、プライバシーの侵害だと言ってカメラに向かって突っ込んできます。もしそこで公務執行妨害をとられたら、この私たちの闘いが暴力的行為として宣伝されたときに、この闘いは壊滅いたします。そのことを是非頭の中に入れていただきたいと思います。どんなトラブルでも勝手に自分で解決しない、必ず代表者がすべて解決します。漁港は海人(ウミンチュ)の神聖な労働の場所、その神聖な労働の場所を勝手に歩いたり、海人からクラクションを鳴らされてどいたりするような行為は絶対にあってはならない。必ず漁港内の歩道を歩いてください。 もう一つ大事なことですが、この運動はヘリ基地反対協が主催し、それに共感する者が参加しています。ヘリ基地反対協の指示に従えない人は帰ってくださいとも言います。なぜなら私はこの闘いの中でひとりの犠牲者も出したくない。おじい、おばあたちが命を賭けてこの闘いを作り上げてきた日々の生活があるということです。この8年間思いを持ちながらも亡くなったおじい、おばあがもう6、7名おります。おじい、おばあたちは言います、「いざというときには命を賭けて闘うぞ」。嘉陽(かよう)のおじいはこう言います、「大西先生、いま病院に行ってリンゲル打ってから来たんだよ」。ぼくはしょっちゅう叱ります、おじい、いまは平和な時間だからちょっと寝とけ。だめなんですね、小禄(おろく)さんもそうなんです。それから92歳のヨシおばあが、心配で心配でしようがないからと言って来るんです。来るなと言っても来るんです。この現場の中で、皆んなが闘っている思いに応えたい、自分たちが病気をいろいろ持っていながらも、それで来るんですね。おじい、おばあたちの思いに応えるためには、私たちがしっかりとした原則を持っていなくては闘いの発展はないと思うんですね。 あんまり防衛施設局がひどいもんですから、テントの中に案内しました。おじい、おばあの声を聞いてくれと。ヨシおばあがこう言ったんですね、「戦争中この海がなければ私たちは死んでいた。海の幸が自分たちの命を育んだ。私は5人の子供を大学まで卒業させた。それは海の幸があったから私は子供たちを育て上げることができたんだ。父ちゃんは早く死んだ。ここに基地を造るということはどういう利益があるんだ」と施設局に言うんです。嘉陽のおじいに前面にきてもらいました、こう言ったんですね、「いま私は病院から帰ってきた。私が病院にいるときは友達や親戚の皆さんが見舞いに来る。私は旧日本帝国の海軍出身だ。戦場でけがをしたときには誰が見舞いに来るのか?」防衛施設局の一人一人に聞いた。「皆さん誰が見舞いにきますか!今ファルージャの兵士たちにも来ているはずだ」と。私はわかっていました。私は沖縄戦が終わったときまだ子供ですから、しょっちゅう怪我をして、薬なんかなかったもんだからよくわかる。ここにおできができる、見舞いに来るのは銀蝿です。戦場で見舞いに来るのは蛆虫のわく傷口に銀蝿が来てさわるから非常に気持ちがいいと言うんです。その日はこれでもう防衛施設局に勝ちです。この69日間、防衛施設局は昨日を含めて22回来ています。 あの座り込みの場で私たちはいろいろなことをやります。海の話、花の話、沖縄の生物の話。ここでも聞いた人がいますね、私はタコ捕りの話をします。タコはどういうふうに捕るのかとかね。あるいは民謡、いろんな分野の人たちが、自分の持っているものをここで小講いたします。まさにこの座り込みというのは、みんなが知的にも、心も成長していく学び合いの場でもあるというんですね。もう一つはお互いに協力し合う場。これは防衛施設局を含めてです。私たちは場合によっては防衛施設局の職員に沖縄の歴史を教えます。沖縄の戦後の闘いを教えます。ある意味では彼らに対する教育の姿勢だと思っています。この中で私どもは学び合いながら、力をつけていく。 その中でなにが起こってきているかというと、琉球新報の世論調査によれば移設賛成は7%に落ちました。自民党の支持者でも移設賛成は13%です。この整然とした座り込みの中で世論的な形成がなされたと思っています。ですからこの闘いを更に持続させていく。お隣の金武町では都市型訓練の強行が行われています。私たちは2ヶ月越しました、向こうは1ヶ月です。69日に入ったよ、1ヶ月入りましたね、おめでとうございますとお互いに言っているんです。沖縄の北部のほうが基地の移設先になって大きな矛盾が生じ、それが一つの世論を形成しはじめていると見ていいかと思います。 この闘いは長期的な闘いです。潜水調査やボーリングをさせないために必死でがんばります。たとえこれに負けても次の闘いがあります。彼らはボーリング調査を12月までやると言っています。私たちはボートやすべての船を駆使して闘います。私の場合ですと、定年退職でちょっぴりお金が入っちゃったもんだから漁船を買いました、6名乗りです。それから水中カメラも買いました。それから水中ビデオも買いました。金を使いますね。それから、警察の連中を裁判でたたくためには秘密の録音機が必要だなと思って買いました。退職するときにぼくは子供たちに言いました。稲嶺恵一知事と岸本建男市長に勝つのが我が第二の人生だと。ぼくは普段は服装に全然無頓着なんです。ところが最近よくテレビに出るもんで、教え子たちが心配しちゃって、もっと稲嶺さんよりいい服装をしなさいと、このかりゆしウェアをプレゼントしてくれました。周りで支えてくれる者があるということです。全国的にカヌーの提供者もかなりいて、いま20艇くらいはあります。 更にアセスメントで3、4年かかります。これは知恵の闘いになります。今日私は皆さんに日本科学者会議沖縄支部の方法書に対する意見書をお渡ししています。実はこれが一番すぐれた意見書です。これを是非学習していただきたい。この基地の姿がどんな否定的な世界を作るか、なにが書かれていて、なにが書かれていないか。なにを目的とするのか。これを是非学習していただきたい。方法書学習は次の段階への大きな礎になります。建設で15年といいます。私はこう思っています。いろんな段階があります。各段階で悔いのない闘いをする。それぞれの節目節目にせいいっぱい闘うことだろうと思います。 沖縄から参加した人がその感想を沖縄の新聞に投書しています。それがまた力になります。私たちはさざえパーティーなんかをやりますが、日曜日にきた小学生が、そのさざえパーティーのことを新聞に投書したんですね「ぼくは6個食べたけど友達は7個食べた」と、「ぼくは損したさぁ」と書いた。これが大反響です。沖縄の新聞は投書するとけっこう取り上げてくれるのです。もし沖縄にきていろいろな体験をしたら投書してほしいと思います。これが世論を大きく作っていくんです。 それから首都圏における闘いですね。ぼくは皆さんに環境省や防衛庁にどんどん働きかけをしていただきたいと思っています。現地と呼応して大きく作っていただきたい。その場合に、共産党系もいれば、社民系もいれば、ノンポリ系もいる、そういう人たちが一つの力を作り上げていって、防衛庁や環境省を徹底的に攻め上げていく、アメリカ大使館を含めて。それが非常に大事だと思います。ぼくらにはできない、東京に来たくても金を使うんで、なかなかできないことです。首都圏における沖縄に思いを持っている皆さんの働きが極めて大きな意味を持ってくると私は思っています。環境団体も、平和団体も、市民団体も一緒になれる闘いですよ。絶対に新基地は造らせない、ボーリング調査をさせないという一致点で行動できると思うんです。それを作ることが大きな力を発揮すると思います。 私は阿波根昌鴻さんの話をよくします。5本の指の話です。阿波根さんは「一つ一つの指は違うけれども、5本の指が一つになったときに人間は大きな力を発揮する」と言いました。沖縄では参議院選挙に向けていろいろな過程がありましたが、糸数慶子さんはすべての野党が共闘を組んで、これを勝利させるという野党共闘になりました。これは大変重要な意味があることです。まず座り込んでいる私たちに対する最大の激励です。あの強引な小泉ですら現地を考慮してやってくださいと言っているわけです。糸数さんが勝つということは沖縄の意思が反映されるということです。最大の争点ですから。負けちゃったらこれは大変。選挙が終わったとたんにぼくは留置所に行くかもしれない。だけれど勝つということは、これは大きな力になります。これが一つの大きな世論となって、私たちが闘いを有利に展開できる要素を持っています。そのためには私も奮闘したい。 みなさん、厳しい中ですが、戦争をするための東洋最大の機能を備えた基地を辺野古に造らせない。人殺しさせる基地を造らせない。そのためにみんなの力をひとつにしてがんばっていきましょう。 (テープ起こし・編集 関東ブロック)
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