軍用地を生活と生産の場に! |
沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック |
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『一坪反戦通信』 |
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第157号(2004年6月28日発行)
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(司会) 梅林さんは10年前にも一坪でお呼びしたことがあります。情報公開法に基づいてペンタゴンに文書を要求して、かなりお調べになりました。そして「一坪」という言葉もありましたというお話をしていただいたことがあります。その後も梅林さんは『ミサイル防衛』という著書もありまして米軍のことに大変お詳しい方でいらっしゃいますので、私共としては是非ともまたお話をうかがいたいと思っていた方です。 (梅林) 歴史的転換期を生かすための意思表示を 沖縄の米軍基地の削減にまたとないチャンスが訪れていると思います。しかしこのチャンスはだまってみていたらいい結果がでるとは決して限らない。あくまでも相当しっかりした日本政府の意思表示があって、初めて功を奏するようなチャンスだと思います。そういう意味では今の日本政府の態度をみているかぎりこのチャンスを生かせないで、みすみす逃してしまうのではないかと、その心配が強い気がします。にもかかわらず歴史的な大きな変化が待っているし、その変化にわれわれが介入できる道があるということはまちがいないと思います。なにが起きているかということを、基本的に今日は是非とも頭にいれていただきたいと思います。 その大きな変化をこのタイトルにもなっていますが、米軍再編成という言い方ですが、アメリカ国内の言葉としては「世界的国防態勢見直し」という表現でいわれています。簡単に言うときには「国防」をとって「世界態勢見直し(グローバル・ポスチャー・レビュー Global Posture Review)」と呼ばれます。昨年の11月25日ブッシュ大統領が声明を発して、「世界態勢見直し」をするということが公式に出発しました*。その声明の中で言われている言葉は「新しい安全保障環境に最善に対処するために最も適した場所に正しい軍事能力を配置する」。逆に言うと今はもっとも適した場所に正しい軍事力が配置されていないという認識をもっているわけです。非常に無駄な、冷戦をひきずった世界と米軍の配置になっている。それを新しく根本的に見直すということを宣言したわけです。このブッシュ宣言は形式的な出発点でありまして実際にはそれより少し前から、沖縄にラムズフェルドがきたのがこれより前**だと思うのですけれども、そのときにはすでにそのような「世界態勢の見直し」ということを念頭においていろいろなところを訪問していたわけです。ですからこの日に突然起こったということではなくて、ブッシュ政権にとっては登場したときから着手をしようと考えていた、そういう見直しが出発したということになると思います。その背景に大きくいうとふたつの大きな流れがあります。より密接に2本のより糸のようによりあわさって、ふたつのことが進行しています。 「軍転換(Force Transformation)」 ひとつは「フォース・トランスフォーメーション(Force Transformation)」を使っておりまして、日本語にするといろいろな訳し方があると思うのですけれども、防衛庁の文書なんかは「軍の変革」というような訳し方をしています。「Force Transformation」という言葉は昆虫の変態ですね、さなぎから蝶になるというのがTransformationですし、物質でいうと固体が気体になるという相変換ですね、シナリオが根本的に変わる、液体が固体になる、固体が液体になる、このような相変換をTransformationという言葉でいうように、この場合のTransformationというのは軍隊がすっかりその姿を変えるというくらいな根本的な変革を意味する言葉になっています。根本的に軍隊を変革しなければいけないという考え方は、なにもブッシュ政権になってから登場した言葉ではなくて、クリントン政権のときから21世紀の米軍をイメージするときに使われてきた言葉です。長期的な米軍の根本的変革をしなければいけないという考え方からきています。 「数ではない。能力だ」 そのときに対に言われる言葉は「能力ベース」でもの事を考えるという言い方をします。能力というのがこの「Force Transformation」のキーワードのひとつです。たとえば「脅威ベース」から「能力ベース」に戦略思考を転換するというような言い方をするんですけれども、「脅威ベース」というのはどういうものかというと、ソ連が敵であるという脅威を設定して、その脅威に対してどういう対応をすべきかという発想でものごとを考える、これを「脅威ベース」の考え方と言います。これを古い考え方だと言っているわけです。ですからソ連の次は中国だ、中国の次はまた別の国だというふうに、敵を想定して戦略を練るという考え方はもう通用しない。「能力ベース」で考えなければいけない。次の敵は誰であるかはもはや予測できないという前提に立つべきだとうわけですね。敵が誰かということは予測できない、だから敵が誰かということをベースにして戦略を考えるということはまちがっている。しかし、敵がどういう「能力」をもっていて襲ってくるかということは予測できる。「能力ベース」に戦略を考えるという考え方に転換する、ということで「能力」ということをしきりに言うわけです。 具体的にどういうことを言っているかというと、ひとつは大量破壊兵器ですね。これは頻繁に別の文脈ででてくるわけです。イラクに対する問題、あるいはアルカイダが化学兵器、生物兵器を入手するかもしれない、あるいは核兵器を使うかもしれないというように、大量破壊兵器というのは「能力」のひとつの代表選手ですね。もうひとつはミサイルですね。これもよくミサイルの脅威とういうことを言うわけですけれども、ミサイルがもはやいろいろな国が簡単に使えるようなものになっている。もうひとつ現在の日本ではあまり言われないのですが、アメリカの国防省の中では同じくらいによくでてくるのが、潜水艦というものがあります。脅威でいつ自分たちが襲われるかもしれないという、そういうものとして潜水艦というのはしばしば例に挙げられます。そういうような「能力」というものを想定して、敵が誰かはわからないけれどもこういう「能力」は必ず持っていてやってくると考えるわけです。 それにともなって物量より「能力」が大事なんだという言い方をしばしばします。つまり軍隊を議論するときに兵力が何人である、軍艦が何隻、飛行機が何機、戦車が何台というように物量で兵力を量るという考え方がみんな染みついているけれども、それを乗り越えようとしているわけです。もちろん数がいらないというわけではないのですが、議論はたえず数が登場するわけですけれども、大切なのはそういう数ではない。敵の対応できる能力、こちら側の能力というものが本質なんだという言い方をするわけです。長く基地問題にかかわっていらっしゃる人はアメリカの世界的な兵力の配備でアジア太平洋10万人という、1994年にだされたそういう数がひとつの象徴的な米軍の展開する数として言われてきたわけです。実際ヨーロッパも冷戦後同じくらいの数になっていまして、ヨーロッパ10万人、アジア太平洋10万人というのがアメリカの前方展開をしている兵力として絶えず、それより減ると米軍は手をひいたというふうに書かれてしまう、そういう数としてあったわけですけれども、米軍はもはやそういう発想ではいないと繰り返し言っているわけです。それが物量よりも能力だという言い方でしばしば言われます。 「統合化」 もうひとつ米軍のTransformationの中でキーワードとして「統合化」というのが言われます。これは英語だとJoinnessという言葉になるのですが、どういうことかというと陸・海・空・海兵隊四軍とよくいいます。我々も米軍を言うときにはどういう部隊であるかということを四軍で数えるわけですけれども、その四軍構成そのものを今の段階で否定するといことはできないことであって、そういうことは言わないのですけれども、必要なのは軍別の意識をできるだけ捨てていく。それで「統合化」して戦争をする。だから戦争は常に統合軍で行うようになるべきだ、これからはもうそうせざるを得ないというように言うわけです。これは米軍にとって非常に大変な話であって、米軍に限らず軍隊にとって歴史を超えるというくらいの意味のあることになります。陸軍は歴史的にいろいろな軍隊に含まれていたわけですね。最初は陸軍があって、大航海時代があって海軍が生まれて、やがて飛行機ができて空軍ができてというように、それぞれ戦争の歴史とともに新しい軍隊が誕生していって、それ固有の「気質」があるわけですね。日本の旧軍でも非常にあったわけですけれども。しかしそのように歴史的に造られてきた軍隊の各軍の考え方を超えなければ、「21世紀の戦争」には勝てない。そのために統合化ということを非常に強く主張しています。また主張するだけでなくて現に非常に大きな変化が起こっています。 ひとつの象徴的な例は1999年に太平洋軍と対峙すべき大西洋軍を解体をしました。そしてその軍隊を統合部隊軍とういうまったく新しい試みの軍隊に編制したわけです。1999年にこれをやったときには、まだ大西洋軍は大西洋地域の責任をもつという役割をも残して、それも残しながら半分統合部隊軍という新しい時代の軍隊を育成して、その実験をする、訓練をして、そこで訓練を積んでそれを全米軍に伝播させていくための試験的な役割をするという、二本立てでやっていたんですけれども、2002年にその地域軍としての役割も解体してしまいまして、統合部隊軍としての任務が一本化されました。2002年10月には統合海軍を実際に育てて、それを実際の軍隊を育てていくために専念するための部隊になるということで、現在そういうところで訓練されたわりと小さいユニットで統合部隊軍として訓練された部隊がイラクに派遣されている。そして実際の戦争の中で統合軍としての新しい戦争の形体を実行しているわけです。そういう変化をしています。 なぜそうしなければならないかというのも、わりと常識的な考えでわかると思うのですが、実際対処しなければならない現場というのは陸・海・空・海兵というように分かれていては困ることのほうが多いはずです。それは昔からそうであったわけです。それを実際の戦争のときには司令官というのがつくられて、その戦争の司令官が全体の指揮をとるということで、気質の違う軍隊を束ねて戦争をしていたわけです。それをもっと効率的にしなければ臨機応変の戦争、これを「21世紀の戦争」と彼らは考えているわけですが、そういう戦争に対処できないというところから統合化を日常的な、軍隊を作るときのふだんからの概念として、そういうものに変えてしまうということであるわけです。それがひとつのより糸です。 「非対称な戦争」の時代 もうひとつのより糸は、今のより糸は観念的な戦争論的なより糸なんですが、それを実行するにあたってテロとの戦争という非常に好都合な、戦争を利用しているということであります。最初に考えていたときには、「9・11」以前からこういうことは考えていたわけで、そのときには「21世紀の戦争」というものを「非対象な戦争」の時代という言い方をしておりました。テロもそのひとつであるし、そのほかではサイバー戦争という、これは今でも当然考えられていることなんですけれども、電子の世界で破壊をされてしまう。アメリカの軍隊だけではなくて国家のしくみが壊される、そういうことをもうひとつの戦争の形体ということが言われてきましたし、それからいろいろな形の非正規戦争、いまアフガンで戦われているような特殊部隊だけがゲリラと戦うということ、正規的な軍隊ではなくて、敵がどこに隠れているかわからないようなものに対して特殊作戦を行う、そういう戦争を総称して非対称戦争と呼んでいるわけです。 「9・11」を梃子に 「9・11」というのは彼らにとってはひとつの自分たちが予測していたことが起こったということでありまして、その「9・11」後にブッシュ政権がテロとの戦争ということを宣言したわけですね。短期的な政治的な梃子にそれを使って、この「軍の転換」というものをテロとの戦争の中で同時進行的に行っている。実際そのテロとの戦争が始まりますと、世界的な米軍の配置の見直しをしなければいけないということが非常にはっきりと見えてきたということがあって、国防省はある意味ではこれを活用している。具体的にどういうことかというと、現在アフガニスタンその周辺に15,000人が展開しています。イラクには140,000人の展開をしています。これはいずれもやはり正規戦争ではなくて、どういう形の戦争かというとメディアにも明らかになっていないし、彼らにもできない形になっているような戦争であります。それは2000年の時点では、本当に予想もつかなかったような兵力の配置を、日常的にしなければいけないということになっているわけです。 世界的な兵の合理的配置へ アメリカ国内的にもいろいろな弊害がでてきています。本来志願兵制度をアメリカがこれからもやっていくとすると、志願兵に登録している人を兵隊にとって戦場に行かせるときに、いくら口では兵士を駒のように使うといっても、実際に勝手に使うという軍隊の側面は当然あるわけですけれども、アメリカでそういうことをやるときに、志願兵をとるときにはどこにどの期間派遣をするかということを明らかにした上で、志願、派遣をされるわけです。ところが実際もうすでに起こっていることは、朝鮮半島の在韓米軍に配備されるということで陸軍が兵のローテーション一年が終わらない途中で、兵隊が足りなくなったからイラクに行かされているわけです。すでに3,600人が在韓米陸軍からイラクに行っている。沖縄から3,000人が行っているというのもそれと同じであって、沖縄に行くということで来ているにもかかわらず、そこからイラクに兵を送らざるを得ない。これはアメリカの議会では必ずカンカンガクガクに突っ込まれるわけです。ですから予測のたつ兵の運用をしないと志願兵制度というのはもたない。しかし今は戦争だからということで無理をして現にやっているわけですけれども、そこででてきているのは、もっとも多くの兵力がドイツから行っているわけです。ドイツになんでそんなに多くの兵力がいるのか。今配置している兵力がきわめて現状に合わない。むしろもっと小回りの利く形で、世界中に基地をちりばめておいて、そこにコアになる軍隊を派遣しておいて、いざというときにそこを膨らませる。膨らませる場所に配置するということを最初から予測がつくから、ドイツに行ってからそこに行くという形をとらなくていいというような兵運用上の合理性というものが発生しているわけです。今後はむしろそのような状態になるということでありまして、ふたつのより糸の中で世界的な兵の配置をしなければならない流れで今日に至っているわけです。 「不適切な」米軍配置、QDRの指摘 それではどのように現状がいびつであるかということなんですが、これは2001年に四年期国防見直し(Quadrennial Defense Review:QDR)*という、これはブッシュ政権になってからだされたもので、9月30日にこの文書は出されているんですけれども、「9・11」が起こったときにはもう2週間前に基本的にはできていたというものです。しかし「9・11」が起こったので、それに説得力を持たせるためにいろいろなところに「9・11」をちりばめて、「9・11」の利用ということが行われています。考え方は基本的に米軍の21世紀に対する対応という中でだされているものの考え方です。そこで西ヨーロッパと東北アジアに米軍は過剰に配備されているということが書かれています。これは非常に不適切であるとはっきり書いてあります。東北アジアというのは日本と韓国です。 これは私が米軍の統計*から作った表なんですが、過剰とされているところの兵力を書き出してみるとこうなります。西ヨーロッパはドイツ、イタリア、イギリスがトップスリーで、72,000人、16,000人、12,000人、合計10万人というこれでほぼ西ヨーロッパ配備の全部といっていいほどの数がその三国に集中しています。これは誰が見ても冷戦後これだけの軍隊がドイツのためにいるというわけではないのです。ドイツを拠点にしていろいろ動いているわけです。それから東北アジアは日本が51,000人、うち沖縄が21,000人、韓国が36.000人、この二カ国だけで87.000人が大部分です。圧倒的にこの二カ国です。あと多いのは洋上という分類が太平洋の場合にはわりと多いですね。海の上にいる軍隊で、これが一万数千人です。それを合わせてだいたい10万人という展開になっているわけです。
基地の数、面積はそこにありますけれども、面積は参考になると思いますが、基地の数に関しましてはそこに注意書きをつけてあります。たとえば沖縄の海兵隊の基地がたくさんありますね。キャンプキンザー、キャンプコートニー、キャンプフォスター、そういうたくさんある海兵隊キャンプを、全部ひとつでキャンプバトラーとして数えているわけです。彼らの考え方からすると沖縄海兵隊は基本的には一個として数えているわけで、これは我々の常識とは合わないので、参考にならないんですけれども、面積はほぼこのとおりと考えていいと思います。 世界中の海外配備というのがそこに書いてありますけれども、米軍が世界で展開している2002年10月1日現在という、その一日の現況を表している数です。それが197,000人で、今ここで数えたものだけで95%を占めます。ですから、いかにここに掲げられている国に偏っているかということがわかると思います。面積の上では51%です。広大な面積を占めている米軍の演習場とかが海外にあるとことを表しています。そこには米軍の駐留は一桁しかいないけれども、そういう大きな基地があるということを示しています。こういう運用を変えて、柔軟性を増したいといっているわけですね。だからドイツにいてそこからイラクに派遣することは、非常に柔軟性に欠くわけです。現代の必要性に柔軟に対応できるように兵を分布するということがひとつの基本的な考え方ということであります。 同盟重視=新たな役割分担の強要 しかし、もうひとつ非常に重要で忘れてはならないことがあるわけです。いままでの話ですとずいぶん減らせる、日本とかドイツの役割が小さくなるというように思われるかもしれないのですけれども、それはそうではない。同盟重視ということがもう一方の考え方としてあります。これはどういうことかというと「21世紀の戦争」は本当に地球上のどこで起きるかわからない。アメリカが関わろうとする戦争ですけれども、アメリカにとっても戦争は地球上のどこで起きるかわからない。アメリカに対する幻想としてものすごく強くてどこにでも対応できるんじゃないかと思うと決してそうではなくて、それは本当に誤りであって、そんなことは限られた予算の中で、アメリカはできないですね。ですから21世紀の脅威を考えたときには、同盟国がアメリカと一緒になって動いてくれないと対応できない。同盟国に新たな役割を課すという考え方が発生しています。 その新たな役割といったときに、「テロとの戦争」というのは彼らにとってものすごくいい口実になっていて、「テロとの戦争」というのはあなたにとっても戦争なのだよという言い方をするわけですね。小泉首相なんかはそれとまったく同じことを言うわけです。ですからあとでお話ししますけれども、これまで米軍を置いていないロシアの目と鼻の先に米軍基地を置こうとしている。それはNATOを拡大して、東ヨーロッパがNATOに入ったことで、そのNATOに基地を置くときに、ロシアを刺激したくないわけです。ロシアを説得するときに、これはチェチェンで起こっているようなことに即対応できる、「テロとの戦争」に対処するための新しい軍港をつくっているんだと、そういう言い方で、ロシアを引き入れていく。いまいっている同盟の中に入っているわけではないのですが、たとえばそういう論理が働くという例です。 ですからいまここに掲げている同盟国、ドイツ、イタリア、イギリス、日本、韓国に関しては非常にはっきりと「21世紀の戦争」を一緒にやるのかやらないのかということを迫っているわけです。これは相当な恫喝を含めて敵か味方かというくらいの選択を迫りながら、新しい世界配置に対して協力を要請している、という側面が発生しています。これは基地展開の上では過剰なところの基地はものすごく減らせる、兵力は減らせる、しかし主要な基地にはハブ機能を持たせるという言い方をして、同盟国との交渉をしているわけです。ですから今日本政府が言われていることはどこかを減らせる可能性はある、しかし「テロとの戦争」で日本は本気でアメリカと一緒にやるときに、たとえばこういう新しい部隊を置くのを飲むか飲まないかということを言っているにちがいない。全体の流れとしてはこういう論理構造になっています。 米国内の3つの政治的流れ 実際この過程がどのように進行しているかということを考えるときに、三つアメリカの国内で進行している政治過程を念頭に置く必要があります。ひとつは国防省を中心にして進行している「世界態勢見直し」という流れです。これはいま基本的にお話しをしました。ところがそれと平行して「05年基地閉鎖再編法」という法律の基づく流れが進行しています。それからもうひとつ「海外基地見直し委員会」というものを設置するという法律ができて、その法律に従う流れが進行しています。 米国内基地閉鎖と海外基地の見直し この二番目のBRAC05と呼ぶんですけれどもBase Rearrangement And Closureの頭文字をとってBRAC*と呼ばれている法律で、これは米国内の基地を閉鎖再編するための法律です。2005年にやろうという法律が2001年にできました。これは冷戦後5回目のBRAC法でありまして、国防省は米国内基地をできるだけ減らして、基地を持っていることによる無駄な出費を削減したい。削減することによって21世紀型の戦争に対抗するための先端投資をする。つまり兵器を造りかえる、ミサイル防衛というのもそのひとつの典型なんですけれども、新しい兵器システムを導入する巨大投資をすることにお金を生かしたい。そのために国内基地を閉鎖するという法律ができて進行しているわけです。 けれども、これに対しては米国内でものすごく抵抗があるわけです。基地のある地元は基地依存経済になっているわけですから、地元経済が破壊されると、特にアメリカの場合は基地があることによる雇用と、経済的な地元の活性化に依存している場合が多いわけで、そうすると国内基地閉鎖というのは地元の利益に直接からむ。そうすると出身議員がものすごく抵抗して共同戦線を張って、議会でそのことの進行を妨げるということになります。この方法がものすごいんですね。今日も進行しています。このBRAC05というのが、昨年の法律で議会を骨抜きにする修正案を下院の委員会が可決したんですね。そうすると国防省がこれに対抗して、もしその案が最終的に通れば大統領の拒否権を発動して、大統領はこの予算に反対して拒否権を発動してサインをしない。議会に対するステイトメントを発表してそれを阻止する。結果的に去年はBRAC05を阻止することに議会は成功しなかったんです。そのかわりに「海外基地見直し委員会」の設置法*というのができたんですね。これは議会に言わせると海外基地をそのままにしておいて、米国内の基地ばかりを閉鎖するのは何事かと。05年というのと来年から閉鎖が始まるということであるならば、今年中に海外のどの基地を閉鎖するか、どの基地が無駄であるか、どの基地が本当に必要かを調査せよと、それを独立委員会で調査させるという考え方で立ち上がった法律でできたのが、「海外基地見直し委員会」というものです。 これがでたときに私はこれは使えると思いました。委員会の設置法の中には、公聴会を開く権限をもっている、それから委員会が勧告をするにあたって必要な書類をいろいろなところから請求する権限をもつ、そういう権限を与えられた委員会ですので、この委員会に沖縄から直訴するという道が開かれると考えました。実際にこの委員会が進行すればその機会はある。その芽は今でも残っているのです。 しかし現在起こっている事態はそういう意味ではうれしくない状況でありまして、下院がBRAC05を2年延期する案に可決しました。それと同時に基地見直し委員会を廃棄する。1年前につくると合意し、まだ1回も会合を開いていない委員会なのですが、それを撤廃するという法律を作って下院を通してしまった。いま上院の議論が行われていて、上院で議論している間はこの案が生きていて、私の感じでは今年は国防省がいまのところ大統領府が拒否権発動の意思表示をしていない。おそらく国防省もしようがないかと思い始めているのではないかという気がします。海外基地の見直しということについての一定の結論をださないと、議会の論理には勝てないという見通しをしたのではないか。議会は実際海外基地を閉鎖することそのものに関心があるわけではなくて、国防省が海外基地をできるだけ合理化をして、その結果国内基地をどうするか、その結果をみながら次に国内基地を擁護し、防衛していくための論理をつくっていこうという考え方だと思います。 ですから現時点でいえることは、国防省の見直しについてどれだけ日本政府が現在の再編の動きに対して沖縄の声を伝えるか、あるいは日本全体の基地の削減について自主外交をする力があるかということが、やっぱり第一の関門になっていくと思います。ただ、直訴の道はまだ有効であるという側面があります。これはあとでお話しをしたいと思っています。 (後編)
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