責任の取り方
四月一〇日、中村文子さんのお話しを聞きながら思ったのは、「自分に課せられた責任を、なんと見事にまっとうしている方か」ということだった。
多くの教え子を戦場に送りだし、死なせてしまったという教師としての罪の意識と責任、沖縄における数少ない女性知識層としての社会的役割と責任、人間としての誇りとともに戦後の沖縄をどのように生きたかの証言でもあった。
責任のとり方でいえば、イラク人質解放の頃、「自己責任」とやたら大唱和していた面々、彼らこそ「自己責任」をとらずに逃げのび、戦後日本の「無責任社会」を形成した元凶である天皇制を支えてきた連中ではないか。一連の言動に見られる恐ろしいほどの狭量、弱いものいじめの醜悪さ(東京都教育委員会の教師への対応にも通底する)。比較するのももったいないが、彼らの品性は、九十年を凛として生きてきた中村文子さんにくらぶべくもない。
余談ながら、花束を渡す役目をわが関東ブロックの上原代表が引き受け、「あなたほど頭は良くないが、私も見習って死ぬまで闘います」と声を張り上げたその姿は、少年のように初々しかった。小さな花束を介したお二人のツーショットは微笑ましく、しかし切なくもあったのだ。 (むとぅぶんちゅ縄文人)