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『一坪反戦通信』
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 第147号(2003年6月28日発行)

6・13

  一周忌追悼

      ソウル集会


ソウルフルな六・一三集会


 六月十三日〜十五日の三日間、六・一三実行委員会のよびかけで構成された訪韓団の一員として、「六・一三 ヒョスンさん、ミソンさん追悼一周忌全国民大会」ソウル集会等へ行ってきました。

 以下は、その三日間の駆け足報告記。

 十三日午後、仁川空港からソウル市内へ入ったのが五時過ぎ。今夜の大集会に備えてであろう警官の姿がやたら目立つ。特に米大使館周辺はビッシリと警官と装甲車で守り固められている。どの国でも米大使館は我がもの顔で街の一等地でふんぞり返っているものだ。

 ホテル到着後、すでにソウル入りしているみなさんと初顔合わせ。アジア太平洋平和フォーラム、基地はいらない!女たちの全国ネット、韓国良心囚を救援する会、ピース・ニュース、日本キリスト教協議会平和・核問題委員会等々で行動している方たちで、通訳、コーディネーターでお世話になった加藤さんを含め、総勢十三人のメンバーだ。

 「ヒョスンさん、ミソンさんとの約束 六・一三 一周忌追悼大会及び民族自生・反戦平和一〇〇万キャンドル大行進」と名付けられた集会は、すでに五時から始まっており、私たちは七時からの第二部・集会とろうそくデモに参加するため、ホテルから歩いて十分ほどの市庁舎前へ。広場を埋め尽くした群集、圧倒的なサウンド、舞台後方のオーロラビジョンに絶えず映し出される会場内の参加者の表情と、舞台の出演者たち。歌、踊り、詩の朗読、各種アピール、最後に挨拶に立った少女達の親の表情の切ないこと。 

 仕掛けはド派手なのに浮わつかず、ジワジワと悲しみが胸に迫ってくる。飽きもさせず気がついたら二時間の集会がもう終わるという、この演出の巧さってナニ!? と不謹慎にもあらぬところで感心したのですが、あとで聞くところによると、運動関係者の経営する会社から人手(技術)、舞台装置などが提供されるんだそうな。ウーン、日本にもいないものか、こういう事業家は…。さらにこういう解説も聞く。「韓国の集会は、演説(はなし)だけで終わることはまずない。必ず歌と踊りがついて回る。映像で訴える仕掛けはすでに十数年前からあった。民衆が集まるところでは楽しんでもらえるよう工夫するという発想は、民主化運動の成果のひとつだろう」と。

 集会のあとに予定されていた米大使館までのろうそくデモは、機動隊と装甲車によって道路が封鎖されてしまったため、結局実現かなわず。この日の参加者数は三万〜四万とも。


ヒョスンとミソンが遺したもの

 十四日午前、二人の少女がひき殺された現場へ。ソウルから北方面へ約一時間のこの京畿道坡州郡付近は、米軍の訓練場が三ヶ所もある。「米軍銀座」とよばれ、事故現場の道路は交通量の最も多いところだという。ゆるやかなカーブになった坂道は三・七メートル幅で二車線という狭さ。歩道もない。こんな狭い道路をキャタピラ付き重量五四トン(!)の装甲車がのさばり行き交い、とうとういたいけな十四歳の少女二人を圧殺したのだ。案内の地元の青年は、「地位協定(SOFA)に守られて、結局米軍は誰も責任をとってない」と訴えた。「私たちは今まで虫ケラ同然だった。でもヒョスンとミソンが殺されて気づいた。やっと米軍に対してものがいえるようになった。まだ始まったばかりだけどね」「北側が攻めてくるから米軍が必要だといわれていたが、三年前の南北会談以降、反米反基地闘争が動き始めた。統一すれば米軍はいらない。朝鮮戦争経験者は必要だと思っているが、若い人たちはそうは考えない。統一こそ平和への一歩だよ」

 京畿道では韓国で初の「米軍犯罪届出センター」ができた。今までは考えられなかったことだ。話を聞けば聞くほど沖縄と重なってくる。富める者は決して犠牲者にはならない。


はるかなり 梅香里!


 事故現場からさらに北の軍事境界線・非武装地帯へ。展望台から見晴るかす北朝鮮の景色に、・我が祖国、北の地よ・と思いを至す人もいるにちがいない。この日の朝、ソウルとケソンを結ぶ連結式が行われたラサン駅を見学後、ソウルの大学路へ。統一連帯のハン委員長ご一行と夕食後、学生が中心になって行われた六・一五南北共同宣言記念前夜祭を見物。と、ここでも一行のなかに国会議員がいるおかげ(?)でまたもや舞台へ引っ張り出されましたね(昨夜の集会でも突然スポットライトを当てられ仰天したのだ)。「ワタシら随行員とちがうっちゅうの‥」と、毒づきつつですが…。でもこのあとは楽しかった。若い人と一緒になって踊った踊った。ここでも歌と踊りは最高でした。

 十五日。ソウルを離れる日。実はこの日、沖縄の市民連絡会の豊見山氏ら三名が梅香里へ行くと聞き、「一緒に連れていって」と直談判に及んだのだが、車の定員オーバーで無理だと。それならタクシーで追跡、とも考えたが、これも所持金、言葉、飛行機の時間等々でアッサリと挫折。沖縄人のテーゲー主義をいかんなく発揮した一件でした。しょぼくれて、予定通り「六・一五南北共同宣言民族統一大祝祭」式典へ出席。ハン・サンヨル牧師の演説は、言葉は理解できないのになぜか涙ぐむほどに感動する。「民族が分断されている限り民族は死んでいるも同じ」ということをいっていたらしいのだが、ようするに音楽の持つ力と同じなんだろうな。

 空港へ向かう前に、米軍龍山基地前の「自主平和統一決意集会」へ。雨の中、学生がほとんど。四十分ほどデモ隊と一緒に立たずんだあと「ブッシュ謝れ」「米軍は韓国から出ていけ」…シュプレヒコールをききながら、いよいよ空港へ。さよならソウル、さよならまっすぐな目の若者たちよ、自分たちの国は自分たちの手で、その志こそ貴い。

 韓国は若い。若者の覇気恐るべし。

 マッカリと百歳酒、美味しゅうございました。

(H)