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沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック
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『一坪反戦通信』
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 第142号(2003年1月28日発行)

【報告】
  基地はいらない・命の響き  〜沖縄・名護から訴える!

   ビデオと講演の集い〜


一二・六 三多摩の集いに参加して
  

  F(沖縄を考える市民の会)  

 ビデオ上映は第一部だけであったが、映写機から音をとるマイクの音がキンキンしてたのが気になっただけで、映像や語りは説得力のあるいいビデオだった。移設反対の市民投票を成功させていくまでの盛り上がっていくところが第一部だった。しかし、ビデオの後の宮城保さんの報告を聞いて、その僅か五年程前の状況との落差を見せ付けられて暗澹たる思いになった。

 長い間革新の市政が続いてきたヤンバルで、このような大差がついて革新が負けたということは大変な事態である。それに引き続いての沖縄県知事選での敗北、こうなると岸本市長の七条件も稲嶺知事の十五年問題もますます問題にされなくなるだろう。……

 平均年齢八十歳の辺野古のおばあたちは、それでも毎日「生命を守る会」の事務所に通って、辺野古の海を守っている。そして強制着工の日には「海に跳び込む」と言っている。ぼくは、そのときにはどうやっておばあたちを助けようかと考えている。(宮城さんの発言から)

 質問、意見を求められても、何と言っていいのか、私には言葉もなかった。

 イラク攻撃などに血道を上げているアメリカへの批判が力強く参加者から語られたが、では今の東京でどう切り拓いていくのか、話し合いは行き詰まる。司会者は上原成信さんを指名した。上原さんの訴えはその会場に参加している多くの人の心を代弁していたのではないだろうか。

 今日は、ここのところを話し合いたい。いつまでもアメリカの言うなりに金で沖縄を売っているような状況に対して、私たちはどうしていったらいいのか。残念だけど、沖縄ですら、基地があるから金が入るという構造に飼いならされてしまっている。長い年月の基地依存傾向が、更に助長されるような政策で、沖縄が自分の足で立てないようにされてしまってきた。これは東京でも、同じ問題として考えていかなければならない。(上原さんの発言から)

 宮城さんが答えて言ったのか?誰が言ったのか忘れてしまったが、
 もう金で動くことをやめなければならない。私たちはもう十分に豊かではないか。そりゃあ、沖縄は本土と比べれば豊かではないかもしれない。上を見ればきりはないが、世界の多くの人たちと比べてみた時には、やはり日本の一部として、ずっと贅沢に馴らされている。こういう贅沢な暮らしそのものが罪だと考えてみたい。そう考えなければ基地の問題も解決しない。


 私はこうした訴えを聞きながら、胃が痛くなってしまった。このところ胃を痛めていたのもあるが、こうした状況を考えれば考えるほどたまらない思いになってしまう。

 私は言いたかった。でも言えなかった。胸を張っていえる自分でないから。

 沖縄の問題は日本の縮図だ。沖縄の問題は沖縄独自の問題であると同時に、私たちの生活の場の中で同質の問題があり、それと私たち自身が闘わなければ沖縄の問題が広がっていくはずはない。

私自身のことであればまず教員であり、学校には子ども達がいて、保護者、地域があり、職員がいる。そこにも沖縄と同質の問題がある。教員であるということは本来、地域と労働者を結ぶ有利な条件にあるということである。これは公務員全体について言えることかもしれないが、ここには自治労、市職労の人もたくさんいる。私たち公務員は結構街の隅々にまで配置され、そこで仕事をしている。その仕事の中にも、沖縄と同質の問題があるのではないか。私たちは、まず自分の職場でそのことと闘いながら、未来を考えていかなければならない。

 民主主義はその社会をどこで切っても民主主義が出てくるようなものでなければ本物ではないと思う。職場でも民主主義があり、地域でも民主主義があり、学校でも民主主義がある、そんな社会にならなければいけない。だからこそ自分の暮らしの場での闘いが大切なのではないかと思う。その点で、今日のビデオは一定の方向を提起していたように思う。

 私はこう言いたかった。でも言えなかった。そこに私自身が問われていると思った。

 最後に、お忙しい中、何度も実行委員会を開いて、今日の集会を準備してくださった実行委員の皆様に感謝したい。私自身も本来沖縄を考える市民の会として実行委員会に参加しなければならなかったのだけど、実際無理な状態で当日だけの参加となってしまった。当日、会場にどれだけの人が来てくれるのだろうかと心配していたのだけど、会場の座席はほぼ満席で、とてもうれしかった。皆さんの働きかけや組合関係の声かけが効をそうしたのだろうが、沖縄問題に心をかけている人たちが三多摩にもたくさんいることに励まされる思いだった。

 神奈川と名護がつながるために 一二・七 大和集会 

      Y(厚木基地を考える会) 
 
 戦前の旧日本軍の捨て石作戦から今日まで、沖縄は軍隊に蹂躙されている。住民は、幾度も、各地で,命を守る闘いを繰り広げたが、勝利したかに見えた時に必ずそれを奪い取るものが現れる。

 中でも,勝ち取ったはずの普天間基地の返還が、実は県内移転に過ぎなかったというのは、何という裏切りであろうか。その代替地としてあげられた名護、辺野古の住民の怒りは想像を遙かに超えるものがある。

 ビデオ「基地はいらない,命の響き」は、その怒りの炎を、静かに燃やしながら、戦前から今日までの歴史、辺野古沖の美しい海の姿、今進められようとしている基地建設の動きを、丁寧に映像化している。
沖縄に米軍基地の七五%を押しつけている現状をどう打開するのか。 

 辺野古はその集落をキャンプシュワブによって囲まれている。そこはキャンプハンセンにも隣接し、弾薬庫、演習場、射撃場などを兼ね備えた海兵隊の主要な基地である。普天間飛行場から約五〇キロ北東に位置するが、すぐ西側に伊江島射爆場がある。ここに基地が建設されると、嘉手納を加えて、総合的な訓練が強行されるようになる。

 こうしてみると、米軍は、本土移転など微塵も考えなかった。沖縄のいたるところが基地であるのは、集中の利便性を活用したい米軍の思惑をすべて満たしている。逆に言うと「基地本土移転」は、基地機能を低下させる効果的な要求でもあるのだ。名護市議選の結果、移設反対派議員が6議席に減ってしまった。県知事選でも、現職稲嶺知事に大差をつけられ敗北している。しかし、世論調査では、基地反対の声は六〇%を超えているのを忘れてはならない。

 基地使用一五年期限、ジュゴンの保護を国際的な問題として訴えていくなどさまざまな角度から米軍を追い詰めていくことが必要だと思う。

 韓国では、米軍による中学生轢殺事件で、全国で毎日のようにデモが繰り返されている。

巻き起こった反米感情は、すでに米本国にとって、無視できない深刻な事態になっている。この事件を韓国国民は自分自身の問題だと受け取っているのである。

 翻って、一九九五年の少女強姦事件などの米兵、米軍による多くの犯罪・事故をわたしたちは自分のこととして受け止めているのだろうか。それを示すのは、本土の反基地運動の高揚しかない。

 厚木基地で、沖縄に次ぐ基地県神奈川で、米軍を追い詰める運動をしていくことこそ、連帯の証である。今回の集会であらためてそれを実感した。



 命を守る会の皆さんへ  <一二・八集会報告にかえて>

 去る十二月八日、宮城保さんにおいでいただいて、参加者約三十名で、講演とビデオ上映会をおこないました。

 まずはじめに「基地はいらない・命の響き」を上映したあと、宮城保のお話をうかがいました。それから小泉総理大臣宛の要望書に各々署名と言いたいことを書き加えて「基地はいらない」のビデオテープを付けて送ることに決定いたしました。

 オバア、オジイたちの代理で来たという保さんの話は、参加者の胸にズシンと響いたようです。

 地域の後ろと前を基地で塞がれたら生きていけない。基地反対じゃない、死んでも阻止する。と<命を守る会>を結成した。オバア、オジイたちは、”若い人たちは生活があるから稼ぎなさい。私たちががんばるから”といっている。

 「辺野古の問題は、みなさんの問題。沖縄県民は、日本国民の百分の一。ヤマトの皆さんにがんばってもらわないと・・・。自分の問題として、押し寄せる現実をはね返しましょう。
 
 その後の話し合いで出た感想は、次のようなことです。

  • ヤマトの新聞は、沖縄の動きをほとんど伝えてないので、沖縄タイムスの海賊版(一月分をB4.十二ページに)を作って、月一回学習会を持っている。
  • 今の若い人はどうせ何もしない。という目で見ないで、自分にできることからはじめている。
  • 「埼大(埼玉大学)通りで大きな輪(沖縄)ということで、街づくりに関わっている」
  •  来年八月一日に、勝連町の中・高校生を招いて「キムタカのあまわり」の講演をする。
  • 「テロ特措法・自衛隊海外派兵は違憲」の訴訟(被告=国)に取り組んでいる。
などなど、ささやかではありますが、平和を目指しての行動などが報告されました。

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  遠く離れた辺野古まではなかなかいけませんが、できることからはじめて、辺野古の皆さんと共に歩みたいと思っています。

  当日、一部だけいただいたパンフレット「二一世紀・子や孫たちに伝えるものは…殺りくの軍事基地ではなく、豊かな自然と平和です」は複製して、当日の参加者に配ろうと思っています。

        二〇〇二年一二月一七日

 「知ろうよ学ぼうよ沖縄を」実行委員会  O