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沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック
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『一坪反戦通信』 毎月1回 28日発行 一部200円 定期購読料 年2,000円

第137号(2002年6月28日発行)

 後藤聡の
 沖縄・新刊案内

◆『人権文化・教育叢書ー巡礼いのちの旅路 第1巻「沖縄巡礼の旅路」』加来宣幸著 西日本新聞社二〇〇二年三月一日 一〇〇〇円 ISBN4-8167-0544-9
 加来氏は福岡県の教員OB。宮古、八重山を歩いた記録。

◆『「那覇市史」戦後の社会・文化 ー資料編・第3巻2』那覇市市民文化部歴史資料室編集 二〇〇二年三月二五日 価格表示なし 問合せ先=098-855-5198
 一九四五年から一九七〇年ごろまでの、米軍資料による米軍統治下の文化施策資料集である。いかに沖縄が教育や文化まで米軍支配を受けたかがよくわかる。その施策にのっていくしかなかったのかもしれない。資料からの読み取りがこれからの課題。

◆『台湾処分 一九四五年』鈴木茂夫著 同時代社 二〇〇二年四月一〇日 二九〇〇円 ISBN4-88683-470-1
 題名だけ見れば「沖縄」と関係ないように思われるかもしれない。沖縄戦関連でいえば、沖縄守備軍「第三二軍」は、一九四四年七月一五日に「第十方面軍」指揮下に編入され、同年一一月二三日には「第三二軍」有力構成師団「第九師団」(通称「武部隊」)が台湾移動が決定した。植民地台湾の支配者はいうまでもなく日本人だが、教員、警察官など下級公務員は沖縄人が担わされた。一九四四〜一き九四六秋までの長編セミ・ノンフィクション(帯)。記録では引揚者:日本軍人一六万一千人、日本人二八万五千人、プラス一九四六年四月段階での残留者二万七七〇〇人、沖縄人約一万人は四六年四月段階では引き上げ許可下りず。鈴木氏は早大露文卒業後、TBSディレクターを経て、定年後?仏教大学仏教学科卒業とのこと。

◆『笹森儀助の軌跡 ー辺界からの告発ー』東喜望著 法政大学出版局 二〇〇二年四月二五日 二八〇〇円 ISBN4-588-31400-9
 笹森は一八四五〜一九一五年、著書「南嶋探験」で知られるいまでいえば文化人類学者であり、第二代の青森市長でもある。公務で奄美に赴任したり、宮古・八重山などを踏査しつつ貧困からの解放を願った。ていねいに笹森の行動を追っている。東(あずま・よしもち)氏は白梅学園短大教授、法政大学沖縄文化研究所所員。

◆『米国支配二十七年の回想 ー重要歴史年表 1945〜1972』宮里松正著 沖縄タイムス社 二〇〇二年五月一五日 二四〇〇円 ISBN4-87127-154-4
 宮里氏は旧制三中時代、沖縄戦時学徒。屋良朝苗時代の副主席、副知事。後、自民党国会議員。(沖縄の「転向論」やる必要あり)年表としては良。

◆『在日米軍』(岩波新書783)梅林宏道著 二〇〇二年五月二〇日 七四〇円 ISBN4-00-430783-X
 在日米軍のすべてがわかる。梅林氏の地道な調査の集大成。ピースデポ代表。

◆『日米安保を考え直す』(講談社現代新書1608)我部政明著 講談社 二〇〇二年五月二〇日 六六〇円 ISBN4-06-149608-5
 我部氏は琉球大学教授。この時代、あらためて「安保」を問う。沖縄は逃れられない……。

◆『満腹満足飲食店ガイド りっか』沖縄情報ドットネット発行 二〇〇二年五月二五日 一五〇〇円 問合せ先=098-862-2832
 要するに沖縄の食べ物や案内。行ったけど店がなかった、といわれても困る。沖縄ではよくあるのだから……。

◆『新・好きになっちゃった沖縄』下川裕治責任編集 双葉社 二〇〇二年五月二五日 一五〇〇円ISBN4-575-29388-1
 例によってディープな沖縄案内。一九九八年に出版されたものの続編。

◆シマーコラムマガジン『ワンダー』32号:あしゃーふぁうたんなー号 ボーダーインク社 二〇〇二年五月三一日 四一〇円 問合せ先=098-835-2777
 特集・お隣りの沖縄アート 31号はいつ出たんだったか、忘れてしまった。後藤は「ホテル・ハイビスカス」の映画化、特に監督中江裕司のスタイルに反対!!! でも、たぶん、見に行くだろう。

◆『琉球の人物伝記 ー世替わりのはげしい人生物語』副島豊一編著 二〇〇二年五月 一六〇〇円 問合せ先=098-835-2167
 中学の副読本レベル。ま、話の種に。

◆『密貿易島 ーわが再生の回想ー』大浦太郎著 沖縄タイムス社 二〇〇二年六月七日 一八〇〇円 ISBN4-87127-155-2
 帯よりー最果ての島・与那国島を主舞台に台湾・糸満・神戸を結んで展開された「密貿易」その内幕を生き生きと描いたノンフィクション。

◆『島唄 ーオキナワ・ラプソディ 登川誠仁伝』森田純一著 荒地出版社 二〇〇二年六月一〇日 一七〇〇円 ISBN4-7521-0125-4
 登川誠仁の一代記だが、これも戦後沖縄民衆史。

◆『琉球共和国 ー汝、花を武器とせよ!』竹中 労著 ちくま文庫 二〇〇二年六月一〇日 一二〇〇円 ISBN4-480-03712-8
 いうまでもなく一九七二年三一書房版の文庫本。いやあ、三十年たって、なお、読ませる。挑戦的で、今でも物議、議論を誘発する。 大田昌秀氏への寸評(文庫三七二頁)「この琉球大学教授の著書ー醜い日本人・拒絶する沖縄」は、唾棄すべし。ヤマトンチュー醜悪なり、沖縄の心は復帰を拒絶すると称しつつ、けっきょく自立不能、日本に帰属する他に道はないという、それが現実主義かネ、シェンセイ?」

◆『アコーディオンと鉢巻 ー教壇から大衆運動へ、いつも歌があった』田場盛徳著 ゆい出版 二〇〇二年六月一一日 二二〇〇円 ISBN4-946539-17-4
 田場(たば)氏は一九一八年具志川生まれ、沖縄教職員会副会長、復帰協会長など歴任。戦後の沖縄の大衆運動には田場氏のアコーディオンがいつも流れていた。

◆『沖縄の熱い風』MARI著 文芸社 二〇〇二年六月一五日 六〇〇円 ISBN4-8355-3622-3
 著者が何者か不明。ご自分が歩かれた沖縄戦を辿る旅の紹介。ご自分の記念として出版されたのだろう。

◆『ー沖縄・平和・環境ー あおじゅごん』文・絵 金城明美 沖縄タイムス出版部製作・販売協力 二〇〇二年六月一三日 一六〇〇円 問合せ先 文正堂=098-926-3510 ISBN4-87127-601-5
 金城氏は現在琉球大学付属小学校教師、『つるちゃん』、『沖縄戦ー母から命へー知無どんどん』『つしま丸・沖縄戦ーケーイ』がある。

◆新沖縄フォーラム『けーし風(かじ)』季刊二〇〇二・六 第三五号 新沖縄フォーラム刊行会議 発行 二〇〇二年六月二〇日 五〇〇円 問合せ先 沖縄大学岡本研究室=098-832-3224
 特集は「復帰30年を引き裂く」。

◆沖縄タイムスブックレット12『観光再生 ー「テロ」からの出発』沖縄タイムス社 二〇〇二年六月二〇日 一〇〇〇円 2002.6.20 ISBN4-87127-512-4
 いわゆる九・一一以降の「沖縄観光客激減」のルポ。タイムス、若手の阿部岳記者らの良質の報告。(先日の「週刊金曜日」の記事のほうが短くまとまっていた)ま、いつも危ない沖縄に住むものにとっては、「危ない沖縄」といわれれば、いつもだよと答えたいし、「大丈夫さー沖縄」なんていわれると、ウソだよ、と答える。後藤が「ガイド」するとき、飛行機が落ちない保障はしないし、レイプされない保障はしない。だいたい「沖縄観光」、東京や関西からは目の玉が飛び出るほど、飛行機代、一流ホテル代、レンタカー代込みで「激安」になってる。そのからくりを分析する必要があろうし、修学旅行も広島・長崎・沖縄よりディズニーランドやUSJの方向だろうか。だいたい首里城見たら終わりなんていう「観光」なら、先行き見えてるだろう。「有事法制下」になれば「平和学習」も限界だろう。

◆『沖縄美味(うまい)のナ・ン・ダ!?』沖縄ナンデモ調査隊編 双葉社 二〇〇二年六月二〇日 五五二円 ISBN4-575-71213-2
 要するに「沖縄の食」に係わるあらゆる情報がつまっている。えらく字の多い文庫本。

◆『サイパンの戦いと少年』宮城信昇著 新報出版 二〇〇二年六月二三日 一六〇〇円 ISBN4-916224-12-4
 宮城氏は那覇地裁事務局長で定年退職。一九三五年サイパン生まれ、丁寧な個人史(戦争中の家族史)だが、聞きたいことが十分書かれていない。

◆『白梅の礎(いしぶみ) ー野戦病院編』新里堅進 作・画 クリエイティブ21 二〇〇二年六月二三日 二〇〇〇円 ISBN4-906559-17-4
 沖縄戦の女子学徒隊は「ひめゆり」だけではない。第二高女の「白梅」を沖縄の劇画家新里氏が描く。続編の「戦場彷徨編」が予定されている。

◆『ずいせん学徒の沖縄戦 ー最前線へ送られた女学生の手記』宮城巳知子著 成井俊美画 ニライ社 二〇〇二年六月二三日 一三〇〇円 ISBN4-931314-53-8
 宮城氏は県立首里女子工芸学校(首里高女)ずいせん学徒隊員として六二師団に所属、ずいせん隊は六一名従軍三三名戦死。後藤は六月二二日、六二師団の生存者にインタビューする。
 補足:「ずいせん学徒隊」
 魂魄の塔に通ずる国道からの入り口近くに「ずゐせんの塔」がある。「ひめゆり」には観光バスが横付けされるが、すぐ隣りの「梯梧の塔」(私立昭和高女)や「ずゐせん」はふだん訪れる人は多くない。(「ひめゆり」周辺のお土産屋には辟易させられるが「ひめゆり」生存者の責任ではない。この項後日)「ずゐせん」は首里城瑞泉門(樋川御門)から。同窓会名「瑞泉」(メモ=表)

◆『モーニング』二八号 二〇〇二年六月二七日 二六〇円 雑誌22224-6 沖縄戦シリーズ四「ワラビムゥヌガタイ」比嘉 慂作・画
 宮古島の沖縄戦の物語。傑作といっていい。

◆『情況』二〇〇二年六月号 情況出版 一三〇〇円 雑誌05367-6
 特集・ポストコロニアリズムなど。沖縄から、屋嘉比収「沖縄からテロ事件を考える」ジョージ・ショウ「蜃気楼の国へ、沖縄から」田仲康博「沖縄、リアリティの変容」與儀秀武「現代沖縄文化試論」など所収。

◆『沖縄芝居と共に ー老役者の独り言ー』真喜志康忠著 新報出版 二〇〇二年七月一日 二四〇〇円ISBN4-916224-13-2
 真喜志氏は一九二三年生まれ、真境名由康の「珊瑚座」に九歳で見習い、一三歳で住み込む。戦争中は中国東北部で兵士、一九四八年復員。梅、松劇団を経て「ときわ座」。以降、実験的沖縄芝居、講演など多数。琉球大学非常勤講師も。貴重な写真も多く好著。

◆『軍縮 問題資料』宇都宮軍縮研究室 二〇〇二年七月一五日 四一〇円 ISSN0287-0177  雑誌03239-7
 特集・沖縄復帰三十年 豊田利幸、新崎盛暉、我部政明、明田川融、前泊博盛などの論文所収。

◆『月刊 社会教育』二〇〇二年七月号 「月刊 社会教育」編集委員会 国土社 二〇〇二年七月一日 七〇〇円 雑誌03409-7
 特集・ジンブンよせあって、二一世紀の自治・文化・ 地域社会を創ろう
 社会教育研究全国大会が八月、名護を会場に開催されるらしい。この号はその案内を兼ねている。安里英子、浦島悦子、平良次子などのレポート所収。あの「仲村清子」さん、二四歳も書いている。


1897

首里尋常高等小学校女子部付設、首里区立実業補習学校設立
1900

首里女子実業学校に名称変更(機織、裁縫、染色の各専攻)
1934
4
沖縄県立女子工芸学校に名称変更
     (定員300人、本科3年別科1年他に補習科)

7
首里・桃原町校舎移転
1943

沖縄県立首里高等女学校名称変更
1945
3.27
最後の卒業式 (戦後沖縄県立第一中等学校と合併、現沖縄県立首里高等学校、普通科の他に染織科があり名残を残している)
1945
1.25-3.4
看護法講義、山城病院で実習訓練

3.6
第62師団(通称「石部隊」-石5325)看護教育隊入隊

3.23
第62師団野戦病院(南風原・新川ーナゲーラガマ)配置

3.27
同ガマにて卒業式

5月上旬
繁多川壕移動

下旬
(現糸満)兼城村武富壕移動

6月上旬
米須、伊原移動

6.19 
解散命令