【連載】
やんばる便り 23
浦島悦子(ヘリ基地いらない二見以北十区の会)
やんばるの森が一年中でいちばん美しい新緑の季節を迎えた。「ブロッコリーの森」と愛称される、こんもりとしたイタジイの樹冠を、萌え出た新芽と同じ色の花がびっしりと覆い、日差しを浴びて金色に輝く。イジュの木の赤い新芽やクロバイの真っ白い花、アオバナハイノキの薄紫の花‥‥も彩りを添えて、この時期の山はまさに「いのちの饗宴」と言うにふさわしい。新緑の季節は、鳥たちの恋の季節でもある。森の中ではどんなドラマが繰り広げられているだろうか。
あのむくむくと沸き立ってくるようなシイの樹冠を見ると「チムワサワサーしてくるよね」と、友人とうなずきあった。「チムワサワサー」とは「胸騒ぎがして落ち着かない」というような意味だが、濃密な「いのちの塊」に酔いしれ、胸をぐっとつかまれるような息苦しさは「恋」に似ている。木や森の精たちの仕業なのかもしれない。
森が新しいいのちの輝きに満たされるこの時期、伐採された辺戸(へど)の山はどうなっているのだろうと、心が揺れた。木にしがみついて切らせまいとするおじぃ、おばぁたちを力ずくで引き剥がして国頭(くにがみ)村が強行伐採してから半年が経つ。別の意味でチムワサワサーしながら現場へ車を走らせた。
ごみ処分場予定地とされた谷間は、倒されたまま枯れていく木々に一面覆い尽くされ、そこだけ時間が止まってしまったかのようだ。回りの山々が見事な新緑を萌え立たせているので、そのコントラストがいっそう胸を衝く。強行伐採後、辺戸区民は伐採された樹木とその復元(植林)のために、村に対して一千万円の損害賠償請求裁判を起こした。その裁判が終わるまでは、現場の状態を変えるわけにいかないので、伐採されたときのままに保たれているのはしかたないのだが、倒木を取り除いてやれば、新しいいのちも伸びることができるのにと、胸が痛む。それでも、覆いかぶさる枝の間を縫うように萌え出てくるいのちの健気(けなげ)さに、思わずそっと手を触れてみた。
谷間の一部に木が残されているところがある。「私たち、あそこに座り込んでいたんだよね。だから切れなかったわけさぁ」と、いっしょに行った新垣ヨシ子さんが指さした。あの時の悔しさを反芻(はんすう)しているようだった。
強行伐採の初日に現場で倒れ、病院に運ばれた上江洲和子さんは、伐採されてしまう木や山をせめて写真に撮っておこうと思い、業者や村職員の制止を振り切って、倒されていく木々の間に入ったとき、今まで嗅いだこともない嫌な匂いを嗅ぎ、そのまま気が遠くなって、気がついたら救急車の中だったという。「あれは倒されていく木の精が発していた匂いだったはず」と彼女は確信している。
裁判所が辺戸区民の主張を全面的に認め、建設禁止の仮処分決定を出す日の朝、和子さんは、白い着物を着た五人の神さまが処分場予定地の山を巡っている夢を見たという。辺戸には「グニンズ(五人衆)」と呼ばれる神々がいらっしゃる。その神々が辺戸を守ってくださったのだ。お祖母さんが辺戸のノロだったという和子さんは、自然や神々の声を人一倍敏感に感受するのだろう。
和子さんは昨年三月、これまで長年勤めていた職場を定年退職した。退職直前のある寒い冬の日、おばぁたちに「隣の奥(おく)区まで車を出してほしい」と頼まれた和子さんは、それが処分場に反対する署名を集めるためだと知り、杖をつきながら一軒一軒訪ねて歩くおばぁたちの姿に思わず涙ぐんだ。「ご苦労さま」と声をかけたら、「いや、これは自分たちだけの問題じゃない。子や孫、後の世の辺戸のために、この山だけはどんなことがあっても守らなければならない」と言われ、以来、おじぃ、おばぁたちの連絡係として、いっしょに行動しようと決意したという。退職して自由になった頃、処分場問題が大きく浮上してきたのは、「これに全力を注ぎなさい」という天の采配だと信じている。
和子さんが、まず自分たちのできることから始めようと取り組んだのが「ごみゼロ」運動。「いのちの故郷を取り戻そう! めざせゴミゼロへ」を合い言葉に、区民全員マイバッグで買い物し、自分たちの出すごみの追跡調査・計量を行なうことにした。和子さんやヨシ子さんは「環境青年団(むかし青年団)」の事務局として、区内六ヵ所のごみステーションで週に三日、各家庭から出されたごみの重量を計測し、分別の不充分なものはチェックして分別し直した。
自分たちがどのくらいごみを出しているかを各自が知り、減量の目標を設定してトライすることによって、ごみの量は確実に減ってきたと和子さんは言う。「回収システムが変わったわけでもないのに、みんなで少し気にして分別をちゃんとやるだけでも変化が出るものですね」。
ただし、せっかく分別して出しても、収集した先で結局はごちゃまぜにされてしまうのが現状だと和子さんは嘆く。四年前の統計だが、国頭村の一人当たりのごみ排出量は、全国の市町村でトップだったという。辺戸が率先してこの汚名を晴らそうとする努力は、今や辺戸ではペットボトルの排出がほとんどゼロというすばらしい結果を生み出しているが、村全体にそれがなかなか波及していかないのが残念だ。
和子さんたちの頭を悩ませているものが、もう一つある。それは、辺戸岬を訪れる観光客や、辺戸の海の幸を求めてやってくる釣り客が投げ捨てていくごみだ。和子さんの撮った写真を見せていただいて驚いた。釣り場へ行く道の途中の草むらに山となった弁当ガラなどのごみ、辺戸岬の飲食店から垂れ流しにされる汚水によってヘドロと化したかつての沢、心ない観光客による農作物の盗難があまりにもひどいので、村に頼んで張ってもらったという鉄鎖‥‥。「恥ずかしい」と言うよりほかに言葉もないが、もの言わぬ動植物たちは、それによって生きる場さえ奪われるのだ。
「ごみを出さない暮らしの実現」とともに辺戸の人たちが掲げるもう一つの柱である「浜のクリーン作戦」は、お年寄りの多い地域では容易ではない。和子さんたちは集落周辺のクリーン大作戦を、処分場問題に心を寄せてくれた県内各地の人々にも呼びかけて、近々に行なう計画を立てている。
実は和子さんにはもう一つの顔がある。勤務の傍ら四〇年近く続けてきた豆腐づくりの名人なのだ。
ノロであった実家のお祖母さんから母へと引き継がれた豆腐づくりを見ながら和子さんは育った。大人になって結婚した相手の家もたまたま豆腐屋だったので、和子さんは当然のように豆腐をつくってきた。朝三時に起きて、前の晩から漬けておいた大豆で豆腐をつくった後、出勤するという生活を長いこと続けてきた和子さんは、「今は豆腐だけつくればいいからラクさぁ」と笑う。
一二年前、夫と夫の母を相次いで亡くした時は、豆腐づくりももうやめようと思ったが、「できないところは区民みんなで助けるからがんばって」と励まされたという。「みんなの力を借りてやってこれたのよ」。娘や息子たちには「生活に困るわけでもないのだから、やめて楽をすれば」と勧められるが、体が動くうちは続けるつもりだ。
和子さんの豆腐は、一度食べたら病みつきになる。一日に二〇丁しかつくらないという豆腐は、どの店でもあっという間に売り切れるという。いつだったか、山歩きの帰りに辺戸の隣の宜名真(ぎなま)区の共同売店で買ったときは「あんたたち、運がよかったね」と、お店の人に言われた。
和子さんが「ふるさとの味」と胸を張る、その味のよさの秘訣は、辺戸の海の清らかな海水にある。ほのかに香ばしい独特の味は、海水でしか出せないという。戦前まで、どこの豆腐も海水を使うのは当たり前だった。和子さんは子どもの頃から海水を汲んで天秤棒で担ぎ、マキを集める手伝いをやってきた。
いま、昔と同じように海水を使い、マキで炊いて豆腐づくりのできる環境は、沖縄でももうほとんど残されていない。海は生活排水や赤土その他、人間活動のさまざまな影響を受けて汚染され、海水を食べ物に使うことはできなくなってしまった。辺戸の海水は今のところ保健所の太鼓判をもらっているが、この衛生基準をいつまでクリアしつづけられるか、和子さんは心配している。
海の水を汲み、マキを集めるのは決して楽な仕事ではない。しかし和子さんは頑固にそれにこだわる。もし処分場が建設されて海が汚染されれば、もう豆腐はつくれない。山が破壊されると海も汚染されるし、山が破壊されると海も駄目になる。「海と山はひとつよ。私たちは海と山からいのちをもらって生きている。自然は一度破壊されたらもう戻らない。あるうちに守るのが、そこに住んでいる者の義務だと思う」。
海と山の精を凝縮したような、しっかりと歯応えのある和子さんの豆腐を食べると、身も心も元気が出てくる。マキを供給し、海を育ててくれる山、生命の源である海に対する和子さんやヨシ子さん、辺戸のおじぃ、おばぁたちの感謝の心が、そこに込められているような気がした。和子さんが、そしてその後継者が、昔ながらの豆腐をいつまでもつくりつづけられる辺戸であってほしいと願わずにはいられない。
これまで五回にわたって辺戸のごみ処分場問題(脱線も多かったと思うが)を報告させていただいた。辺戸での処分場建設がストップしたことを受けて、国頭村の三月議会は次年度の処分場予算の大幅減額(着工分の工事費や前払い金のみの予算化)を議決した。しかし、村のごみ問題は何一つ解決しておらず、現在の処分場の使用期限がこの三月いっぱいで切れたあとは、隣接の東(ひがし)村、大宜味(おおぎみ)村に一時的な代替地を依頼すると報道されている。
国頭村は、損害賠償請求裁判においても、いまだに「辺戸に入会権は存在せず、損害賠償をする必要はない」と主張しており、上原康作村長は今月中にも仮処分への異議申し立てを申請すると表明した。村があくまでも辺戸に建設する方針を変えていない中で、今後またなんらかの動きが出てきた場合には報告することにし、ひとまずこの項を終えたい。
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