巻頭言
ニューヨークの世界貿易センターへのテロ事件の第一報を見たとき、まず考えたのは事故の写真かということであった。何かの間違いで衝突したのかと思った。しかし、実は乗っ取り犯の自爆であると解説されて、よくもまあ、そんなことができたものだという驚き、しかも、四機同時ハイジャックと聞かされて、驚嘆に変わった。「いや大変なことが起こったものだ」と驚嘆する他はなかった。それに続く筆者の感情は、正直に書くのは恥ずかしいし、辛いことでもあるが、多数の死者、負傷者のことより、「ざまあ見ろ」といういじめられ続けてきた弱者の快哉の気持ちの方が強かった。
筆者には、長年アメリカによって自分の希望や意志を押しつぶされてきたという、恨みの気持ちが続いてきている。自分の希望や意志というのは、「憲法にしたがって、軍備のない日本を実現したい」「沖縄の米軍基地を引き上げさせたい」ということである。そういう筆者の願望を数十年にわたって押しつぶしてきた元凶はアメリカ政府である。「ざまあ見ろ」と言いたくなる気持ちもある程度理解していただけるのではないだろうか。
だが、数千人の人たちが巻き添えになったこの事件で、テロリストを擁護するのかと言われると、それは違う。自分が命を捨てて信念を貫くということと他人を巻き込んで殺してしまうということは、全く別のことである。自分に信念があるなら、他人には他人の信念がある。自分だけが立派な信念を持っているとのうぬぼれは許せない。それではブッシュ大統領と同じだ。アメリカの大統領はいま「アメリカの戦争政策を支持するか、テロリストを擁護するのか」と世界中に踏み絵を踏ませ、アメリカを支持しなければテロの同調者として断罪しようとしている。筆者はどっちにも組みしない。テロを非難するとともに、自分たちだけが文化であり、善であるというアメリカの独善も非難する。
(U)
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