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第125号(2001年6月28日発行)

【連載】

 やんばる便り 15
            
浦島悦子(ヘリ基地いらない二見以北十区の会)


 私の住む安部(あぶ)は、美しい弧を描く小さな湾(入り江と言ったほうが似つかわしいかもしれない)に沿って形成された集落である。集落から向かって左の湾の突端をギミ崎(ここには古い風葬墓の跡がある)、右の突端を安部崎(ここにも、タカバカと呼ばれる古墓がある)と言い、安部崎の地先五〇メートルほどのところに、安部オール島と呼ばれる無人島がある(大潮の干潮のときには、腰ぐらいまで水に漬(つ)かるのを覚悟すれば、歩いても渡れる)。

 オールは正確に言うとオールー、すなわちウチナーグチで「青色」を意味すると言われている。私の敬愛する民俗学者・仲松弥秀氏によれば、「『青』とは『神の世』のこと、『神のおられる世界』を色彩で表現したもの」(『うるまの島の古層』梟社刊)だという。沖縄各地には、奥羽(おう)島と呼ばれる地先の島があり、名護市内で言えば、羽地(はねじ)内海の奥羽島は、墓地の島として知られている。この「おう」も「青」のことであり、「死んで神と成られた人々の霊地となっていることからの名称といってよい」(同上)。

 私もその事務局の一員であるジュゴン保護基金では、去る六月三日から一一日までの一週間、この安部オール島でジュゴンの目視調査を行なった。今年に入ってから、年間を通じた地元での目視及び藻場の潜水調査を計画、目視調査は年四回、満月を挟んだ一週間を二四時間体制で行なうことにした。満月に合わせるのは、夜間の目視は月明かりが頼りになるからである。初回は今年二月、嘉陽(かよう。ギミ崎を挟んで安部の隣にある集落)と天仁屋(てにや。嘉陽の隣)の間にある通称「ジュゴンの見える丘」で行ない、今回は二回目だった。


 第一回の調査では、残念ながらジュゴンは目視できなかったが、太平洋に突き出した丘(岬)の突端で、昼となく夜となく海を眺めて座っていられる機会は、滅多にあるものではないから、座っているだけでさまざまな発見があり、飽きることはなかった。いちばんびっくりしたのは、満月(大潮)の夜の潮の引き具合で、夜の潮はよく引くとは聞いていたけれど、リーフの内側は、ほとんど陸地状態。丘の下には藻場もあり、その付近でジュゴンが地元の人に何度も目撃されているのだが、それと同じ場所であることが信じられないくらいだった。人間の生活領域に近いところで生息している沖縄のジュゴンは、昼間はリーフの外にいて、人間活動の静まる夜間、岸に近い藻場に来て、海草を食べるのではないかと言われているが、大潮の夜には食卓に近づくことができないということだ。

 辺野古(へのこ)崎にある米海兵隊基地・キャンプ・シュワブから飛び立った軍用ヘリが、目の前の海面すれすれを、あるいは丘のすぐ上、手を伸ばせば届きそうなくらい低空を、轟音をたてて何度も通りすぎる。やんばるの森を占拠して「ジャングル戦闘訓練」を行なっている北部訓練所へ行くのかもしれない。音に敏感だと言われているジュゴンたちは、おびえていないだろうか……。
 嘉陽集落の沖合に砂利採取船が停泊して、一日中、採取作業をやっていた。嘉陽の人が、沖で砂を取るので砂浜がどんどん減っていくと、嘆いているのを聞いたことがある。しかも作業場所は、リーフのすぐ外、外海とリーフの内海を繋ぐ「クチ」と呼ばれるリーフの切れ目の前だ。リーフは天然の防波堤のように島を囲んでいるので、ジュゴンはこのクチを通ってしか、藻場にやってくることができない。轟音を響かせて作業している船がそこにいれば、ジュゴンたちはお腹をすかせたまま、外海に留まっているしかないのだ。

 嘉陽の地先に烏帽子(えぼし)の形をした小島が見える。「京(きょう)」と呼ばれるこの島は、安部のオール島と同じように、聖地として嘉陽のシマ人たちの信仰を集めている。海の彼方からシマ(集落)に豊饒や幸をもたらしてくれるニライカナイの神々が、シマに降り立つ前に休息されるという島だ。「京」に第一歩を印した神々は、シマの神人(カミンチュ)の招きを待って初めてシマに足を踏み入れるという。この「京」の付近でも、浜に出ていた嘉陽のオバァたちがジュゴンを目撃している。


 第二回目を安部オール島でやることになったとき、私は、今回はきっとジュゴンが現われてくれると思った。安部には専業のウミンチュ(漁師)はいないが、楽しみで海に出る(漁をする)人は多く、その人たちから、安部の湾の入り口付近で、よくジュゴンを見かけるという話を聞いていたからである。オール島は、陸地方向から外海に向かって細長く、目視調査の場所である島の先端は、湾の入り口にあるリーフより、少し外側に位置している。

 安部のお年寄りで、昔、ジュゴンの肉を食べたことがあるという人は珍しくない。先日、近所のオバァがわが家に立ち寄ってゆんたく(おしゃべり)しているとき、たまたまジュゴンの話になった。「オバァも昔、食べたさ。(ちょっと声を潜めて)ほんとはいけないんだけどね。シマの人がダイナマイトで捕って、みんなに分けたんだよ。食べ物のない時代だったからね……」。そのあと、彼女はまるで人間のことを話すように、こう言った。「イナグ(女)だったよ。おっぱいが二つ、ちゃんと付いていた。手も、ちょっと短いけど二本あったよ」。きっと私は、とても複雑な顔をしていたにちがいない。

 ジュゴンが激減したのは、その肉があまりにもおいしいからだという人もいる。私は、ジュゴンを食べること自体が悪いとは思わない。人間は、植物であれ、動物であれ、他の命をいただかなくては生きていけないのだから、きれいごとは言いたくない。しかし少なくとも、地球上に生きている無数の命のつながりの一員であることを忘れ、勝手放題に地球を汚し、破壊し、他の生物を絶滅に追いやっている今の人間に、ジュゴンを食べる資格はないということは言える。安部では数年前に、定置網にかかったジュゴンの死体があがっている。数少なくなった彼らを、これ以上追いつめることだけはしたくないと思う。


 さて、いよいよ安部オール島での目視調査である。二年前、安部の子供会の「安部オール探検」に付き添いで行って以来だ。安部の浜から小舟に乗り、五分ほどで島に到着。珊瑚でできた刺だらけの岩をよじ登り、びっしりと生えた蘇鉄(そてつ)の刺々の葉を、かき分けかき分け、道なき道を進むこと一五分ほどで、島の先端に着くと、いっぺんに視界が開ける。断崖絶壁の上にあるそこは、天然の芝生に覆われた広場になっていて、真下は紺碧の外海だ。鮮やかな青色をしたイラブチャー(アオブダイ)や海亀が泳いでいるのも見える。

 オール島は、とても不思議な島だ。島全体が蘇鉄とアダンと、ホウライカガミ(オオゴマダラという蝶の食草)で埋め尽くされていると言っていいほど、植物の種類がきわめて少ない。ここには、かつて安部の人が放したという山羊が野生化していて、ときどき鳴き声が聞こえるし、芝生の上にも、すでに乾いて匂いもしなくなった丸い糞が散在しているが、彼らは何を食べているのだろう?

 オオゴマダラが、ゆったりと優雅に舞っている。白と黒のレースのような斑模様、何よりも純金の輝きを持つその繭(まゆ)の美しさに魅せらた人々が、あちこちにホウライカガミを植える運動をしたり、最近ちょっとしたブームを呼んでいるが、ここは策せずしてオオゴマダラの楽園になっているのだ。

 私たちの来島を迎えてくれた海鳥は、エリグロアジサシ。全身真っ白い体に、襟のような黒い線の入った気品のある鳥だ。ときどき海面をかすめて魚を捕っている。遠くオーストラリアから旅をしてくるこの鳥は、日豪渡り鳥条約の保護種に指定されており、初夏から秋口までを沖縄で過ごし、子育てをする。ジュゴンの国・オーストラリアと沖縄との違いは、彼らの目にどう映っているだろうか。

 蘇鉄の雄花と雌花が咲き競い、雄花に顔を近づけると、その芳香は酔うほどだ。この芳香で虫などを呼び寄せ、雌花に受粉してもらおうという自然界の智恵である。

 梅雨時の調査だったので、かなり雨にも降られたが、調査の三日目、三頭のジュゴンが姿を見せてくれた。藻場のあるリーフ内ではなく外海なので、目撃するとしたら昼間だろうと予想した通りだった。目撃したのは、東京の高校を休学して沖縄に「学び」に来ている一六歳のシン君だ(彼にはそれから会っていないので、詳しい話はまだ聞いていない)。

 私は一晩と一日を担当した。十三夜の月がときどき雲間から顔をのぞかせる中を、ふかふかの芝生の上で寝袋にくるまって、広い太平洋を眺めているのは、最高の気分だった。この海のどこかにジュゴンがいる。それもごく近いところに。姿を見なくても、それを感じるだけで充分だった。

 昼間は相変わらず、軍用ヘリがパイロットの顔が見えるほど低空で飛んで来たり、旋回訓練を続けている。砂利採取船も、島から二〇〇メートルも離れていないところで、朝の六時から作業を始めた。こんな中でジュゴンたちが生きていることは奇跡に近い。「ここにいてくれてありがとう」と感謝したい思いだ。

 潮風に吹かれながら、夜の海を見ているうちに、明け方近く、少しまどろんだようだった。ジュゴンの背中に乗り、海から星空に向かってゆっくりと飛んで行く夢。オオゴマダラとエリグロアジサシが、後になり先になり、いっしょに飛んでいた。