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第124号(2001年5月28日発行)

基地の現実を問う5・15集会

(平和市民連絡会主催、那覇市楚辺)


基調報告

1、 はじめに

 1972年5月15日、沖縄は再び沖縄民衆の意思とは無関係に日本に併合された。

 日本がひき起こした侵略戦争としての太平洋戦争で沖縄は、天皇制護持のための捨て石作戦に供せられ、20万余の尊い人命を犠牲にしただけではなく焦土化した。

 米軍の上陸、基地構築、占領行政の中で沖縄民衆はあえいだ。1952年4月28日、沖縄は日本の独立と引き換えにアメリカの施政権下に置かれた。軍事が先行し、沖縄民衆の生命・財産は省みられない人権なき地獄の生活を強いられた。日本は、沖縄をアメリカに売り渡したのだ。これを沖縄の民衆は「第2の琉球処分」と呼んだ。

 沖縄民衆は明治期の「琉球併合・処分」後、日本によって常に抑圧され差別された構造的差別支配形態の中に置かれ、利用された。しかし、沖縄民衆は民主主義も人権も人間としての要求も認められない苛酷な軍政に反発して、日本復帰運動を展開した。日本政府は、沖縄民衆の要求内容をすり替え巧みに利用し、沖縄の施政権の返還を実現した。復帰の内実は、沖縄の軍事基地の固定化・永続化と自衛隊の沖縄配備であった。

 沖縄県民は5・15を第3の「琉球処分」と呼び「4・28」とともに「屈辱の日」と位置づけ、復帰29年目の今日に至るまで毎年抗議と基地撤去運動を展開している。


 2、 5・15返還の欺瞞性

 「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、日本にとって戦後は終わらない」(1965年8月、那覇空港)との沖縄民衆へのメッセージを読み上げた佐藤首相は、1969年11月、佐藤・ニクソン共同声明を発表し、沖縄施政権の72年日本返還を約束している。しかし、その内実は、覇権主義国家としての米国の力によるアジア支配への日本政府の協力を約束づけることと同時に、沖縄米軍基地の固定化・永続化を認めることにあった。具体的には「米軍の極東における存続がこの地域の安定の大きなささえになっている」「韓国の安全は日本自身の安全にとって重要な要素」等を前提に、沖縄返還について触れ「万一ベトナムにおける平和が沖縄返還予定時に至るも実現してない場合には・・・・・・米国の努力に影響を及ぼすことなく沖縄の返還が実現するよう」意見の一致をみた、と述べている。つまり、今日流に解釈すれば「北朝鮮や中国の脅威、東アジア地域の不安な政治状況が続く限り、米軍は戦闘能力」を低下させることなく、基地機能の維持を永久的に確保することができる、ということである。

 ところで、佐藤首相は国会で72年沖縄返還は、「核抜き、本土並み」返還であると言明している。しかし、共同宣言では「・・・・日米安保条約の事前協議に関する米国政府の立場を害することなく、沖縄返還を、右の日米政府の政策に背馳しないよう実施する旨約束した」とある。文言のあいまいさはあるものの日米安保条約の事前協議に関する米国政府の立場を害することなく」とは、米軍が必要とあれば日本政府はそれを了とすることを意味する。「核抜き」とはまったく民衆だましのペテン的言辞を弄したことになる。そして、その事実が暴露されたのが元京都産業大学教授若林敬氏の著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(1994年5月、文芸春秋)であり、国民をだまし続けている。

 要するに5・15返還とは、沖縄の要求する「即時・無条件全面返還」に対し、「核つき、基地自由使用」返還を認め、日米共同での沖縄の軍事基地強化と支配、基地の恒久化を約束したのである。そのことは、沖縄民衆に対する抑圧と、差別を強いるものである。と同時にアジア民衆に対する敵対と平和と安全への危機をつくりだすもので、絶対に許しがたい日米の行為である。沖縄民衆が5・15に決起し、行動するのも、日米両政府の暴力的・犯罪的沖縄支配の実態を明らかにし、その行為を告発し阻止することにある。


 3、 ここまできた危険な道

 今日、沖縄民衆反基地運動の決起に動揺し、それでいて沖縄基地の維持強化を至上命題とする日米両政府は、96年日米安保「再定義」へ進み、日米軍事同盟のアジア・世界への拡大・強化を確認している。同時に「SACO」合意を発表し、沖縄基地の整理・縮小・統合を表明している。しかし、その内実は基地の再編強化と新基地の建設と沖縄基地永久使用にあることは、那覇軍港の浦添地先移設計画や老朽化した普天間基地の辺野古海域への新空港計画が示す通りである。しかも、辺野古海域へのヘリ基地建設は、名護市民投票によって完全に拒否されたにもかかわらず、日米両政府はその民意を認めず早期建設に向け策動を続けている。特に日本政府は、悪質にも北部振興策、島田懇等を最大に活用し、札束を見せびらかせながら、沖縄の歓心を引こうとヤッキになっている。露骨までの「金の支配」、昔も今も変わらぬ屈辱的手法を、私たちは絶対に許してはならない。

 アメリカは、ブッシュ政権に替わった今日、これまで以上の力の政策を打ち出している。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を「ならず者国家」呼ばわりし、中国敵視政策を強くしている。沖縄を発進基地とするスパイ監視飛行は、挑発行為を繰り返しながら連日続けられている。そして、台湾への武器売却にも見られるように、常に戦争状態をつくりだし、アジアでの平和を脅かし、不安をつくりだしている。

 一方、日本は「新ガイドライン」関連法を成立させ、「戦争ができる国づくり」へ大きく踏み出している。盗聴法、国民総背番号制など、国家の思想統制への道を開くもので、また、「日の丸・君が代」の強制は教育を通して国家に忠誠を誓う国民づくりであり、新たな戦前はもうそこまで来ている。憲法改悪の動き、有事法制定の動きなど恐ろしいほどのスピードで日本の反動化は進んでいる。


 4、 沖縄の21世紀の展望

 日米安保の実態は沖縄にあるとよく言われる。1952年の対日平和条約と同時に結ばれた日米安保は、沖縄を米軍統治下に置くことによって実現された。「60年安保改定が沖縄の分離軍事支配を前提とする日米安保体制の強化であったとするならば、72年沖縄返還は、沖縄の日本(ヤマト)への統合を前提とする日米安保体制の強化となった」(新崎盛暉著 沖縄現代史)という。日米安保の改定(再定義)がなされるたびに、基地は強化され、その範囲は拡大の一途をたどっている。日米安保をなくすことがいかに重要かを、私たちは、運動の中にしっかりと位置づけなければならない。

 ところで、日米安保の強化は、即日本の政治の反動化へとつながり、沖縄基地の強化へと連動している。5・15沖縄返還時の「公用地暫定使用法」の制定、1997年の米軍用地特措法の改悪、そして、1999年再改悪、今度は土地収用法の改悪(現国会に提出済み)がなされようとしている。その最大の目標が沖縄民衆の反基地運動弾圧を狙ったものであり、有事立法にむけたものであることは明々白々である。

 かつて、防衛施設庁長官だった宝珠山は、沖縄民衆に向かって、次のことを述べている。即ち、「沖縄は戦略的に極めて重要な位置にあり、戦略上の要地には防衛施設、軍事施設というものは欠かせない。これは好むと好まざるとにかかわらず国家の要請としてある。基地を受け入れることによって、基地と共生・共存する方向に変化して欲しい」と。それは、まぎれもなく国家意志の体現であり、国家の沖縄に対する本音を露呈したものである。そうであるが故に政府はありとあらゆる手法を用いて新しい基地建設を迫っているのだ。沖縄への構造的差別支配は昔も今も変わることなく貫徹されている。

 そのようなヤマトによる構造的差別支配形態を断ち切り、沖縄民衆としての誇りと平和実現の確呼とした思想と行動をつくりだすには、目前の浦添軍港と辺野古海上基地の撤回へ向け、不退転の決意をもって取り組まなければならない。確かに、その道のりはけわしい。物欲におぼれ、事大主義にはしる民衆も少なくないとはいえ、嘉手納基地包囲に結集した沖縄民衆の姿を見た時、沖縄大衆運動はまだまだ見捨てたものではないと多くの民衆は思ったことだろう。その力強いエネルギーを結集したとき、沖縄の基地撤去に向けた展望と沖縄自立に向けた展望が同時に開けてくる。そのために私たちは民衆結集軸のしっかりとした一翼を担うべきである。

 今日、沖縄を基軸にアジア民衆連帯基地包囲網が形成されつつある。私たち平和市民連絡会は、沖縄から平和を呼びかける4・17集会(2000・4・17)において「沖縄民衆平和宣言」を高らかに発した。私たちの願う平和とは地球上の人々が自然環境を大切にし、限られた資源や富をできるだけ平等に分かち合い、決して暴力(軍事力)を用いることはなく、異なった文化・価値観・制度を尊重しあって共生することです、となっている。その崇高な目標実現と基地の県内移設阻止、日米安保の廃棄、軍事基地撤去そしてアジア民衆連帯、対等、平等の共生社会を築くため、全力をもって奮闘しよう。


ア ピ ー ル

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を「ならず者国家」と称し、台湾への武器売却を強行するなどアジアの平和外交をかき乱し、不穏な空気をかきたてているブッシュ政権は、4月1日高性能のスパイ機EP3を中国偵察飛行に飛ばし中国機との接触、墜落という重大な事故を引き起こした。しかも、この偵察機は沖縄から常に発進している。私たちは、米軍の挑発的軍事行動を絶対に許さない。

 1996年12月のSACO最終合意は、沖縄基地の整理・縮小・統合で沖縄の負担を軽減することにあると日米首脳は主張する。しかし、その内実が侵略的前進基地の再編・強化にあることは一目瞭然である。浦添地先への即戦力としての巨大軍港計画、辺野古海上基地建設は、その象徴的なものである。特に海上基地については、名護市民投票で完全に拒否されたにもかかわらず、政府は、欺瞞的にも普天間代替協で、場所、工法、規模など具体的に示さないまま計画を強行している。その行為は1972年5月15日の沖縄施政権返還が「本土並み返還」といわれながら「核つき、基地の自由使用」であったのと同様、沖縄民衆の平和への願いを平然と裏切り、ないがしろにしながら基地強化に突進するものといえる。

 私たちは構造的沖縄差別支配を断固許さず、那覇軍港の浦添移設と普天間基地の辺野古移設阻止の闘いを21世紀初頭の最大の闘いと位置付け、沖縄反基地運動の大きなうねりを創りださねばならない。

 今日、日本の政治は大政翼賛化の道を一目散に駆け出している。新ガイドライン関連法、盗聴法、「日の丸・君が代」法制化から憲法改悪、集団的自衛権行使、有事立法へと進み、「新たな戦前・戦争のできる国づくり」を現出しょうとしている。それに連動しているのが基地の県内移設であり、基地の再編・強化、固定化・永続化、すなわち沖縄基地要塞化の目論みである。日米共同での沖縄の植民地化・隷属的支配が沖縄民衆に襲いかかっている。

 私たちは、過去の大戦で地獄を体験し、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争などを通し、沖縄基地の侵略性と犯罪性の極地をみてきた。それ故、二度と悲惨で残酷な歴史を繰り返さないことを誓ってきた。

 沖縄には、平和を破壊する者に対して果敢に挑むマグマが存在する。日米が強引な手法での基地強化を手がける時、そのマグマは大きな力となって爆発することだろう。安保廃棄、基地の撤去と基地の県内移設断固阻止に向け、私たちは起ち上がらなければならない。そして、21世紀を平和・環境・自立・共生の世紀とするため、すべての民衆が立ち上がることを呼びかける。

   2001年5月15日
     基地の現実を問う5・15平和集会   

資料提供:違憲共闘会議 安里秀雄氏