【新刊紹介】
『沖縄の反戦ばあちゃん
松田カメ口述生活史』
松田カメ(まつだ・かめ)述
平松幸三(ひらまつ・こうぞう)編
楽しみにしていた本がやっと出た。実は九〇年二月刊行の予定であった。「反戦おばあ」と呼ばれ嘉手納爆音訴訟原告団の一人として常に闘いの先頭に立ってきた松田カメさんの一生をまとめたものである。
編者の平松幸三さん(武庫川女子大教授・工学博士)は沖縄県航空機騒音健康影響調査に加わったことがきっかけで、カメさんから五年間で十回にわたる聞き書きを行ったという。出版の動機を「なぜ基地の騒音に反対するのか、健康調査ではカバーできなかった戦争体験を踏まえた思いをカメさんの言葉で伝えたかった」と語っている。
本の作りに、その姿勢がよく表れている。口述史とあるように全編カメさんの話し言葉で綴られていて読みやすい。話の前後には丁寧な説明が加えられており、内容を理解するのに役立っているだけでなく、言葉の出典なども後ろにまとめて一覧されている。また、日本の戦闘概要も記されているサイパン島の地図もあり、おりおりの写真とともに読み手の想像力を引き出してくれる。
内容はカメさんの生い立ちから始まっているが、編者の言うように「波瀾万丈ではあるがシンプルな」一生であるだけに、明治から昭和にかけて生きた多くの沖縄女性がたどった道を跡づけることができる。兄弟姉妹九人の内彼女を含めて七人が南洋諸島に渡ったことも時代状況を反映しており、南洋における植民地最大の町サイパンでは人口の三分の二が縄人という一台沖縄社会が営まれていた。
カメさんの話しぶりからすると、住民も兵隊ものんびりしていたところへ、一九四四年六月、米軍が上陸し、一ヶ月にわたる掃討戦が展開される。沖縄より十ヶ月先に遭遇した闘いで、カメさんは怪我をした夫と知人二人を担ぎながら逃げ回り、親を亡くした子ども四人も連れ歩くという逞しさを見せる。隣り合わせで艦砲にやられた人の血を三度浴びながらも生き延びて七月から収容所生活が始まる。
引き上げてきた多くの沖縄人がそうであるように、カメさんの故郷北谷村砂辺も軍に囲い込まれていた。働き者のカメさんは嘉手納飛行場の拡張工事や弾薬庫基地の軍作業に出ながら一年後にようやく砂辺に戻る。つかの間の静かな生活もベトナム戦争の激化に伴い爆音に曝される日々に変わる。カメさんにとっては基地と爆音は直に戦争につながるものだ。平和行進に参加し、基地を包囲し、爆音訴訟の原告となり、闘いが始まった。平和憲法の下への復帰は何も解決につながらず防衛施設局は移転攻撃をかけてきた。
しかし、畑を耕し、生活者としての確信を備えたカメさんは微動だにしない。「基地の方が出ていくべき」と言い切る。そんなカメさんも、裁判を重ねても爆音が少しも減らないことにいらだちを募らせる。「どうして沖縄だけこんなんかね」という言葉は私たちの胸を突いてくる。第二次爆音訴訟も三月から始まる。ぜひカメさんの思いを受け継いで行きたい。一読されることをお勧めします。
(N)
刀水書房刊 本体2,000円
2001年1月発行
ISBN4-88708-242-8
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