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沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック
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第120号(2001年1月28日発行)

知花さん記念講演(要旨)

 戦後五十五年間、沖縄の政治・経済・文化は全て米軍基地との関わりで動いてきた。米軍基地がある限り、これからもそうだろう。復帰によって施政権が返還されたが、それは沖縄へではなく、日本政府へであった。復帰前は、高等弁務官の布令によって恣意的に支配されていたし、復帰直前に日本政府は沖縄だけに適用される法律「公用地暫定使用法」を住民投票を経ずに作った。復帰後も「地籍明確法」を作って実質的に公用地法を延長し、反戦地主の切り崩しを続けた。米軍基地の維持・強化のために超法規的措置によって沖縄を支配する構造は復帰前後で変わらない。支配者にとって、軍隊という暴力装置は不可欠で、基地はその生命線なのだ。

 三千名いた反戦地主は七〇名くらいまで減ったが、今は一五〇名くらい。反戦地主の日本政府に対する闘いは、日本政府の弱点を暴いた。それは、日本政府は米軍のいうことは法律を曲げてでも全て聞く米軍の従属物であること、日米安保は暴力的なもので、政府のいう安全保障は国民の生命・安全を求めることではない、ということだ。

 九六年一二月に出たSACO合意は、少女暴行事件の反省にたったものではなく、米軍基地を維持するために出したもの。日本政府は沖縄の基地被害に対して、何もしてこなかった。米軍資料の分析によって、SACOに盛られた移設は一九六〇年代に米軍が検討していたもので、それを日本政府の金で実現しようという、とんでもないものだということが明らかになった。
 

裁判

 現在二つの裁判を闘っている。古波蔵さんと私が提訴した「総理大臣の使用認定に対する、認定取り消し裁判」と「再改悪された米軍用地特措法に対する違憲訴訟」だ。反戦地主はこれまでたくさんの裁判を提訴してきたが、ほとんど判決を見ていない。時間との勝負で、裁判が長引くと訴える利益がないということになる。しかし、米軍用地特措法の違憲性を問う裁判は、どんなに長くかかっても判決まで行けると考えている。


公開審理

 今度の公開審理は、キャンプキンザーに土地を手に入れた浦添市職の古波蔵さんと私の二人が当事者だ。防衛施設局の申請理由では私の土地は通信所として使用されているといっているが、これは嘘。九七年に、九八年六月一日で通信所の活動を廃止するという命令書が出ている。実際、九七年九月十一日に、象のオリの前で解任式をやった。象のオリは古い施設で使い物にならないので、SACOで金武町のキャンプ・ハンセンに移設するということになった。移設先も決まっており、地元も合意しているのに移設を完了していない。当初の申請は五年間だったが、SACOが出たことによって、日本政府は期限を今年の三月三十一日に申請し直し、収用委員会はその通りに裁決した。収用委員会が短くしたというわけではない。政府の瑕疵を私に転嫁することはおかしい。

 SACO合意は、少女暴行事件を通して盛り上がった沖縄の運動を、潰すために出したもので、真剣に二〇%の基地を減らそうという気配は見られない。九六年のSACO最終報告から四年経つが、実行されたのは、一〇四号線の実弾演習の本土移転だけ。実態は、費用は全部日本政府持ちで、沖縄で訓練をやるよりも多彩な訓練をしている。北部訓練場の一部が返還されたが、実際には使われていなかった部分が返還されただけ。SACO合意が閣議決定されて、大々的に報道された。どの程度法的拘束力を持つのかを含めて、公開審理で、明らかにしていきたい。

 もう一つは、損失補償金の問題。私の土地に対しては、複利年金現価率=三・六七九を掛けるという。つまり、三年と約七ヶ月分となる。その計算の仕方は、年利五パーセントでおこなっている。この低金利時代に、年利五パーセントになるようなものがあるか。損失補償金は、一括して入るから、それに対する税金を含めると、反戦地主の経済的損失は大きい。利率の計算に関しても、闘っていくつもりだ。

 収用委員会は二人が入れ替わり、一人はどうも自民党系のようだ。二月二三日には、象のオリの立ち入り調査を要請している。闘いの手段を奪い取られてきているが、闘いの手段をこじ開けてかみついていく。法律があるから私たちは運動をしているのではなく、基地をなくすという目的で運動を行っている。


沖縄の状況

 米海兵隊員によるわいせつ事件が起こり、各地から抗議の声が上がっている。県議会決議の中に海兵隊を削減せよということが初めて入った。自民党も海兵隊の削減に同意をせざる得ない状況になっている。

 二月一一日は、浦添市長選の投票日。反戦地主の宮城現市長を含め三つ巴の激しい闘いとなっている。那覇軍港の移設をめぐって一時期揺れていた宮城市長だが、今ははっきり拒否の姿勢を打ち出している。那覇に続いて、浦添でも保守市長の誕生を許せば、われわれの闘いへの打撃は計り知れない。

 基地がなくなると、沖縄は大変だと、あおり立てる連中がいる。残念ながら、その宣伝が効いて、知事を失い、那覇市長も失った。復帰前後は四五%がアメリカから流れる金だった。現在は、沖縄の県民所得の五%にすぎない。基地がなくてもやっていける。だから、基地撤去を堂々と言える。
            (まとめは編集部)