【連載】 「思いやり予算」違憲訴訟・東京 (九)
陳述書
新倉裕史
1 経歴等
一九四八年横須賀に生まれ、育ち、現在も横須賀に暮らしています。父は米海軍横須賀基地を職場とする基地労働者でした。わたしは現在、「非核市民宣言運動・ヨコスカ」という平和運動に参加していますが、父が基地労働者であったということもあって、子供のころは、いわゆる「反基地運動」には、違和感を感じていました。
その私が、基地の存在を、自らの生き方と重ねて考えるようになったきっかけは、ベトナム戦争でした。名もない民衆の逃げまどう姿と、他国で圧倒的な軍事力を展開する米軍。父の職場の現実の姿を受け入れることは苦しいことでしたが、私は高校を卒業して働きだしたころから、ベトナム反戦のデモに参加するようになり、現在に至っています。
基地で働く父は、こんな私に対し何も言わずに、遠くから見守ってくれました。在勤中は私のことで、調べられたりしたようでした。それも、退職してからおしえられたことです。
2 横須賀という町
横須賀は江戸幕府が製鉄所を設置し、海軍の拠点作りがスタートして、現在まで一三○年以上も、基地の町であり続けています。この町の軍隊の顔は、旧日本軍、米軍、そして自衛隊と様々ですが、町の一等地に軍隊が居座り続ける構造は一三○年変化はありません。このことが作り出している町の「従属性」が、私たちには気掛かりです。
「高度国防国家完成のため名実共に完備せる世界最大の軍港都市の実現を期す」(昭和六年制定/横須賀市市是)。私たちの町は、すべてにおいて、「始めに軍隊ありき」でした。昭和六年に制定された市是は、その「決意」を宣言したものです。
現在はどうか。残念ながら、市民の意識が基地から独立していると、言い切ることは難しいと言わざるを得ません。それは、今なお、日々基地が強化され、返還の展望が見えて来ないという現実の姿があるからです。その日々の基地の強化を、私たちが望んでもいないのに、私たちの税金が支えています。それが「思いやり予算」です。
3 旧軍港市転換法
「始めに軍隊ありき」の町は、敗戦によって大きく揺れ動きました。「誤った戦争の柱をなした旧海軍根拠地という烙印、いまひとつはその市の繁栄を支えて来た唯一のものである軍需工場の崩壊。かくて四市(横須賀、呉、佐世保、舞鶴)の市民の間には、我々の市の性格を平和産業を基とする新しい都市に切り替えたい、(略)という強い希望が澎湃として起こったのである」(冊子『旧軍港市転換法』昭和二五年)。
かくして、憲法九五条の住民投票という画期的な手続きをへて、旧軍港市転換法が成立します。横須賀では投票率六九・一%、賛成率九○・八%という圧倒的な支持率をえて、一九五○年六月二八日に「軍転法」は公布されます。そして、今年は五○周年という記念すべき年に当たります。
「軍転法」第一条は、「旧軍港市を平和産業港湾都市に転換することにより、平和日本実現の理想達成に寄与することを目的とする」とあります。憲法の平和主義を全面的に受けいれ、さらにそれを住民投票というかたちで選びなおす手続きをへて、立法化した「軍転法」は、横須賀市をふくむ旧軍港四市の戦後の在り方を、法的に、社会的に規定しているといっていいでしょう。
「軍転法」八条は、次のようにいいます。
「市長は、その市の住民の協力及び、関係機関の援助により、平和産業港湾都市を完成することについて、不断の活動をしなければならない」
「2 旧軍港市の住民は、前項の市長の活動に協力しなければならない」
軍港から平和産業港湾都市に生まれかわるための不断の活動。この町に生きる市長も市民も、それが義務であると「軍転法」は定めます。
4 質的強化を支える私たちの税金
米海軍横須賀基地の強化、亘久化を認めことができない理由の第一は、以上のように、私たちの町の非軍港化が、平和日本の理想達成のための不可欠の条件だと考えるからです。そして、単に、基地が返還されないというだけではなく、逆に日々強化されている現実と、その強化を支える経済的負担を私たちが負っているという、二重のつらさを私たちは感じているからです。
資料1は、米海軍横須賀基地を「母港」とする空母戦闘群の推移を図にしたものですが、特に一九九○年からミサイル攻撃能力と防空能力の「向上」が顕著に表れています。垂直発射管が打ち出すミサイルは遠距離対地攻撃を可能にし、横須賀は世界で唯一の米海軍戦闘艦船の母港地であると同時に、ミサイル発射の前進配備基地にもなってしまいました。
こうした多数のミサイル発射艦の母港受け入れのために、駆逐艦修理桟橋とハーバーマスターピアの延長工事が行われたのですが、ここにも「思いやり予算」が投入されました。
現在基地内で最も規模の大きい、空母の接岸エリアである一二号バースの延長工事が発表されていますが、これも原子力空母の母港の受け入れのための工事であることが米軍資料によっても明らかになっています。一二号バース延長工事も「思いやり予算」です。
5 汚染の拡大
一二号バースでは重金属汚染が発覚し、延長工事の前提として汚染封じ込め工事が着工されています。市民は汚染実態調査が不十分、また工事そのものが汚染の拡散になるとして、この汚染封じ込め工事の中止を求めています。この工事も「思いやり予算」です。
本年五月、この工事中に崩落事故がおきました(資料2)。鉛や総水銀等の重金属を含む汚染士壌が、百立方メートルも海中に流出しました。海中に流出した鉛は約一トンという量になると計算されます。
汚染防止工事は、地域住民の安全のため、あるいは自治体財産の適切な管理のために行われるものです。しかし、今横須賀一二号バースで行われている汚染封じ込めの工事を見れば、それは一にも二にも、バース延長のための事前工事であって、安全の確保や汚染の拡散防止と言う観点は全く伺えません。横須賀軍港では、奇形の魚も発見されており、港湾の汚染は深刻な事態に立ち至っています。この状況をさらに悪化するために「思いやり予算」が投入されているのです。
6 資料3は、私たちが横須賀市から提供された資料を基に作った、「思いやり予算」投入の現状を描いたものです。多くの施設が「思いやり予算」によって建設されていることが分かると思います。
とりわけ米軍住宅の建設が特徴的です。基地は住宅不足を理由に「思いやり予算」による建設の必要性を説明しますが、住宅不足は、基地機能の強化によって生じます。母港艦船を増やしておいて、住宅が足らないというのは勝手な言い分です。
一九九五年四月一七日の「スターズ・アンド・ストライプ」紙は、次のような興味深い記事を掲載しました。
「ペリー国防長官にとって即応態勢における最優先の関心事は、戦力の質でも部隊の訓練でも、あるいは世界中の配備の引き締めでもない。それは住宅問題である、全軍を通じて見られる住宅の悪化は士気に深刻な影響を与えるにいたっている。
長官は本紙との独占会見で、住宅問題はきわめて深刻で経費のかかるものであり、解決策としては民間資本の導入以外にないと語った」
これは米国内の住宅間題についてのコメントですが、在日米軍基地についても、米軍住宅がもっている位置は変わりません。米軍住宅は戸数の絶対的不足ではなく、もっといいところに住まわせろ、という声を無視できない米軍の事情が大きいというべきです。住宅要求の増加についての説明のなかにある「家族同居基準の緩和」とは、つまりそういうことです。
だから米軍住宅問題は「戦力的課題」と呼ばれます。住宅が足らないという「人道的課題」ではありません。軍隊の士気を支えるための、最もベーシックな施設を「思いやり予算」が支えているのです。
二○○○年六月一三日 新倉裕史
(資料1〜3は省略)
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