【新刊】
沖縄はもうだまされない
基地新設=SACO合意のからくりを撃つ
真喜志好一・崎浜秀光
東恩納琢磨・高里鈴代
真志喜トミ・国政美恵
浦島悦子
基地の「整理・縮小」という沖縄の私たちの要求を、日米両政府は基地の「統合・強化・近代化」にすり替えたのが「沖縄に関する特別行動委員会(the Special
Action Commitee
on Okinawa)」、通称SACO合意である。普天間返還が橋本龍太郎元総理の尽力で実現したかのような九六年四月一二日の記者会見と、その三日後のSACO中間報告とで、基地の「整理・縮小」を実現するという「錯誤」が沖縄県民だけでなく、日本人の大脳の殆どに埋め込まれた。
SACOが発足した九五年の一一月から、九六年四月の中間報告までわずか五カ月。そのわずかな期間に普天間返還を合意した背景には何があったか。新聞報道を頼りにして背景を想像しても何も見えてこなかった。梅林宏道さんは『情報公開法でとらえた沖縄の米軍』(高文研)で第一次資料を掘り起こしている。
運動の方向を正しく見据えるには、梅林さんのように正しい情報、第一次資料に当たる必要がある。
「SACO合意を究明する県民会議」はこのような動機で一九九九年七月に発足した。会議というより研究会と呼んだ方がふさわしい個人参加のグループで、メンバーはSACO合意に含まれた基地の周りに住んでいる住民と元大学教授や地方議会の議員などである。
琉大を退官し、沖縄県立公文書館初代館長であった宮城悦二郎さんが、一九七二年五月の復帰以前の米軍文書を掘り起こした。そこから読みとれたことは、浦添・牧港補給基地沖への軍港「新設」を一九六六年から執拗に狙っていたことであり、キャンプシュワブ沖への航空基地建設を一九六五年に計画し、調査をした事実であった。
ヘリコプターのように垂直に離発着し、飛行機のように飛ぶ新鋭機オスプリを米軍は開発し、実戦配備の途中である。その配備計画表をインターネットで見つけた。その内容を追跡していくと……「一九六五」年の時点では、普天間に配備されている主力部隊第三六海兵航空群はハワイに移設する予定であったことが分かった。遊休化する普天間を、恩着せがましく沖縄に返還し、米軍がかねてから狙っていたキャンプシュワブ沖の航空基地建設を実現する長期計画。それにはめられたのだ。軍民共用空港の思いつきを米軍は歓迎している。一五年使用期限は稲嶺知事周辺が、論点をすり替える空手形にすぎない。
いま、日米両政府に加えて沖縄「稲嶺」県政と関係市町村が進めているSACO合意に基づく基地の「移設」。それらは全て米軍の「長期計画」に従っている。「沖縄はもうだまされない」ために、それを調べ、書いた。実を言うと私は「一坪反戦地主」会の命名者であるが、多くの「一坪」メンバーに本書を手にしていただき、基地の「新設」を許さない戦線の構築に役立てていただければ嬉しい。また米軍や日本政府の長期計画を読み解く人々の輪が広がり深まって、自衛隊を含め、軍の解体が進むことも期待している。
『沖縄はもうだまされない』出版に当たって (真喜志好一)
高文研刊
2000年9月20日 本体1500円
ISBN4-87498-246-8