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第115号(2000年8月28日発行)

 「命を守る会」東京行動報告集会

 七月二一日、万国津梁館と万座ビーチで「命を守る会」が行った辺野古への基地移設に反対する請願署名を森首相とクリントン大統領に手渡す行動の顛末については前号で上原さんが詳しく報告されていました。

 その報告の中で触れられていた事ですが、「命を守る会」に応対した外務省の課長補佐や在沖米国総領事では「二万有余の陳情署名を責任もって確実に森首相、クリントン大統領に手渡される保証が無い」と判断した「命を守る会」は自ら署名手渡しを拒否しました。

 そこで後日、あらためて代表団を組織し、直接森首相、アメリカ大使館にたいする署名手渡し行動を起こそうと言うことになったのでした。

 この行動を実現させるには幾多の困難があったでしょうが、「命を守る会」の粘り強い精力的な働きかけによってでしょう、ついに八月一○日、その行動は実現しました。昼間に署名の手渡し行動、夜七時から中野商工会館において報告集会がもたれました。

 この行動の日程等が確定したのは八月一○日の数日前であったようです。そこで集会参加の呼びかけに充分時間をかける事が当然出来なかったでしょう。主催者の「集会が成立するか心配であった」と言うのは本音であったと思います。

 しかし予想に反して一三○名以上の人が集まり、会場が熱気でむんむんする中報告集会は行われました。このことは現地沖縄が今どうなっているのか、本当の事が本土には伝わりにくく、沖縄の様子を、沖縄の生の声で聞きたいと望んでいる人がいかに多いかと言う事を示していると思います。名護市辺野古で現実に行動している「命を守る会」の報告ということから多くの人が万難を排してこの集会に参加したのは当然の事と受けとめる事が出きると思います。私も馳せ参じたその一人です。

 報告集会は、「命を守る会」からの代表団=代表金城祐治氏・前代表西川征夫氏・「命を守る会」の事務所をいつも守っている稲嶺さんと嘉陽さん・事務局長宮城保氏・「ヘリ基地反対協議会」共同代表安次富浩氏の六名全員が参加されて始められました。この代表団の中から四名の方がそれぞれの思いを、それぞれの立場で語られました。ついに署名を手渡す事が出来、一仕事やり遂げたすがすがしさをかもしだしている方、沖縄からはるばるやってきたのに相変わらず代表団の思いを受け止めようとしない政府の態度に苛立ちをあらわにしている方、いまも続く日本による沖縄差別から考えて、今回の政府の対応は当然予想された事だとク―ルにとらえている方等々、色々な思いをその表情や発言から覗うことができました。

 報告された四名の方々が共通して力説されたのは以下の四点であったと思います。

 第一は、重要な事はみんなで決めよう。ヘリ基地建設を問う住民投票こそはその典型的な例です。名護市民みんなが参加して決めた「名護に新しい基地はいらない」と言う結論こそ民意であり、この結論を犯してはならない。

 第二は、辺野古に基地を作らせてはならないのは、この先辺野古に生き続けていけなくなると言う生活者の当然の結論である。そしてその行動は反基地、反安保の闘いに影響を与えずにはおかないはずである。

 第三は、二番目とつながっているのだが、しっかりと地に根を張り生活者の立場にたって活動する。

 私はこの報告を聞きながら「ラジカル」と言う言葉を思い浮かべていました。この辺野古の人々の生活者の視点に立った活動こそが「ラジカル」にふさわしいと感じながら聞き入っていました。

 最後に第四は、基地は必要無いから作るなと今も言っているのではない。基地の負担は日本国民全てが等分に負うべきだと訴えているだけだ。沖縄にいつまで負担をおっかぶせつづける気なのか。私たちは基地を「県外移設」するべきだといっている。何も理不尽な事を言っているわけではない。誰でもが納得できる事を訴えている。

 しかし辺野古の住民の思いとは裏腹に、辺野古へのヘリポ―ト基地移設は着々と進行しています。

 九九年稲嶺知事の「ヘリ基地建設」受け入れに始まり、九九年一二月二一日名護市議会の「ヘリ基地建設受け入れ決議」、そして岸本名護市長の議会決議を受けた形での「基地建設受け入れ発言」等々、ヘリ基地建設阻止の闘いは非常に厳しい状況におかれているのではないでしょうか。この報告集会もこの厳しい状況を確認し合う集会であったと言えるかも知れません。

 ただ辺野古の住民はこの厳しい闘いのなかから、あの七月二一日、サミットの厳しい警備の網を潜り抜け、対応に出てきた日米の木っ端役人をたじたじとさせた、したたかで、ユニ―クな行動パタ―ンを身につけたのかと感心させられました。運良く七月二一日の行動に同行させてもらう事が出来た一人として今も思い出しては感服するばかりです。
              (会員 S) 
 


 日米政府へ請願署名を提出し記者会見を終えた午後七時には、東京の中野商工会館で「命を守る会」東京行動報告集会が開かれました。主催は命を守る会です。関東ブロックでは、命を守る会から東京行動の報告集会を開きたいと協力を求められ、急きょ、会員や各団体へお知らせし、集会の成功に向けて全面的に協力しました。日米政府とのアポイントがなかなか確認できず日程が東京行動の数日前になって決まったにもかかわらず、百五十名に近い参加者となり、イスをたくさん用意して、会場は一杯となりました。これは、命を守る会が独自で東京行動を初めておこなったことに対する反響と、命を守る会の事務所を訪れた「本土」からの人々へ懸命に訴えてきたことが結びついたからです。

 集会は、金城祐治代表の主催者あいさつで始まりました。「長い間の胸のつかえがおりました」と東京行動をやりきった感想を述べ、「沖縄戦を生き抜いてきた人たちが運動の核心になってやってきている。東京でこういう話ができたということを運動の励みにしていきたい」と切々と熱い思いを語りました。ここで、金城さんから東京行動の参加者六名全員が紹介され、「事務所を交替で維持しているオバーたち」(嘉陽さん、稲嶺さん)二人がそれぞれ「よろしくお願いします」と一言、述べました。

 つぎに、協力団体として関東ブロックを代表し上原成信さんがあいさつしました。「結集が予想以上だったので、現地の人は元気づけられたと思います。この心を持ち帰って現地に伝えてください」とエールを交換しました。

 宮城保事務局長からはこれまでの経過と東京行動の報告がありました。七月二十一日の日米首脳への請願署名提出行動の顛末記や東京行動をエピソードを交えリアルに伝え、「どんなことがあろうとも自分たちの命を守るためにたたかっていく」と命を守る会の総意を明らかにしました。そして命を守る会の訴えとして前代表の西川征夫さんが、「手探りでやってきた。地元だけの問題ではないとやってきた」「運動は徹底してやらなくてはならない。弱味を決して握らせない」とたたかいへの確信を述べ、そのたたかいが家族ぐるみでおこなっていることを明らかにしました。命を守る会のそれぞれの発言に一段と拍手が鳴り響きます。応えるために、関東ブロックから参加者にカンパ要請をしました。

 東京行動の参加者からの発言の最後は、ヘリ基地反対協を代表して命を守る会と行動を共にした安次富浩共同代表です。安次富さんは、「(ヘリ基地反対協は)サミット後、どう一致した力でやっていくかを論議している」と今後の運動体制づくりに着手していることを明らかにし、「埋め立てであろうが海上であろうが、あの海には似合わない。辺野古には自然とともに暮らす人びとがいるんだということを訴えていきたい」「政府が断念するまで名護市民はしたたかにたたかう」と命を守る会とともにたたかっていくことを明らかにしました。

 以上の沖縄からの訴えに応えて、「本土」から連帯発言を、立川市職労、港区職労、乱鬼龍さん、「本土」在住の沖縄出身者の高田普次夫さんがおこないました。カンパは、会場からの六万円と港区職労有志による十万円を上原さんが代表して金城祐治代表に手渡しました。

 集会のまとめとして、金城祐治代表が「明けゆく二十一世紀の平和のために」と、団結ガンバローを三唱して終えました。

 東京行動は日程的に厳しいものがありましたが、政府がサミット直後にも名護新基地建設計画を具体化させていくという一方的な状況に対して、命を守る会が直接、日米政府に訴えた意義は大きかったと思います。それは「本土」においても地元住民との連帯を強めて名護新基地建設阻止の運動を強化していくきっかけになったと思います。
(I)