軍用地を生活と生産の場に! |
沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック |
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『一坪反戦通信』 毎月1回 28日発行 一部200円 定期購読料 年2,000円 |
第102号(1999年5月1日発行) |
「復帰」二十七年目の五月十五日は檜町公園へ
会員のみなさん! 今年もまた五月十五日が巡ってきます。 私たちは、この日を、沖縄にとって「本土復帰」が何であったのかを繰り返し心に銘ず日としてきました。 一九七二年の「復帰」から二十七年目の今年はさらに記念すべき日となりそうです。沖縄戦終結から「復帰」まで米軍政の下におかれた年月と同じ長さを数えるからです。 日本政府が施政権返還と同時に開始したのは自衛隊の沖縄進駐であり、以来浸透策を重ねて今年などは隊員を制服で成人式に出席させたいと言い出すまでになりました。「もう四半世紀も経つのだから」というのが彼等の言い分です。また、沖縄の玄関口である那覇空港では自衛隊機が共同使用している民間機との間でニアミスを起こしていますが、このところの新ガイドラインの追い風でますます巾をきかせてくるのではないでしょうか。 一方で日本政府がなおざりにしてきたものは米軍基地の整理/縮小に向けた努力であり、独立国家として米国/軍に対してモノをいうことでした。今や県民が嘉手納飛行場の発する爆音に苦しみ難聴者まで出るなかで、司法は住民の夜間飛行差し止め請求さえ却下するありさまです。「米軍基地は日本の支配の及ばないところである」という理由からです。そして米軍のために古くなった普天間基地の代わりを見つけてあげたいと、今では臆面もなく振興策を振りかざしてあちらこちら物色して回るので候補地住民の嘆きは深くなるばかりです。 この二十七年問は日本政府のやってきたことと県民の望んできたことが相反するものであったことを明らかにしています。 会員のみなさん! 今、日米両政府は新ガイドラインの法制化をテコに戦争遂行共同システムを名実ともに立ち上げようとして一ます。戦後が終わり、私たちは新たな戦前に立たされていると言われます。しかし沖縄は戦後さえ終わっていません。街中では戦時の二百五十キロ爆弾の不発弾が掘り起こされ、畑地では黄燐手榴弾が爆発しているのです。 私たちは、日米両政府がこれまでに増して基地の再編強化を進め、さらなる戦争準備のために新たな基地をつくることを許すことはできません。一五日はぜひ参加してください。 (N)
五月十五日 午後六時半開始 |