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第100号(1999年1月25日発行)

反安保・反基地の新たな結集軸を

新たな基地建設を許さないつどい(12月1日)

新崎氏が講演

 基本姿勢おろそかだった大田氏

 沖縄県知事選挙での大田氏の「敗北」をうけて、沖縄現地の動向はどうなっているのか、今後の運動の展望をどのようにたてているのか。関東ブロックでは一坪反戦地主会代表世話人の新崎盛暉氏を招いて講演集会をもった。

 司会から、我々が今後、大田氏が負けた中での新たな闘いを強いられること、それは、県内移設を許さない闘いであり、これまで以上に反戦地主を支援する闘いであることが確認された。選挙報告とともに、今後の闘いの提起も含めて新崎氏からお話しいただくということでさっそく講演に移った。
 
 新崎氏はまず、自身が大田氏の推薦人であったこと(前二回は推薦人にはなっていない)、この場が一坪の集会であり、参加者も自分の身内であると考えていることを前提に話をすると口火を切った。

 選挙をふりかえって、ずばりなぜ負けたか。この選挙は日本政府と沖縄の闘いだったが、大田の求心力が衰えていたことのあらわれだ。大田氏は選挙の終盤になって、「沖縄の心」を強調したが、大田氏自身が八年間この心を貫いていたら、決して負けなかっただろうと分析した。大田氏が本当に民衆とともにあった時期は、九五年秋からの一年間であり、基本的な問題を抱えながら県政は進められてきたこと。この「革新」県政を押し上げながら運動も進められてきたとふりかえる。

 選挙をめぐっては、稲嶺陣営からのマスコミに対するしめつけが目立ったという。「外国人兵士による強姦事件」の報道が「大田陣営を利するもの」と攻撃されたことに対して、新聞社も過敏な反応を示し、その後一切報道されなかったことなど。また、大田陣営の問題として、相手の土俵に乗せられ、肝心の基本姿勢がおろそかになっていたことがあげられた。「県政不況」の大合唱への弁明が目立ち、最大の争点にすべき基地問題が最後まで押し出せなかったという自己批判がなされている、と語られた。

 しかし、選挙には敗北したが運動としての敗北感はないと新崎氏は続ける。海上基地を争点からはずさなければ選挙は闘えないという認識が稲嶺陣営にはあったこと、これは、民衆の闘いの勝利だ。いま稲嶺は、普天間問題を先送りしながら振興策を進めようとしている。しかし、稲嶺の「県民党」を政府は認めているわけではなく、稲嶺県政と日本政府の矛盾点として、今後噴き出してくるだろう。

 さてそこで我々は何をなすべきか。基地・安保の問題をどのようにして全国化していくのか、これが基本的に大きな課題である。そもそもこの問題が国政上の問題にならず、地方の選挙の争点になるのがおかしい、と力説。

 ここで、最近論議になっている基地の「本土移設」論に話が及んだ。新崎氏自身、九六年五月、中部市町村会が初めて公式の場で「本土移設」を主張したとき、「安保・基地問題の全国化」の手段としては賛成を表明したという。しかし今、結局は「本土移設」は本土の一地域の問題にしかならないだろうと考えている。(矢臼別、王城寺原、日生台を見ても、地元住民は反対しても、本土の人々が自分の問題としてとらえられていない)。

 それよりも、安保・基地問題を問う国民投票を実施した方が良いだろうと提起。全国的に安保・基地問題を自らの問題としてとらえる契機として自身の問題意識をあげ講演をしめくくった。

 続いて質疑・応答になったが、視点が多岐にわたった講演でもあり、次々と手があがった。運動の方向として、「基地の国外移設」にしぼっていったらどうかという意見には、「基地の存在を前提にすべきではない。そもそも県内移設か県外移設かの問題でもない。安保を認めるか否かを問うことなしに、あっちへ押したりこっちへ押したりする運動では力を持たない。グアムかハワイかというなら、問題提起という意味で本土へと言ったほうがスッキリする。」と返答。また、「大田氏なきあとの支持者たちの動向は」という質問には、「日本政府と対抗しきれる新たな結集体をいかにつくっていくかを、いま暗中模索の状態」と、大田氏を押し上げながらの運動に代わる結集軸を提起した。また、今後の強制使用の問題や、教育現場からの質問など多くの質問、意見が出された。最後に新崎氏は、「反戦地主におんぶしての運動は終わろう。全力で反戦地主を支援する運動は今後も続けるが、一日も早く安保そのものを問うところに踏み込まなければならない。自前の反安保・反基地運動をつくろう」と訴えた。