メッセージ


こんにちは、宜野湾市長の伊波洋一です。

 「ジュゴンとさんごの海を守ろう/沖縄に新しい米軍基地はいらない&コンサート」に参加者のみなさんへ沖縄から連帯のメッセージを送ります。

 私は、普天間飛行場を抱える宜野湾市長として、米軍ヘリによる事故や騒音から市民の生命と健康、財産を守ることが行政の使命であると考え、就任以来、日米両政府に対して普天間飛行場の早期返還を求め続けています。

 宜野湾市では、普天間飛行場返還アクションプログラムを策定し早期返還に向けた取組みを展開しており、その一環として昨年5月16日には、1万6千人を超える県民・市民と共に、人間の鎖によって三度目の普天間基地包囲を行いました。
また、7月には日本政府のみならず、米国務省並びに国防総省をはじめとする米国政府関係機関、太平洋軍海兵隊司令部等への要請行動を通じて、普天間飛行場が及ぼす被害の実態とその危険性を強く訴えてまいりました。

 ところが、そのような取り組みの最中、昨年8月13日、米海兵隊CH53D大型ヘリが、普天間飛行場に隣接する沖縄国際大学の本館に墜落、激突して爆発するという最悪の事故が発生しました。
大学構内には、夏期講座受講中の学生や執務中の職員が多数いたにもかかわらず、民間人の死傷者が出なかったことは、奇跡としか言い様がなく、真っ黒に焦げた木や校舎の側壁など、現場の物語る悲惨な光景は、同様の事故がいつ起きてもおかしくないことをまざまざと市民に見せつけました。

 墜落事故を受けて、9月12日には「沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故に抗議し、普天間飛行場の早期返還を求める宜野湾市民大会」を市内69団体で構成する実行委員会の主催で開催し、当初予定の1万人をはるかに上回る3万人を超える参加者の動員と、6万6342人分(最終的には7万3253人)の署名が集まりました。
これらの数字は、普天間飛行場が市民に与えている不安の大きさを示す何よりもの証拠であると再確認し、即刻、日本政府、米国大使館、在日米軍司令部を訪ね、民間地上空での飛行停止を含めた6項目に及ぶ大会決議文と署名を手交してまいりました。

 事故後、普天間飛行場は県民・市民のねばり強い運動とイラクへの部隊派遣等によってヘリ基地としての機能停止状態になり閑静になっていました。それもつかの間、米軍は地元の反対の声に耳を傾けることなくヘリ部隊を去る4月1日に強行帰還させております。

 事故のショックによる精神的被害に未だに苦しんでいる市民もいる中、大学周辺や住宅地の上空を軍用機が飛行し事故以前に戻りつつあります。
ヘリ基地としての運用を続ける限り、普天間飛行場の危険性が除去されることはあり得ません。

 戦後60年もの間、在日米軍の75%の基地負担を強いられてきた沖縄で過去に新たな基地建設を自ら選択したことはありません。今、辺野古への新基地建設を認めてしまうことは、未来永劫、沖縄県民は米軍基地との共存を自ら認めてしまうことになるのです。それは沖縄の基地負担軽減にはならないし、危険な普天間飛行場問題の解決にもならないのです。

 現在、日米両政府では大規模な在日米軍再編協議が進んでおり、その中には海外基地の見直しも含まれています。一方では米国内の基地閉鎖に向け基地閉鎖委員会(BRAC)が3月に大統領から任命されています。
この連動した三つの流れは、私たち沖縄県民の米軍基地がもたらす不安や負担から開放され、今後20年の沖縄の基地負担を左右する千載一遇のチャンスであります。米軍再編は周辺での危険や不安な生活を強いられている県民の負担を確実に軽減させるものであるべきです。

 辺野古移設以外にも嘉手納や下地島、伊江島等への移設情報が観測気球のように打ち上げられますが、沖縄に新たな軍事施設はいらないという確固たる信念を持ち、今こそ一丸となって日米両政府を振り向かせ平和な生活を希求することを求めなければなりません。

 最後になりますが、「世界で最も危険な基地」といわれる普天間飛行場を抱える宜野湾市として、これ以上の基地機能の強化・恒久化に繋がることへ強く反対し、県内への新たな基地建設では基地負担の軽減にならないことを強く訴えると共に本日の辺野古支援集会が成功することを願いましてメッセージといたします。

   2005年4月16日
沖縄県宜野湾市長 伊波洋一