防衛庁長官 石破 茂 様
防衛施設庁長官 山中 昭栄 様
米軍普天間基地の即時無条件返還と辺野古新基地建設計画撤回を求めます
8月13日午後2時20分ごろ、米軍普天間基地から飛び立った米海兵隊のヘリコプターが沖縄国際大学構内に墜落し炎上、ヘリの部品が住宅地15か所の広範囲に落下するという大事故になりました。住民の安全をずっと軽視し続けてきた日米両政府には重大な責任があり、怒りを禁じ得ません。しかも、現場は米軍に封鎖され、沖縄県警が捜査もできない状態です。これではまるで占領下です。日本は本当に主権国家と言えるのでしょうか。
「在沖海兵隊普天間基地を5年ないし7年以内に全面返還する」と日米特別行動委員会(SACO)で最終合意したのは1996年12月2日のことです。しかし、期限はとっくに過ぎているのに、どうして一部分たりとも返還されないのでしょうか。「初めに代替施設ありき」ではなく、まず住民の安全を確保することが最優先のはずです。
名護市辺野古では今年4月19日以来、普天間代替施設とされる海上基地建設のためのボーリング調査の撤回を求めて座り込みが続き、もうすぐ4か月を迎えます。海上基地建設の是非を問う名護市の住民投票は1997年12月21日に行われ、反対票が過半数を超えました。このとき名護市民は、明確に「ノー」を突き付けたはずです。
私たち「基地はいらない! 女たちの全国ネット」は、辺野古の海上基地建設に反対する沖縄の女性たちの運動に連帯して生まれたグループです。普天間基地のある宜野湾市の女性たちと名護市の女性たちが連帯し、沖縄各地の女性たちと連携して結成した「心に届け女たちの声ネットワーク」は1998年初めに当時の大田昌秀沖縄知事に辺野古の新基地受け入れ拒否を要請し、それを受けて大田知事は拒否を表明しました。そしてその年の5月、沖縄から「心に届け女たちの声ネットワーク」の女性たちを中心に124人が東京に来て、銀座で道ジュネー(パレード)を行い、沖縄の米軍基地問題を訴えました。そのときの東京実行委員会が「基地はいらない! 女たちの全国ネット」の起源です。あの銀座行動から6年も経つのに、そのときから状況が変わらないことに、大きな憤りを覚えます。
辺野古の海は、国の天然記念物であるジュゴンをはじめ、豊かな生態系が存在している海です。私たち「全国ネット」のメンバーは、昨年11月に「ジュゴン保護基金委員会」の東恩納琢磨さんに船を出していただいて、基地予定現場を見ました。この青く透き通る海が長さ約2500m、幅約730mとされる巨大なコンクリートの固まりで埋められてしまえば、生態系の破壊、環境破壊は避けられません。東恩納さんは、8月4日から9日まで米国へ行き、サンフランシスコ連邦地裁で開かれた「沖縄ジュゴン『自然の権利』訴訟」を原告として傍聴しました。この裁判は米国国防省とラムズフェルド米国防長官を被告としており、米国の「生物多様性センター」も原告の一員です。今回の公判では、裁判長が予想以上に好意的な反応を示したとのことです。自然を敬い、大切にする日米市民の気持ちが裁判官を動かしたのでしょう。
この裁判の被告、ラムズフェルド長官は4月29日、「米軍が地域から望まれていない場所に米兵を送りたくない」と発言しました。しかし、人殺しの装置である軍事基地は、どこでも望まれていません。日本に米軍基地があるがゆえに、米軍人・軍属による事件・事故は全国で年間1700件以上起こり、その半数以上が在日米軍基地の75%が集中する沖縄で発生しているという現実があります。普天間で起こった事故は、辺野古でも起こりうるのです。そして、沖縄をはじめ在日米軍基地からは、イラクで大量破壊、大量殺りくを行う部隊が送り出されています。私たちはこのことに許し難い思いを感じています。
沖縄は、基地の重圧と基地被害からの解放を日米両政府にずっと訴えてきました。この7月には伊波洋一宜野湾市長が普天間基地の返還を要請しに自ら訪米しました。にもかかわらず、今回、ヘリ墜落という大惨事が起こってしまいました。日米両政府、防衛庁、防衛施設庁は、期限内に普天間基地返還が実行されなかった責任をとり、辺野古で座り込みを続ける人々の声を謙虚に聞くべきです。
昨日は日本の敗戦から59年目の記念日でした。あの戦争を振り返っても、米国が引き起こしたイラク攻撃の悲惨で渾沌とした状況を見ても、「武力で平和はつくれない」ことは明らかです。米軍基地は、もう要りません。私たちは普天間基地の即時無条件返還と、辺野古への新基地建設計画撤回を強く求めます。
2004年8月16日
基地はいらない! 女たちの全国ネット