4年前の今日、すなわち1996年4月17日、日米安保共同宣言が発せられました。この宣言は、東西冷戦を前提につくりあげられた軍事同盟である日米安保体制が冷戦終了後も必要であると「再定義」し、その強化の必要性を強調しています。この宣言に基づいて、「戦争ができる国家」を目指した法整備が進み、わが沖縄には、若干の軍用地面積の縮小と引き替えに、老朽化した基地の再編・統合・強化政策が押しつけられようとしています。普天間基地や那覇軍港の「県内移設」は、その代表的事例です。そして、この県内移設政策推進のスプリング・ボードの役割をも担わされて、7月には「沖縄サミット」が行われようとしています。
日本政府や稲嶺県政は、「沖縄を檜舞台に押し上げることの経済効果」や「平和の発信」を強調しています。しかし、クリントン米大統領を初めとするアメリカ政府首脳は、極めて率直に「日米同盟の戦略的重要性を示すよい機会」などと発言してはばかりません。
周知のように、いわゆるサミットは、第三世界の資源ナショナリズムに対抗する先進工業国の経済会議として始まりました。そして後には、NATOと安保の政治的・軍事的結束を誇示する場としての性格を帯び、やがてはロシアを加えたG8が、国連の枠外で世界政治を取り仕切る場に変質してきています。ここでは、毎年、“経済的繁栄”や“平和”が語られています。しかし、世界的に見ても、一つの国の内部を見ても、貧富の格差は拡大し続け、軍事力の行使も絶えません。つまり、ここで語られる“経済的繁栄”とは、一部の大国やその中の特権階級の利益の追求であり、“平和”とは、その利益を保証する経済体制や国際秩序の維持にほかならないのです。だからこそ、「沖縄の戦略的重要性を世界にアピールする」ことが、彼等にとっての「平和の発信」になるのです。
わたしたちの願う“平和”とは、地球上の人びとが、自然環境を大切にし、限られた資源や富をできるだけ平等に分かち合い、決して暴力(軍事力)を用いることなく、異なった文化・価値観・制度を尊重しあって、共生することです。それが、沖縄の民衆が半世紀にわたる社会的体験を通して得た確信なのです。
50数年前、沖縄は、日米両軍の激しい地上戦闘の場になりました。それから27年間、沖縄は、米軍の軍事支配下に置かれ続けました。そして今なお、アメリカの世界戦略の拠点として、在日米軍基地の75%を押しつけられ、頻発する米兵の犯罪や軍事基地に起因する事件・事故、基地維持政策による産業・経済の歪みや社会的荒廃に苦しんでいます。同時に、わたしたちは、この基地を拠点とする軍事行動の犠牲者たちの被害が、わたしたちの苦しみをはるかに上回っていることに思いを致さざるをえません。それ故にこそわたしたちは、基地の再編・強化に反対し、基地の整理・縮小・撤去を要求し、日米安保の解消を求めているのです。
わたしたちは、4年前日米軍事同盟強化宣言の出されたこの日を起点に、独自に、あるいは、志を同じくする人びとと協力しあって、沖縄民衆にとっての「平和の発信」とは何かを明らかにしていきたいと思います。この地球に生きる一人でも多くの人びとと、対等・平等の共生社会を築いていくために。
2000年4月17日
沖縄から平和を呼びかける4・17集会参加者一同