From: 辺野古命を守る会 <henoko@f5.dion.ne.jp>
Date: Sun, 22 May 2005 11:33:25 +0900
Subject: [keystone 10856] 阻止行動日誌5月17日394日目。富田晋。〜辺野古の状況(まとめ)〜
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5月17日(火)
・防衛施設局による違法な強行調査を阻止しています。
・日誌の更新が遅れていて申し訳ありません。現在辺野古は24時間体制が続いています。四苦八苦していますが私たちは海上での阻止行動を続け、国による基地建設を止め続けています。

この間の状況〜4月からの状況〜

9月9日(海上での作業強行)以降作業の全てが私たちの手によって阻止され続け、それに苛立った施設局は4月21日に強行することを宣言してきました。
この理不尽な国の姿勢に沖縄の怒りが爆発し、21日には120人もの人たちがヤグラに登りました。
「21日に強行」が沖縄中、全国に知れ渡ったこともあり、施設局は日にちをずらし、20日に強行を行ないました。20日には新しいヤグラの建設を狙い、作業船は13隻出ていました。連日阻止船とヤグラに登る人たちが大勢集まり、新たなヤグラを建設しようとしている場所は人が飛び込み、全てを阻止しました。
21日の120人もの人たちが集まったのは施設局のその卑怯なやり方に多くの人達が怒ったからでした。
しかし、次の週、施設局はさらに卑怯な手を使ってボーリング調査を強行してきました。

〜4月26日の強行〜

26日の午前6時、辺野古海上に私が船を出すとまだ暗がりのはずの海上にまぶしい光が見えました。
「ヤグラが占拠されている!!」無線に響く緊迫した声。
「夜間の作業はしない。」そう言っていた施設局。使用協議書(作業に伴うルール)の中には「作業は夜明けから一時間後」(項目、ジュゴンへの配慮の中で)と明記されている。
作業は確認されているだけでも「午前3時」から始まっていました。
県民会議、平和市民連、反対協、命を守る会が那覇防衛施設局に対して抗議に行くと施設局の責任者は「そもそも、あなた方が海上で阻止行動なんてやっているからだ。使用協議書の中の”夜間の作業”については掘削だけの話しだ。」と開き直った。
本当に許せない言動に命を守る会代表の金城祐治さんは施設局の責任者に涙を流し、手を震わしながら怒鳴った「現場にいる人間を殺す気か!!!」と。
しかし、「作業は日の出から一時間後」について”専門家からの意見”として文書の中で「漁船の航行も十分に配慮が必要」とも書いてある。そこにはただの開き直りしかない。

施設局に対しての現場の怒りは祐治さんのその一言に表されています。夜間に作業員に作業させる行為も反対している私たちが真っ暗闇の中で座り込みをする行為も命がけなのです。
双方に危険が及び混乱する状況に防衛施設局は責任をとろうともしない。
その証拠に夜間、防衛施設局は作業員だけを海上に残し、自分達は危険ではないキャンプシュワブの”現場監督事務所”で監視をしているだけです。
どんなに海上が危険な状況にあっても現場から「危険だから引き上げさせてくれ」と言わない限り引き上げさせない。
作業員を死の危険にさらし、「夜間は掘削だけをしてはならない。他の作業はOKだ。」と開き直るのか。

〜26日の後〜

26日の強行の後、防衛施設局は土日であろうと隙があれば作業を強行に移してきました。
5月1日(日)の夜間、第五ヤグラ交代の人を船で送っている最中に「警戒船」の看板をつけて出たはずの船が「作業船」に札を付け直して7人ほどの作業員を乗せて第五ヤグラに向かっているところで鉢合わせしてしまいました。
時間は午後8時。海上は真っ暗闇です。その中で作業に入る、作業を阻止するということがどれだけ危険なのか。
そういうことがいつでもおこるのです。防衛施設局の指示のもとで一体どれだけ労働の基準が破壊されているのか。夜間作業、労働時間、天候、働かされている人たちにも許されない行為が続いています。

〜5月10日(火)以降〜

4月26日以降24時間体制が続く中で5月10日以降防衛施設局はまた新しいヤグラの建設を強行してきました。
4月21日以降に強行してきた新しいヤグラの建設は阻止され、一度は単管を引き上げたのですが、また開始しました。
現在、連日その攻防戦が続いています。
私たちは阻止船を10隻以上出し、飛び込み隊を編成して新しく作ろうと作業船が動く場所を先に陣取り、飛び込み、阻止し続けています。
しかし、その中で女性一人が負傷させられたことは全国にメールを通じて流しています。
海中でシュノーケルをとることは命の危険が伴っていることを知っているはずがその行為を働き、さらに上がってきたこちらの飛び込み隊のシュノーケルの息をする部分を押さえるという行為がありました。
このことは絶対に許せるものではありません。全国から防衛施設局に対して抗議する必要があります。
11日(水)、12日(木)、13日(金)と私は体調を崩して辺野古へはいけませんでしたが、その間に激しい攻防戦が続いていました。
夜間は得体の知れないゴムボート(帝国警備の民間会社だと言われいてますが、実際のところはどうなのか。)が夜間の警備にあたりヤグラの人間に対して夜間も罵声を浴びせてきます。5がつ