From: 辺野古命を守る会 <henoko@f5.dion.ne.jp>
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Date: Thu, 3 Mar 2005 15:15:53 +0900
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Subject: [keystone 10424] 阻止行動日誌315日目。大阪に行ってきました!!
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2月27日(日)
・大阪に行ってきました。
大阪の大正区に辺野古の現地報告をして欲しいということで平和(ぴょんふぁ)の会に呼ばれて行ってきました。
大阪には初めて行きました。
関西空港に着いて電車に乗ろうとしていると走ってきたニィニィが「おい!!にぃちゃんわしが乗る電車はこれでいいんか!!」と聞かれてまずびっくり。どう考えてもにぃさんの方が大阪長いだろうに。
電車に乗るとまたまたびっくりおっちゃんが全員「スポニチ」を読んでいる。ついでにタイガースの話でもちきりだ。おばちゃんは化粧がとっても濃ゆい。若いねぇねぇは亜季ちゃんみたいのばっかり。衝撃的な光景でした。(明らかに偏見があると思いますが。大阪の皆さんすみません。)
沖縄に行って4年、都会的な生活など送っていなかったので電車の音が妙に懐かしく感じました。
大正区まで約5時間かかりました。
大正区は沖縄です。人口の半数以上が沖縄出身者です。強制労働と差別の歴史を語り継ぎ、現在も闘い続けている街です。
「ナカソネ薬局」「上原電気」「東江食事処」などなど、スパムやゴーヤーなど沖縄の食べ物がたくさん商店街に並んでいます。
大正伝道所に着くと伝道所の牧師さん上池さんが出迎えてくれました。「昼ごはんまだでしょう?おいしい沖縄ソバを食べられる所があるから地図を書くね。」と地図を手渡されました。
大阪に来たらお好み焼き、たこ焼という人がいますが、大正区は沖縄、沖縄は沖縄ソバです。
「沖縄料理屋いっちゃん」で三枚肉そばをいただきました。「あんたぁ、どっから来たね?」「えっと、名護からです。」「そうねぇー名護ー。うちの姉が住んでいるよ。」とそば屋のおばちゃんから声をかけられました。
沖縄言葉が普通に響く街です。
・大正伝道所報告会。
午後2時から大正伝道所で報告会。沖縄国際大学からも4名呼ばれ最初に報告がありました。報告会には70名ほどの人たちが集まっていました。
「私は名護の出身です。辺野古のことはいつも気になっています。名護の知り合いから"普天間基地の負担軽減になるのではないか"と言われましたが、そうは思いません。沖国大には普天間基地のヘリが墜落したのです。私は辺野古に基地はいりません。普天間基地も今すぐに閉鎖するべきだと考えています。」会場から拍手。
「生まれたときから基地がある僕にとって今まで沖縄に基地があることに何の興味もありませんでした。むしろかっこいいと考えていました。僕の親父は軍で働いています。県外の人に"軍で働いている人間がいるからいつまでたっても基地がなくならない"と言われたことがあります。親父がやっていることに誇りを感じていた僕はそう言われてとても腹が立ちました。ただ、沖国大にヘリが墜落したときから僕の意識は変わりました。基地は基本的にいらないと思っています。そのことを口を大にしていえない状況と自分がいますが出来るところから頑張っていきたいと思っています。」また大きな拍手。
私から辺野古の現地報告をしました。
「まず最初に私から謝罪をしなければなりません。大正区に行って話をすることに関して、私は大和の人間としてまだ基地を沖縄からなくせていないことに対して謝罪しなければなりません。私が辺野古で命を燃やして闘う意味は沖縄に対する罪の償いでもあります。」それから辺野古現地での激しい攻防戦。おばぁやおじぃとの出会いなどのことを40分にわたって話しました。
1時間で終わるはずの私の話でしたが、質疑応答でも「辺野古の現在に至るまでの簡単な経緯を教えて欲しい」「嘉手納や普天間の状況を知りたい」「晋さんがなぜ辺野古に行ったのか詳しく教えて欲しい」などの質疑が相次ぎ、途中私の補足のために上池牧師が話したりで結局2時間半にわたっての報告会になりました。
その後も集会では「元従軍慰安婦、日本政府への告発全国集会報告」が行われましたが、私は大阪行動の方に参加するため途中で抜けさせていただきました。
・大阪行動報告会。
JR大阪駅前まで伝道所に来てくれていた大阪行動のメンバーに送っていただきました。
午後5時をまわっていたため大阪行動は最後の集会を開いていました。拍手で迎えられました。
今日の大阪行動の感想が話し合われていました。「反応が良かった。」「沖縄について語りかけると受け答えが多くのなっているのを感じます。」「20代の若い女性が自分からビラを受け取りに来てくれました。」とても元気の出る言葉が飛び交いました。
すぐに報告会の場所に移動。報告会には30名ほどが集まってくれていました。
亜季ちゃんが始めた大阪行動はドンドン人が増えています。
今日も3人新しく来ていました。
ザックバランな形で報告会が始まり、この間の状況や私なりの辺野古への思いを話しました。
前に大阪から辺野古へ来ていた人の顔ぶれもあり懐かしく感じました。
「これから名古屋でも東京でも辺野古の行動が若い人たちの手で起こされようとしています。大阪行動がそういう人たちと繋がりあってこの基地建設計画を根本を潰す行動につなげて欲しいと考えています。僕は現場で頑張ります。長い闘いですが、これからもよろしくお願いします。そして現地でも大阪でも頑張っている亜季ちゃんをよろしくお願いします。」拍手で報告会を終えることが出来ました。
その後は交流会。日付が変わるまで大阪行動の人たちと語り合っていました。
27日、帰る日には大正区の沖縄関西文庫の方にもよらしていただきました。金城馨さんがいました。突然の訪問にも関わらず色々と話していただきました。
馨さん、ありがとうございました。
大阪でも多くの出会いがありました。そして辺野古の闘いが燃え広がるように広がっている状況を目の当たりにしました。
上池さんや平和の会などのお世話になった方々に今回のような機会を持っていただきとても感謝しています。ありがとうございました。現地で頑張る力がカゼン湧いてきました。